01 ある少年の憂鬱①
魔法国家エディン領の町デールは“芸術の中心地”と呼ばれている。
大陸の中心に位置するため、文化交流が盛んなことで発展した町だ。国営の歌劇場、美術館、商人が集まる繁華街などが栄え、多くの人が旅行や行商で訪れている。
町は魔物を寄せ付けぬよう石壁で取り囲まれている。
デールに訪れるためには西と東に位置する出入口を利用する。そこには“ガーディアン”と呼ばれる国王軍の精鋭が見張りをしている。
東口から西口にかけては“中央通り”と呼ばれる大きな道が一本通っている。
この中央通りから北側は貴族の居住区と文化施設・娯楽施設が立ち並ぶ。
一方、中央通りの端から街の南側に向かうとまったく違った世界が広がっている。
ここは住人たちから「下町」と呼ばれている。貧困者や“わけあり”の人間が住む場所。
下町の住人だからと言って街の北側にいくことが禁止されているわけではない。彼らは普通に生活している。
◆
エディンでは5~10歳の期間義務教育制度がある。
学校では“魔法は万人に平等でなければならない”と理念を掲げて10歳まで魔法を教えている。
しかし、実態はその理念とは程遠い状態だった。
魔法の才能がある者の多くは少年期に頭角を現してくる。魔法国家として国力を強くするためには、貴族だろうが、貧困家庭だろうが一定の教育をおこなう必要があった。
義務教育を終えるまでに才能がないとみなされたものが職人ギルドへ所属する。そして商店が運営されているのであった。
才能がなくても魔法学校や音楽の専門学校に通い続けること可能だが、そのためには高額な学費を払い続ける必要がある。建前としては魔法を万人に平等とうたいながらも、教育機関は貴族のために存在していると言っても過言ではなかった。
どの家庭で生まれるか人は選ぶことはできない。
本来、家庭のことは学ぶ上で大きな問題にすべきことではないのだ。
しかし、この国には王が存在し、貴族制度もある。当然のことながら身分の高いものと低いものがいる。子どもたちはその覆すことのできない上下関係を教育現場で否応なしに叩き込まれていくのだ。
子どもたちはこの如何ともし難い問題に悩みながら生活しているのだ。もちろん、悩むのは下町の子だけである。
◆
魔法学校デール分校。
今日も机に向かって勉強している生徒、魔法薬の研究のために薬草の成分を調べている生徒、図書館にこもって魔法書を読み漁っている生徒…。いろんな生徒たちが思い思いに勉強している。
そんな中、少年ジョージは悩んでいた。
彼は魔法の勉強が苦手だったのだ。
彼は下町の子である。病弱で働きづめの母親の力になりたいと日々考えていた。
母の仕事の手伝いをしたい。それを言ったら母親に反対された。
「学校をちゃんと卒業しなさい」
ジョージは納得できなかった。なんで家のために手伝うことがダメで、好きでもない貴族の子たちと同じ学校に行かなくてはならないのか。
ジョージはそういう事情もあって、魔法の勉強にいまいち集中できずにいた。魔法は初級と呼ばれるものであっても正しい理解がなければ使えない。
しかし、ジョージは魔法以外の授業はわりと好きだった。とくに音楽の授業が得意であった。
好きこそものの上手なれとはよく言ったものである。ジョージはクラスで一番音楽の成績が良くなっていった。
もちろんこれらの授業は魔法の授業に比べたら微々たる時間しか触れる機会がない。
「どうせ行くなら音楽をもっとやれる学校がよかったな」
そんな愚痴を吐いてみる。芸術を学ぶには師匠のもとで学ぶ必要がある。しかし、デールでは音楽を師匠のもとで学ぶことができるのは貴族のみなのだ。
やりたければ我流でやるしかない。そして、下町の人間は働かないと食べていけない。そんなことに割く時間はないのだ。
「貴族に生まれなかったおまえが悪いんだろ」
トボトボ歩くジョージの後ろから声がした。
「あ……ポール先生…」
ため息まじりの声を出しながら振り返る。
ブラウン子爵家の長男であることを誇りに思っている先生と絡むと碌なことがない。
以前音楽の授業で最優秀の成績を出した。
貴族の子息たちに恥をかかせたと、なぜかポール先生が怒ったのだ。教師ならば、他の生徒の技術を伸ばせばいいのに思いつつ、逆らえば何をされるかわかったものではない。
何もしていなくても、ポール先生はことあるごとにジョージを追い込むように接してくるのだ。
そもそも学校では貴族の生徒が、平民の生徒をことあるごとに差別している。言い返すと暴力が待っているので、自然と身分の低い人間は萎縮していた。
ポール先生はその状況を諌めるどころか、煽り、積極的にやるよう指示しているようなクズだった。
こんな人間に目をつけられた時点で、ジョージの学校生活は暗雲たるものだった。最初はあらがっていた友だちも段々離れていき、ジョージを避けるようになった。暴力をうけるよりも、友達に話しかけても無視されるようになった時の方が苦しかった。
「自分とは距離を置いていいよ」
身を切るような思いで言った。友達が暴力をうけるのはジョージもつらい。
それ以来ジョージは学校にいるあいだ、ずっと独りだったのだ。
そんなポールがまた絡んできた。ろくな話なわけがない。
「下民が文化人になれるなどと思うな。一生泥水をなめていろ」
暴言と同時に蹴りを入れられた。
「ははははは」
ポールは笑いながら去っていった。
くやしい。いや、いつもなら長時間絡まれることもある。これはマシなほうだ。
◆
「くそお…」
ジョージは下唇をかみながら下校した。
悔しい気持ちは湧いてくるが、なにかできるわけでもない。
悶々としながら家にたどり着いた。
「ただいま…」
いつもよりも元気のない声しかでない。
(おかしいな…聞こえなかったかな)
ジョージはもう一度言う。
「ただいまー」
次は大きめな声で言った。
やはり母の声がしない。いつも夕方は家の奥の部屋で織物をしているのに。
(どうしたんだろう)
不安な気持ちで家の奥扉を開く。
(…!!!)
母が倒れていた。
「母さん!」
慌てて駆けよる。
体が熱い。そしてよく見ると両手の肘から先がパンパンに腫れていた。
「どうしたの!?」
原因がわからず困惑する。
「あぁ、おかえり…ごめんね。ちょっと疲れて」
気付いた母がつぶやいた。
「疲れたなんてもんじゃないでしょ!どうしたの!?」
「多分“魔法過労”ってやつだよ。聞いたことはあったんだけど、ついになっちゃったねぇ」
「魔法過労?」
「ろくに知識もない人間が魔法を使い続けると病気になったり、体に異常がでたりするってやつだね」
ジョージの母アンナは服の縫製をして生計をたてていた。
その織物機を動かすには少量だが魔力が必要となる。
質の悪い織物機を、魔法の知識がないものが使い続けると体に負荷がかかる。少量の魔法であれば疲労感が出てくるだけだ。寝れば治る程度のものなので問題になることはない。
しかし、恒常的に続けてしまうと、体の方に異常がでることもある。
その症状は「魔法過労」と呼ばれていた。魔法知識の少ないものが住む下町ではしばしば魔法過労で倒れる人がいたのだった。
「大変だ。早くお医者さんのところ行かなきゃ」
「大丈夫よ。落ち着くまで横になっているよ。ごめんね、落ち着いたらご飯用意するから」
「そんなこといいよ!お医者さん呼んでくる!」
「ばか言うんじゃないよ。私は少し休んだらまた頑張れるから」
「ばかは母さんだよ」
ジョージは慌てて診療所へむかった。
そんなジョージの背中を見ながら母がつぶやく。
「ごめんね。苦労ばかりかけて」
◆
ジョージは走った。
診療所につき次第叫ぶ。
「母さんが倒れたんだ!助けて!」
すでに三軒目だ。
そして、じろじろと身なりと顔を交互に見ながら
「きみは下町の子かな?金はあるのかい?」
まただ。
また同じ質問をしてきた。みんな口裏合わせたように同じことばかり聞いてくる。
「お金はない。けど、働いてあとで払いますから。お願いします」
ジョージは必死にうったえた。
パタン
ドアが閉まった。
金のない人間は相手にしないのか。
何に怒っていいのか…
医者か?金か?国か?金のない家をか?
ジョージは体中から激しい毒素のようなものが出てくるような感覚に襲われた。
悔しい、悲しい、つらい、この怒りをどこへ向けていいのか…
そして、現状なにもできない自分に怒りがむいた。
ガン
壁に頭を打ちつけた。
ガンッ!
(くそお…くそお…)
ぼろぼろと涙が出てきた。
そんなジョージに道端から声をかけるものがいた。
「どうした?ぼうず」
ジョージはふと目をむける。
道の端っこ、下町の入り口に座り込み、布を一枚敷いて売り物を広げているみすぼらしい男がいた。夕日の逆光で少し見えづらいがなにか売っている様子はわかった。
(行商…?雑貨を売っているのか…?どうでもいい…今はそれどころじゃない)
ジョージは無視して立ち去ろうとする。
「待ちな。診療所の前で子どもが泣いていたら、なんとかしたいと思うのが人間ってもんだろ?」
正しく聞こえる言葉にジョージは苛立った。
その逆の仕打ちをうけているのだ。学校ではいじめられ、母が倒れても救ってくれる医者もいない。世界に絶望していたのだ。
「ふん。人間はお金を持っている人のためにしか動かないってよくわかったところさ」
「ふーむ、そういうタイプの残念な人間もいるね。だからって絶望しなくてもいいじゃないか」
「うるさい!今はあんたと喋っている時間はないんだ」
「なにがあったか話してみろよ」
(なんだコイツ…?)
「俺は薬屋だ」
「え…」
「医者を探しているなら頼ってくれてもいい相手だろ?」
不思議な見た目だった。
年齢は20歳前後か?
ぼろい安物にしか見えないローブ
髪の毛はだらしなくボサボサ
夕日の色に近い丸い色眼鏡
口元は不敵に微笑んでいる
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