89 安息の日々の終焉②
ジョナはいつものように安楽椅子で読書をしながら寛いでいた。
上下に揺れるペースに合わせ、ついつい鼻歌が出てしまう。
口角は緩やかに上を向いていた。
短時間の再会だったが、久々に愛弟子に会えた。
それは静かな、しかし単調な日常を繰り返していたジョナにとって、最上級の喜びであった。
しかし、そんな穏やかな時間も終わりを告げる。
(なにかがくる…)
ジョナは、結界内になにかが侵入してきたのを感じ取った。
強い魔力をもった大群が規則正しく列をなして押し寄せてくる。
「……ついに来たようね」
ジョナは悟った。
エディンが軍隊を率いて攻めてきたことを。
かつて、はるか昔に王軍トップの一席を担っていたこともあった。
しかし、自分が信じていた姿とは真逆の国の在り方に、その支配者の側に身を置くことを拒否したのだ。
当然、国は真相を知るものに対して、執拗な追手を差し向けた。
ジョナは追手から姿をくらませるために結界を張り、20年以上も見つからずに生活してきたのだ。
その間に、不思議な縁で3人の弟子を育てた。
1人は自分と同じ運命を背負いそうだ。
あとの2人はどうしているやら。
できれば、またゆっくりと語り合いたかった。
いつか、彼らはまたここに戻ってくるだろう。
しかし、もはや自分には、そんな時間が残されているかどうか。
保証はなくなってしまったようだ。
――まずは、追手を退ける必要がある。
おそらく、自分を殺せるだけの準備をしている精鋭だ。
容易く切り抜けることはできないだろう。
(でも、準備をしてきたのは私の方よ。簡単にはいかないわよ)
ジョナは目線を外に一瞬むけ、安楽椅子から立ち上がった。
コートを羽織り、木製の長杖を取り出した。
◆
“漆黒の獅子”軍の師団長マックス・トンプソンはかつてない緊張感に包まれていた。
目の前には2人の軍団長がいる。
自分の後方には100を超える軍隊が列をなして移動していた。
ブラッド・レインの作り出した移動門を通り、あっという間に最果てのこの森へたどり着いた。
敵は国家転覆を企む魔女だと聞いている。
それならば討伐に反対する理由はない。
ただ、“紅蓮の狼”軍の新兵を犠牲にしてまで、移動門を開いたことには恐怖にも似た驚きを覚えた。
軍が任務達成を最優先することは理解できる。
しかし、たった1人の魔法使い相手に、移動するだけに5人もの命を犠牲にした。
本来なら、天秤にかけるようなものではない。
これまでの重要任務でさえ、こんなことはなかった。
つまり、これから対峙する者が、それだけ危険ということである。
この場に、それを察することのできない軍人はいないだろう。
今回招集されたのは100人の精鋭。
全員がすでに額に汗を浮かべながら進軍していた。
今、歩いているのはマンチェスの森。
北方という地域柄、樹々は痩せ、強力な魔物の多い場所。
ロック山脈から吹き下ろす寒風によって、普通に歩くことさえ大変な森である。
しかし、不思議なことに、あたりは温暖な気候であった。
魔物の気配はなく、花が咲き、動物たちも穏やかに過ごしている。
(結界内は別世界だ…いったいどれほどの魔力があればこんなことが…)
結界は侵入防止、探索回避の魔法式があった。
それを広範囲で維持するだけで、上級魔法使いであっても数日で倒れてしまうだろう。
しかし、環境を変えてしまうほどの強力な結界を、長年維持するなど、どれほどの実力者なのか。
穏やかな雰囲気が、逆に不気味であった。
…
……
森を抜けると大きな湖に突き当たる。
湖の輪郭をそうように右へと曲がる。
ほどなくして、遠目に小屋が見えてきた。
「あれかッ…」
ブラッドの口をついて出た言葉に歓喜の色がにじみ出ていた。
終始ここまで上機嫌で来ている。
マックスにはその気持ちがまったく理解できなかった。
「「うわぁぁあ!!」」
後方から叫び声がした。
振り返ると地面から巨大な手が複数生えている。
土と岩の混じった大地魔法だ。
人間数人を握りつぶせるほどの巨大な掌と拳。
ある手は人を握り潰し、ある手は握り拳で整然と並んでいた軍隊を蹴散らしていた。
「「ぎゃあぁぁ!!」
再び悲鳴だ。
さらに後方で被害が出たようだ。
遠目で見えづらいが、小隊が樹木に襲われている。
湖の横に並んでいた樹木が動き出したのだ。
急激に根が伸び、大蛇が這うような移動をしている。
こちらは人に巻き付き、動きを封じているようだ。
整列していた軍隊は、あっという間に阿鼻叫喚に包まれた。
「なんということッ!?」
「ははは。さすがに無傷での到着は無理だな」
2人の軍団長の反応は対照的であった。
1人は憎しみに満ちた表情、1人は楽しくてしょうがないといった表情だ。
被害を生みながらも、足を止めることなく進軍する。
ついに、先頭集団は小屋の前にたどり着いた。
「吹き飛ばしてやる」
イザベラが眼前に巨大な漆黒の玉を作り出す。
ガチャッ
扉が開いた。
小屋から長杖をもった白髪の女が出てきた。
「この小屋にはたくさんの思い出がつまっているの。壊さないでほしいわね」
ゆっくりと、静かに語りかけてきた。
にも関わらず、頭に響く不思議な声だった。
とても国家に仇を成す凶悪な魔女には見えない。
「ジョナ…ッ」
イザベラが眉間にシワをよせた。
≪闇玉≫
漆黒の玉を放った。
小屋に向かって一直線に向かう。
≪聖玉≫
“ジョナ”と呼ばれた老女が対照的な白銀の玉を放ってきた。
2つの玉が中心地で衝突し、白銀と暗黒が混沌と入り混じり爆発を起こした。
(聖魔法を使うのか…聖母神の加護をもつ邪悪なものなどいるのか…)
この時点で、マックスは疑問を持たないわけにはいかなかった。
聖魔法を行使するものに、邪念を抱く者はいない、というのが常識である。
さきほど一個小隊を襲った魔法は大地属性であった。
それもとびきり高度な。
今度は軍団長の魔法と同威力の聖魔法を行使してきた。
相手が規格外の魔法使いであると、再認識をする。
「ふぅ…当たり前のことでしょうけど、見逃してくれそうにないわね」
ため息まじりに話を振ってきた。
「ははは。当たり前だろう。盤上に“イレギュラー”はいらない」
「私はもうなにも盤上で動くことはないわ。静かに余生を送るだけ」
「信じられるわけないだろう。そうだとしても、俺はお前と戦闘したくて仕方がないのさ」
ブラッドの高笑いを、魔女は睨みながら聞いている。
「愚かなこと。民を虐げるだけでなく、無駄な犠牲と悲劇を生み続ける貴方達を、心の底から軽蔑するわ」
「なんとでも言うがいいさ」
ブラッドがにたにたと笑っている。
「待ちなさい、ブラッド。こいつとは私がケジメをつけるわ」
イザベラがブラッドの前にぐいっと立ちはだかった。
ブラッド相手にイザベラが我を通そうとするのは珍しい。
「いいぜ。それはそれで面白そうだ」
否定することなく、ブラッドが譲った。
イザベラと魔女が暫し睨み合う。
…
「覚悟しなさい、ジョナ」
「久しぶりね。姉さん」
マックスは驚愕した。
イザベラを姉と呼んだのだ。
見た目は明らかにジョナと言われた女の方が上である。
「お前なんかに姉と呼ばれたくないわね」
「それもそうね。私も家名を捨てたから。あらためて、イザベラ、あなたは“あの時”のままね」
「お前は醜くボロボロになったな」
どうやら血の繋がった姉妹であることは間違いないなさそうだ。
「私が王軍を去ることにした決定打は、スミス家の忌まわしい魔法研究ですからね。――人体実験と言いかえた方がいいかしら」
「なんとでも言うがいいわね。その研究結果が私。永遠の美しさを手に入れたわ」
「そのくだらない美しさを維持するために、何人が犠牲になったことかしら」
「犠牲?この研究の礎となったものは最大の栄誉を与えられたのよ」
ジョナの睨みならの訴えに対し、イザベラが妖艶な笑みで返事をする。
「人間は皆、時間と戦わなくてはならない。限られた時間の中で継ぐものを見つけなくてはいけない。あなたはその命の螺旋から逃げただけ」
「逃げる?捨てただけよ。それにあなたに継ぐものなんていないわ」
「……そんなことはないわ。私は自分の人生に満足しているから」
「シグマに過度な期待をしているのなら無駄ね。あの子もあなたと関わっていたと知られたからには先は長くないわよ」
イザベラが高笑いをする。
「あの子を甘く見ないことね。…ま、貴方たちはここで倒すから、あの子には指一本触れさせないわ」
ジョナの口元は笑みを形作っている。しかし、目は一切笑っていなかった。
「無駄な強がりね。そんなヨボヨボの体では、勝ち目はないわよ」
「……」
「久しぶりのお喋りもここまで。そろそろいくわ」
イザベラの青灰色の髪の毛が風を受けたかのようになびき始めた。
魔力を解放したようだ。
漆黒のオーラが全身を包み込んでいる。マックスも含め、ここまでの力を配下の前で見せたことはついぞないだろう。
「以前よりも数段ドス黒いわね。業深き家名の通りの色をしているわ」
「なんとでも言うがいい」
イザベラが構えた。
いよいよ戦闘がはじまる。
「……これだけは使いたくなかったのだけどね。仕方ないわ」
≪精霊召喚≫
ジョナが杖を前に突き出した。
眼前に真珠色の魔法陣が生み出される。
魔法陣からゆっくりと、精霊が出てくる。
純白の衣に身を包んだ、褐色の肌の精霊。
「マジか…」
「お前…その精霊はッ…」
2人の軍団長が目を剥いている。
「クロノス。これで最後になると思うけどよろしく」
ジョナの呼びかけに、精霊が静かに頷いた。
精霊はジョナの背中に周り、魔力を解放した。
真珠色の魔力が、火山の噴火のように爆発する。
ジョナを中心に、恒星が目の前で輝くように、辺り一帯が照らされる。
「“時の精霊”を従えているとはな…ははは。スミス家の実験など不要だったわけだ」
ブラッドが大笑いしている。
一方、イザベラは歯軋りをさせていた。
マックスはその言葉に目を剥いた。
やっと眼前で起こっていることを理解したのだ。
ジョナが呼び出したのは時の精霊。
時間移動、時空移動、若返りなど、誰もが夢見る能力を司る上位中の上位精霊だった。
段々と、ジョナを包む光が小さくなっていった。
輝きが消えた時、そこには別人が立っていた。
あざやかな蒼い髪が風に揺られている。
年は20代半ばだろうか。
「ジョナ…お前」
イザベラのこめかみが引きつっている。
額には青筋が浮かんでいた。
――その姿は若かりし頃のジョナ・スミスであった。




