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二 アレクサンドロスへの道

 夜の砂漠は危うい。月の光の下、跋扈する獅子魑魅魍魎。命を奪う夜の冷え。商人たちが円陣を組み火を燃やし続けるのは、身を守るためだった。


 隊商に紛れたヨーゼフ一家も火の周りに座っている。もうすぐイドマヤ領とプトレマイオス領との国境。同じローマ帝国保護領とはいえ、境を越えれば安全だった。


 ………………………


 野営の朝は早い。日の出とともに起床。仲間達は皆、熱心に警戒を兼ねた鍛錬を重ねる。武器のない雄二も、無想のまま淑香の想いに触れたままに鍛錬する。

 淑香の言うことは、比喩的だった。

「周りに妥協して調子を合わせてはならないわ。上の方を仰ぎ見て心を新たに。自分を変えて先んじて天心の熱意を知るの。そうすれば、御使いとの間でも助け合う風が吹くわよ。」

 雄二は淑香の言葉どおりに鍛錬を重ねて、甲冑の扱いに慣れたことは、自信になっていた。


 他の用心棒たちから見れば、雄二の動きは一風変わっている。

「ユージイ。なんだ、その構えは?」

「相手の気に合わせるのさ。」

「武器を持たねえで、敵を倒せるのか?。」

「そうだね。一度に多くの敵は倒せない。」

「多くの敵?。一人も倒せねえだろ。」

「所詮は空剣だからな。」

 雄二の選んだ甲冑は、雄二の家業の経験でさらに薄く延ばされた。表面の筋の凹凸。焼き入れと焼き戻し。しなやかさとしぶとさ。燻銀の鈍い光沢。雄二は自ら鍛えたその甲冑を愛した。


 次の日、冬とはいえ昼の太陽は暑かった。朝のうちに幾らか進んでいたから、あと十キロ程度でもうすぐ国境だった。

 見張りが大声をあげた。砂埃、嗎、蹄の音。味方だった。しんがりの偵察隊が血相を変えて帰ってくる。息の上がったまま彼は大声をあげた。

「イドマヤ兵たちが、……追い上げています。このままでは……追いつかれてしまう。」

「兵力は?」

「約六十。」

「ウーム。ここで何人かで迎え撃ち、隊商を逃がそう。」

 猶予はなかった。雄二は当然迎え撃つ方に志願した。ヨーゼフ一家の安全。隊商と共に居る淑香の願い。虫の知らせ、つまり淑香の考えは分かりきったことだった。


 イドマヤ軍は馬を使っていた。リーダーの立てた策は落馬と挟撃策。コロシントウリの蔓を束ねた紐網を引き、落馬した兵を挟撃する作戦だった。


 しかし、落馬したものの残った敵兵はやり手だった。仲間達はことごとく負傷し、逃げ出していた。残ったのは、しんがりとなった雄二と三十程の敵兵。雄二はついには追い込まれてしまった。


「マヘロネッヘア、マロッへ」

「アッカハル」

「アドンデヴァスァイル?」

 互いに掛け合う暗号の声。雄二は敵兵に囲まれた。彼の構えは空剣の居合い。目は見ているようでみていない。静かな砂漠、不意に乱れる気。音と風とが虫の知らせに共鳴して、雄二に全ての敵兵の動きを知らせてくれていた。


 一瞬の動き。瞬時に六人が倒れた。二回めは敵の癖がわかった。三回め、手練れは残っていない。

 しかし、そこまでだった。左肩を射抜かれ、押し倒された。

「この男、人間か?。ノッペリした顔だ。」

 頭の中に彼らの声が響く。

「どこか遠くの民族だろう。」

「武器も持たねえで、一度に六人も倒している。それを三回も。打穀機みてえにあいつらを倒していったぜ。」

「打穀使いだ。」

「名うての戦士だろう。」

「起こして尋問しろ。」


 雄二は殴られて目覚めた。敵兵が訊問をして来る。

「ヨーゼフ一家はどこへ行った?。」

 また言葉が響いた。多分隊商の行方を聞いているのだろう。周りにはまだ兵士達が転がっている。血を流しているのは、雄二だけだった。

「捕らえられた。」

 そう思った途端、淑香の言葉を浮かべた。

「時を待つ。」

 無想の地平線に熱気。もう直ぐ見当はずれの方向に、蜃気楼が現れる……。

「あの隊商は、あちらの方向へ行った。」

 その言葉と同時に蜃気楼が現れた。

 蜃気楼ということは、彼らもわかっていた。方向を見定めた彼らは、仲間が一人も殺されなかったことを覚えていたのだろう、縛った雄二を殺さずに捨てて行ってしまった。


 熱射。灼熱の砂。雄二の体内はもう直ぐ自律神経のバランスを崩す。ふと頭の中に涼しく気持ち良い感覚が生じた。死の前の感覚。どこからかラクダの足音。それが聞こえて雄二は意識をなくした。


 らくだから降りた淑香は雄二の体を抱き上げた。射抜かれた左肩。失血。発熱。弱い呼吸と拍動。詩音のため、天の意思のために、内省的で控えめな彼を犠牲にしたくなかった。彼のような弱気な者が歴史の大切な歯車だった。

 彼女は何をしようとしているのか。彼女の顔が雄二の顔を覗き込むように近づけられたことが、それらを表していた。


 ………………………



 アレクサンドロス。旧プトレマイオス朝アエギュプトス帝国の首都。帝国はダニエルの呪いに滅び、今はローマ帝国に征服されていた。しかし、この街は旧帝国の栄華をよく残していた。

 雄二は不安の中にあって心を鎮めていた。アレクサンドロス近郊の村に着いて、雄二はお役御免となった。淑香はヨーゼフ一家を助けて街へ行ったきり。彼女はいつ戻るのか、この先またどこへ行くのか、雄二の元の時代へ戻れるか、そして何よりも、どのようにして生きて行くか。高校で学んだ術は役に立たない。しかし、この時の雄二は漸くに無想の祈りを覚えていた。時を待つ忍耐。なすべきを悟る練達。そして、希望というより生来の呑気さ。雄二の隠れた性質が引き出されていた。


 いまのアレクサンドロスの街はいわば研究学園都市だった。中央図書館を中心に、放射状に街が広がる。図書館は戦乱により損壊していたが、維持された大学は、思想、哲学、博物学、錬金学迄幅広く人材を集めていた。一人で生きるには、知識と技。彼は大学で自らの知識を増やし、ローマ帝国への任官を目指そうと考えた。


「この大学へ入学したいのですが。」

「二ヶ月後に試験がある。それを受けろ。なあに、どうせ合格するやつはいないんだから。」


 ニーサーンの月、アレクサンドロス大学の入学試験が実施された。その大学にはいくつもの建物、つまり、哲学部、博物学部、そして隅のほうに錬金学部があった。

 

 雄二は哲学部を受けるつもりだった。しかし、不案内の彼が入り込んだ建物は 、錬金学部の教室だった。重く分厚い扉。アスファルトを燃やした匂い。異様に清潔で白い雰囲気のところだから、違和感に気づいても良かったのだが。


 学部で出された入学試験問題は一題だった。

「夏至の時、アレクサンドロスの真南に在るシエネでは影が出来ない。アレクサンドロスとシエネとの間の距離を自らなるべく精確に測り、大地の周と直径を計算せよ。なお、アレクサンドロスでの太陽の角度は天頂から七.二度だったとすること。

 さらにどの程度精確な測定ができたのかを論ぜよ。答案の提出は一ヶ月後とする。」


「大地の直径?。なんのことだ?。」

「どうやって測るんだ?。」

「こんな問題、できっこないよ。だからいつも合格者がゼロなのさ。」


 皆ブツブツ文句を言っている。しかし、雄二は黙って問題を見つめていた。最短期間で答えを出したかった。他の学生たちは、地元の若者たちだろう。しかし、雄二には鎧を売って得た資金も底をつきかけていた。彼はその足でシエネへ出かけた。


 ………………………


 ナイル。

 雨のほとんど降らない絶乾の地。その大地を南北に走る大河。その流域に散在する穀倉の村々。プトレマイオス朝残党は、そのナイル上流のエレファンテイン島クムヌ神の下でゲリラ活動を続けている。ローマ軍はしきりに軍を派遣するのだが、夜襲や騎馬による奇襲をかけてくる相手に翻弄されていた。雄二がシエネまでの距離を測るには、そのゲリラ出没地域を避ける必要があった。


「昼間でも襲われる心配がある。」

 雄二はナイルの川筋から三十度の角度で離れつつ歩き始めた。それでもエレファンテインが近くなった時、テレピンの孤立林の近くで残党達の襲撃を受け、捕まってしまった。


 明かりとりが軽うじて天井近くにある。地下のじっとりと重い牢獄。日干し煉瓦の壁に固定された拘束具。罪人か捕虜に拷問を与え、自白させる一室だった。怯えていた雄二は、気が狂ったように暴れ出した。当て身と投げ、両手が車輪の様に動く。屈強な兵士達数人投げ飛ばされた。

「こいつ、あの打穀使いじゃねえか。」

「陣形!。押し出せ。」

 雄二はしたたかに殴られて抑え込まれ、磔つけられていた。

「お前、エレファンテインを窺いに来たな。ローマのスパイだ。」

「この前国境付近で、イドマヤ軍を翻弄した打穀使いだろ?。」

「そんなたいそうな戦士ではないです。臆病な虫です。シエネ目指して調査に来た単なる学生です。」

「学生だと?。格好は羊飼いじゃねーか。知恵のない不浄の賎民だ。金で動く奴らだ。」

「僕は学生です。」

「ほう、それなら何人で?。」

「ひとりで来たんです。」

「一人でか?。問題を解くのに、一人で相談もしないで出来るのか?。そんなに頭がいいのか?。」

「本当です。一人です。」

「いつまでそんなことを言っていられるかな。」

 その言葉と口調は雄二の臆病な心を呼び覚した。まるで高校で経験した虐め、いやもっと酷い弄びだった。成長しても、大人になっても、いじめにあい続けるのだろうか。

「、おめえ、よそ者のくせに、この聖なる地を歩きまわれる資格があるのかよ。」

 他の刑吏も叫んでいる。まさに恐怖しかなかった。雄二は心をどこかに隠したかった。

「そういう奴は罰を。」

 彼らは雄二を交互に殴り、唾を吐かれ、下着を剥がされた。

「今お前を殴ったのは誰かなぁ?。」

「俺だというのかよ。」

「外れたから罰だ。」

「いま唾を吐きかけたのは誰かな?」

「俺は違うぞ。」

「間違えた奴は罰だ。」

「この服はお前のか。もういらないだろ。俺が貰っておく。」

「いや俺のだろう。」

「クジ引きにしようぜ。」

「こいつ何も言わねえ。」

「勇者だな。」

「名札をつけてやろう。『勇者』だ。」

「『勇者』ならシンボルが必要だな。そう、傷痕をつけてやる。」。

 雄二はそのままの姿勢で鞭打たれ、顔、腕、脇腹、足などは皮膚が裂け血だらけとなった。激痛に気を失う、激痛に気を取り戻す。叫ぶ声もなく、動く力もない。血だらけの金具が身体を吊るし、混濁した意識が苦しみを和らげた。

 彼らは雄二が消耗したのを見て、彼らはそれ以上は撃たなかった。


 どれほどだったのだろうか。雄二は床の血糊と痛みの中に目覚めた。腕は、肩から先の感覚がなかった。足を踏ん張り直したものの、ろくに立つこともできなかった。そのうちに、頭領とおぼしき白髪の男が入ってきた。


「アレクサンドロスの学生だと?。」

 雄二は応える気力、見上げる気力もなかった。

「こんなところへ何しに来た?。」

 雄二は混濁した意識をはっきりさせられなかった。いきり立った部下が雄二を蹴り上げた。

「首領様の前だぞ。答えろよ。」

「もうその辺で、弄ぶのはよせ。死んでしまうぞ。」

 首領は部下に聞くことにした。

「シエネ目指して一人だけで調査に来だ、と言っていたのだな。」

「はい、確かに。」

「しかし、もう一人の女がやはりシエネを調べに来ていたな。スパイがもう一人いたのか?。」

「確かにもう一人いますが、ろくな尋問ができていません。」

「スパイが連携しているならば二人以上いるだろう。単独行のスパイが二人いるとは考えられないな。あの裕子とかいう東方の外国人に二人を一緒に尋問させてみろ。」


 淑香は、気圧されて壁の金具に拘束されていた。ガラガラと金属の響く拷問室。鉄の壁と鉄の天井。背中の腰のあたりに壁からくの字に突き出た凸部が当たり、淑香は腰の部分を前に突き出させるような姿勢を取らされていた。鞭打つための工夫なのだろうか。

 彼女は二、三日ろくな食事もできていない。食事をしないと頭と体は機能しなかった。それでも、敵兵達が近くで淑香に危害を加えることはできなかった。


 気圧されている。淑香がこう感じた時、佐橋裕子が入って来た。

「裕子さん、貴女だったのね。」

 淑香はそれで納得がいった。この圧は裕子のものだった。

「このオーラが臭かったから、貴女だとすぐにわかったわ。」

「動けないくせに、口はよく動くわ。そのうちに口もきけなくなるわよ。」

 淑香の目の前に雄二が引き出されて来た。顔や体、腕や足の皮膚は裂け、血が固まったばかりの有様だった。

 雄二の頭の中に、虫の音が響いた。淑香の想念が波のように押し寄せて来た。

「動けるの?。」

「もう動けない。もうたくさんだ。殺してくれ。」

 雄二の思考は混濁していた。虐め抜かれ、また臆病と恐怖に打ちひしがれて、正気を失っている。

 雄二が自ら飛びこんできたことが招いた事態とはいえ、雄二の惨状は淑香の想像以上だった。


「何も話さないで。気を休めていて。私がなんとかするから。」

「もう、嫌だ。僕は嫌だ。もう虐められるのは嫌だ。殺してくれ。」

 雄二の独り言のような呻きはまだ続いている。淑香も動揺し、何をすべきかを考えられなかった。突然淑香は悲鳴をあげた。裕子の指示で、悪鬼どもが淑香に取り付き、兵士達が淑香の身体に打撃をあたえはじめた。いつもの淑香とは異なる。裕子の影響なのか?。しかし、目の前には裕子の姿は消えていた。雄二は動けない首を曲げて淑香を見た。雄二は悪鬼達の仕打ちを許してはならなかった。

 雄二が淑香を動揺させてはならなかった。虫けらの雄二ごときのために淑香を苦しめてはならなかった。


 雄二は心を鎮めて祈る言葉を待った。自ずから唱え始めた祈りは、密室の中に一陣の風を起こした。

「オドゥさま。あなたの耳を傾けて、私に答えてください。みすぼらしい虫けらに過ぎない私ですが、悩み疲れています。

 私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください。」

 その言葉が終わらないうちに、淑香に共鳴した雄二の声が上がった。

「エロイエロイレマサバクタニ。」

 すると、その言葉のもとに『犠牲をもたらす時ではない』と呟く声が上がった。誰がその言葉を言ったとかは分からなかった。しかし、その言葉の後に雄二は血に染まった腕を振り回して悪鬼を吹き飛ばし、兵士たちを投げ飛ばしていた。


 ひと騒動の後、残っていたのは倒れて動かない雄二と拘束されたまま力尽きていた淑香だけだった。


 ………………………


 暗く長い廊下。いくつもの部屋。雄二が再び放り込まれたのは、中ごろの部屋だつた。窓のない明かりのない部屋。異様な湿気と細菌で汚染された空気。牢の壁と天井は、日干し煉瓦造で作られていた。繰り返し荷重をかければドアは外れる。多分、脱出は可能だった。

 やがて夜の帷。月の夜。聞こえるかどうかの細かい振動かつづく。やっと戸が外れた。一部が外れたとの隙間の外は、静かな廊下。その奥から鎖につながれている人間の気配が聞こえた。唸る女の声。聞いたことのある声。虫の知らせ。微かに淑香の匂い。そして、別の気配もあった。再びクムヌの悪鬼達と裕子がいた。


 雄二は気配を消して廊下を奥へ進んだ。手には何もない。戸の隙間から淑香の姿が見えた。その時に虫の知らせがあった。構わず逃げなさい、と頭に響く。


「どうして淑香が逃げていなかつたのか?。僕をおいて逃げていけば良かったのに。」

 雄二の頭の中はいい気なものだった。

『早く!。逃げて。』

 しかし、雄二は気づかない。淑香の口惜しそうな顔。複雑な顔となり、しまいには怒りを含んでいた。雄二はそれにかまわずに思念の会話を続けた。


「なんでまだこんなところに?。なぜ僕を放って逃げなかったの?。」

「貴方こそ!。」

「ヨーゼフ一家と別れた後、どうしていたの?。もしかして、僕を追って?。」

「貴方を救おうとしたのは確かだけど……。

「僕がこの地方へ出かけたのを聞いたんだね。」

「何言っているの?。」

「僕を追いかけてきたんでしょう?。」

「貴方を追ってここへ来たわけではないわ。彼らは、ダニエルの呪いで滅びたギリシア帝国の残党よ。私は大学のアエギュプトス古代の歴史の注目すべき時代概略をかけ、という哲学部入学試験の回答を得るために、彼らのところにきたのよ。私にも知識が必要なのよ。」

「入学試験?。僕もだよ。やっぱり、僕のことを……。」

「さっき私が言ったことを、どう聞いていたの?。貴方はバカ?。」

「そうだよ。僕は君を追いかけていたんだから。」

「だからって私が貴方を追いかけることにはならないわ。」

「そうなの?。なぁんだ。

「で、貴方も入試問題のために調査しにきていたの?。」

「僕が?。僕は錬金学部の試験問題を解きにきたのさ。」

「錬金学部!。あの気持ち悪い悪魔の学問。」

「ひどい言い方だなあ。悪魔はあそこにはいない。居るの、創造の業を賛美するために、全てを調べつくし極めている学者たちだ。」

「変なの。」

「御使いの君がそういうのか?。御使いは物を知らないね。」

「バカにするの。」

「だってバカじゃないか。君だって、僕をバカだって言ったじゃないか。」

「貴方はバカだからよ。」

「君こそノータリンだよ。」

 淑香の顔はだんだん怒りに白く光り始めた。それを見た雄二は

「おおこわ。」と言って、城砦の中へ足を向けた。

 武器庫もあったが、雄の気に入った物はなかった。武器庫から、裏のゴミ置場へ。無造作に捨てられた刃のない鎌があった。誰もゴミ置場へ彼が来るとは思っていないらしかった

 また催促の虫の知らせ。繁雑な虫の知らせは、雄二を少しイラつかせた。これが淑香の働きかけであることがよくわかった


「せっかく来たなら、早く助けてよ。貴方は先日まで私に用心棒として雇われていたはずよ。」

「お役御免にしたのは誰だよ。」

「だってそれはもう仕事がなくなったからでしょ。雇ってあげていたのだから、感謝しなさいよ。」

「今は、雇われてないだろ。やっと近くに居られると思ったのに。裏切りだよ」

「また離れてしまったから怒っているの?。すねているの?。」


 淑香の怒りは収まったように見えた。しかし、今度は雄二の顔色が悪鬼への怒りに変わった。悪鬼が動きを激しく、妖気を撒き散らしている。

「オドゥ様のため」

 雄二は言葉を繰り返しながら、クムヌの悪鬼たちの中ヘ飛び混んでいく。裕子はすでに居なかった。悪鬼たちも逃げ去った。


 もう一安心だった。悪鬼たちが身にけていた羊の毛皮を取リ、鎌を包んで行く。そういえば、淑香は?。

 先程から、淑香の声が聞こえていた。雄二は、なぜか、ようやくその大声にようやく気付いた。悪鬼達が撒き散らした妖気のために、雄二は上気した気持ちを平常に戻せていなかった。


 淑香はまだ縛られたまだった。

「自分で外してここへこられないの?。」

「呪縛よ。」

「ふーん。いい眺めだ。」

「どういう意味?。」

「今は人間の体を止めることができないんでしょ。」

「そうよ。」

「そうか。少しばかり、お返しをしよう。さっきからバカばわりされていたから。」

「何をするの?。」

 この後になされたことは、表現しにくい。雄二が淑香にしたことは、雄二らしからぬことだった。また淑香の溺れた快楽は、人間の体に縛られていたゆえだった。

 考えてみれば、そんな悪戯をする発想を、雄二が持ったことはなかった。気がつかぬうちに悪い思いが滑り込まされていた。本人たちが気づかぬうちに何者かが雄二の罪の残滓たる煩悩を増幅させていた。

 クムヌの悪鬼達か。彼等には無理な技だった。裕子?。もしくは他の悪鬼魔。その名は雄二と淑香を戦慄させた。

 裕子か、その背後にいるサタン。彼らは明らかに雄二と淑香の活動を妨げるために動いている。二人は黙想ののち光を待った。その光が差し込みはじめたころ、二人はようやく牢獄の壁をこじ開け、暁の中へ消えていった。


 ………………………


 淑香の与えられた課題の答えは見つかった。しかし、雄二の課題はまだ終わっていなかった。今のところ、エレファンテインを迂回するには、またテレピン孤立林へ戻る必要があった。淑香は力づくでも市街を通過しようと提案した。しかし、雄二はまっぴらだった。


「このままエレファンテインを通過するわけにはいかないな。」

「強行突破をするしかないわよ。彼等はダニエルの呪いにより滅んでいるはずの存在だから。」

「力に頼るだけが道じゃない。」

「ある地点へ戻りたい。知恵を働かせてここまで来たんだ。」

「貴方が?。知恵があるの?。」

 雄二はムッとした。

「ピタゴラスの理屈を利用しようと思う。」

「たしかにギリシア帝国全盛の頃、そんな学者がいたわ。」

「良く知っているね。」

「歴史をきっちり整理させて積み重ねるのが、私の仕事だからね。とかく人間はわがままだから、オドゥは聞いて下さるけど、そこに派生する事象を私たちが整頓するのよ。」

「そんなに有能なら、ピタゴラスの定理もご存知なわけだね。」

 雄二は、口を閉じた。不機嫌なのか、何かを思い出したのか、何かを反省したのか。淑香は雄二の突然の気持ちの乱れに面食らった。雄二は構わず、というよりも全てを無視したいと思ってか、いきなりナイル川から九十度の方向を選んで歩き始めてしまった。

「どうしたのよ。」

 淑香は面食らって慌てて彼の後を追っていった。


 この後、彼らは答えを見出してアレクサンドロスへ戻った。

「アレクサンドロスとシエネとの間は五千スタジアだ。つまり答えは………。」




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