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九 デイマスコ

「私、貴方のことは、何も知らなかった。」

「ああ、そうだ。俺もそうだった。」

 若い二人の間の会話はそれだけ。しかし、肌を重ねた今、二人は若者らしい無鉄砲な恋人同士になっていた。

 ユージウスの住処の外、夜の帳が辺りを覆う。灯は洞窟の入口。僅かな焚き火のみ。星明かりの中で、タマラとゼノンは互いを温めあっていた。


 ………………………


 中は暗い洞穴。その奥から声が響く。

「眠りを妨げるのは誰だ。」

「ユージウス、私だ。ユーゴだ。」

「何しにきた。」


 そのうちに洞穴の奥に明るい日が灯る。

「今回は何しにきた?。」住処の中では、ユージウスが寝台から降りていた。

「何度目かしらね。」

「何度来ても、お前ら悪鬼魔に成り下がった奴らを信用できるもんか。お前は、僕たちの敵だった。詩音を追い詰め、民生を裏切り、俺たちを陥れた連中の黒幕……。」

「ずいぶんなご挨拶ね。今回も娘さんを無事に連れ帰ってきてあげたのに。」

「何が無事なもんか。娘に悪い虫をつけやがって。」

「若い彼のこと?。今まで言わなかったけど、彼はパルティア先帝でローマ属領シリアに幽閉されていたヴォノネスの孫。つまり、メヘルダテスの子ゼノンよ。」

「ヴォネスの孫だと?。」

 ユージウスは驚いて言葉が続かない。

「そう、パルティアを追い出され、ローマに裏切られた貴族よ。」

「裏切られた貴族……。」

「あなたに引き合わせたかったの。それに、彼はあなたがローマに追われていても、一緒に逃げてくれる頼もしい男よ。」

 ユージウスにとってローマの裏切りは、正に自分にされたことだった。


「もう貴方は、ローマのスクハにとって必要なくなった人間。でも、私たちはこうして貴方達をもとめてきたのよ。」

「それであんたは僕に何をして貰いたいんだね?。」

「実は、ローマ軍がパルティアとの決戦のため、この辺りやシリア国境沿いに軍団を配置するの。あなたも、彼もローマには遭いたくないでしょ。ここも危ない。しばらくゼノンと共にここを逃げて欲しいのよ。」

 ユーゴの考えていることはユージウスにはわからなかった。しかし、のちになってスクハが悟ったことだが、ユーゴがゼノンをここへ連れてきたのは、ユージウスがローマのスクハから逃げ続けさせる為、それによってスクハがユージウスを追いかけるきっかけを作るためだった。


「ゼノンへの追っ手がもうすぐ来る頃よ。早くこの地を立ち去らないと。」

「厄介ごとを持ち込みやがって……。」

 ユージウス、ゼノン、タマラの三人は旅支度を済ませて洞穴を出て行った。残されたユーゴは住処と見られた全てを破壊して立ち去った。


 ………………………


 スクハは、この日下士官二人を連れて、ヨルダン川東岸を南下していた。パルティアとローマの間でアルメニアを巡る戦いが続いているため、スクハの上官コルブロはしきりにシリア領内のパトロールを強化している。それに加えて幽閉されていたパルティアの貴族の逃亡。総督府をあげての捜査。彼女達は丁度、辺境の町ゲルゲサの荒れ野あたりに差し掛かったところだった。


 荒れ野の道の途中、遠方に日光を反射した鋭い光点が見えた。

「あれは甲冑です。」

 目の良い下士官が、ローマの甲冑と兜を見つけていた。スクハも関心を持った。

「おかしなことね。この辺りに警備所はないし、今までパトロール区域でもなかったし……。」

 近づいてみると、道端に甲冑と兜が捨てられていた。古い形式の甲冑、それも百人隊長の制服だった。

「なぜ、こんなところへ捨てていったのだろうか。」

「ここに、最近の轍があります。相当慌てていたようです。」

「それで、誤って落として行ったのかな。」

「と、言うことは……。」

 そのことは「ユージウスがこの地にいた」ことを示していた。

「なぜ今頃になってユージウスがこの地から逃げ出したか?。」

 スクハが来ることを知っていたのだろうか。それはない。この時期に逃げ続ける者をかくまって、逃げている……。それは、パルティアの貴族か?。」

 その考えはスクハを戦慄させた。このままでは、彼らはローマ軍に捕らえられ殺される。ユージウスは、ラビを磔にしたユダヤ神官、長老達を嫌っている。そして、ローマからも逃げている。パルティアの貴族と同様に……。ユージウスは、ユダヤ神官達がラビ復活の道具であったことをまだ悟っていない。彼らを敵とみなしているばかりか、スクハをも裏切り者と憎んでいるはずだった。


 ………………………


 その頃、シリア方面総督のゴルブロは、パルティアとの決戦を期していた。彼は、ローマ東部方面軍全軍を集結させ、転戦していた。そこには、実績を重ねたスクハ参謀の姿もあった。

「ローマ軍を決して分散配置をしてはなりません。各地から軍団常置の要求があったとしても……。軽騎兵のパルティア軍は必ず各個撃破を狙ってきます。」

「その通りだと余も考えておる。」

 その考えの通り、コルブロは連勝を続けていた。


 パルティアは機動的な軽騎兵の一撃離脱戦術。対するローマは装甲歩兵によるもの。装備は、 六十年前に改善されて以来、変化はなかった。戦いの展開も変わらなかった。しかし、スクハの観察では、パルティアの鏃がローマの盾を破らないにしても、突き刺さるほどの硬度と弾力を持つようになっていた。魔術も感じる。ユージウスによる技術開発のにおいもした。

 ユージウスがパルティアの側にいる?。スクハはそう考えるようになった。


 このとき、急に首都ローマへ召喚されたコルブロは帰って来なかった。スクハが後で悟ったことながら、これはユーゴの決死の呪いだった。コルブロはローマでネロにより反逆の濡れ衣で処刑された。


 コルブロの後任はパエトゥスだった。

「スクハ副官、よく来てくれた。」

「閣下にはご機嫌麗しく……。」

「窮屈な挨拶は要らぬ。今日よびだしたのは、東部方面軍を何故集中配置をしているのか、という問いじゃ。」

「これは前任のコルブロ閣下にも言上申し上げている通り、パルティアの最近の戦力増強に応じた配置です。」

「戦力増強?。しかし、今の集中配置では、個々の町々にローマ軍がいないことになる。権威を示す軍団が街にいないことは実に問題だ。」

「しかし、分散配置をなさると、パルティアに攻められたとき、各個撃破されてしまいます。それほどにパルティア軍は戦力を増強しています。」

「そうまでいうならば、その証を持ってきてみよ。」

 スクハはパルティア国境警備隊が最近ローマ側に対して用いた鏃を持って来させた。

「これは、ローマ軍の盾に食い込んで劈開を生じさせたものです。このままでは、この矢に対してローマ軍の鎧兜が役に立たなくなります。せめて戦力の集中配置を維持していただけませんか。」

「その分析と各個撃破の虞とがどんな関係を持つのかね?。」

「聞いていただけますか。」

「すぐにわからぬ理屈など、意味のない机上の空論に過ぎぬ。もう、下がれ。」

「しかし、閣下!。」

 彼はスクハを魔女と言って、最も離れた残留軍団に配置換えをしてしまった。


 パエトゥス総督は、軍団の配置換えを行った上で、手持ちの遠征軍によってシリア一帯でパルティアと戦い続けていた。地形に聡いパルティアは、ついにパエトゥスのローマ遠征軍を壊滅させ、戦線は一気に小アジアのユーフラテス川沿いにまで押し戻されていた。

 この機を見て、スクハはパエトゥス総督の元を訪ねた。

「パエトゥス閣下。ご機嫌麗しく……。」

 総督はスクハの平たい顔を見た途端に不機嫌になった。

「スクハよ。負けて惨めな俺を見にきたのかね。嫌な奴じゃの。」

「閣下。今はまさに東部方面軍をここに終結させるべきです。」

「何の寝言じゃ。そんなことより、個々の町村にローマの威厳を示せ。」

 総督は聞く耳を持たなかった。

 ユーフラテス戦線は、川を挟んで両軍が対峙していた。優勢なパルティア軍は、ここでも機敏な軽騎兵戦術を繰り出した。弓矢の援護射撃。一気に川を渡って攻め込んでくる軽騎兵の集団。機動力のないローマ軍はパルティアの威力偵察を受けるばかり。常時警戒を解けないローマ軍は次第に疲弊していた。

「パエトゥス閣下。前線の兵士たちの疲弊が蓄積しています。このまま敵が一気に攻め込んでくれば、全滅です。」

「我々は川向こうで散々やられてきたことだ。同じように耐えるしかない。」

「しかし、ここは最終防衛ラインのはずでは?。」

「そうだ。だからどうしたのだ。」

「お分かりにならないのですか。転戦を繰り返すだけの遠征と、ここを死守しなければならない今と、違いがお分かりになりませんか?。」

「何が違うのかね。兵士たちは、転戦した時と同じように攻撃されたら撃退すれば良いのじゃ。」

「我が軍はここを逃げ出してはならないのです。転戦をしてはならないのです。」

「わかつた。もう煩い。参謀たちに言っておけ。彼らに任せる。」


 参謀たちは、スクハの報告と指摘を受け、やはり打って出ることを提案してきた。スクハは軍団に戻り、自らの提案を実現するために、積極的に突撃の先頭に立っていた。


「ローマ軍の皆さん。私達はこれまで一方的に敵パルティアの威力偵察に翻弄されてきました。しかし、今、総督閣下の御下命により、私達少数精鋭の機動軍団により渡河戦を行うことになりました。これからは、私たちの番です。」

 スクハは、よく通る声で兵士たちを褒め、勇気づけた。

「パエトゥス閣下のために。ローマのために。」

 ローマ軍は永く準備を重ねていた渡河橋を一気に繰り出し、軍団歩兵が渡河を敢行した。

「パエトゥス閣下のために。ローマのために。」

 パルティア軍は弓矢と軽騎兵の猛攻をかけた。渡河橋を渡りゆくローマ軍は、盾を隙間なく構えて進む。盾を破られるもの。倒れる兵士。それでも彼らは一気に渡河を完了してしまった。

 こうしてスクハの軍団が川向こうに橋頭堡を築いた。しかし、それはユーゴの罠だった。


 ローマ軍は、橋頭堡から斥候を盛んに敵陣へ送り込んだ。巻返しをするにはまだ敵情視察が必要だった。無役となっていたスクハは敵陣へ紛れ込んでは夜間の威力偵察を繰り返し、ユーゴやユージウスの姿をさがしつつ動き回っていた。


 パルティア陣営では、軽騎兵による強行偵察が忍耐強いローマ軍に何の影響も与えず、かえって橋頭堡を確保させ、夜間のゲリラ行動まで許していることに衝撃を受けていた。

 指揮官のもとへはいくつかの同じような報告が届いていた。

「敵ローマ軍にはよく高い声の通る指揮官がいます。彼の軍団だけは精鋭と言っていいほど統率が取れ、確実に前へ前進します。まるで女神に魅入られた集団のように恐れを知らず、蛮勇の男たちと言うべき恐ろしい奴らです。」

 パルティアの貴族たちは、ローマ軍の新しい戦術の登場に狼狽していた。この機をスクハは逃さなかった。スクハ率いる橋頭堡軍団は、夜の闇に紛れた威力偵察を増強した。その格好は軽鎧と短刀、そして超音波の呼子笛だった。パルティアは混乱を増した。


 ある時、夜間偵察行動中のスクハ達は、パルティアで働く現地ガイドの老人と遭遇。逃げ出した老人はユージウスだった。彼が逃げ込んだ先は、ある瀟洒な野営の中。そこにスクハが見つけたのは宿敵ユーゴ。彼女たちは慌てる風もなく、奥の幕屋でパルティアコーヒーを楽しんでいた。

「よくきたわね。」


 逃げ込んだ筈のユージウスはいなかった。戸惑ったスクハの隙を突いて、ユーゴは彼女を捕らえた。


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