92 紅蓮の血
ジョナは自分の半生に思いをはせ、憂えた。
呪具で無理やり獣にされ、あるいは生きたまま力を吸われ、絶命する軍人たち。
その主犯が実の姉であるとは。
胸の内にマグマのように激しい怒りが充満する。
同時に激しい後悔の念が襲ってくる。
なぜ、自分は逃げたのか。
民のために自分の力を役立てたいと考え、魔法の鍛錬に青春を捧げた。
しかし、国家は民のために存在していなかった。
実の姉は国家の悪行に加担し、自身も悪魔の研究に没頭していた。
それを目撃した時、国も、家族も、なにもかも敵に見えた。
当時のジョナが直面したのは激しい孤独感であった。
当時は、巨悪に立ち向かうという選択肢はなかった。
たった独りで立ち向かうことはできなかった。
自分自身という存在が恥ずかしい。
なぜ肉親がここまで闇に堕ちるまでに、止められなかったのだろう。
シグマから死影と鬼組が内乱を起こした話を聞いたとき、ジョナはこのギルドの存在は知らなかった。
しかし、自分と同じ真相に辿り着いた魔法使いが、体制変革のために決起したと聞いて、ジョナはまだ出会ったこともない者たちに畏敬の念を抱いた。
シグマの話を聞いてから、あのときの自分はどうするべきだったのか密かに自問した。
答えをつかみとる前に、襲撃を受けてしまったのだが。
今、イザベラの行動によって、明確な結論が出せた。
「あの時、あなたを放置したのは、私の人生最大の過ちね…」
イザベラの眉下がピクッと反応する。
「人生や歴史にもしもはないけど、消せた悲劇もあると考えずにはいられないわ」
「ふん、なにを今更。例え時を戻せたとしてもお前にはなにも変えられはしない」
「でも、今、あなた達を倒せば、後の悲劇を断つことができる。今はそれに集中します」
ジョナの顔はより一層真剣になった。
魔力をさらに解放する。
真珠色の魔力が激しく立ち昇る。
「ぁ…イザベラ様…」
イザベラの横には、獣になることを必死に抗っている部下が1人。
胸の勲章から察するに師団長だろう。
「あら、マックス、私の魔石にそこまで抵抗するなんて、すごいじゃない。でも、そろそろ動いてね」
イザベラが邪悪な笑みを肩越しに向けた。
黒い魔力が部下へと侵食した。
「グあァぁぁ!」
叫びを上げ、他の獣よりも一際大きな漆黒の獅子へと変態した。
「あはは。では、行きなさい」
何十頭いるか数え切れないほどの獅子が、いっせいに襲いかかってくる。
「気の毒だけど、永遠の眠りについてもらうわ」
≪噴火≫
ジョナは魔法を詠唱する。
炎魔法と大地魔法の複合。
大地は割れ、爆発音を上げながらマグマが飛び出す。
吹き上げるマグマによって、獅子達が宙を舞った。
「くッ…」
イザベラを噴煙が襲うが、なんとか回避しているようだ。
宙を舞う獅子達は、次から次へとイフリートが撃破している。
「ウガァッ!」
突如、イフリートが叫んだ。
上体を反らし、苦しみをあげる。
ゆっくりと線香が消えるように、火山灰に混ざりながら消えていった。
イフリートの消えた箇所には赤毛の美丈夫がいる。
「ははは。イザベラ、姉妹喧嘩に没頭するのは結構だが、負けるのは許さんぞ」
陽気な声色は、作り物ではなく、心底楽しそうだ。
「煩わね。ここからよ」
イザベラが地面に手をついた。
≪漆黒世界≫
イザベラは右手を大地にかざし、そこから同心円状に地面が真っ黒に染まった。
まるで地面は新月の海のような暗さ。
火山も、イフリートのつくった炎も掻き消えていく。
「真の闇は全てを呑む」
イザベラの口元が笑った。
ジョナの背筋を悪寒が襲う。
速攻で防御魔法を転換した。
「闇よ、喰らい尽くせ」
≪闇噴≫
イザベラの合図とともに、地面に広がる暗闇が、上空へ爆発した。
洪水のように溢れる闇が、対象を飲み込もうとしていく。
一度呑まれてしまったら最期、全方位から常に高威力の闇魔法を浴び続けることになる。
(最上級の闇魔法を使ってくるなんて…)
ジョナは内心驚いていた。
深夜でもないのに、自分の大魔法をかき消すほどの闇魔法。
こんなことができるのは、魔王クラスの悪魔だけだと思っていた。
しかし、部下の命を犠牲にすることによって、実現させるとは。
あらためて、姉の恐ろしさを思い知る。
しかし、それでも、負けるわけにはいかない。
ジョナは漆黒の波にのまれぬよう、上空へ跳んだ。
風魔法と防御魔法を身に纏い、空を飛んだ。
「ちッ…飛行…」
「終わりよ、イザベラ」
ジョナは下方へ杖を向ける。
≪聖母神の怒り≫
ジョナを中心にまばゆい白銀の光が明滅する。
爆発によって、影という影が消える。
静かだった湖に荒々しく波が立った。
「ぎゃあぁぁああ!!」
イザベラの作り出した漆黒の海は消え失せる。
光を浴びたイザベラは悲鳴をあげた。
闇を祓う聖魔法の全方位攻撃。
闇属性の魔法を打ち消し、魔族、死霊などに甚大なダメージを与える魔法。
イザベラ自身は身体中が焼け爛れていく。
軍人だった獅子達は苦しみ踠いていたが、次第に動きを止めた。
獅子の毛は全身から抜け落ち、人へと戻っていく。
「こ…こんなことが…」
イザベラが目を剥いている。
「あなたの悪事と存在ごと、この魔法で消し去るわ」
ジョナはイザベラに冷たい視線を送った。
もはや、できることはないだろう。
ザシュッ
「なッ…!?」
突如、ジョナの体から血飛沫があがる。
両肩と左足に細い真紅の棘のようなものが刺さっていた。
「まったく、聖魔法は不味いから嫌いなんだよ」
ウンザリした表情を浮かべつつ、ブラッドと呼ばれた男が掌を向けていた。
ジョナの体を、痛みとともに、虚脱感が襲ってくる。
(これは…力を吸われている…!?)
展開していた聖魔法が消えていく。
「くぅッ…」
≪風刃≫
風魔法で赤い棘を切り裂いた。
痛みは消えぬものの、虚脱感は去った。
「まさか動けるとは…」
「ははは。俺にあんな魔法は通じないさ」
陽気なそぶりをみせながら、明らかに尋常ではない邪悪な気配のする男。
ボロボロとなっていたイザベラは、聖魔法が中断されたことで復活してきた。
「この…一族の恥晒しの分際で…」
眉間にシワをよせ、睨みつけてくる。
「吠えるなよ。お前が獣になってどうする」
「お黙り…ブラッド…手出しするなんて…」
「おいおい、目的は“賢邪”の撃破だ。敗北寸前だったくせに、強がるなよ」
イザベラはぐっと思いを押し殺した表情をした。
「面白いショーだったが、それもここまでだ。俺もやるぞ」
ブラッドがニタァと笑う。
表情もそうだが、この男の力はあまりにも不気味だ。
邪悪な気配をまとってはいるものの、聖魔法が効かないようだ。
特殊属性の魔法のようだが、その能力の全貌が見えなかった。
賢者たる自分が、実力を測れない相手などはじめてであった。
「あなたは一体…」
「ははは。怯えているのか?かわいいところもあるじゃないか」
ブラッドが右手で自分の左手を切り裂く。
左手では胸元を切り裂いた。
胸と腕から血が滴る。
「行くぞッ」
≪血刃≫
滴る血が刃の形状となり、次から次へと飛んでくる。
≪氷玉≫
ジョナは氷魔法で迎撃した。
血を凍結させ、動きを封じる。
「なかなかやるじゃないか」
ブラッドの笑みは崩れない。
次から次へと血を放ってくる。
血は、刀、槍、鎖など、様々な形状をしながら、切れ目なく襲ってくる。
ジョナは氷魔法と風魔法を駆使し、相殺していく。
血を武器にするという、初見の戦闘方法だが、失血によるダメージを負っている様子もない。
それどころか、血を失うほどにボルテージが上がっているようだ。
ブラッドの笑い声と、魔法の相殺音がこだまする。
この男は不気味だが、今のところ全て単調な攻撃だ。
それであれば、逆に大魔法で、押し返せばよいだろう。
ジョナは一瞬で考えを巡らせた。
≪氷暴風≫
氷魔法と風魔法の複合魔法を詠唱する。
ブラッドを中心に、氷の刃を含んだ暴風が吹き荒れる。
「ははは。大技を使うのは結構だが、隙を生むとは拍子抜けだ」
体を切り裂かれながら、ブラッドが笑っている。
全身を切り裂かれているのに、平然としているなど常軌を逸している。
これまでのところ、あらゆる魔法が通じていない。
「まさか、あなたは盤上の“核”―――!?」
ガッ
口に仕掛けたジョナの腹部と肩から嫌な音がなる。
「ああああ!」
激しい痛みが襲った。
「お前がそれを知る必要はない」
目を向けると、小さな真紅の狼が噛み付いてきている。
ガッ
またしても噛みつかれた。
今度は両足に痛みが走る。
相殺し、地面に散ったはずの血が、再び集まりながら、狼の姿を形作っている。
狼となった血は次から次に襲いかかる。
魔法で迎撃しようにも、噛み付きを繰り返す狼が魔力を吸い取ってくる。
「チェックメイト」
ブラッドがニヤッと笑いながら、掌を向けてきた。
掌から、真っ赤な魔弾が放たれる。
(まずい…)
ドォン
魔弾はジョナの胸に直撃した。
ジョナは後方へと吹き飛ばされる。
…
激しい痛みに、意識が飛びそうになった。
ジョナは絶望に襲われていた。
もしも、ブラッドがジョナの読み通りの存在だった場合、撃破するのは至難の業。
しかも致命的な一撃を受けてしまった。
自責、後悔、負の感情が脳内を巡っていく。
ガシッ…
何者かが、とばされる自分を受け止めた。
両肩を優しく両手で掴んでいる。
「はぁッ!!」
その者が魔力を解放し、噛み付いていた狼を吹き飛ばした。
「お前はッ!?」
イザベラが驚きの声をあげる。
「一体どういうことだ…」
何者かが、ジョナの後ろから小声で耳打ちをした。
それはとても懐かしい声だった。
ジョナは肩越しに振り返る。
「ナツキッ!?」
目を剥いた。
まさか、1日に2人も弟子と再会するとは。
「うへッ!まさかとは思ったけど、ババァなのか!?」
その声に、叱りつけようにも、懐かしさと嬉しさが勝ったジョナであった。




