99 漆黒は眠る
王都タペルは元通りとはいえないにしろ、内乱発生前の日常を徐々に取り戻しつつあった。
王城のそこかしこには、内乱鎮圧時に崩れ去った瓦礫の山が積まれている。
その一角に影が差しかかった。
ジョナのもとから“氷の翼”で舞い戻った、シグマである。
王城横の兵舎前に降り立った。
シグマは、早急に王都での執務を終わらせ、ロックベルに帰りたいと考えていた。
歩むべき道は見えた。
副団長エマと話し合い、来たるべき日に王政と対峙するための仲間を集めたい。
「やるべきことは山積みだな」
内乱以降、久しく感じていなかった気力がまた湧き上がってくるかのようだった。。
「くくく。戻ったようだな」
背後から、薄ら笑いとともにオーロが現れた。
「なんの用だ」
「いやいや、別になんでもないさ。“賢邪”は元気だったかね?」
ニタニタするオーロの言葉に、シグマは慄然とした。
「なんのことか分からんな」
「惚けたところで意味はない。ブラッドとイザベラが随分と前に出兵した。すでに、ジョナ・スミスは死んだ頃だろう」
シグマは目を剥いた。
まさか、つけられていたとは。
「オーロッ…」
「おっと、睨んでも無駄さ。出自不明のお前の素性がわかって、ワシは機嫌がよい。それほどの実力を持っていたのも頷ける」
シグマはチッと舌打ちをした。
再び、背に氷の翼を生やす。
「今から飛んでも無駄だぞ」
オーロは呆れ顔だが、シグマはその言葉を無視し、再び飛び立った。
師匠を失うわけにはいかない。
一刻も早く戻らなくては。
◆
「くっそがッ!」
ロック山脈の一角で荒々しい声が響く。
「静かにして…、魔王の追跡を警戒しなくては」
王直属軍の軍団長2人が、よろよろと歩いていた。
ブラッドは血が沸騰しそうになるほどの怒りに包まれている。
完膚なきまでに敗北した。
相手が魔王とは言え、標的であったジョナを始末することに失敗した。
こんな屈辱は味わったことがない。
煮えたぎる感情を持て余しているのはイザベラも同様のようで、小刻みに震えている。
移動魔法を無理して使ったせいで、老化はさらにすすみ、すでに髪の毛のほとんどが白髪となっていた。
「絶対に許さない…早く、魂を喰わなくては…」
ぶつぶつとうわごとのように呟いている。
一旦重ねた年齢を取り戻せるのか不明だが、美しい自分を早く戻したいのだろう。
(ブラッド、イザベラ、聞こえるか?)
オーロから念話が入った。
(…なんだ?)
(シグマが王城に戻った直後、再び飛び去った。おそらく、そっちに向かっている。目が血走っていたから、遭遇したら戦闘になると思っておいた方がいい)
(なんですって!?)
イザベラが驚きの声を上げた。
(お前、しゃべったのか)
(あぁ、アイツの驚いた顔は爽快だったぞ)
(…あなた、事の重大さをわかっていないわね)
イザベラのこめかみに青筋が入る。
この2人はいつも相性が悪い。
(まずいわ。魔王に加え、ジョナとシグマに共闘されたら、状況が凄まじく悪化するわ)
イザベラが状況の深刻さに嘆く。
(その心配はないな)
オーロは落ち着いた様子だ。
(どういうことだ?)
(ワシの魔蟲ごしに一部始終を見届けた。賢邪は先程逝ったぞ)
(なんですって!?)
イザベラが複雑な表情を浮かべる。
こいつに妹を悼む気持ちなどない。
せいぜい、自分がトドメをさせなかったことを残念がっているだけだろう。
(うむ。ワシも驚いた。まさか魔王を封じるとはな。さすが、歴代最強の呼び声も高かった女だけはある)
(なんだとッ…)
ブラッドの眉がピクッと動く。
(今なんと言った。詳しく教えろ)
(詳細は不明だが、賢邪の体から光が魔王に流れた。その後、魔王は小僧の体に封じられたように見受けられる。賢邪はそのまま絶命した)
ブラッドは目を剥いた。
魔王の眼前から逃亡できたとは言え、間違いなく追撃がくると思っていた。
移動魔法に多大な魔力が必要とは言え、魔王からすれば微々たるものでしかない。
なぜすぐに飛んでこないのか疑問だったが、謎が解けた。
魔王は封印された。
しかも、人間の体に。
「これは…まさかッ…」
「どうしたのよ…」
ついつい、口から驚きの声が漏れる。
「見つけたぞッ!“真の目的”達成への道が」
ブラッドは空を仰ぎ、叫んだ。
ゴディス島でアディスが行っている盤上遊戯の目的。
その達成方法を見つけたのだ。
しかし、残念なことに、それは自分たちではなく、敵方の手中にある。
「な…なによ、真の目的って…」
イザベラが怪訝な顔を向けてくる。
この“目的”は極秘中の極秘。
知っているのは国王と、各国の王軍の主格のみ。
(オーロ、でかした!お前の愛しい子は最高だ)
(くっくっく。そうであろう)
隻眼の目がニタァっとする様子が、念話ごしにも見えるようであった。
イザベラだけはうんざりした顔を浮かべている。
(またなにか変化があったら、教えてくれ)
(承知した)
念話を切った。
ブラッドは暫し、考え込む。
標的にしていたイレギュラーは死亡した。
そうであれば、間違いなく新たなイレギュラーとして認定される賢者の弟子の動向を追わないわけにはいかない。
ナツキを殺すには準備がいる。
個人の力であれば、ブラッドなら必ず勝てるだろう。
しかし、封印された魔王の状態がわからない。
またしても現世に出てくるようであれば、返り討ちにあってしまう。
ブラッドはギリッと奥歯を鳴らした。
自身の自尊心が傷ついて疼く。
ブラッドは悪魔との契約を交わしていた。
それは傲慢な魔王の一柱との契り。
手に入れたものは、魔王の権能の一部。
対価は日毎に人間の魂1つ。
この力を使えば、人間の魔法使いなど、どれほど強かろうが相手にならない。
人間という種を超越した、新しい人類であると自負もあった。
だが、今は自分を上回る実力の持ち主が存在するのだ。
その峰に至る方法の鍵は“時の精霊”。
巨大な力と力の相殺によって、現世に留まらせること。
悪魔の力を制御するには、それに見合う力を持っていればいいのだ。
だが、ここまで、思考が進んだところで、ブラッドは躓く。
上位精霊など簡単に従えることはできない。
”時の精霊“クラスの精霊など、出会うこと自体が困難だ。
「くそ…」
弱弱しい悪態が口をついて出る。
「さっきから一人でぶつぶつと…なんなのよ」
怪訝な顔をしながら歩くイザベラを見やり、ブラッドはハッとした。
足が止まり、ある行為が浮かぶ。
イザベラの両足だけ、コツコツと音をならし、進んでいく。
その後ろ姿をブラッドはまっすぐ見つめる。
その口元が邪悪な笑みに染まった。
◆
イザベラの内心では、敗北感、焦燥感が渦巻いていた。
積年の恨みをぶつけたかった実の妹に敗北した。――またしても!
雪辱戦を仕掛けようにも、すでに他界してしまっては、達成することはできない。
自分は生涯、妹を超えられなかったという感情を背負いながら生きねばならない。
自分の容姿も醜くなっていく一方だ。
白髪、皺、垂れる肉、なにもかもが我慢できない。
早く本部に戻り、一刻も早く魂をこの身に取り込まなくてはいけない。
それでも、元の姿に戻れるという保証はなかった。
当然のことながら、老いた自分を実感するのはこれが初めてだ。
(――もしも、元に戻るのが困難だったら。)
再び闇魔法でなんとか若さと美貌を取り戻す術を見つけ出さなければ。なんとしても!!
(…大丈夫、実験体は足りる)
なにせ、自分は軍団長の一角なのだ。
自軍の精鋭が今回の戦闘で相当数消えたとは言え、まだまだ数だけは揃っている。
気持ちは逸るも、進む足取りは重い。
急激に歳をとったせいで、体中に痛みが走り、筋肉がうまく動かないのだ。
(まったく、年寄りってのは不便ね)
舌打ちが止まらない。
イライラしながら歩いていると、ふと違和感に気付いた。
横にいたブラッドが足を止めている。
なんだか背中に視線を感じた。
「悪いな、イザベラ」
その口調はいやにゆっくりだった。
ブラッドにしては、不気味なくらいの優しい声音を帯びている。
「なによ…さっさと戻りーー」
ドスッ
「かはッ…」
激痛が走った。
背中からなにかが体を貫き、腹部まで貫通している。
それはブラッドの血刃であった。
「ブ…ブラッ…ド…」
肩越しに振り返り、ブラッドを睨む。
「くく…。本当に悪いな」
「一体…なんのつもり」
激痛とともに、体の力が抜けていく。
イザベラには理解できない。
「お前も喰われる側になっただけのこと。お前は俺の力を御する糧になってもらう」
「なにをッ…ふざけたことを…」
「ははは。いいぞぉ!力が流れ込んでくる。流石だなイザベラ!」
「ぁ…ぁ…」
目が霞み、虚脱感に襲われていく。
皺だらけとなった腕が細く干からびていった。
イザベラの意識は、蜘蛛の巣にかかった昆虫がもがくように、ブラッドの中へと喰われていった。
◆
「はははは!これだ!こうすればよかったのだ!」
ブラッドは高笑いをした。
ブラッドはイザベラの闇の力を吸い取り、自分の中に眠る悪魔の力を抑えこんだ。
これで、これまで以上に、魔の力を行使することができる。
これで、再びナツキと見えても、簡単に遅れをとることはないだろう。
それでも、いきなり再戦に向かうことは危険だ。
「もっと力を貯めなくてはな」
ブラッドはくつくつと笑いながら、その足を王都に向けた。
◆
マンチェスの森の小屋の中、ナツキはまだ座っている。
いくら自責の念にかられ続けていても、ジョナが永遠の眠りから目を覚ますわけではない。
しかし、それでも足に根が生えたかのように、この場から離れることができなかった。
ジョナがふと起き上がってこないかと、無駄な期待をしてしまう。
その思いが浮かんでは消えることを繰り返し、そのたびに自分を叱責するのだ。
(俺はダメだ…)
頭を上げることができない。
気ままな旅を続けてきたが、もう足を踏み出すことすらままならない。
…
どれほど時間が経ったであろうか。
バン!
乱雑な音とともに、小屋の扉が開いた。
ミユたちにしては妙だ。
こんな乱暴に突入してくるだろうか。
椅子に座ったまま、肩越しに振り返る。
「お前…」
「私の接近すらわからなかったのか」
虚ろなナツキの視界に入ってきたのは、シグマだった。




