95 魔水盈盈
緊張感で張りつめた場が、ミユとファウストの登場で少し緩んで、ナツキは苦笑いをした。
怒っているミユと、呑気な師匠との板挟みである。
「師匠、ミユのこと知っているのか?」
「ミユちゃんって言うのね。ちゃんと私に紹介してね」
楽しそうに笑いながら返事をしている。
どうやら存在だけ誰かから聞いたようだ。
(シグマか…?)
脳裏に一瞬、あいつのことが浮かんだ。
師匠とミユをともに知っている人間は他に考えられない。
問いかけたいところだが、今はそんな余裕がない。
「その人がナツキの師匠…?若すぎ!綺麗すぎ!」
怒っていたミユの顔が驚きの表情へと変わっている。
ジョナが若い女の姿になっている経緯については、ナツキにもまだよく飲み込めていない。
ははは…と乾いた笑いが口から溢れる。
「キサマら…随分と余裕だな…。そして、お前、見覚えがあるな」
ブラッドがファウストを睨んでいる。
「まさか、敵が軍団長とは、私も驚きましたね」
「ははは。死影の仇を取りにきたわけではなさそうだな」
「なんですって…?」
「なんだ?知らなかったのか。くくく。いいぜ、教えてやるさ。お前の元仲間だった十影は全員死んだ。今は王都で晒し者になっているぞ」
ブラッドが酷薄な笑みを浮かべて高笑いをしている。
ファウストの目が大きく見開かれた。
「まさか、彼らが…」
「嘘だと思うか?まァ、キサマもすぐに後を追わせてやる」
ファウストがキッと睨みつけた。
「意図せず、仇と遭遇できた運命に感謝しなくては。優雅な戦いを、彼らに鎮魂歌として捧げましょう」
ファウストの顔から、げっそりとした表情が消えた。真剣な闘士の顔だ。
「まて、コイツは俺の戦いだ。お前は周りの兵士たちを頼む」
ナツキがファウストの前にぐいっと出る。
「…たしかに、私の実力ではブラッド・レインに及ばぬのも事実。承知しました。その任務、全力で全う致します」
ファウストが魔力を解放した。
「ちょっと…ナツキ…!」
ミユがなにか言いたげだが、聞いている場合ではない。
「グァァ!」
ミユの水玉で吹き飛ばされた獅子が体勢を整え、いきり立っている。
地面を蹴りながら、ミユに向かって突進していった。
「げッ…よく見たらコイツ…」
ミユもモリス邸での戦闘を思い出したようだ。
「おい、下がってろ」
ミユの実力では、勝つことは困難だろう。
過去の戦いから考えても、ギーメルのような前衛がいて、やっと五分といったところだ。
しかし、ミユは逆に火が付いたようだった。
「舐めないで、コイツくらい1人で倒せる」
ミユは獅子を誘導するように横へ掛けていく。
「あ、おい!」
制止虚しく、戦闘するようだ。
「ご心配ありがとう。でも、この環境なら負けないわ」
その顔は自身に満ちていた。
その言葉にナツキも納得した。
考えてみれば、前回の戦闘でミユは水をほとんど使い果たしていた。
媒介物の供給ができるか否かで、魔法使いはその実力が異なってくる。
今の環境は、ミユがもっとも力が発揮できる状況と言ってもいいのだろう。
ナツキにしても、ブラッドの戦闘に集中したいところだ。
心配ではあるが、ここは信頼して任せることにした。
◆
ファウストはブラッドへの怒りを、その軍隊へと向けた。
眼前の兵士たちはまだ生きている。
しかし、この場合の“生きている”はその肉体が辛うじて生命維持機能を保持しているだけで、その様子からすでに魂は死んでいると考えた。
王軍の兵士の数は、100は下らない規模。
その内、6割ほどの兵士達が、ブラッドの人形に成り果てていた。
ファウストは残りの4割ほどの死体となった兵士達に、闇魔法を仕掛けた。
まだ人数では劣っているが、こうした戦闘は得意分野だ。
1人ひとりの兵士の実力は、元死影の幹部だったファウストから見れば問題ではない。
しかし、全魔力をお構いなしに解き放ってくるのは、厄介であった。
炎玉、氷玉を次々と放ってくる。
一撃も喰らわぬよう、ファウストは白マントを翻しながら避けていった。
「はぁッ!」
両手で大鎌を持ち、斬撃をお見舞いしていく。
首、心臓などの人体急所へ一撃ずつ。
致命傷を負った兵士が次から次へと膝をついて倒れていった。
≪虚生≫
再び、闇魔法を詠唱する。
倒した兵士がゾンビのように起き上がり、ファウストの下僕となった。
倒せば倒すほどに、数の上での劣勢を逆転させていくことができるのだ。
夜であれば、自らと、死霊の戦士達が、暗がりのどこからでも移動し、攻撃をしかけることができる。
その戦闘スタイルが、“悪夢”の真骨頂であった。
◆
ミユは湖の浅瀬を急ぎ足で駆けていた。
飛行魔法で自分を置いていったナツキに文句を言いたい気持ちでいっぱいだったが、それはこの場を凌いでから言うことにした。
今は、どうみても異常事態。
つくづく王軍に悪縁があるようだが、ナツキの師匠を襲撃していたのは軍団長だという。
ミユは危機的状況だと捉えつつも、ナツキであれば切り抜けるだろうと信頼していた。
それならば、彼が本丸に対峙することに集中できるよう、巨大な獅子を遠ざけようと考えた。
ミユは元盗人、足には自信がある。
しかし、それでも、巨大な四肢を操って駆けてくる、獅子の躯体には及ばなかった。
徐々にその差が縮まってくる。
「グォォ!」
左脚で薙ぎ払いながら攻撃を仕掛けてくる。
≪水盾≫
湖の浅瀬から、水が縦に伸びてきた。
バシンッ
水が弾ける音がして、ミユも吹き飛んだが、かろうじて攻撃を防ぐことができた。
獅子は構うことなく、爪と牙で攻撃を繰り出してくる。
ミユはその全てを水魔法で防いだ。
「次はこっちの番よ」
≪水玉≫
湖から次々と水の塊が飛び出してくる。
獅子の体のいたるところに命中し、体が横へと吹き飛んだ。
しかし、獅子は体をくるっと回転させ、受け身をとりながら着地する。
「まずいわね…全然ダメージうけていないじゃない…」
相手の攻撃を防ぐことは容易いが、ミユの攻撃も相手に通らない。
膠着状態に陥り、体力勝負となってしまう。
そうなってしまうと、体力は明かに獅子の方が上である。
ミユは内心焦るが、作戦をゆっくりたてている暇などない。
攻撃が次から次にくるのだ。
…
……
一体、どれだけの時が流れだろうか。
体感では一日以上も戦闘している気がする。
おそらく、実際は数刻しかたっていないのだろうが。
獣の速さで繰り出される攻撃を、全て、魔法式を展開させながら防ぐには高い集中力が要求された。
ダメージは受けていないものの、魔力と体力に限界が見えてくる。
「っとに…しつこいわね!」
ガクッ
足がいうことを聞かない。
疲れで足元が狂ってしまった。
「しまった…」
体勢を崩したミユに、獅子の右腕がヒットする。
「あぁあ!」
なんとか腕でガードはできたが、体ごと湖へ飛ばされてしまった。
バシャァッ
水の中に沈んでいく。
腕を激しい痛みが襲う。
(やっぱり私には無理だったのかしら…)
ふと、静かな水中で、デールを出てからの旅について考える。
ミユの人生は、タペルで大きくその進路を変えることになった。
自分で思い立ってのことだったが、苦労ばかりだった。
人相の悪い盗賊と知り合いになったり、初めて見る魔物と戦闘したりと、昔想像していた旅とは全然違う内容だった。
普通であれば生涯で一度も会うことのない王軍軍団長と、次から次に戦闘になったのは、いくら考えても理不尽だった。
それでも、ミユは楽しかった。
何年も、怒りと葛藤に塗れながら盗人生活を送っていた。
誇りはあったが、充実や達成感はなかった。
しかし、ナツキとの旅で、退屈を感じたことなどなかった。
弱者によりそい、権力に怒り、できることを模索しながら、旅をすすめる足取りとともに、自らの認識を一歩ずつすすめていく。
恥ずかしいので面と向かって言うつもりはないが、尊敬できる男に出会えたと思った。
“――ミユちゃんって言うのね。ちゃんと私に紹介してね――”
ふと、先程ナツキと師匠の会話がよぎる。
(まだ、死ねないッ…!)
ミユは強く思った。
水中で目をカッと開き、魔法を詠唱する。
ミユは全身の感覚を覚醒させ、感性で魔法式を組み上げる。
そもそも、誰からも魔法を習ったことなどない。
水の流れ、魔力の流れ、生み出したい結果を想像する。
すると不思議と勝手に手が動くのだ。
今、思い浮かべるのは、巨大な獅子を倒せるだけの生物。
新たな魔法式が完成し、魔力を込める。
ゴポ…
ゴポゴポ…
ミユの周りの水が、生を得たかのように動き出す。
規則正しく、流れをなし、渦を作り出す。
渦は回転しながら直線に伸び、水中を踊るように動き出した。
ミユは渦の先頭を泳いでいる。
ザパァ
ミユの体が湖の水面上に飛び出した。
湖から水が太い筒状に伸びていく。
その水性物ともいうべきものの頭には角、顎には牙、その姿は巨大な龍を模していた。
「うまくいった。≪水龍≫ってところね」
ミユの口元がにこっと笑う。
漆黒の獅子は突然のことに驚いているようだった。
さきほどまで見上げていた獣が、なんだか小さく見える。
「終わりよ!」
ミユの合図とともに、水龍が直線に獅子へと突進した。
「グァァッ!」
叫び声を上げながら、獅子を後方へ吹き飛ばした。
水龍は地面を這いながら、獅子を追った。
ガブッ
水の牙で獅子を噛み、勢いのまま上方へ飛び上がる。
獅子の体には牙が食い込み、唸りを上げている。
ズドン
鈍い音が響いた。
水龍が獅子を地面に叩きつけた。
土埃があがり、衝撃によってクレーターができる。
その中心に、仰向けになった獅子がいた。
しばらくピクピクと動いていたが、やがて首が力なく垂れた。
「ふぅ…危なかった…」
――ナツキのお師匠さんに色々聞きたいこともあるし、これくらいのことで負けてらんないわよ!




