60 ある記者の苦悩①
サイエフの森を静かに歩く男がいる。
タペル新聞社の記者ルイスである。
ルイスは、2週間ほど前からある連載記事を執筆していた。
五星会議後の成果や内外の評価についての執筆だ。
次の記事で、“真鍮の熊”オーロの談話を載せるため、ミリタの町まで取材にきていたところだった。
ところが昨日、肝心のオーロへの取材がキャンセルされてしまった。
正確な情報は未だつかめていないが、どうやら王都で大規模な内乱が起こったらしいと本社からの打電で知ったのだった。
あまりの混乱ぶりに、本社のスタッフも全員避難したようで、職場はもぬけのからのようだ。
ルイスは、王都を不在にしていたことを激しく後悔した。
国を揺るがす大事件の現場に居合わせることができなかったのは記者として痛恨の極みだ。
少しでも、王都の様子を取材しようと急いで支度を済ませ、ミリタを出発した。
その直後、サイエフの森で、たまたま移動中の“真鍮の熊”軍を見つけたのだ。
王都の取材では、他紙に比べてすでに大きく遅れをとっているのは事実だ。
それであれば、“真鍮の熊”の進軍をこの目に収めようと考えた。
しかし、王軍は異様な雰囲気であった。
とても近くで取材できる状況ではなかったのである。
その異常さを一言で表すならば、“人外の集団”である。
比喩ではない。
進軍している数は100あまり。そのうち9割は魔物グレイトベアであった。
体の大きさは成人男性の2倍ほど。錆びた銅貨のような独特の黄色い毛皮。
気性が荒いうえに群れをなすため、サイエフの森で最も出会ってはいけない魔物である。
その魔物の集団が進軍していた。周りについている人間は両の手の数ほどしかいない。
普通に考えれば、従魔として操っているのだろうと考えられる。
しかし、最も不気味な点はここであった。
まるで人間の兵士が魔物に従っているように、世話をしているのである。
その目に正気はなく、虚ろで、口からは涎を垂らしている。
とても「取材のため同伴させてほしい」と申し入れができる雰囲気ではなかった。
(なんなんだ…この軍隊は…)
“真鍮の熊”軍が魔物の熊を従えていること自体に驚きはない。
しかし、明らかに普通の軍隊とは違う異質なものがあった。
「ぐぉぉ…」
先頭を歩くグレイトベアが振り返り、合図を送った。
いそいそと兵士が荷物を用意している。
どうやら休憩をとるようだ。
グレイトベアが4頭単位で輪になり、いくつかのグループをつくりはじめた。
兵士が台車の上にある、布に包まれた大荷物を用意している。
おそらく食事の準備であろう。
兵士が被せてあった布をとったのを見て、ルイスは震え上がった。
(え!?)
布が捲れた後、出てきたのは大きな木製の板。
その上には大量の肉塊が乗っていた。
ルイスは堪らず尻もちをつき、後ずさりをする。
「うぇぇえ…」
たまらず吐いてしまった。
ルイスはその肉を見たことがあった。
(こいつはやばすぎる…。早く逃げなくては…)
四つん這いとなり、ゆっくりと軍隊から離れようとした。
「ぐぁぁ…?」
一頭のグレイトベアが気配に気づき、こちらへと向かってきた。
(ひ、ひぇぇ…)
恐怖で声がでない。
今は出なくてよかったのだが、恐怖で体ががくがくと震えた。
草をかき分け、グレイトベアが鼻をすんすんとさせながら近づいてくる。
「ぐぉ…」
見つかった。
「わぁぁぁぁ!」
ルイスはたまらず逃げた。
「がぁぁぁ!!」
グレイトベアが走って追いかけてくる。
ルイスの顔は絶望の色に染まっていた。
◆
同刻。
サイエフの森を西から南東へと歩く2人がいた。
「この森は魔物が多いわね…」
「ここはいつ来てもこんな感じだな」
ナツキとミユであった。
カーロン村を出発し、漢民族の集落を目指して移動していたのだった。
「ところで、随分と慌ててカーロンを出たのはなんで?」
ミユが質問してきた。
ナツキにも明確に理由を述べることができない。
「なんだか嫌な予感がしたんだ」
「え、どういうこと?」
「俺もよく分からん。しかし、西の空から邪悪な気配を感じたんだ」
懐にしまっていた召喚の鍵の封印がいきなり解けたのだ。
それだけでも不気味である。
さらに、西から巨大な魔力のぶつかり合う気配がした。
一つはとてつもなく邪悪な気配がした。
とんでもない悪魔が解放されたとしか考えられない。
誰がどんな目的で行ったが不明だが、近くにいてよいことなど1つもないだろう。
ナツキが目指しているのはゴディス島の南東方向。
それであれば、一刻も早く出発した方がよいと思った。
幸い、空からの下見で漢民族の集落らしき場所を見つけることができた。
その後、急いでカーロンへと戻り、ミユと合流したのだった。
本当はそのまま一人で集落へと行こうかとも思ったが、そんなことしたらミユが鬼のように怒るだろう。
勝手に別れたら、次に会ったときになにを言われるかわかったものではない。
なんとなくだが、こいつとは不思議な縁がある気がしたのだ。
それにミユを1人残して、厄災が降りかかってしまったら、と気がかりだったのも事実だ。
「わぁぁああ!」
ーー突然、悲鳴が聞こえた。
「なんだ…?」
「え、なに…」
2人して聞こえた方向に顔を向ける。
誰かが魔物にでも襲われているのだろうか。
「行ってみよう」
ナツキとミユは声のした方向へと駆けはじめた。
ナツキは魔力感知を広げる。
数十メートル先に、中型の魔物から逃げている人がいる。
どうやら魔物に襲われているらしい。
ナツキは魔力を込めた。
身体強化で脚力を高める。
「はッ!」
膝を曲げて前方に跳んだ。
(いた!あれは、グレイトベアか)
右手を振り上げ、今にも獲物の首を捉えようとしている。
獲物を追いかけることに夢中で、こちらには気づいていない。
しかも一頭しかいない。
それならば、不意打ちで魔法を叩き込めば撃破できる。
そう踏んだナツキの右手から、真紅の玉が放たれた。
≪炎玉≫
ドォン!
「グァァ!」
「わああ!!」
魔物と人の叫びが響き渡る。
グレイトベアは体から煙を上げ、ゆっくりと倒れた。
「はッ…はぁ…はぁ…」
逃げいていた男は腰を抜かし、肩で息をしている。
「よぉ、大丈夫かい?」
ナツキはニッと笑いながら話しかけた。
「ぇ…、グレイトベアを…一撃…?」
目を白黒とさせて、驚いている。
「ちょっとー…あなた速すぎ…」
後ろからミユが追いついてきた。
◆
「むッ…」
ミリタの王軍兵舎でオーロの目がカッと開いた。
「ど…どうされました…」
部下の兵士が、怯えた顔で質問をしてきた。
「グレイトベアが一頭撃破されたかもしれん…」
オーロは眉間に皺を寄せながら語った。
「まさか…そんはずありませんよ」
「では、お前はワシが耄碌したとでも言うつもりか?」
オーロは部下をギロリと睨みつける。
「し…しかし!100頭を超えるグレイトベアの進軍を妨害するものがサイエフの森にいるとは思えません!」
たしかにその通りではある。
まず、魔物が襲ってくることは考えられない。
それであれば、人間が撃破したことになる。
一体どんな魔法使いが撃破したのだろうか。
「調べる必要があるな」
オーロは瞑目しながら、小さく呟いた。




