76 抑圧の足音③
王都タペルの王城横には、王族の住む王宮がある。
ブラッドはイザベラを連れ、王宮の廊下を歩いていた。
イザベラの顔は気乗りしない様子だ。
ブラッドの口角は緩やかに上を向いていた。
「あまりあそこへは行きたくないのよね」
「ははは。ここではあまり無駄口を叩かない方がいいぞ。王族は煩いからな」
向かう先は皇太子の部屋。国王である父を喪い、いまや王位継承者第一位となる男だ。
ブラッドは長い廊下を抜け、その部屋の前で立ち止まる。
コンコンとノックをした。
「殿下、“紅蓮の狼”軍団長ブラッドと、“漆黒の獅子”軍団長イザベラです」
部屋の外で名乗りをあげる。
「入れ」
一拍おいて、入室の許可が出た。
部屋にはベッドに半裸でくつろいでいる金髪の男。
傍らには、同じく半裸の女を複数侍らせていた。
「エイブラハム殿下。お時間を頂き感謝申し上げます」
ブラッドは片膝をつき、珍しくも恭しくお辞儀をする。
「よい。それで、なんの用だ」
「王位継承の件でございます」
エイブラハムの口元がニッと笑った。
「やっとその話か。待ちわびたぞ」
ベッドから飛び出るなり、かけてあった上着を羽織った。
「さっさと出てけ」
横で眠っていた女たちを蹴り飛ばす。
女たちは驚きながら慌てて出て行った。
「ウハハ。金の奴隷どもめ。万が一俺の子を孕んだら、餌代くらいは世話してやる」
下品な笑い声が響く。
「つきましては、王位継承にあたり、必要なことがございます」
「初耳だな。それはなんだ?」
「これは極一部のものにしか明かせぬ秘事でございまして」
「左様か。で、どうすればよい」
「我々とともに、ある場所へと赴き、簡単な儀式を済ませるだけです」
ちっと舌打ちの音がした。
面倒だと言わんばかりの態度だ。
「まァ、よい。やっと目障りだった父が死んだのだ。死影の屑には多少なりとも感謝せんとな。面倒だが、そんな儀式、さっさと済ませてやろう」
言い放つなり、高笑いをはじめる。
「ありがとうございます」
ブラッドは再び深々と頭を下げた。
「それでは我々とともにご同行願います」
ブラッドたちは、エイブラハムとともに部屋をあとにする。
その足は“盤外の間”へと向かっていた。
「ところで、イザベラ、おまえは王軍にいつまで籍を置くつもりだ?」
エイブラハムがイザベラへと質問を投げる。
「と、言いますと?」
「なぁに、もうすぐ俺は国王となる。おまえのその容姿は嫌いではない。俺の世継ぎを生む手伝いをさせてやってもいいのだぞ」
エイブラハムがニタァと笑った。
片手をイザベラの腰へとあてる。
「もったいなきお言葉にございます」
イザベラが神妙に頭を下げつつ返事をしている。
それを見てブラッドは笑いを堪えるのに必死だ。
イザベラの内心を思うと、可笑しくてしょうがない。
しかし、今は我慢しなくては。
(あとで愚痴くらい聞いてやるか)
長い廊下を戻り、王城へとやってきた。
3人は玉座の間へと足を運ぶ。
「いったいどこまで歩かせる気だ」
エイブラハムは、苛立ちを募らせているようだ。
「殿下、間も無くでございます」
ブラッドは玉座の裏までやってきたところで魔法を詠唱した。
突如、玉座の後ろのカーテンが開き、渦を巻いた異空間への入口が登場する。
「こちらでございます」
「ここへ入れと言うのか?」
「中は安全でございますゆえ」
「フン、なにか起きたら承知せんぞ」
愚痴を溢す王子を連れ、ブラッドたちは渦の中へと入って行った。
「なんだここは…暗いな」
“盤外の間”へと足を踏み入れたエイブラハムが、周りをキョロキョロと見ている。
灯は机の上にある一本の蝋燭のみ。
「その者か?」
暗がりの奥から声がした。
「誰だ?」
エイブラハムが疑問を口にする。
「ドルト国王のベルク・ドルトムント様にございます」
「ーー―なッ!?」
王子が目を剥いて驚いている。
「どういうことだ貴様!」
ブラッドの襟を掴み、睨んでくる。
皇太子と言えども、この国の秘密は知られていない。
それには理由があったのだ。
「ふむ。若すぎるが、生きがいいな」
低く、ずっしりと野太い声が響く。
「殿下、これから儀式を行いますね。さようなら」
ブラッドはニタァと笑った。
「なにッ…?」
足元の影から細い線が伸びてくる。
髪の毛のような黒い線はエイブラハムの体に巻きついていく。
「なんだこれはッ!?」
「私の魔法ですわ。殿下」
イザベラが婉然と微笑みながら答えた。
「この無礼。忘れるなよ」
王子がギロリとイザベラを睨む。
「今日のうちくらいでしたら、頑張りますわ」
「なんだと…」
「ははは。ただの“予備”のくせに煩いやつだ」
ブラッドは我慢できず笑いだした。
エイブラハムが驚いた顔を向けてくる。
「予備…とはなんだ?」
「お前のような屑が知る必要はない。さっさと消えろ」
「き…貴様…!」
エイブラハムがブラッドにあらゆる悪罵を浴びせてくる。
「黙れ」
≪精神崩壊≫
イザベラが無表情に魔法詠唱した。
王子を中心に、パリンとなにかが割れるような音がした。
直後、王子の体が糸の切れた操り人形のように項垂れる。
白目を向き、口からはヨダレが垂れていた。
彼の心は死んだ。
もはや肉体のみが残っている。
心臓は動き、体の機能は生きているが、すでにエイブラハムとして行動することは不可能であろう。
「ははは。まったく、さっきは笑いを堪えるのが大変だったぞ」
「ふん、こんな下衆の子を産むなんて絶対に願い下げよ」
ブラッドの笑い声を聞いたイザベラがここぞとばかりに皇太子をこき下ろした。
「無駄口を叩くな。さっさとやれ」
「もちろんさ」
ベルクの注意をうけ、ブラッドは項垂れるエイブラハムの体を乗り上げた。
そのまま机の側面方向にまっすぐ進む。
ブラッドは暗がりにむけて掌をあてた。
暗がりにむけて魔力を解放すると、だんだん部屋全体が明るくなった。
ブラッドの眼前には巨大な塊が脈をうっている。
それは巨大な脳味噌であった。
巨大なガラスケースの中で緑色の液につかっている。
ケースの下部に小さなカプセルがあった。
ちょうど、人が1人入れるほどのスペース。
ブラッドはその空間に、雑にエイブラハムを投げ入れる。
「ご…ごぉぉぉ」
精神が破壊されたエイブラハムだったものの口から唸る声があがる。
体をグネグネさせ、のたうちまわっている。
ガラスケース内の脳味噌も活発に動いていた。
どちらもだんだんと動きが鈍くなっていく。
ついにエイブラハムだったものは、動かなくなった。
「ふぅー…」
しかし、突如立ち上がった。
「どうですか、気分は」
ブラッドが質問を投げる。
「最悪だ。この愚息の体に入っていると言うことは、余は死んだと言うことだろう」
「その通りでございます」
すでにその体を新たな人格が支配していた。
「まったく、下手を打ちよって。今のお前の記憶は五星会議の途中で止まっておろう」
ベルクが言葉をむけてきた。
「ベルクよ。状況を教えてもらおうか」
「まぁ、座るといい。その上で、また、本体の記憶を上書きしておくとよい」
エイブラハムだった男がつかつかと歩み寄り、ベルクと反対側の椅子に腰をかけた。
「新しい体はどうだ、タペル」
「動き易くはあるが、慣れるまで時間がかかるだろうな」
この男の意思は、いまやタペル・エディンバラが支配していた。
「それにしても、“予備”がたった1人とは感心せんな」
「すでに悠久とも感じる時を生きているのだ。そこらの女など興味もない。欲望のままに“種まき”をするコイツは貴重だったのだがな」
「それもそうか。“イレギュラー”が大量に生まれる時代となった。動乱も起こりかねん。二度としくじるなよ」
「肝に銘じよう」




