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第一話 二代目石油王アレックス

ツイッターで天才的な発想を目にしたので、衝動的に書きました。


ライブ感だけでやってますので、細かいことは気にしないでください。







 闇オークション、というものに俺は連れていかれた。


 オトウサンに「お前もそろそろ年頃だ。こういう世界も知っておけ」と、ヒキガエルもびっくりな粘着スマイルでそう言われた時は、流石の鉄仮面な俺でも眩暈がした。


 案内されたのは、異様に薄暗い部屋。広さはそれなり。豪勢なソファーが距離を離しつつ並んでいる。入る時にパーティーマスクを渡された時は「正気かよ」と危うく口に出そうになった。


 ……テーブルに置かれた美しい花。キャンドルライト。シガー専用の灰皿はよく磨かれたクリスタル製。なるほど、シャレている。ここがレストランなら運命の恋人達で溢れかえる事だろう。


 だけどここにいるのはモンスターばかり。


 奴隷売買。人を金で買う、という時代錯誤極まりないゴブリンの巣窟。


 俺は本当にイヤだった。こういう世界があるなんて知りたくない。こんな場所にいたくない。横に座っているオトウサンが大嫌いで、ニヤニヤとしながらステージを見守る周囲の人間は汚らわしい存在にしか見えなかった。


(……俺もいずれこうならないといけないのか…………)


 自分のことを純真ナイーブとは思わない。ジーパンにハンバーガーのソースが垂れたってそんなに気にしない。世界は罪と哀しみで溢れているし、神様は長期休暇中だ。


 貧乏な友達に百ドル渡して「チャイニーズチキンを買ってこい。釣りはいらない」と言い捨て、彼の卑屈な笑顔を見て悦に浸る。……その程度には、俺は汚れている。


 だけど、オトウサンみたいにオイルを体中に塗りたくるのは、どうしても無理だった。そこまで極めたくなかった。


 だが今日も俺はグッとこらえる。全ては母さんのために。



『レィディース・エンド・ジェントルマン! 大変長らくお待たせいたしました! 今宵のショウの始まりです!』


(紳士も淑女もいねぇよ。ここにいるのは、性根の腐った金持ちだけだ)


 そんな悪態を完璧に隠して俺は拍手をした。ここにいるモンスター達と同じように。


『今夜はすごいですよ。揃いも揃った粒ぞろい! 宝石以上の価値を我々はあなた達にご提供させていただきます! 保護するもよし、愛でるもよし、鑑賞するもよし、愛玩するもよし、それら一切とは・・・・・・・真逆のこと・・・・・をするも良し!』


 後ろのソファーに座っているゴブリンが拍手をする。

 目の前のソファーで無防備な背中をさらしている悪魔が喝采をあげる。

 そして俺の隣りでヒキガエルが笑っている。


『では、簡単ながらルールをご説明! 多種多様な商品をご用意しましたが、今夜は十点のみのご提供となります! 皆様の懐具合は深淵よりも広いのでしょうが、流石にポケットに入る小銭に限度はございますでしょう。無理のない程度にお遊び・・・ください』


 ……今のは、落札出来なかった者へのフォローなのだろうか? どうしても欲しい奴隷がいたけど落とせなかった。でもまぁ、遊びだからいいか。そんな逃げ道を用意したのだろうか。


『そして遊びとは、白熱すれば白熱するほど面白いモノ――――今宵もみなさま、どうぞお楽しみください!』


 その言葉と共に、バニーガールがドンペリを抱えて各テーブルへと回り出す。早速辺りからは「君の値段はいくらなのかな?」「一夜の夢、5000ドルでございます。Sirサー」なんて言葉が聞こえてきた。



 続々と奴隷が登壇していく。


 一人目。美女だった。こちらに愛想を振りまく余裕はあるようだが、少しだけ膝が震えていた。


 二人目。屈強な男だった。とあるドブネズミが瞬殺気味の大金で落札した。


 三人目。双子の子供だった。〈ゲス〉と〈かろうじて紳士に見える男〉が競り合い、後者が競り落とした。


 四人目。とても美しい少女だった。今まで見てきた人間の中で、一番可憐なのではないかと思った。口は悪かったが。――――先ほどの〈ゲス〉が張り切っていたが、終盤で若そうな男が絶句する金額で落としていた。


 五人目。六人目。後半になるにつれて「遊び」の熱狂は高まっていき、七人目の改造人間・・・・で吐き気がした。八人目で限界だった。


(帰りたい)


 頭の中はその言葉でいっぱいだ。俺がため息をつくと、オトウサンが声をかけてきた。


「なんだ、酔ったのか? オークションに参加しておるようには見えぬな」


「何分、未体験の世界ですので……今夜は“見”にまわろうかと」


「下らぬ」


 オトウサンはそう言って、糸をひく口を開けながら嗤った。


「それは弱者の、臆病者の発想だ。お前はワシを誰だと思っている? おおっと、口には出すなよ。ただ思い出すだけでよい。ワシが誰で、お前が誰のなのかを。――――最後の二人は競りのクライマックスということで、同時に出てくる演出らしい。その片方の奴隷を競り落とせ」


 それは命令だった。


「……了解」


 いやだ。ああ、いやだ。本当にいやだ。


 こんなことなら四人目の子を落とせばよかった。美しかったからじゃない。若かったからだ。あれなら、救えた・・・かもしれない。


 俺は自身の傲慢さに気がつくこと無く「次に出てきた者のうち、若いほうを競り落とそう」と決めた。


「ちなみに、予算はどれほどあるのだ?」


「かき集めれば……いいえ、いくらでも。オトウサンの期待は裏切りませんよ」


 グッボーイ、と。まるで犬を褒めるような声が聞こえた。


「この経験が、大人の社会でやっていくためには必要なのだ」


 俺はその言葉に返事を返すことが出来なかった。黙って、うなずいた。



 そして、最後の二人が出てきた。


 九人目。見た目はパッとしない、褐色の少年だった。ただとても有能らしい。


 十人目。天使のような少女だった。美しさ、雰囲気、声色。全てが完璧だった。四人目なんて目じゃないぐらい、それは神々しかった。この狂った場所でさえ清廉な微笑みを浮かべられるのは、少しどうかとも思うが。


 そして理解した。九人目は「引き立て役」だ。


 虐待でも受けたのか、その視線と態度は恐怖で引きつっている。よく見れば、本当によく見れば顔立ちもいいのだが、隣りにいる天使サマが凄すぎる。……なるほど。確かに近所の不細工なガキを並べるよりも、多少は見栄えのいい者を置くのがあの天使サマにとっては適切だろう。


 バラを飾るなら雑草よりもカスミ草の方が良いに決まっている、ということだ。



 そして俺はほとんど何も考えずに、九人目の奴隷を落札した。彼の方が若かったから。




「それでは、商品はこちらになります。戸籍はご入り用でしょうか?」


「当たり前だ」


「ではこちらのラインナップからお選びください」


「……これでいい。オト、いや、連れが外で待っている。手早く頼む」



 適当に選んだわけではないが、俺は曖昧な戸籍を選んだ。その時点でソレを選んだことに、大した理由はなかった。



「では、こちらが商品になります」


 そう言って、ブローカーが九番目を連れてきた。


「あ……あの……ぼ、ぼくは……」


「こらこら、まず最初に言うべきことがあるでしょう?」


 ブローカーが優しく語りかける。そして九番目は非常に怯えた態度で悲鳴を漏らした。


「……こ、この度は奴隷である私をお買い上げいただきまして、誠にありがとうございます」


 その声は震えていた。


「旦那様のご期待に添えるよう、誠心誠意尽くさせていただき……ます。どうか、どうか……」


 九番目は涙を浮かべていた。


「末永く、可愛がってくださいまし」


 俺は思わず声を漏らしていた。


「――――どこの娼婦だ」


「えっ」


「……いいや、何でも無い」



 ごゆっくりとお選びください。ただし、お楽しみはご帰宅後にお願いします。――――そう言ってブローカーが俺達に案内したのは、無数の衣類が並んでいる部屋だった。つまり商品のラッピング・・・・・だ。


「あ……あの……」


「サイズを測るのも面倒だ。自分で選べ。五分以内だ」


「……一分で選びます。ですので、少しよろしいでしょうか……」


「なんだ」



「貴方様は、どこの王様なのでしょうか……?」



「は?」


 そう思ったし、そう口にした。


「…………なんだ、その質問は」


 ピンポイントでトラウマ・・・・をえぐられた俺だったが、その不快感を隠す。


「先ほど旦那様が私をお買い上げになられた金額が尋常のモノでないのは理解しています。そして、それが許されるのは……その……王様ぐらいでしょう?」


 コイツはどんな世界で生きてきたのだろうか。いくらガキとはいえ、無垢すぎやしないだろうか。おい、新聞くらいは読めるか。ニュース見てるか。インターネットって知ってるか。あと俺はまだギリギリ十代だ。せめて王子様ではないだろうか。


 俺は深いため息をついて、それから質問に答えた。


「嫉妬の目を持つ者曰く、俺の父は石油王・・・だそうだ」


 ヒキガエルのことだ。


「実際に油田を持ってるわけじゃない。アメリカンドリームを掴んだ男の、皮肉としての蔑称あだな。故の石油王だ。オイルマネーに群がるハエ共を駆逐し、そのクソの塊を独占する成り上がりのフンコロガシ。そして俺は、そのフンコロガシが気に入った花に育てられた、アリだ」


「…………」


「俺は王様じゃない」


「…………で、でも……」


「――――今俺が言ったことは記憶から完全に消去しろ」


「………………畏まりました」


「行くぞ。連れが外で待っている」


「はっ、はい王さ……えっと、旦那様!」


 そして少年は三十秒で二種類のコーディネイトを選び、どちらがいいか俺に尋ねてきた。一般的な服装と、上品そうな服装。


 どっちでもいい。短くそう答えると、九番目は素早く上品な服装に着替えて、深い一礼をしてみせた。


「……どうか、どうかよろしくお願いします」



 豪華な裏口。


 薄暗い裏道。


 真っ暗な部屋。


 そして俺と九番目は、外に出た。裏路地。VIP用に人払いがされており、誰もここには近づいてこない。


 オトウサン、いいや、フンコロガシもく・ヒキガエル科の姿はどこにも無かった。十五分も待ちきれないとは流石だな。今夜は土曜日だから、おそらく愛人の住まうマンションに帰ったのだろう。


「チッ……まぁいい。気が楽だ」


 俺は乱暴にネクタイをといて、注文通りの服に着替えた九番目にそれを投げ渡した。


「行くぞ」


「あ、あの……どちらに……」


「お前は有能と聞いた。なので一度で理解しろ。設定。お前は俺の腹違いの弟だ。久しぶりに会って緊張している。共通の思い出は少なく、微妙な距離感だ。なので口数は少なくて構わない。だが俺のことはアレックスと呼び捨てにしろ。適時最善を尽くせ。以上」


「畏まりました」


 即答だった。だがしかし、どの程度理解出来たのやら。


「……ですが、あの……数点の確認をしてもよろしいでしょうか?」


「手短にすませろ」


「呼び捨てということは、口調も……その、敬語でない方が?」


「どちらでも構わん。だが、現状お前の言葉遣いは固すぎるな」


「……分かりました。じゃあ、もう一つだけ。アレックスは本名ですか?」


 ほう、と俺は方眉を上げた。


 なるほど。コイツは優秀だ。


「本名だ。別に犯罪者じゃないし、いかがわしい仕事をしているわけでもない。尊敬する父から子会社を任されていて、収益は上々だ。寄付もするし、教会にだって行く」


「分かりました。お外だし、あんまり立ち話するのも良くないですよね。今日はこのまま帰るんですか?」



 ――――なんて気味の悪いガキだ。



 それが俺の素直な感想だった。


 優秀。ああ、確かにそうだろう。こちらの意図を読み取り、足りない分は補完するし、状況も読めている。そして何より、俺が不愉快にならないよう最大限配慮している。


 だが、その瞳の浮かぶ恐怖や不安は隠しきれていない。


 羊が狼を前にして「わたしを食べますよね? レア? ミディアム? ソースはどうしますか?」と震えながら言っているようなものだ。


 優秀。そして薄気味悪い。


 ここで俺はようやく、九番目に興味を持った。


「上等だ」


「……?」


「酒を飲んだせいで、小腹がすいた。お前はどうだ?」


「ちょっとすきました」


「よろしい。……ふむ、この距離ならあの店がいいか。おい、お前テーブルマナーはどの程度できる」


「正直言って、アレックスの期待に応えるのは難しいと思います」


「言葉遣いの訂正。もう少しフランクに」


「オッケー」


 先ほどの「畏まりました」が、こいつの口から出ることはもう無いだろう。それぐらい自然な切り替えだった。――――ますます、面白いじゃないか。その猫かぶりがどのていど真に迫ったものなのか、テストしてやろう。


「今夜はもう修正しない。お前が自分で最適だと思う判断を見せてみろ」


「分かったよアレックス」


 本当に不気味な奴だ。


「あ」


「どうしたの?」


「……お前の名前は?」


 そう尋ねると、九番目は少し表情を暗くした。


「…………アレックス。僕の名前って、なんだっけ?」


 副音声。《名前を入力してください》


「ハッ――――小賢しいな、腹違いの弟よ。お前の母親がつけた名前が何であれ、それがお前の名前だ。人種の坩堝るつぼたるこの街では、お前の名なぞ珍しくもなんともない」


 副音声。「お前の名は、お前の名だ」


 果たしてそれが正確に伝わったのかどうか。


 九番目はようやく、ほんの少しだけだが、子供らしい笑顔を浮かべた。


「僕の名前は、エミールだよ」


 褐色の肌。そしてその名の雰囲気。……ヨーロッパ系か?


 薄暗いが、近くでよく見るとコイツの顔立ちは割と整っていた。どんな成長をするだろうか。指先が長く、髪質は柔らか。かなり細身だが、貧弱には見えない。


 身長はそれなりにあるが、これが高いのか低いのかは分からない。


「歳は?」


「九歳」


 俺は目を丸くした。


「き、九歳?」


「そうだよ?」


「…………そうか」


 マジか。身長はともかく、その歳でその対応力。異常を通り越して恐怖すら覚えるな。


 猫かぶりかと思ったが、案外その化けの皮の下には悪魔が入り込んでいるのかもしれない。


 だが、俺は暗鬱な気持ちが少し晴れていることに気がついた。



(面白い。……せっかく買った奴隷だ。俺なりに楽しませてもらおう)



「よし、エミール。何が食いたい?」


「ええっと……僕が選んでいいのなら、その、温かいスープが飲みたいかな」


「黙れ。肉を食え、肉を」


 そう言ってみると、九番目は、エミールは苦笑いを浮かべた。


「アレックスは強引だなぁ」




 これが俺とエミールの出会いだった。







 子供の頃、俺は母さんが大好きだった。性格に少々難はあったかもしれないが、女手一つで育ててくれた偉大な母だ。


 母さんのために俺は何が出来るだろう? ガキだった俺は毎日そればかり考えてて、実際に行動に移していた。失敗しては殴られて、成功すれば褒められて。


 貧しい生活ながらも誕生日プレゼンとを贈ろうと、クレヨンで壁にでっかく母さんの似顔絵を描いた時は、凄まじい勢いでビンタされたものだ。直後に母さんは泣き崩れて、俺を抱きしめながら「とっても嬉しいわアレックス。でもマジで勘弁して」と言いながらキスをしてくれた。



 だけど、ある瞬間から俺は母さんのことが......嫌いになったわけではないが、少し苦手になった。


 再婚が決まった瞬間である。



 俺が六歳ぐらいになった頃から、母親の口癖はきまってこう。


「アレックス。貴方もお父様のように、偉大な王・・・・になるのよ」


 何を言ってるんだろう。その時の俺にはマジで母さんが何を言っているのか理解出来なかった。


「オトウサンみたいって……オトウサン、別に王様じゃないよね……?」


「なにを言っているのアレックス。見てご覧、この上等なコート。五万ドルもするのよ」


 五万ドル(五百万円)


 ワォ。僕だったら五万ドルで十年は暮らせそうだ。子供だった俺はそう考えた。


素敵ナイスなコートだね。だけど、オトウサンが王様っていうのと何か関係があるの?」


 俺の知っている王様と言えば、小っちゃいころ読んだ絵本に出てきた、キング・アーサーだ。エクスカリバーをふるってみんなを守ったヒーロー。ピカピカの王冠をかぶった優しそうな人。……少なくとも五万ドルも出してコートを買うような人物ではない。


「お馬鹿さんねアレックス。こんなクソ高いコートをぽいっと私に買ってくれるお父様はこの世で一番、最も最高の石油王おうさまに決まってるじゃない」


 母さん。オトウサンは石油王じゃないよ。オイルマネーで儲けた、ただの成り上がりナリアガリだよ。


 いつか誰かが口にしてた悪口。その言葉を俺は飲み込んだ。




 それから母は幸せに狂っていった。


 俺の大好物で、母がよく買ってきてくれた30セントの安菓子は、彼女にとって「野良犬のクソ以下」になった。俺が大好きだった冷凍ハンバーグは「ウチで買ってる血統書付きのワンちゃんのクソより少しマシ」になった。


 俺の好きだったものは、どんどん否定されていった。


 母さんと公園で菓子パンを食べるのが好きだった。

 母さんと一緒に読んだボロボロの絵本が好きだった。

 母さんと、テレビに出てくる人のモノマネをし合う時間が好きだった。


 だけど母さんは、それら全てを「貧乏人のやること」だと否定した。


 俺は母さんが好きだから、作り笑顔で「そうだね」と言うことしか出来なかった。




 俺は父さんの顔を知らない。そもそも結婚もしてなかったらしいが、あまりにも彼の情報は少なかった。ただ生物学的にいたんだろうなぁ、というレベルでしかない。


 そして、俺が六歳になったばかりの頃に出会った、オトウサン。


 初めて会ったとき、彼はたくさんのお土産を俺にくれた。お菓子、イカしたシャツ、綺麗な靴、プレイステーション2。そして「ジェーンには内緒だぞ?」と言って渡してきた100ドル札。(彼が帰った後、俺は速攻で母さんに渡した)


 俺は最初、彼は神様の一種なんだと思っていた。


 背が低くて太っちょだが、とても優しい人だった。俺は彼が好きになった。


 だけど。


 彼がお父さんになるのよ、と母さんに言われた時。俺は正直言ってイヤだった。


 彼がただの隣人だったら、きっと俺は彼とメールアドレスぐらい交換していただろう。だけど、彼が母といるのを見るのは辛かった。俺に甘いお菓子をくれながら、それ以上に甘い瞳で母さんを見つめる彼は気持ち悪かった。


 そして程なくして、俺はオトウサンの正体を知る。


 一言で表せば、彼は下品な男だった。そしてとてつもなく見栄っ張りだった。


 優しいと言えば、まぁ、優しい方ではあるのだろう。だけどその優しさはどう取り繕っても「家庭を大事にする俺ってサイコーにクールだろ?」感が透けて見えた。母さんのことは彼なりに愛してはいるのだろうけど、愛人の数は両手の数より多い。


 

 あまり彼のことは語りたくないのでこの辺で切り上げよう。


 とにかく俺は一般教養よりも帝王学……経営者としての教育を熱心に施された。将来はあなたが石油王。二代目・石油王。それとお母さんこの二万ドルの時計が欲しいわ、って具合だ。


 母さんはとても無邪気な人だ。人生が楽しそうだった。悪い人じゃないし、かなり善良だと思う。


 だけど、いつの頃からか俺は彼女にとって「可愛いアレックス」ではなく「二代目・石油王」でしかなくなっていた。


 それはきっと、俺の人生が幸福なものでありますように、という願いから来ているものだったのだろう。「その恩恵にあずかってやるぜイッヒッヒ」なんてことは、多分ちょっとぐらいしか思っていなかったはずだ。


 だから俺は、苦労して俺を育ててくれた母さんが、今の幸せを維持出来るように頑張ってるってわけだ。



「そしてお前を買った理由だが、オトウサンが買えと言ったからだ。クソ、あのゲス野郎が競り合ってこなけりゃ最高級フェラーリ並みの金額を払わずに済んだものを」


「………………」


 少年。エミールは絶句していた。


「どうした」


「……いや、あの……」


「ウェイターが来るまでは二人きりだ。楽に過ごせ」


 広い店内。近くで聞き耳を立てるものはない、高級店だ。幼い子供がこういう場所に入るのは店側が禁止している事が多いが、何も問題は無い。


「聞きたいことが多すぎるというか」


「時間は有限だぞ」


「アレックスは、幸せ?」


 とてつもない反応スピード。要点だけ押さえに来やがった。俺はつとめて冷静さを保ち、返答した。


「誰かと比較すれば、俺は相当に幸せ者なんだろう。だが主観的に見れば俺の人生は薄い・・。……借り物ばかりだ」

 

 全部ヒキガエルのおかげなのだ。人生に対するモチベーションなぞ無い。


 そう告げると、エミールは複雑な表情を浮かべた。


「……僕を買った理由を、もう一度尋ねてもいい?」


「偉大なる石油王サマが買えと命じたから買った。以上だ」


「僕を、買えと?」


「正確には、誰でもいいから一人買え、だったか」


「…………もう少し踏み込んでもいいでしょうか」


 おや。割と真剣な表情だ。興味をそそられた俺は「構わんぞ」と答えた。



「少年を愛する性癖はお持ちですか?」


「――――――――。」



 言葉遣いが、固いモノに戻っている。


「僕と一緒にステージに上がったあの女の人は、あんなにも綺麗だったのに、どうして僕を……」


 俺は色々察した。


 娼婦のような挨拶。その怯え方。きちんと喋れているのに、時折震えるフォークが皿を鳴らしている。挙げ句の果てに、いまの質問で緊張感がピークに達したのかナイフを派手に鳴らして床に落とした。


「あっ」


「拾うな。こういう時はウェイターに拾わせるものだ」


 片手を上げるまでもなく、遠方に待機していたウェイターが素早く新しいナイフを運んできた。


「あ、ありがとうございます」


「いえ。ごゆっくりどうぞ」


 少年に対して、まるで下僕のように振る舞うウェイター。


 エミールの正体が俺の奴隷なのだと知ったら、彼はどんな対応をするのだろうか。



「今の質問は、自衛の一種か?」


「……はい」


「なるほど、くだらん」


 俺がそう吐き捨てると、少年は脇をしめて、二の腕だけで自身を抱きしめた。


「あの競売人どもは、お前の売り方を誤ったようだ」


「……? それは、どういう」


「お前は優秀だ。今までの対応力を見る限り、そのセールスポイントを疑う余地は無い。だが、そんなお前に娼婦の真似事を仕込んだというのなら、度しがたい愚か者としか言いようがないだろう。コンソメスープに炭酸水を入れるぐらい意味不明だ」


 やや間があく。


 そして、じんわりと「自分が褒められている」ことに気がついたエミールは少しだけ頬を赤らめた。


「……あの…………では……」


「ああ、明確に否定していなかったな。俺にそのは無い。なんならもっとはっきり言ってやろうか。俺は子供を抱く趣味は無い」


 そう断言すると、エミールはうつむいた。


「ん? どうした?」


「……えっと……その…………あ、安心しちゃって……」


 えへへ、と。


 そう言って笑ったエミールは、直球で表現するなら可愛かった。


「――――――――。」


「色々とその手の教育を施されていたんですが、同時にすごく脅されていて……長生きするためには絶対に必要なコトだからと。だから一生懸命に覚えたんですが、無駄になって良かったです……そ、その……怖かったので……」


「そうか」


 どんな風に教育されたのだろうか。


 そんな好奇心もあったが、俺は猫好きなのだ。殺したくはない。


「じ、じゃあ何のために僕を……?」


「その質問にはもう答えた。買えと命じられたからだ。――それはさておき、腹はふくれたか?」


「あっ、はい! じゃないや。うん!」


「正解だ。過去を思い出して口調が戻るのは仕方ないが、ロールプレイには気を付けろ」


「ありがとう。……アレックスは優しいね」


「はぁ?」


「だって、修正はしないって言ってたのに」


 俺は黙って片手を上げた。


 お会計の時間だ。会社用ではなく個人の黒いカードをウェイターに手渡して、それからゆっくりとエミールを見つめた。


「……? え、えっと。なにかな?」



 どうやら俺は、喋りすぎたらしい。


 エミールが見せた素の表情は。


 いや、何でもない。酒のせいだ。




 契約しているタクシーを呼びつけ、二人で車に乗り込む。運転手は余計な質問なぞすることなく、俺の自宅を目指して黙ってアクセルを踏み込んだ。


「………………」

「………………」


 会話は無い。


 しばらくすると、視界のすみでエミールの頭が船をこぎだした。


(いけない。寝ちゃダメだ)


 そんな覚悟が見て取れる。彼はひっそりと、自分の太ももをつねっていた。


「眠たいのなら寝ろ」


「……いや、眠たくないよ」


「そうか」


 ぐい、と彼の頭を自分の腕に引き寄せる。


「ヒッ」


「視界の隅でフラフラと頭が揺れていると目障りだ。黙って寝てろ」


「…………」


 そのままエミールは静かになった。きっと寝ているわけではないのだろう。彼が安らかに眠れる日はまだまだ先のことだ。


 なにせ正体不明の男に奴隷として買われたのだ。


 俺がそういうつもりは無いと言った時は安心したのだろう。だが、それでノーガードになるほどエミールはバカじゃない。


 だから引き寄せた時の短い悲鳴は当然のモノなのだが、少しだけ寂しくもあった。   


 酔っていたのだ。


 だから「軽くテストしてやるか」という気持ちで会話を試みた際、エミールが九歳とは思えない聡明さを示した時は動揺したものだ。


 ロールプレイをしながらの会話。完璧な演じ方。そしてその有能さのスペックの大半が「アレックスを不愉快にさせないように」ということに傾いていた。隠し切れなかった恐怖がそれを証明している。


 こいつは優秀だ。


 だから俺はバカ正直に、本音で話した。


 適当な嘘を並べて会話しても、こいつはすぐにそれを見抜くだろう。おそらく理屈ではなく直感的に。そしてそれは理屈で補強されるというわけだ。


 手加減すれば、舐められる。


 そう判断した俺は、九歳のガキ相手に本気を出すために「嘘」を捨てたのだ。


 そんな俺をエミールが「なんて正直で、フェアな人だろうか」という視線で見つめてきた時は流石に少し恥ずかしかったが。


 エミールは黙ったままだ。だがわずかに体温が高くなってきているような気がする。……少しは眠れているといいのだが。


 そして俺は気がついた。


 こいつを俺の家に連れて帰るのはいいが、寝間着がない。


 ベッドも一つしかない。どうしたものだろうか。夜もふけているので、今から買うというのは難しい。やれば出来るが。


 ……別にどうでもいいか。酒が入ったせいで、俺はもう眠たいのだ。




 家に帰る。


 まだ十代とはいえ、会社まで任されている身なのにオトウサンや母さんと同居したりはしない。一人暮らしだ。俺はエントランスに入るなり、コンシェルジュに声をかけた。


「腹違いの弟、エミールだ。しばらく一緒に住むことになった」


「かしこまりました」


 余計な質問は無かった。何の感情もない。いかつい黒人コンシェルジュは優雅さを保ったまま、パソコンになにやら記入を始めた。よろしい。仕事が早い奴は嫌いじゃない。



 世間が見下ろせる階層の自宅に戻り、俺はジャケットをソファーに投げ捨てる。


 後ろから黙って付いてきたエミールは窓の外をみて「わぁ……!」と感動の声をあげていた。本当なら駆け寄って外の景色をじっくりと眺めたいのだろう。


「さて。身なりは綺麗だが風呂には入るか?」


「あっ、えっと、その、アレックスが……アレックス様がお先にどうぞ」


「…………その言葉遣いの意図はなんだ?」


「……ご自宅ですし、奴隷らしく振る舞うべきかと…………」


 ぽかん、となった。


「奴隷。そうか、お前奴隷だったな」


「え」


「……ああ、いや、なんでもない。とにかく言葉遣いはフランク継続で大丈夫だ。とりあえず風呂に入れ。下着の替えは無いから、そこは諦めろ。寝間着は…………俺のシャツでいいか」


 クローゼットを開き、適当にぽい、と。俺にしても割とデカめのシャツを放り投げる。


「それならローブみたいに着られるだろう」


「……う、うん」


「風呂はそこの扉を出て二つ目、右手の扉だ」


「わ、分かった」


 なにを緊張しているのだろうか。


 ああ、新しい空間が落ち着かないのか。猫ちゃんでもよくあることだ。個性にもよるが、だいたい駆け回るからな、あいつら。



 俺はエミールが扉の奥で「ひぇぇぇ……なんだこれ……」とドン引きの叫び声をあげるのを聞き遂げて、キッチンに戻った。


 なんだろう。少し飲み足りない気分だ。あまり酒は得意ではないのだが。


「食い過ぎたか……?」


 カロリーコントロールを欠かしたことはないが、まぁ、体調が良いのかもしれない。


 どうせエミールもすぐに眠るだろうし、俺も睡眠薬代わりにもう一杯いただくことにしよう。


 ハーフボトルの、黄色いラベル。適当なシャンパンを手早く開封し、脚の長いグラスに注ぐ。


 何に乾杯するわけでもないが、俺は軽くグラスを天にかざした。



 十分後。



「あ、あの……使わせてもらいました」


「おー。って、なんだそのサイズ感。マジでローブみたいだな?」


 ククク、と笑いがもれる。


「……? あ、またお酒を飲まれ、いや、飲んでるんだね」


「ガキにはまだ分からんだろうが、味はともかく気分は良い」


「そ、そう……」


「おう」


 くぴ、とグラスを傾ける。 


 するとエミールが目に見えてソワソワしだした。


「なんだ。突っ立ってないで、適当なところに座れ」


「う、うん……だけど、なんでアレックスは立ったまま飲んでるの?」


「あ? あー。別に理由は無い」


 くぴ。


「そ、そっか……ええと、これから、どうするの?」


「どうする。どうするかねぇ」


 くぴ。


「…………ね、寝る?」


「そうだな。ガキはもう寝る時間だな。寝室はそこの扉の奥だ」


「……あ、アレックスも…………寝る……?」


「当たり前だろ。俺だって人間だ」


 くぴ。


「……僕はどこで寝たらいい?」


「寝室はそこだと言ったはずだがぁ?」


 くぴ。くぴ。


「……じ、じゃあ……先に寝ても、いい?」


「おう。おやすみ」


 くぴ。


 エミールは何度もこちらを振り返りながら、寝室へと消えていった。


 くぴ。


「ち、ち、ちょっといいですかアレックス様!」


 戻って来た。


「なんだよ」


「べ、ベッドが一つしか無いんですが」


「一人暮らしなんだから当たり前だろ」


「……じ、じゃあ、僕はソファーで……寝ます……ね?」


「ああ?」


「ヒッ」


 くぴ。


「ガキが訳の分からんことを。そんな薄着でソファーで寝るだ? まったくもってけしからん」


「で、でもでも!」


 カウンター越しにエミールが近づいてくる。風呂上がりのせいか、彼の顔は少しだけ赤くなっていた。


「湯冷めする前にとっとベッドに潜り込め。はいはい、ゴー」


「……アレックスは、どこで寝るの?」


「あ? んなもんベッドに決まって」


 くぴ、とグラスに口をつけたまま固まった。


「いま俺、なんて言った?」


「……ベッドで寝る、って」


「ベッドは一個しかないのに?」


「う、うん」


「そうか」


 ちらり、とエミールの様子をうかがう。


 彼は風呂上がりとは違う理由で顔を赤めていた。



 その表情が。不安と照れで真っ赤に染まっている。


 不安はいい。当然の警戒心だ。そして照れは「アレックスはそんなことしないもん」とか「自分はなんてはしたない想像をしているんだ」という奴だ。



 少年の感性と、与えられた醜悪な知識のせめぎ合い。


 悪くない表情である。


 少しだけ意地悪がしたくなる。



「そういえばお前、俺のこと全然知らないんだよな」


「う、うん」


 二代目・石油王。その名につられて近寄ってくる虫の多いこと、多いこと。


 友人にしてもそうだ。あれらは果たして俺の・・友人なのだろうか。それとも二代目・石油王の友達なのだろうか。


 すり寄ってくる清楚系ビッチ共は、果たして俺の何に惹かれたのだろうか。まぁ普通に金なんだろうが。身分を隠して合コンしても、あいつら「まぁ、オールデンの靴なんてオシャレね」とか普通に言ってくるしな。あれは油断した。ナイキのスニーカーで行くべきだった。


 そう反省して次は普通の大学生みたいな格好をして行ったのだが「まぁ、すごい筋肉。どこのジムに通ってるの? これってパーソナルトレーニングで身につけたのでしょう?」とか言ってこられた時は素直に感心した。トリュフを探す豚かよ。


「クックック……」


 思い出し笑いをすると、エミールが半歩下がった。


 その顔の表情が、また変わってる。


 恐怖だ。


 さっきまでのアレは全部ウソで、酒に酔った勢いで襲われるのではないだろうかという、怯えの眼差し。


 正直に言う。ゾクゾクした。


 悪くない。その目は、嫌いじゃない。




 アレックスが怖い、という視線。


 二代目・石油王ではなく、を見つめる目は、嫌いじゃない。




「ほれ、とっとと寝ろ。俺はソファーで眠りたい気分だ」


「………………」


「んだよ。あんまりこの展開グダらせると、添い寝しちゃうぞ」


「おやすみなさい!」


 エミールは賢かった。


 俺がジョークを飛ばしたと正しく判断し、そしてそのジョークが本気に変わる前に撤退を選んだ。


「よろしい。……お休み、エミール」


 とたとたと寝室に逃げていくエミールの背中に、そんな言葉を小声で投げかけた。



 きっと安眠は出来ないだろう。いつ俺がケツにイタズラしにくるか分からない恐怖に怯えて、ベッドの中で身を小さくして震えることだろう。ははは。なんという徒労だろうか。お疲れさん。



 こうして、俺と優秀で可愛らしい奴隷との生活が始まったのであった。




 二日酔いだった。





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