104 ある青年の苦悩②
「なんだテメェ」
ヴァルツは眼の前のいかにも怪しい風体の男に対し、反感をもって返事をした。
「そんな構えないでくれ。俺は薬屋だ」
「薬屋だと。男のくせにか?」
「男だからって、食べないと生きていけない。物売りをしても不思議じゃないだろ」
理屈としてはそうかもしれない。
だが、このドルトでは、男が行商をやっているなんて考えられないことだ。
成人した男子が軍部か戦士ギルド以外に所属することなど稀だ。
確かに大きな商いを営んでいる者の中には、男の経営者もいるが、そういった場合、接客をするのはほとんどが女である。探せと言われて見つける方が難しい。
――もしかして、よそ者か?
困惑して立ち尽くしていると、男はつかつかと近寄ってきた。
「これは刺し傷か。急所は外れているから、応急処置でも大丈夫そうだな」
「おい、勝手に診察するな」
「困ったときはお互い様だろ」
まだ男を信用した訳ではないが、ヴァルツは懐に手を入れた。
(しまった…財布を家に置いたままだ)
思わず舌打ちが出て、家の方へと顔を向ける。
ついさっき出ていけと言われたばかりで、のこのこと帰るわけにもいかない。
思わず深いため息が出た。
「金がないなら、無理しないでいい、懐に余裕が出たときに一杯奢ってくれたらいいさ」
こちらの事情を察したように、薬屋がニッと笑いかけてきた。
ヴァルツは驚いた。
(こんな男がいるのか…本当に信用していいのか?)
行商なんぞをやる男は例外無く“無能力”と差別される。
このドルトに暮らす者なら、大なり小なり世間体を気にして、卑屈になったり心が荒んだりするものだ。
しかし、この男には体面を気にするようでも、ましてや弱みに付け込んでやろうというわけでもなく、純粋に治療をすることだけを考えているようだ。
「人の好意はありがたく貰っておけ」
「見返りはなんだ?」
「お前なァ、人を斜めに見るのはやめろ。俺が助けたいだけだ。金の請求なんてしないから安心しろ」
ヴァルツは小さく頷くと、恐る恐る患部を見せることにした。
薬屋は鞄の中から薬の入った瓶と包帯を取り出し、治療を開始した。
◆
「よし、これで完了だ。刃先が筋肉で止まっていたから、内臓は傷めていない。簡単に済んで良かったよ。あんた良い身体してるな」
ナツキはけらけらと笑いながら、男に治療終了を告げた。
「……礼を言う」
男の顔には「半信半疑」と大きく書いてあるかのようだったが、頭を深く下げ、謝意を示してくれた。
ナツキはこの一言を貰える、この商売が好きだった。
「ところで、あんた。なんであんな傷を負っていたんだ?」
この男の顔には、大きな引き攣れた古傷がある。
爪で引き裂かれたような痕から察するに、魔物による攻撃をうけたのだろう。
それ以外にも、体の至る所に細かい切傷があった。
常日頃から戦いに身を投じている人間の体であった。
かと言って、軍人といった雰囲気ではない。町のチンピラといったほうがしっくりくる。
「それは――」
男はごく手短に自分の身の上を明かした。
名をヴァルツと言い、裏賭場の闘技場選手らしい。
身体の様子は、それで合点がいった。
驚いたのは連戦連勝を積み上げ、未だに無敗ということだ。
体の傷についてはどうも多くを語りたがらないが、裏賭場の厄介ごとに巻き込まれたようだ。
「ただでさえ、後ろ暗いところの連中の集まる世界だ。苦労は多いんだろうな」
「あぁ…」
ヴァルツは下唇を噛み締めている。よほど悔しかったようだ。
「いよぉ、“傷物”くんじゃないか」
横から声がした。
目を向けると、軍服を着た3人の男がニタニタしながら近づいてくる。年はヴァルツと同じ頃だろうか。
もみあげが濃くガタイのいい男、ひょろっと細長い体に鷲鼻が特徴的な男、そばかすとオールバックの金髪の男だ。
「お前ら…」
ヴァルツが座りながら目を向ける。
「そんなボロい装備の男と仲良くするほど落ちぶれたとは、ザマァないな」
3人でゲラゲラと笑っている。
(…どうも剣呑な空気だ。少なくとも友人などではなさそうだな)
「黙れ。さっさと失せろ。この人には恩がある。悪く言うことは許さん」
ヴァルツがギロリと3人を睨みつける。
「あ?生意気さは相変わらずだな」
「軍部での仕打ちが嫌で逃げた奴が偉そうな口をほざくな」
もみあげ男を筆頭に近寄りながら暴言を吐いてくる。
ヴァルツはスッと立ち上がり、睨みつけた。
「ほう、俺たちとやる気か?」
相手も喧嘩腰だ。
「待て待て待て!」
ナツキは慌てて間に入った。
「退け」
もみあげ男が睨みつけてきた。
「いやいや、こいつはさっきまで怪我をしていて、治療したばかりなんだ。今は安静にしなきゃいかん」
「はっはっは!ヴァルツ、お前、こんな男から治療を受けたのか。ヤミ医者かなにかか?いよいよ落ちたな」
再び3人でゲラゲラと笑う。
(なんだコイツら…下劣な奴らだな)
ナツキは段々と怒りが湧いてくる。
「お前ら、頼むから俺を怒らせるな」
ナツキは強い眼差しで相手を見据えた。
怒りが湧くたびに、胸の奥から何かが覗き込む感覚が襲ってくるのだ。
「“無能力者”が、軍人にたてつくのか?これ以上邪魔するとタダじゃおかんぞ」
「ぶちのめされたくなかったら消えろ」
そばかす男が指をポキポキと鳴らし威圧してくる。
「あのなぁ、治療した男に絡む奴がいたら止めるのなんて、当たり前だろ」
気付くとヴァルツが、後ろから肩をつかんできた。
「お…おい、いいから逃げろ」
「いいや、逃げない。お前こそどっか行ったがよさそうだぞ。こいつらと喧嘩するなら後日にしとけ」
「ははは!さすが“傷物”だ!」
いい加減、こいつらの下品な笑いも聞き飽きてきた。
「いや、まだお前の名前も聞いていない」
ヴァルツがモゴモゴと言い返した。
――そう言えば名乗っていなかった。久しぶりすぎて忘れていた。
ナツキが肩越しにヴァルツに目を向けていると、そばかすの男が突進してきた。
「死ねェ、下郎!」
ナツキは振り向きざまに裏拳を相手の顔に入れる。
「グハッ」
鼻が潰れ、鼻血が飛び出す。
ナツキは裏拳を叩き込んだ勢いそのままに、回し蹴りも追加でお見舞いしてやった。
そばかすの男はのけぞって後方へ吹き飛ぶ。
ナツキはスタッと着地し、あらためてヴァルツへと向き直った。
「――俺はナツキ。旅の薬屋さ」
不敵に笑い、名乗った。
「ナツキ…」
ヴァルツが小さく復唱した。
「キッサマァ!」
仲間を倒されたことで、もみあげ男が激昂して突進してきた。
スラリと剣を抜く。
「おいおい、町の中で一般人相手に剣を抜くなよ」
「命乞いをしても遅いぞ!」
「死ねェ!」
剣を振り上げて突進してきた。
ナツキは左に跳び、一撃目を躱す。
避けながら体を回転させ、首筋に手刀を当てた。
「ぐッ…」
手刀がきれいにきまり、もみあげ男は白目を剥きながら、その場で膝をつき、倒れた。
残りのひょろい男が剣を横に薙ぎ払ってきた。
「遅すぎる」
ナツキは片手で剣を掴んだ。
「バカな…」
驚愕した表情を浮かべている。
「貴様…何者だ!?」
「さっき名乗ったの聞いていなかったのか?旅の薬屋だ」
「嘘だ…ただの無能力者にこんな動きができるわけが…」
エディンにいた頃から、薬屋と言っても信じて貰えなかった。
商人を差別するこの国では、より一層信じられぬことのようだ。
「ここにいるんだよな。じゃ、お前も仲良く寝んねしてな」
ナツキは外から見えぬよう掌の内側に魔力を集中させる。
身体強化で腕の筋力を強めた。
バキンと剣がへし折れる。
「んなッ!?」
ひょろい男の心は剣とともに折れたようだ。
「た…たのむ…見逃してくれ」
情けないことに震えている。
ナツキはその姿に呆れてしまった。
「あのなぁ…自分が傷つく覚悟もないくせに剣なんて抜くなよ」
尻餅をついて、顔を汗でびっしょりと濡らしている。
ナツキは大きくため息を吐いた。
「もういいから、倒れているこいつらを連れて行ってくれ」
ほそ長い体で成人男性2人を苦労しながら肩に乗せ、よろよろと消えていった。
周りでは住民がざわざわと目を向けてきている。
「いかんな…」
目立つのはよくない。
今は行商人を装いつつ、内偵をしているのだった。
「おい…お前…」
ヴァルツが物言いたげに話しかけてくる。
「話は後だ。一先ず、ここを離れよう」
ナツキはスタコラとその場から逃げるように走った。
「おい、待てって」
ヴァルツが慌てて追いかけてくる。
「おい、怪我しているんだから走るんじゃない」
足を止めて注意をした。傷が開いてしまったら治療した甲斐がない。
「いや…お前に頼みがある」
「頼み?」
ナツキは怪訝な顔を向けた。
質問を返したのに、言いにくいことなのか、躊躇っている。
「とりあえず、その辺の店に入って話そう」
どんな話か不明だが、目立ちたくないので、ヴァルツと一緒に近くの酒場へと移動した。
◆
ヴァルツはナツキという男に興味を持った。
無償で人を治療した上に、軍属の男を一方的に蹴散らした。
明らかにドルトでは常識破りな存在である。
2人で酒場に入り、店の奥のカウンターに腰掛けた。
ナツキは酒を注文し、品書きを渡してきた。
「俺は遠慮する」
「金ないなら気にするなよ。一杯くらいならご馳走するぞ」
そういう問題ではない。
ヴァルツは父が酒に溺れている。
そのせいもあって、自分が酒を煽る気にはなれなかったのだ。
「いや、水でいい」
「飲めないのか?悪かったな。店主、水と、何かおすすめの肉料理を2人分くれ」
「あいよー、イエットなんかおすすめだよ」
「どんな料理なんだ?」
「豚の腸詰だ。豚の内臓ときのこに、香草なんかも入れて炭火で炙ってある」
「そいつは旨そうだ。それじゃ、イエット2つで」
店主が返事をし、酒と水のグラスが2人の前に出された。
肉を焼く音が店に響いて、食欲をそそる香りも漂ってきた。
「酒も、昔は嫌いではなかったんだがな」
「なんだ。事情でもあるのか?」
ヴァルツは打ち明けるか迷ったが、父が酒浸りになり、母に暴力を振るっている話しを訥々とした。
「それは依存症だな…なんでも取りすぎると体に毒だな」
「あぁ…それで、俺はキレて親父を殴っちまった」
「うへぇ、それはまた凄い話だな」
「母が俺ではなく、暴力を振るう父を庇ったことがショックだったよ」
ヴァルツは怒りを自分の中に流し込むように、水を一気に飲み干した。
「辛かったな」
「いや、すべては親の期待を裏切って軍を辞めた俺が悪いんだろう」
ヴァルツは小さくため息を吐いた。
「そんなわけないだろ」
すぐさま否定される。父か母が悪いと言うのだろうか。
「どう考えても世の中が悪い」
ヴァルツは目を丸くした。
予想を超える回答がきたのだ。
「どういうことだよ」
「お前の父が暴力を振るうことは許す必要ないが。息子が軍をクビになったんだ。荒れる気持ちもわかる。問題は、一度道を踏み外したら、差別され、生活できなくなるってことだろ」
酒をぐびっと飲みながら、不思議なことを言う。
ヴァルツは少しだけ気が楽になった。
(こんな男がいるとはな)
今やっと、ボロい装備で、ボサボサ頭のこの男を、心の底から信頼できると感じた。
「で、話ってなんだよ」
グラスを片手に本題を促した。
――言いにくい。このうえなく頼みづらい。でもこれしか方法がない…
ヴァルツが言い淀んでいるうちに、ナツキは少しずつ酒を口にしている。
「…俺の代わりに、裏闘技場で試合にでてくれ」
ブーッ
それまでの上機嫌な様子から一転、ナツキが酒を噴き出した。
「はァ!?」
素っ頓狂な叫びをあげている。
「困るよー、お客さん」
「あッ、すみません」
叱りつけてきた店主に対し、ボリボリと頭を掻きながら謝っている。
さて、どう説得したものか。
ヴァルツの胸中をさまざまな思惑が去来した。




