03 ある少年の憂鬱③
翌日。
ポールはいつもと変わらぬ気分で学校で教鞭を執っていた。
ジョージが学校にいないことに心を痛めたりしない。あの後、苦しんでいたとしても、知ったことではない。
下校時、学校を出たところで話しかけてくる男がいた。
「やァ、きみがポール・ブラウンかな?」
汚い恰好でぼさぼさ頭、色付の丸眼鏡をしてにやにや笑っている。
(なんだ、鬱陶しい)
「下民が話しかけてくるな」
言い捨てて立ち去ろうとする。
「俺は薬屋のナツキ。昨日、ある少年の紙袋を燃やしたろう。あれは俺の店の商品だったんだ。しかし、支払がまだだったのさ。それをあんたがダメにしちまった。その請求をしにきたんだよ」
なんだそんなことか。うざったい。ジョージはこの汚い男から借りたものを持っていたのか。しかし、あいつが手に入れるようなものだ。たいした金額でもないだろう。
「ふん、いくらだ」
「金貨10枚ってとこだね」
「なッ!そんなバカなことがあるか!燃えてしまったことをいいことに吹っ掛けやがって!」
「そう言いますがね。あれは人の命を救う薬だったんですよ。値をつけろってほうが無理なもんさ。金貨10枚なら安いもんだ。それに、燃やせば支払いをしなくて済むなら、放火魔は無罪放免か?違うだろ?」
下民の言うことは無視してよい。
しかし、こいつは自分を明らかに舐めている。それは我慢ならない。だいたい身分の低いものが自分に弁償請求をするどころか、無礼な言葉を投げつけてくるなど、許せることではないのだ。
ポールは金額を気まぐれで聞きはしたが、金貨など支払う気なんて一切ない。金貨10枚どころか、1枚だってふざけた話だ。ナツキも相手が払わないことを分かっていて請求しているのだが。
(ふん。こんなバカなやつには痛い目をみせてやらないとな)
「わかった。しかし、金貨10枚となると手持ちでは足りない。後ほど、デール東門横にある墓地で渡したいがいいだろうか」
「払ってくれるんでしたら、どこへでも行きますよ」
(バカめ。お前が墓場に入るんだよ)
ポールは内心ほくそ笑んだ。
1時間後、墓地で会うことにしてその場を離れる。
ポールは家と連絡を取り、護衛兵を呼び出した。
「家に帰る前に1人処刑したいやつがいる。墓地へいくぞ」
「御意」
◆
ナツキは怒っていた。
日々懸命に生きている人間が身分制度によって蔑まれることに。そして、母を救いたいと走り回った少年を大した理由もなく暴行したヤツに。
自分の商品が燃やされたことなど口実だ。許せないから絡みにいった。
(この世は腐っている)
ナツキは旅してきて貴族制度というものを嫌悪するようになっていた。
生まれた場所の運で人生が決まるなんてクソくらえだ。
それを受け入れることが常識を身につけるってことなのか?
自分は受け入れることは絶対に無理だな。
そんなことを考えながら墓地へ赴いた。
◆
「よく来たな」
ポールはすでに墓地にいた。薄ら笑いを浮かべてナツキを待っていた。
「そりゃ支払ってもらうなら当然ですよ」
「あァ、払うからもっとこっちに来てくれよ」
ナツキが歩み寄り、距離にして10メートル程度のところまで近づいたときにポールが叫んだ。
「バカめ!支払いはコレだ!」
≪炎玉≫
ポールの両手に人の頭2個分サイズの炎の玉が浮かんだ。
昨日ジョージの紙袋を燃やした時よりはるかに魔力をこめている。
ファイヤーボールは対象物に衝突した後四方へ爆発する。
多数の相手を想定した戦闘用の魔法だ。
紙一重で避けたとしても爆発のダメージを受けずに切り抜けるのは困難。
ポールは戦闘魔法で優秀な成績をおさめていた。
手に入れた力を使って下民に裁きをくだしてやろうという思いで魔法を行使する。
ナツキに向けて2つの炎玉を投げつけた。
直後、爆発音と炎上音が墓地で響く。
「ざまァみろ下郎が」
勝ち誇るポールと、無言で横にたたずむ護衛兵。
炎と煙が少しずつ消えていく。
そこには無傷のナツキが立っていた。
「バカな。外したか?」
「支払方法は現金のみだ。今の魔法はなんの価値もなかったから受け取れませんね」
困惑していたら、舐めた挑発を言い放ってきた。
「運よく魔法が外れたからといって調子に乗るな」
今度は、護衛兵が前触れなしに呪文を唱えた。
≪炎玉≫
ポールの2倍ほどの大きさの魔法が出現する。
普通ならすぐに防御か回避の姿勢を見せるものだがーー
「今のを見ても同じ魔法を使うなら、下級魔法使いだと認めているようなものだぞ」
「なんだと」
「魔力感知もできんなら、戦闘はおすすめできないね」
「調子に乗るなよ」
「あんまりムキになって向かってこないでほしいね。そこのクソガキにお仕置きしたら誰かに連れて帰ってもらわないといけないから、おまえをぶっ倒すと都合悪いんだ」
「黙れ」
言い終わるやいなや、護衛兵が炎玉をとばす。
しかし、それはナツキに届くことはなかった。
炎はナツキを包むようによけていく。今度は爆発することなく炎が消えてしまった。
「なんだそれは」
「≪炎盾≫さ。俺の魔力の質を上回らないと貫通できないよ」
ナツキの体の周りを、輪をつくるように炎が燃え上がっている。
先ほども同じように魔法による影響を無効化したと思われる。
さすがにポール達も遠距離による魔法攻撃は意味をなさないと悟った。
「行け」
ポールが命令すると同時に護衛兵が突進した。
ナツキに接近して呪文を唱える。
≪束縛≫
ジョージを拘束した魔法。
行動の自由を奪ってから近接攻撃でなぶる作戦に切り替えた。
ナツキの体をトパーズ色の光が包んでいる。今度は成功したようだ。
護衛兵の口元に笑みが浮かぶ。
「終わりだ」
勝利を確信した瞬間――
「なっ!?」
謎の液体が護衛兵の体を濡らす。
拘束していると思って油断した。
ナツキは何事もなかったかのように動き出したのだ。
「この臭いは…油か?」
「ははは。ご名答。不意打ちで気絶させてもよかったんだが、やめといてあげたよ。それは薬の原料になる植物油さ。もう炎魔法を使うことはやめておいたほうがいいぞ」
ナツキは魔法を一切使うことなく護衛兵の攻撃手段を奪ってしまった。炎以外の魔法を使うことができれば意味がない。ただ、使えればの話だ。使えないということをナツキに見破られてしまったのだ。
おまけに理由は分からないが、切り札である束縛魔法も効果がない。
「なぜ動ける…」
護衛兵は苦し紛れに質問することしかできない。
「魔力感知でお前の魔法式が束縛魔法だと分かったからな。あとは俺に魔法が届く前に魔力操作で性質そのものを変えた。だから俺の周りを包んでいるおまえの魔法は無意味に浮いているだけだよ」
不敵に笑いながら解説をするナツキに、護衛兵は驚愕した。
そんなことをできるのは王直属の魔法兵の上層部か魔法ギルドの幹部クラスのみだ。こんなところになぜそれと同じレベルの魔法使いがいるのか理解できない。認めたくないが、目の前に現実があるのだから、受け入れるしかない。
護衛兵は完全に心が折れた。
ポールは足ががくがくと震えだした。
「おまえは一体何者だ!?」
ナツキはゆっくりとポールの方へ体を向けながら
「さっき名乗ったろ?名はナツキ。職業は薬屋だ」
「薬屋なわけがないだろう。所属を言え」
「何者でもないさ。ただ、困った人の役に立ちたいお節介さんだよ。薬屋がちょうどいいだろ?持ち家があれば医者でもよかったんだけどな」
意味がわからない。これだけの実力者が浮浪者まがいなことをしているなんて、こちらの常識を超えている。
ポールは戦闘で勝てないことを悟り、交渉を仕掛ける。
「俺はブラウン子爵家の長男だ。おまえの無礼な行いは刑罰ものだが、今回は特別に不問にしてやってもいい」
一切響かないという表情で歩み寄ってくる。
「やれやれ。おまえは身分という鎧が消えたら、ゲスな人間性しか残っていないな。そういう人間が権力を持つと腐ったものしか生まない」
「なんだと!?」
「お前のようなヤツから権力を剥奪したいところだが、俺にそんな力はない。だが──」
「なにをするッ!?」
ナツキがポールの首根っこをつかみ持ち上げる。
直後2人の体が光に包まれた。
護衛兵が目を丸丸とさせている。
「あぁぁぁああ!!」
ポールの悲鳴が響き渡った。
しかし、ここは墓地だ。誰も助けに駆け付けてきたりはしない。
光は消えた。
「はぁはぁ…」
ナツキが恐ろしい目で自分を睨んでいた。殺されるかと思ったが、今は生きている。
しかし、安堵したのも束の間、ナツキが手を離した瞬間、死んだ方がマシと思うほどの激痛が全身を襲った。身体中から痛みと虚脱感が溢れてくる。
「ぐああああ…」
立っているのがしんどい。たまらず地面に倒れ込むと、指先やらつま先やら末端から腫れてきた。立ち上がることすらできない。寝返りすら痛みが走る。
異変はそれだけではなかった。
痛みが激しいので回復魔法を使おうとしたが発動しない。
魔力を感じることすらできない。
「バカな!?なぜ…」
呻くポールに、ナツキが察したように説明する。
「お前の体中の魔道を破壊した。しばらくは一切の魔法が使えないだろう。その間、自分が迷惑をかけてきた人間の苦悩を1%でもいいから味わうといいさ」
「なッ!!ふざけるな…」
「それと、その症状はおまえが燃やしたジョージの薬があれば回復できるぞ。よかったな。あの日、彼がどんな症状の人を救いたくて必死になったのか、その薬を失ったことでどれほど悲しんだか、たっぷり考えろ」
ナツキが話している間も、ポールは呻きながら呪詛ともつかぬ言葉を吐き続けた。
「言っておくが、町医者や聖職者達でもそれを治すのは困難だぞ。魔道を壊したのが俺だからな。この治療は金の支払いは受け付けない。おまえが身分を振りかざすのをやめたら治療してやる」
ナツキが無礼たっぷりに吐き捨て、スタスタと墓地を去っていった。
次話は明日更新。
「ある少年の憂鬱」を最後まで読んでくれて感謝します。明日から別のエピソードです。