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薬屋の気ままな旅  作者: 結城隼人
第二部
109/208

107 女の苦難②

 デボラは困惑した。


 こんな場末の酒場の商売女に、初対面で「頼ってくれ」などと言ってくる人間は、どうしたってロクな輩じゃない。


 頼れるものなら誰かに助けてほしいが、ここまでの己の来し方を振りかえれば簡単に信頼するわけにいかない。

 これまでの人生は苦痛そのものであった。

 今の状況も、男を安易に信じたことで苦界に落とされたのだ。


 「悪いけど、どっか行ってくれるかな。男の言う"優しさ"って言葉は信用しないことにしてるの」


 煙草の煙をプゥと吐きながら、男から視線を外した。


 「そうかい。俺は優しさって言葉好きだけどな」

 「はァ?」


 デボラは男のへらへらとした口調に苛立ちを覚えた。


 「なんで嫌いなんだ。優しいに越したことないだろ」

 「…そう言って、男は女を騙すからよ。どうせ、あなたも女を泣かせている口でしょ」


 男はウゥムと唸っている。

 腕を組んで考え事をしているようだ。


 「騙すやつは優しくないだろ。"優しい"ってのは憂いる人の横に佇むことを言うんだぞ」

 「え?」

 「死んだバーさんから言われたことだけどな。泣いている人がいたら、ともかく横で話を聞けってな」


 男はへらへら笑っている。

 変な男だ。


 「あなたみたいな無能の行商人に言われてもねェ」


 デボラは吐き捨てるように言い放った。


 「あのなぁ、人に差別的なこと言わない方がいいぞ。それは巡り巡って、自分を苦しめる」

 「あなたになにがわかるって言うの」

 「この国が、女に対して理不尽な仕打ちをしていることくらいはわかるさ。あんたが男を信頼しきれない気持ちもわかるぜ。まァ、俺はそう言った思想そのものが嫌いなんだ。困ったら頼ってくれ。いつもどこかの路地にいる」


 デボラはさらに困惑した。

 周りには下心丸出しで体に触れてくる男ばかり。

 卑しく、汚い笑顔と笑い声の奴らばかり。男など全て消えればいいのにとまで思ったことさえある。

 それを“思想”の問題だと言った人間など今までいなかった。


 (こいつ一体なんなの…)


 男はのんびり鼻歌まじりに、ジュラルに蹴散らされた商売道具を整理し始めた。


 「騒がしいと思ったらまだいたのか」


 店からジュラルが出てきた。


 「もう立ち去るところさ。見てわかるだろ」

 「生意気だなお前。痛い目見せてやろうか」


 ジュラルが謎の男をギロッと睨みつける。


 「ちょっと、ジュラル。やめてよ、もう行くって言っているんだから、乱暴はよして」


 思わず静止してしまった。ジュラルが目を丸くして驚いている。

 ゆっくりと振り返り、再び男に目を向けた。


 「おい、こいつは俺の所有物だ。唾をつけるなよ」

 「はァ?なにもしてねぇって。だいたいその人は物じゃないぞ。失礼なこと言うな」


 ジュラルのこめかみがヒクヒクと動く。


 ジュラルはわざと、男の商売道具を踏みつけた。

 整理していた道具も蹴散らかし、草が土色になるまでグリグリと踏みにじった。


 「おい!なにをする!」

 「俺に舐めた口をきくからだ」

 「あのなぁ、去れって言われたから整理してたんだぞ。散らかしやがって。これは大切な薬だったんだ」

 「生意気な…たかが行商人風情が、さっきから…」


 ジュラルが男の襟をガシッと掴む。


 男は怯む様子もなく、まっすぐジュラルに目を向けながら凄んだ。


 「頼むから俺を怒らせるなよ」


 「怒っているのは俺だ。無能者のくせに」


 ジュラルは握っていた襟をガッと突き離した。

 スラリと剣を抜き、男へ切っ先を向ける。


 「ちょっと、ジュラルッ!」

 「さっさと去れ。これ以上ここにいたら斬り捨てる」

 「やってみろ」


 男が夕陽色の丸眼鏡を、中指で押し上げる。


 「落ち着いてよ」


 デボラは思わずジュラルに飛びつき、胴体を両腕で抱えた。

 なんだか行動せずにはいられなかったが、動いたデボラ自身が最も驚いていた。


 「おい!離せ!」

 「そこの人、さっさと逃げなさいよ!」


 男は小さく舌打ちをして去っていった。

 デボラは安堵した。

 姿が見えなくなった後、もう少し話を聞きたかったと思った。


 「お前…女のくせによくも…」


 ジュラルが冷徹な目を向け、髪の毛を鷲掴みにしてきた。


 「痛い!」

 「身の程をわからせてやる。こい」


 その後、デボラは店内でジュラルから殴る蹴るの暴行を受けた。



 翌日。


 ナツキはすこぶる機嫌が悪かった。

 昨晩、酒場の男に調合していた薬草をめちゃくちゃにされた。


 調合していたのは“セリン草”というもの。

 酒の依存症に効き目のある薬だ。

 酒を欲する気持ちを抑えることができる。とり過ぎると、吐き気や目眩などの副作用があるので、少量ずつ使うのがいい。


 ナツキは友人となったヴァルツのためにセリン草の調合をしていた。

 草の採集にいき、彼の父親のために早く届けてやろうと考えていた。


 採集のしやすさを優先し、いつもとは違う都市の入り口付近の路地で敷布を広げ、薬研でゴリゴリと草をすり潰して薬効のある成分を抽出していたのだ。


 結構面倒な工程なのだが、その作業が、あの青髪野郎に台無しにされた。


 ヴァルツの喜ぶ顔が見られると思ったのに残念である。

 仕方がないので、再び町の外へ朝早く行き、セリン草の採集を済ませた。


 今は再び昨日の工程を、いちからやり直している最中である。


 (やっと昨日と同じ量ぐらいか…)


 軽くため息を吐いた。

 “やり直しはやり始めるより辛い”とはよく言ったものである。


 草から抽出した液を小瓶に詰めていく作業がひと段落し、ふと周りに目をやった。


 右手方向から歩いてくる女がいる。


 片頬を押さえ、足取り重く歩いている。

 よく見たら昨日の女だった。


 (どうしたんだ)


 「おーい」


 手を振りながら話しかけた。


 「また、あなた…」


 女はチラッと目を向け、小さく呟いた。


 昨日はあまり話せなかったが、芯の強そうな人だと思った。

 今日はその気丈さがすっかり鳴りを潜めている。


 「なんかあったのか?」


 ナツキは問いかけた直後にハッとした。

 よく見ると腕や胸元に痣がある。


 「ちょっと、見せてみろ」

 「やめてよ…」

 「俺は薬屋だ。怪我しているなら遠慮するな」


 女はゆっくりと頬に当てていた手を外した。


 (これは酷い…)


 右頬が腫れ上がり、紫色に腫れている。

 強く殴られたのだろう。


 「あの男か」

 「えぇ…」


 ナツキは眉間にしわを寄せた。


 「これじゃ今日はお客さん取れないわ…」


 小声で嘆いている。


 (応急処置にしかならんが、やれることはやろう)


 「ともかく、座れ」

 「なによ」

 「いいから座れ」


 女はナツキの真剣さに気圧されたように、その場に座り込んだ。


 ナツキは商売道具から塗り薬を取り出した。

 女の頬に丁寧に塗っていく。


 しかし、これだけでは治療に時間がかかってしまう。


 (聖魔法ならすぐ回復できるんだがな…)


 使えないので考えても仕方がないことだった。

 聖母神の加護をうけていたとしても、ドルトで行使したら目立ってしまう。


 「目を瞑ってくれ」

 「え?」

 「いいから。絶対に変な真似はしない」


 女はゆっくりと目を瞑った。


 ナツキは掌に魔力を集中させる。

 女の腫れた頬にそっと手を当てた。


 「なにを…?」

 「静かに」


 ナツキはゆっくりと魔力を女の頬へと送る。


 「なにこれ…あったかい」


 雪色のオーラがゆっくりと琥珀色へと変わる。

 ナツキは身体強化の応用で、体の細胞が活性化する効果を付与した。

 即座に元の顔に戻せるわけではないが、薬の効果を早めることができる。


 「よし、完了だ。もう目を開けていいぞ。おそらく、夕刻には元の顔に戻っていると思う」


 ナツキはニッと笑った。

 女は目をパチクリとさせている。


 「なにをしたの?」

 「それは秘密だ」

 「…あなた何者?」

 「旅の“優しい”薬屋さ」


 女は色々と困惑しているようだ。

 ナツキは鞄から湿布を取り出し、頬に貼り付けた。


 「あなたとお揃い?」


 女が苦笑いを浮かべている。


 「これは患部を冷やす効果がある。打撲傷にはよく効くんだぞ」


 「そう、ありがとう。てっきり、あなたも私を所有物にしようとしているのかと思ったわ」


 ナツキはずるっと転けそうになるのを堪えた。


 「そんなことするわけないだろ」

 「みたいね。あなたは他の男と少し違うようね」


 ナツキはボリボリと頭を掻く。


 「あんたは自分を物だと思っているのか?」

 「そんなわけないじゃない。でも、この国では女は人間扱いされないの」


 女の瞳に涙がたまる。


 「…許せないな」


 「あなた変わっているわね」

 「世の中の方が変わっているんだろ。俺は真っ当だ」

 「そんなこと言う奴もいるのね」


 初めて心が通じた気がした。


 「私はデボラ。あなたは?」

 「ナツキだ。よろしく」


 デボラが破顔した。

 笑った顔は幼い少女のようであった。



 王都ベルクの街角を曲がった男が一人。


 ジュラルであった。

 腰にはブロードソードを装備し、足は戦士ギルドへと向いていた。


 副業の飲み屋の仕事ばかりやってもいられない。

 本業の仕事も一定量こなそうと、思い、戦闘準備をして家を出たのであった。


 ジュラルは角を曲がり、数歩進んだところで目を細める。

 前方に見慣れた女と、汚い男が並んでいた。


 (あいつは昨日の…性懲りもなく…)


 額に青筋が浮かぶ。


 デボラはこれまで見たことのない笑顔を浮かべて会話していた。

 それが最も気に入らなかった。

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