97 魔王
◆
「これで最後、優雅に散りなさい」
“悪夢”ファウストは操り人形となった最後の兵士を倒した。
「死霊使いが優雅とか言っても、虚しいわよ…」
横からミユが、半眼を向けてくる。
大量の兵士を相手にしていたファウストだったが、戦闘の途中に、ミユが加勢してくれたことで一気に戦局が動いた。
湖から龍が出てきた時は驚いたが、ミユが操っていることを知ってさらにびっくりした。
まだ出会って日が浅いが、正直パーティのなかでミユの実力はたいしたことはないと踏んでいた。これほどの実力を備えていたとは嬉しい誤算だ。
もはや、意志のない兵士など、いくらいても問題ない。
2人で大量の兵士を制圧するのにいくらもかからなかった。
「急いで戻るわよ!」
ミユとともに急ぎ足で湖端の小屋に向かう。
ナツキの邪魔にならないよう、距離をとって戦闘していたが、この戦場でもっとも危険なのはブラッド・レインだ。
ナツキの強さはファウストもミユも認めているが、心配なのも事実だった。
ズォォォン
前方から凄まじい気配がした。
あまりにも巨大で禍々しい魔力が立ち上っている。
先に感じたブラッドのオーラも邪悪だったが、それが微量に見えるほどの力。
「なによ…このぞくぞくする気配は…」
「もしや…これは…」
肌が粟立つ感覚がして、ファウストは嫌な予感を覚えた。
ファウストは近年まで死影に所属していた。
死影は全構成員が闇魔法を使う。
幹部になるには、悪魔との契約をする必要がある。
属性“怠惰”の召喚の鍵によって呼び出された上級悪魔を身に宿し、制することができた者が幹部になるのだ。
過去、何人もの魔法使いが、この儀式に挑戦した。
成功したのはたった12人。
ギルドマスターのカイを筆頭に、十影の面々がそれである。
自分が十影を抜けた後、後輩の1人が儀式に成功し、“絶”という名を与えられたことを聞き及んでいた。
こうした事情があるだけに、死影は闇魔法、悪魔召喚、魔王に関する研究に余念がなかった。
これまで主に魔王ベルフェゴールに関する研究が中心だった。
ただ、他の属性の魔王についても研究していたのだが…。
「どうしたのよ…」
たじろいだファウストの様子に、訝しんだ様子のミユが振り返った。
「私の読み通りなら、いずれかの魔王が召喚されたかもしれません」
ファウストがその身に悪魔を宿した時と同じ気配。
召喚の鍵が発動したとしか思えない。
感じられる魔力の気配は、その時の比にならないほど強力である。
「それって、召喚の鍵ってやつが使われたってこと?」
「ご存知でしたか。その通りです。しかし、一体誰が…」
ファウストは疑問を口にする。
「あいつ!私には“自分がもっておくのが安全だ”とか言ったくせに!ふざけてるッ!」
「えっ!?」
ファウストは驚いた。
ミユは召喚の鍵に心あたりがあるようだ。
「もしや、彼が召喚の鍵を持っていたのですか?」
「そうよ!私から盗んだやつよ」
どこから突っ込んでいいかわからないことを言っている。
事情はよくわからないが、ナツキの手元には魔界と繋がる鍵があったようだ。
…
ファウストとミユが小屋まで到達すると、そこには、明らかに通常とは違うトランス状態で体を揺らすナツキが立っていた。
◆
ナツキが白目を剥き、ガクッと膝をついた。
そのまま、ゆっくりと全身が燃えていく。
髪の毛が燃え、背中からは炎の翼が生えてきた。
目には再び光が宿る。
“ナツキだったもの”は、膝を起こして立ち上がり、両手をまじまじとみていた。
「これは…最高の体だ」
不敵にニッと笑う。
その声色はナツキだが、もはや口調は別人のものだ。
ジョナは絶望した。
腹を貫かれ、重傷を負ってしまったが、体の傷は、これ以上進行しないよう、時の精霊が食い止めてくれた。
一瞬でも気を抜くと、ブラッドの支配によって命を奪われるため、必死に抗っていた。
しかし、体は思うように動かない。
驚いたことに、その一瞬の間にナツキが、魔王を召喚してしまった。
――なぜ、ナツキが“憤怒”の召喚の鍵を持っているの。
昔、座学の時に悪魔召喚について教えたことがある。
召喚の鍵を手にしたら、封印し、絶対に誰も使用しないようにしなさいと、厳しく言った。
“――そんな危ないモン使うわけないだろ――”
軽口を叩いていたナツキが思い起こされる。
3人の弟子の中で、ナツキがもっとも強さに拘っていなかった。
そのため、悪魔に魅了されることについて、ナツキの心配をしたことはなかった。
しかし、ジョナは自分の考えが間違いだと悟った。
契機は自分が倒されたこと。
胸の内は複雑であった。
魔王に体を捧げてしまっては、その時点で魂も体も無事では済まない。
ジョナの胸中には、人生最大の後悔の渦が巻いていた。
「くぅッ…」
絶望しているのはブラッドも同様のようだ。
ブラッドの力の源は、間違いなく悪魔のものだろう。
どういう仕掛けかは不明だが、それこそ魔王クラスの力を行使しているように見受けられた。
サタンが「紛い物」と言ったとおり、それは魔王召喚から見れば微々たる力だったのだろう。それでも、人間にとってみれば、恐ろしく強大であったわけだが。
ブラッドの最大の強みは、空間支配であった。
魔界の一角を召喚された時点で、ジョナとナツキの勝機は消えたようなものだった。
しかしそれも、魔王相手では通じない。
「サタン…その子の魂を奪わないで…」
ジョナは通らぬ要求と承知しつつも、懇願せずにはいられなかった。
「それは無理だな。我はこいつが気に入った。人間とは思えぬほど見事だ」
口元が邪悪に笑う。
魔王を身に宿せば、姿形が魔王のものとなるのが普通だ。
しかし、サタンはナツキの体の状態のまま、同化したようだ。
どうやら、よほど気に入ったのだろう。
(許せない…私の弟子の体を乗り物みたいに…)
怒りがこみ上げてくるが、こうなってはできることなどない。
ただただ、下唇を噛み締めるジョナであった。
「では、この者の望みを叶えなくてはな」
サタンがブラッドに目をやった。
右手の掌がゆらぁっと前を向く。
≪地獄の炎≫
爆発音とともに、ブラッドの体が炎の球体に包まれた。
定められた範囲を燃やし尽くす地獄の炎。
「ぎゃぁぁぁああ!」
ブラッドがのたうち回りながら悶絶していた。
「小手調べでそのザマか」
サタンが追撃詠唱を行った。
ブラッドを包む球体内の炎が、真紅の赤から、漆黒へと変化していく。
「ウグッ…グッ…」
「くくく。人間どもの遊びとは違う、地獄の業火を見せてやろう」
サタンは全身が焦げていくブラッドを見ながら、くつくつと笑った。
かざしていた掌を、力強くぎゅっと握りしめる。
同時に爆発が起きた。
ブラッドを中心に、黒炎が四方八方へと爆散する。
爆発の中から、ブラッドの体が上空へ吹き上がる。
すでに四肢がもぎ取れ、全身が黒こげとなっていた。
体から煙を上げ、地面にドシャっと頭から落ちた。
「…ブラッド…」
すでに妙齢の女性の姿となったイザベラの横へと落ちた。
よろよろとイザベラが近づく。
イザベラは小さくなったブラッドの体を抱き抱えた。
「ブラッド、解除して」
「…ぅ…ぁ…」
イザベラの指示に対して、力の消えた声が口から漏れる。
赤と黒の景色がゆっくりと、ありのままの色を取り戻しつつあった。
どうやら、ブラッドの空間召喚が解除されたようだ。
イザベラは、ジョナへとキッと憎しみに満ちた目を向けてくる。
「かならず、殺す」
その言葉をのこし、転移魔法を詠唱した。
移動魔法は長距離移動をすると、体に負荷がかかる。
イザベラの体に刻まれる皺と、頭の白髪が、さらに増えたように見えた。
魔法陣に包まれ、イザベラとブラッドが消えていく。
「くはは。紛い物などあの程度か。大した移動ではないようだ。さっさと殺してくれる」
邪悪な魔力を垂れ流しながら、魔王サタンが高笑いをしていた。
放っておけば、イザベラたちを追って、殺しにいくのだろう。
ジョナは、暫し瞑目し、覚悟を決めた。
「サタン、待ちなさい」
時の精霊のせいだろうか。
不思議と身体中の痛みが消えていた。




