105 ある青年の苦悩③
ナツキはヴァルツの頼みごとがあまりにも予想外で、口に含んだ酒を全部噴き出してしまった。
「どういうことだよ。話が見えないにも程があるぞ」
「あぁ、実はな――」
ヴァルツは、頼みごとをすることになったいきさつを先程よりも詳しく話してくれた。
八百長をもちかけたこと、断ったことで背中を刺されたこと、その状態で出場を余儀なくされていること。裏賭場とはいえ、ひどい連中だ。
「…なるほどな。あんたが怪我をしていた事情はわかった」
「そういうことなんだ」
「だが、怪我をしたんだから棄権すればいいだろう?」
「その通りだが、俺は裏社会とは言え、汚い手口で奴らの好きにされるのに我慢ならん。胴元には痛い目を見せたい」
「うぅむ…」
ヴァルツの気持ちはわかった。
根は真面目で義理堅いやつなのだろう。卑劣な行いを許せない感情はよく分かる。
「――しかし、替え玉なんてバレるだろ。そもそも俺は、格闘は素人だ」
「それについては問題ない。先ほどの喧嘩を見て実力がわかったが、あんたは強い。それに俺は覆面闘士だ。バレることはないさ」
なるほど。
いつもが覆面なら、替え玉も気づかれにくいということか。
言われてみれば背格好はそんなに差はないかもしれないな。
ナツキは乗るか反るか、考えを巡らせた。
密偵の任務中は、目立つ行為は避けたい。だが、裏賭場なら、表舞台には出ないだろうしおそらく大丈夫だ。それに顔が割れないのであれば、目をつけられることもない。
しかし、頼みを引き受けるメリットはほぼないと言っていいだろう。損ばかりだ。
「ダメか?」
ヴァルツが不安そうな顔を向けてくる。
ヴァルツは貧しい家庭のうえに、謂れのない差別をうけている。
相手にしても、八百長を持ちかけたこともそうだが、断ったら刺したというのが許せない。
愚直な人間が損をするのはなんとかしたいものだ。
「えぇい!仕方がない。引き受けた」
(…まぁ、なるようになるさ)
酒場でヴァルツの歓声が響く。あまりにも大声だったので店主からまたしても注意されてしまった。
「本当に恩にきる」
初めて、ヴァルツの破顔するところを見た。
「言っておくけどな。裏賭場の試合なんて見たことすらないから、勝てるかわからんぞ」
「ははは。謙遜しないでくれ。さっきの喧嘩を見たら、あんたが相当な実力の持ち主だというのはわかるさ」
なんと返事していいのかわからないナツキであった。
「ちゃんと謝礼も出すから楽しみにしていてくれ」
「そんなのいらないぞ」
「いや、ダメだ。これは俺が出したいから出すんだ。受け取ってもらう」
「そうか。で、何をくれるんだ?」
「それは当日まで楽しみにしていてくれ」
ヴァルツは機嫌良く、腸詰を口に放り入れた。
2人はその後、試合に出場するための細かい打ち合わせを済ませ解散したのであった。
◆
それから数日後、ナツキは裏賭場のある酒場前にやってきた。
「まったく、貴方様が思っていたより愚かで驚くばかり」
ファウストが向けてくる視線がやや痛い。
当然のことながら、試合に出場することについては猛反対された。
それでも約束を破るわけにはいかない。
「うるせぇな」
「いいえ、言わせていただきます。優雅さのかけらもない戦闘ですよ。それに、隠密行動中なのですから、自覚してほしいものです」
「ぐッ…」
言い返せない。ナツキはついつい右手をギュッと握りしめる。
言っていることは正しいのだが、絶対ファウストのタキシード姿の方が悪目立ちしている。
(お前だけには言われたくないよ)
心の中で愚痴を吐くナツキであった。
「よく来てくれたな。今日はがんばってくれ」
後ろからヴァルツが話しかけてきた。
以前あった時よりも大荷物を持っている
「なんだ、その荷物は?」
「気にしないでくれ。そっちの人はお仲間かな」
ナツキとファウストは、ヴァルツの案内で酒場の中へと入っていった。
酒場の奥にすすむと、地下へと続く階段がある。
下っていくと、酒と煙草の臭いが充満していた。
四隅にはテーブルが1つずつ。それぞれ異なるギャンブルをやっているようだ。
中央にはロープを張った舞台があり、すでに客ががやがやと輪をつくって囲んでいた。
(あそこでもうすぐ試合か…)
人に注目されて戦闘するなど未体験。柄にもなく緊張していた。
「ナツキさん、こっちです」
ヴァルツに案内されるまま、選手用の控え室に通された。
ナツキとファウストは同伴の付き人という設定だ。
ここの試合のルールでは、武器禁止ということ以外、全てが許されるらしい。装備は素手のみ。服は胴着などの布製のものであれば、1枚まで装備できる。
ナツキはオレンジ色の胴着と、“狂気”のマスクを受け取った。
胴着を装備するなど初めてだが、思ったより動きやすい。
ここ1ヶ月ほど慣れない鎧装備をつけていたので、とびきり楽に感じる。
マスクに関しては視界が悪くなることもない。被るタイプで、頭全体を覆っているので、賢眼発動くらいしてもバレなそうだ。
「似合っていますね。では俺は客席から観ていますんで」
ヴァルツは簡易な変装をした後、黒いフードをパサッと被り、出て行った。
素顔を知る客はいないだろうが、胴元には割れているのだろう。
彼がうろうろしていたら別人が出場しているとバレてしまう。
1人になったナツキは椅子に座りながら、声がかかるのをまっていた。
…
ギィィ
数刻して木製の扉が開く。
「よぉ、ヴァルツ、逃げ出さなかったのは褒めてやる。だが、馬鹿なやつよ」
ナツキはマスク越しに目を向けた。
禿げ頭に顎髭を生やしている。中年太りした腹をさすりながら歩いてきた。
こいつがおそらくここの賭場の胴元だろう。
返事をしてしまうとバレてしまう。
ナツキは声を発さずに男を観察した。
「チッ、返事すらしないか。まァ、いい。出番だぞ。さっさと死んでこい」
床に向けた親指を、首の前で掻っ切るように引いて、言い放った。
(こいつめ…)
ナツキはイライラしつつも扉を出て、会場へと向かう。
「“狂気面”選手の入場です!」
リング上に審判らしき男が大声で紹介してきた。
「今日こそ死ねぇ!」
「勝たなきゃ殺す!」
「血を見せろぉぉ!」
舞台に向かう道中、汚いヤジが切れ目なく飛んでくる。
「本日の対戦相手はエドゥアルド選手!」
舞台の反対側から、濃緑の髪を靡かせた黒胴着の男が入ってきた。
ナツキの着ている胴着は袖がないものだが、黒胴着の袖は手の甲まで隠れるほど長かった。
エドゥアルドと呼ばれた男は舞台まで上がってきた。
長い睫毛に垂れ目が特徴的で、頭から足の先まで舐め回すように見てくる。
口元がふっと笑った。なんだか余裕といった表情だ。
「それでは両者、見合って」
審判の合図とともに、2人の男が舞台中央へと歩み寄った。
エドゥアルドは顎を前に突き出しながら、見下すようにニタニタと笑っている。
ナツキはマスクを被っているので、とくに表情を動かすことはしない。無駄なことをしても意味がない。
「思ったより元気そうだな。もっと深く抉ればよかったと後悔しているよ」
小声で話しかけてきた。
察するにヴァルツを刺したのは、胴元とコイツの共謀のようだ。
利害関係が一致したのだろう。
態度が気に入らなかったから苛々していたので、一切の遠慮なく叩きのめさせてもらう。
「はじめ!」
審判が開始を宣言した。
この闘技場では武器使用禁止以外はルール無用、どちらかが敗北を認めるか、戦闘不能になったら決着となる。死亡者が出る試合も稀にあるらしく、恐ろしい話だ。
エドゥアルドは試合開始と同時に体を左右に揺らしている。
まだ打撃のフェイントもなにもしていないのに、ゆらゆらと動き回る。
シュッ
風を切る音が鳴り、左手を振ってきた。
2回、3回と手首のスナップをきかせて攻撃してくる。
(動きが単調すぎる)
ナツキは4発目をかわしながら懐へと入り込んだ。
ガン!
腹部に一撃拳を入れる。効果音も手応えもおかしい。
まるで金具を殴ったような硬さだった。
困惑していたらエドゥアルドがふふんと鼻で笑っている。
(こいつ汚ねェ…)
胴着に鉄板を仕込んでいるようだ。
今の音は周りで叫んでいる客はともかく、審判には聞こえたはずだ。
しかし、何事もなかったかのような態度をとっている。
「よそ見しているとは余裕だな」
審判に目をやった隙をついて攻撃をしかけてきた。
ナツキは頭を振って攻撃を躱していく。
右、左と、拳が順に顔目掛けてとんでくる。
左手の攻撃を紙一重で避けた――と思っていたのだが。
ガンッ
「ガハッ…」
ナツキの体が横へ傾く。
打撃をくらってしまった。
確実に避けたと思ったが、急に腕の間合いが伸びた。
しかも口元に受けた攻撃は生身の感触ではない。
細い金属性のもので殴られたような衝撃である。
ナツキの口元からスーッと血が垂れた。
(こいつ…暗器使いか…)
多少予想はしていたが、長い袖に仕込んだ武具を使ったのだろう。
それで無駄に派手な衣装をしている理由がわかった。
ここの闘技場のルールに明確に違反しているが、審判もグルだと思われるので、抗議しても無駄だろう。
ナツキの中で何かが燃えあがる感覚があった。
(俺を怒らせたな…)
「あんな傷を負ってるわりに粘るな。だが、次で死ね」
派手に両腕を振り回しながら接近してきた。
エドゥアルトが右手を横なぎに払った。
避けても暗器で攻撃する気満々だ。
ガシッ
ナツキは片手で攻撃を受け止めた。
腕をギギッと強く握りしめる。
「あがが!痛ェ!」
叫んでいるが、容赦はしない。
ナツキは握った箇所から魔力を相手の胴着へと送る。
気づかれぬように、少量ずつ、それでいて素早く。
心の中にある地獄の業火のような魔力が、待ってましたと言わんばかりに身体から溢れ出て行く。
「うああっぁあ!」
ボキン!
骨が折れた手ごたえがあった。
エドゥアルドは叫び声をあげながら自分の腕を抱える。
ナツキはさらに顔面に右拳を打ち込んだ。
エドゥアルドの身体が後方へぶっ飛び、ロープ際で倒れる。
「あぢッ…熱ぃ!ぁあアぁ!なんだこれは」
舞台床でゴロゴロのたうち回りながら苦しんでいる。
ナツキは胴着の鉄板と暗器を炎で溶かすほどの炎属性の魔力を送った。
傍目からわからないだろうが、熱を帯びた鉄に体を包まれているのだ。
肌に触れている部分は身を灼く熱さだろう。
審判がオロオロと慌てふためき、チラチラと胴元の方へと目を向けている。
(さっさと、勝利宣言すればいいのに…)
「おい、試合続行か?これ以上やったら死ぬと思うぞ」
「ぁ…」
審判もこれ以上は無理と判断したのか、狂気面の勝利を宣言した。
会場の奥で、胴元が酒樽を蹴っているのが目についた。
勝ったと思ったら、会場のいたるところから酒瓶が飛んでくる。
賭けに負けた連中の怨嗟が渦巻いているのを背にナツキは控室へと戻った。
――試合は終わった。
胸の奥にたぎっていた炎が段々と落ち着き、ナツキは平静を取り戻していた。
おそらく、一生のうちに最初で最後の裏舞台だった。
終わった後、ヴァルツと控え室で合流した。
「見事だった。俺の見込んだ通りだった!」
ヴァルツは満面の笑みだ。
興奮冷めやらぬといった様子で、試合についての感想を鼻息荒く語っている。
ヴァルツも相手が汚い真似をしていることに気づいたらしく、それについては怒っていた。
「俺が試合に出ていたら、審判ぐるみで負けに追い込まれていた。本当に礼を言う」
深々と頭を下げてきた。
「いいってことよ」
ナツキはニッと笑い返した。
ヴァルツは背中の荷物から、ゴソゴソと袋を取り出した。
机の上にドサッと乗せる。ずいぶんと重量感のある金属音だ。
紐を解いて開いたら、そこには袋いっぱい金貨が詰まっていた。
「おい、こんな金あったのか?」
「さっき手にしたのさ」
「…賭けていたのか?」
「ははは。俺が家を出るために貯めていた全財産を注ぎ込んだよ」
賭けのオッズがいかほどだったか知らないが、随分と荒稼ぎしたようだ。
今回の試合でナツキが勝つことを信じて、大博打をうったようだ。
負けていたらどうしたんだ、とナツキは思わず背筋が寒くなった。
「謝礼はこれで足りるか?」
「足りるもなにも多すぎだ。酒場の一杯分だけもらってやる」
ナツキは前に積まれた金貨を突き返した。
「それじゃ、俺の気が済まん」
「では、代わりと言ってはなんだが、ヴァルツに聞きたいことと、返答如何では頼みたいことがあるんだ」
ヴァルツが怪訝な顔を浮かべる。
「なんだい?」
「あんたはこの国での暮らしをどう思っている?」
「突拍子もない質問だな」
「いいから答えてくれ」
ヴァルツは暫し考えている。
「生まれ育った土地だから愛着はあるさ。あんな両親だが、情はある。だが、正直言うと、嫌な国だなと思うな」
「そうか」
「こんな裏賭場で泥に塗れてなかったら、もう少し好きだったかもな」
ヴァルツの笑い声が控え室で響く。
「で、それがどうした」
「俺はこの国を変えようとしている」
「えッ…」
ヴァルツが目を丸々とさせている。
「頼みってなんだ」
「なぁに、難しいことではない。俺の存在を誰にも口外しないことと、なにか気になる情報があったら流してほしい」
もしもヴァルツのなかにある体制への不満が確固としたものだったら、仲間に誘ったかもしれない。
しかしヴァルツはまだ、ようやく疑問を持ち始めたばかりだろう。
乗ってきた場合、ヴァルツの命が危なくなる。ナツキは誘いかけを慎重にしようと考えた。
「それだけでいいのか?」
「今の俺にはもっともありがたい話なんだ」
ともかく、ドルト領で気の許せる友人一人目を獲得したのだった。




