12 薬屋の逃亡劇①
「まだ来ないのか。いつまで待たせる気だ」
ウィルソン邸に、怒気を含んだ静かな声が響く。
この質問をするのは本日3回目。
「申し訳ございません」
ウィルソン侯爵の眼前で、跪くヘンリーとイーサンが縮こまりながら返事をする。
ゲストルームの窓側に置かれたベッドには、身体中に包帯を巻いたレオが痛々しい姿で横たわっていた。
ナツキによる攻撃から一命は取り留めたものの、レオは起き上がることができないほどダメージを受けてしまっていた。
もちろん侯爵はレオの怪我のことなど気にしていない。
盗られた召喚の鍵と、盗人の逮捕を早く成し遂げたいのだ。
◆
グランドロッドにとっても、その思いは同じである。
しかし、サブ・マスターが倒されることなんて誰も予想していなかったのである。
レオ・ロバーツがいれば問題は片付くと誰もが考えていた。
そのレオが1人の盗人に正面から戦闘を挑んで、負けてしまった。
仮に、レオと今回派遣されたグランドロッドの魔法使い全員が戦闘をしたら、100%レオが勝利する。サブ・マスターとはそれほど上位の存在なのだ。
レオを破るほどの魔法使いを、残りの魔法使い全員で追ったとしても意味がないことは明らかであった。
青眼に逃亡された直後から、ヘンリーたちは首都タペルの魔法ギルド本部に報告を入れ、増援の要請を行った。
ウィルソン侯爵が「まだか」と言ったのはこの増援隊のことである。
しかし、タペルとデールの距離は馬車で走っても4日はかかる距離だ。
こればかりはどうしようもない。レオが倒れてから3日なので、あと1日は待ってもらわないとならない。
ヘンリーとイーサンは繰り返し謝ることしかできなかった。
自分たちにできることが他にないことという無力感に苛まれ、暗澹たる気持ちであった。
コンコン
ドアをノックする音がする。
「入れ」
ウィルソン侯爵が命ずると、屋敷の執事が入ってきた。
執事は右手を胸にあてながら深々と頭を下げて報告する。
「グランドロッドの皆様がお見えになりました」
「やっときたか。ここへ連れて参れ」
ウィルソン侯爵からすれば、今や遅しという心境だろう。
しかし、ヘンリーとイーサンは驚いていた。
まさか自分たちの予想より早く到着するとは。
これは本部が事態を重く受け止めていることの現れだった。
執事が退出してから1分ほどで、女2人、男1人が入室する。
先頭にいた女が代表して膝をつきながら侯爵へと挨拶をする。
「遅参いたしまして申し訳ございません。この度のギルドの失態を深く反省するばかりです」
ヘンリーとイーサンは、その3人の顔ぶれを見て固まってしまった。
無理もない。2人からしたら随分と大物だったのだ。
最初に部屋に入ってきた女性はソフィア・ホワイト。
グランドロッドのサブ・マスターの1人だ。レオと同格の存在である。
豊かな黄金色の髪に、真紅の瞳が特徴的だ。
手には魔石が組み込まれた杖を持っている。
攻撃魔法、補助魔法も高度に使いこなすが、彼女は聖魔法の使い手だ。今回は負傷したレオを回復させるために選ばれた。
他の2人はギルド内で「ジェネラル」と呼ばれる階級である。
1人はアーロン・ライト。
角刈りの黒髪で、短い顎髭が特徴的だ。
広範囲の攻撃魔法が得意で、多数の魔物との戦闘などで活躍してきた人物である。
もう1人はナンシー・ヒル。
赤みがかった茶色のショートヘアで、耳にはサファイヤのピアスをつけている。
敵への拘束魔法、補助魔法による味方の身体強化を得意とする。
攻撃に際しては風魔法を駆使する。
今回、増援隊が予定よりも早く到着したのは、彼女の補助魔法と風魔法によって、移動速度を早めたからであった。
魔法ギルド「グランドロッド」の組織構成は次の通りだ。
ギルドマスター1人、サブ・マスター3人、ジェネラルに8人が名を連ね、一般の構成員が300名。
総勢312名の大型ギルドだ。
なお、他の魔法ギルドでも役職構成は基本的に同じである。
戦死や引退などで若干人数に変動はあれど、幹部のギルドマスター1人、副マスター3人、ジェネラル8人というのが魔法ギルドの基本的なあり方であった。
一般メンバーは番号が振られ、番号が小さいほど実力は上というのが一般的であった。おおよそ、単位が20違うと実力が一段階上がるとされている。グランドロッドの場合は、メンバー番号13〜20番までが幹部候補の魔法使い。200番より数字が大きいものが事務的な作業も担っている。
この場には五星ギルドのサブ・マスターが2人、ジェネラルが2人。合計4人の幹部が顔をそろえている。
メンバー番号はヘンリーが68、イーサンが72であった。2人のような一般メンバーからしたら、幹部は雲の上のような存在なので、緊張するのはやむを得ないことであった。
「ふむ。やっときたか。では、早速動いてもらう。次に失態をおかせば、国王にお前たちの降級を進言することになるだろう。死に物狂いで働くことだ」
「御意――」
返答を聞いたウィルソン侯爵はその場を後にした。
◆
「さて、着いたばかりですが、急がないといけませんね。私はレオの治療を行います。アーロンとナンシーは盗人の特徴を聞いたら、手配書を出し、先発隊と援軍総勢30名を連れていきなさい」
ソフィアは寝込むレオの前に立ち、杖を自分の前に構えた。
瞼を閉じ、祈りを捧げ、回復魔法を唱える。
≪回復≫
レオの体を琥珀色の光が包み込む。
ソフィアの回復魔法はナイフなどによる切傷程度なら、一瞬で治してしまう。
その回復魔法で全身を包んでいるにもかかわらず、レオの回復には時間がかかりそうだ。
サブ・マスタークラスの幹部ともあろうものが、それほどの重傷を負っていることに、後発隊としてきた面々は今回の任務の重大さを再認識していた。
「うちの幹部が倒されるとは驚きじゃけェのう。さァ、さっさと賊の特徴と能力を教えるのじゃ」
アーロンが独特の地方なまりで、固まっているヘンリーたちに問いかけた。
……
「色付きの丸眼鏡に、薄汚いローブ、ボサボサの髪型…不ッ思議な見た目だわね。そんな変テコなのが強いなんてね」
ナンシーが疑問を口にする。
ヘンリーとイーサンだっていまだに信じられないのだ。五星ギルドの自分たちから見ても、明かに規格外の強さだった。見た目で完全に舐めきっていた。しかし、自分たちはそいつの作った分身に負けてしまったのだ。もちろん、その部分は伏せて報告した。
後発隊はヘンリー達から聞いた特徴をもとに手配書を作成し、ナツキと名乗った人物を指名手配した。手配書はデールの町と、近隣の村に通達される。
◆
中央平原を南下すると、“サイエフ河”と呼ばれる河川が流れている。
河が細くなっている箇所に橋が渡されており、デールの町に1番近いところにあるのはアーデル橋という。
橋には作った職人の名前がつけられるのが一般的だ。
この橋は一部の民から“狂乱橋”と呼ばれ、恐れられている。
一昔前に、この橋を通る軍隊はかならず凶暴な武人に襲われた。そのことから、俗称としてそんな名前がつけられたとか。
デールの町を後にして1日ほどが経ち、ナツキはアーデル橋を抜けたところにいた。
足に自信もあって、町からはだいぶ距離を稼いだが、まだまだ気は抜けない。
この橋を抜けてさらにすすむと「サイエフの森」と呼ばれる場所へと辿り着く。
その森を抜けた先に町がある。確か農業が栄えていた町だ。毎週末に農家が直接農産物を持ち寄り、露店が立ち並ぶ青空市がちょっとした人気で、うまい飯が食えるといいなと呑気なことを考えながら歩いていた。
「おっと、また来たか」
前方に魔物の群れの気配を感知。ゴブリンの群れが襲ってきた。10匹程度の中規模な群れだな。
5匹がナイフ、3匹が棍棒、2匹が弓か。まぁ、軽く狩っておきますか。
≪炎剣≫
ナツキの手から炎が真っ直ぐ燃え上がる。
手元の部分は細くなり、柄の形へと変化していく。
柄から先は若干太くなり、ブロードソードのような形状へと姿を変える。
ナツキは炎剣で迎え撃ち、棍棒で襲いかかってくる2体のゴブリンを斬り裂いた。
「ギェエエエ」
斬られたゴブリンが地面で踠く。
右手で薙ぎ払った勢いで、左手を前に突き出し魔法を撃つ。
≪炎弾≫
左手からオレンジ色の魔弾がとび、弓を構えていたゴブリン2匹に命中した。
ボカン
小気味いい音とともに、ゴブリンは後方へと吹き飛び、命中した箇所が燃えている。
4体が一瞬でやられたことで、他の6体が動揺して動きが止まる。
「ギェギェ」
「ゲギャギャ」
ガヤガヤとうるさい。退散の相談でもしているのだろう。
こいつらはバカでしつこい。1度痛めつけても、寝込みを襲ってくるだろう。
ここで全員始末する。
ナツキは一振りで2体ずつのペースでゴブリンを撃破した。
「よし、終わり。こいつらからは大した素材もとれないから、あまり襲ってきてほしくないね」
それに魔物の死体を大量に残すと、追手に情報を与えてしまう。
ナツキは面倒だと思いつつ、魔力弾で地面に穴を開け、ゴブリンの死体を葬った。
…
……
ゴブリンを倒してから小1時間ほど歩く。
もうすぐサイエフの森だ。
ここは巨大な魔物が多く、商人を困らせている。
魔法ギルドへの討伐依頼も多いので、狩りにきている魔法使いも多いだろう。
滅多にないことだが、敵国のドルトの兵隊と遭遇することもある。
自分は別にエディン国家所属の魔法使いではないので、会っても無視を決め込みたいところだが、あいつらは魔法使いというだけで攻撃してくるから、できれば会いたくないものだ。
中央平原とサイエフの森の境辺りに差しかかったところで、周辺の木から鳥がいっせいに飛び立った。
(なんだ?動物を驚かすようなことはしてないぞ)
謎はすぐにとけた。
サイエフの森から大型の魔物が出てきた。
頭は獅子、尾はサソリ、背中には黒い巨大な羽、体の全長はナツキの5倍ほど。
口には魔物のトロールを咥えている。
(マンティコアか。森林に生息する大型の魔物…。食事を他のやつに邪魔されないよう出てきたのかな)
こいつは剛力で、毒も持っているから近接戦はやりたくないな。上位種になると魔法も使ってくるからうざったい。ゴブリンと違って、撃破した後に死体を片付けるのも大変だ。
できれば食事に集中してもらって、逃げさせてもらえると楽だな。
ナツキを発見したマンティコアは、咥えていたトロールを捨てる。
「グォォォ…」
(おっと、こっちに向かって吠えてきた)
これは逃すつもりはなさそうだ。
「食事の邪魔なんてしないよ。言ってもわかってもらえないだろうけどな」
マンティコアが空中に躍り上がって襲いかかってくる。
中距離からの魔法を一切使わなかったことから上位種ではないことがわかった。
炎剣だと何回斬っても皮を傷つけることしかできない。
こちらは相手の攻撃を一撃くらうだけで致命傷。
解毒剤は持っているが、尾の毒をくらうなんて、絶対にご免こうむりたい。
倒すには強力な魔法一撃で屠るのが1番だ。
ナツキは右手を真横に突き出しながら、体を時計回りに一周させ、地面に魔法陣を描く。
マンティコアは頭上からナツキを目掛けて突進してきた。
恐ろしくとがった鉤爪の生えた右前足をブンッと振り回しながら、地面へと激突する。
ナツキは後方へ5メートルほど跳んで攻撃を回避する。
≪炎輪≫
ナツキの描いた魔法陣の円周から、マンティコアを包むように炎が燃え盛る。
着地点を読んでナツキは罠を仕掛けた。
魔法陣はちょうどマンティコア一体分の大きさとなっている。
「グォォォオ…!」
身動きがとれずにマンティコアが苦しみだした。
「安心しろ。長くは苦しめないよ」
≪爆炎≫
爆音とともに魔法陣の中に巨大な炎の柱が上がる。
マンティコアは衝撃で上方向に燃えながら吹き飛ばされた。
そのまま地面にドサッと崩れるように倒れ伏した。
苦戦せずに倒せてよかった。
マンティコアは出会わないことが1番。出会ったら5人以上の魔法使いで囲みながら攻撃魔法を撃ち続けて倒すのが定石と言われている。
問題は、この死体の後始末だった。
できれば全て燃えて欲しいが、骨は残るだろう。
追手に発見される前にできるだけ遠くに行ったほうが無難だ。
もちろん、町に来ていたグランドロッドのメンバーと戦闘になっても負ける気はしない。
頭が痛いのは、追手を倒せば倒すほど、より強力な魔法ギルドの人間や賞金稼ぎに狙われることだ。
なので、勝てるとわかっていても、逃げるのがよいのだ。
(急ごう)
ナツキはサイエフの森へと入っていった。
感想くれた方、本当にありがとうございます。




