バビロンの廃墟 そして時の階段を経て 残りの民達の村へ
戦いの後には、おびただしい骸が広がっていた...
両軍の去った戦場...闇にうごめく悪鬼魔たち...戦場は戦いの時も終わった時も、悪鬼魔たちの働く場所だった...あちらこちらから立ち上る犠牲者たちの霊...悪鬼魔は薄汚れた霊達を次々に捕まえては集めていく...偶に光り輝くものには、手出しができず、上空に待つ御使たちがどこかへともなって上がっていく...
………………………
パルティア軍は撤退すると見せかけ、ユーフラテスの上流へ足早に移動した...目指すは、アルメニアに通じるローマ軍の補給路...ローマ軍もパルティア軍を追っていった...
こうして両軍は去った...その戦場から北へ少しばかり、積み上がったパルティア戦車群の残骸...ことごとく上を向いた槍...潰走状態だったパルティア軍は、谷あいの入り口にバリケードを築いていた...既にローマ軍の姿はもない...
戦場の生臭い風...崩れ去つて吹かれている天幕...その中から顔を出したのは、ケイオスだった...
「ユーゴ...周りには悪鬼魔のみ...今がチャンスです...」
ユーゴと悪鬼魔の軍団は、パルティア軍とは逆に、南へ去っていった...その姿を小さな丘の上から見つめている女戦士がいた...スクハだった...
………………………
砂嵐の中、迷い歩く者達がいた...疲れ切った軍団...足を引きずる魑魅魍魎...死さえも無縁の砂漠...空しい糧...砂嵐のひと吹ごとに悪鬼達は蒸発して行く...
「バウ」
「ぎゃー」
ユーゴ達のすぐ背後で響いた唸り声と悲鳴に、ユーゴは振り向いて全てを察した...
打ちのめされたユージウス...恐怖に座り込むタマラ...庇うゼノンの腕を咥えこむ悪鬼...
「下がれ...」
ユーゴの一喝...渋々下がる悪鬼達...彼らにとってタマラとゼノンは若く得難い獲物だった...ユージウスはタマラとゼノンを彼の前に歩かせた...
再び襲う唸り声...今回は太く大きかった...ユーゴは躊躇なく剣で両断し、叫んだ...
「下がれ、下郎...」
その声とともに悪鬼は下がった...
皆限界だった...ユーゴ達は復讐の念だけで前に進み、ユージウスやゼノンはタマラを庇い守るためだけに力を注いでいた...
ユーゴ達にとってスクハの結界力場と砂嵐とが誤算だった...いつの間にか傍にあった川は消え、方角も星も見失っていた...ただ、力場がある限りはスクハが後方にいることは間違いがなかった...
………………………
ユーフラテスのほとりの都市廃墟バビロン...そこにはすでに打ち捨てられた宮殿を囲むように、空中庭園と塔の廃墟があった...
夏の終わりとはいえ、鋭い陽光は、容赦がない...その暑さの中に、廃墟の側にはまだユーフラテスからの水は流れこんでおり、奥にはまだ使われている部屋がいくつかあった...中から聞こえてくる声はユージウス、タマラ、ゼノンだった...
「ユーゴはいつまでここに隠れていろと言っていたのかね...」
「スクハが来るまで、と...」
「スクハ!?...僕達は彼女から逃げ続けていなければならなかったのでは?...」
「私が答えましょう...」
ユーゴの声...ユーゴたちが三週間ぶりにやってきた...
「ここは涼しいのね...」
冷えた彼らの関係が部屋の空気を冷たくした...
「いつまでここにとどまるつもりだ?...」
「あなた方を追っているスクハを滅するまで...ここはユグドラシル、つまりみつかいや悪鬼魔の通る螺旋階段のある辻...彼女が吹き飛ばされるか、私たちが地の底に追いやられるかの、地...」
ユーゴたちが部屋へ入って来ていた...
「ここは昔バビロンの超高層タワーが立っていたところです...かつて人間が協働で企て、私達も後ろ盾をし、あの創造者に頼らず独自に建てようとしたプロジェクトでした...あなた方がローマに対抗する戦いを、故事に倣ってわたしたちが助けるのです...」
「それなら、いつその時が来るのかね?...」
「今はわかりません...」
閉じ込められてはいないとはいえ、外の見えない部屋...未来の見えない場所...彼らは待つしかなかった...ユージウスはユーゴの戯言に付き合いながらも、スクハを未だに愛していることを自覚していた...それゆえ、スクハはみつかいに戻れない...このままスクハは彼を追い、ここまでくるはずだった...
………………………
川の対岸で、スクハが岩場の影から用心深く廃墟を観察していた...空中庭園の脇にはユーフラテス...やや離れたところには放棄されたタワーの残骸が見える...バビロニアンタワーの企ての時と同じように、傲慢な者たちの互いの意思疎通をなくすことができるだろうか...それとも、別の撹乱が必要だろうか...
スクハは、ユーフラテスの流れに漂いながら近づく...闇が隠す裸身...背中の荷物...その袋の中から何やら計測器を取り出して、いくつかの部分について計測、測定を始めていた...
かつて庭園への水汲み上げに使っていたであろう水車が、軸から離れて放置されていた...水路は手直しをすればまだ機能しそうだった...汲み上げ口から建物沿いには距離があまりない...忍び入ると、そこには廃墟の大伽藍を支える石柱がいくつか見えた...ロープによって上り切ると、声が響く...ユーゴたちだった...
「スクハは来るでしょうか...」
ケイオスが問いかけている...
「必ず来る...ここにはユージウスがいる...それにここは時の回廊が聳え立つところ...ここでは、かつて塔を建てようとする人間たちを我らが助けたが、みつかい達に敗れてしまった...もう一度、ここで勝利を収めておかねば……...」
ミキウスは、ユーゴに質問を続けている...
「彼女は単純にここにはこないでしょう...かならず何かを仕掛けてきます...」
「それはどんなことだろうか...」
「水浸し?...」
「確かにね...」
スクハはユーゴの頭上で気配を殺して聞き入っている...
バビロンは、ユーフラテス川沿岸の平坦な台地の上にあり、ユーフラテスから水を得ているところに特徴がある...ユージウスとタマラの救出が目的だが、場合によっては石柱や伽藍を破壊する策を選ぶことになる...
水を汲み上げる水車の仕掛けは勢いが良かった...発電による電気分解が強酸性の溶液を作り始めている...廃墟の上には凝集された強酸性の水溶液が流れ始めている...また、水車には巻きつけた索条が、あと二時間で巻き取られ始める...その索条を入口と反対側からいくつかの石柱と壁に穿ち、あるタイミングで崩れるように仕向けた...
水がユージウスたちの頭上から滴り始めた...刺激臭とともに、石灰岩の天井と柱が急速な侵食によって瓦解はじめてていた...侵食と崩壊を予想して、ユーゴたちや悪鬼が慌てて伽藍の上に飛び上がっていった...
「やれやれ、また残されてしまった...どうなることやら...」
光が失われた部屋の中で、独り言ちるユージウス...その周りには、タマラとゼノンが寝息を立てている...ユージウスも天井を見ながら寝入ってしまった...
若い二人の手を取るものがいた...スクハだった...声も出さずに眠り続けるタマラとゼノン...スクハは暗闇にタマラ達を軽々と浮かべて、川のほとりの葦の小屋に運び込んた...ここはスクハの結界に囲われていた...
再びスクハがユージウスの元に戻ると、彼は待っていたかのように、スクハに声をかけた...
「暗いからわからないけど、スクハだよね...出ていったのに、またなぜ戻ってきたの?...」
「目的が貴方を救い出すためだから……...もうすぐここは崩れ始める...急いで!...」
スクハは、漆黒の廃墟周辺の中、ユージウスを導くように手を取った...
抜け出した直後に、廃墟の倒壊が始まった...次々と崩れ去る伽藍の支柱...脱出するスクハたち...飛び上がって行く悪鬼魔...
星明かりを背に、ユーゴ、ミキウス達がスクハたちの行手に待っていた...
「やはり逃げ出したわね...」
「そうさ...やはり、僕は貴女方に味方はできない...僕たち人間の協働作業を助ける?...もともと自分たちに都合の良いように、人間も世界も変えて行くつもりなんだろ...」
「ちがう...私たち独立独歩と自分優先を教えて新しい秩序を作り上げるのよ...」
「それを独善というのさ...そこには他への想い、優しさはない...あるのは恐怖...」
「優しさ?...それは甘えよ...そんな弱点、抹殺されるべきものよ...人類を発展させてあげたいから、こうしているのに...」
「やはり、この点で僕とそちら側とでは折り合いの余地がないんだね...」
「そうね...もう、スクハも目の前に来ているし……...ならば貴方には価値がないわ...」
突然、ユーゴの左手が動き、禍々しい紅の霧が広がり始めた...スクハはユージウスを引っ張る...その背後から東風が吹き始めた...東風は砂嵐を呼ぶ...その前にスクハは小屋に辿り着きたかった...
アイスブルーの刃がスクハの背中から取り出され、一振りが強い息吹となってユーゴ達を襲う...のけぞったユーゴ達の隙をついて、小屋の中へユージウスを放り込んでいた...ユーゴ達は鎌槍を取り出し、スクハを囲んだ...
小屋の外では打撃音と詠唱と怒号が響いている...放り込まれたユージウスは、外から入る閃光に浮かび上がるゼノンとタマラを見出した...彼らはまだ深く眠っている...
外の戦いはまだ続いていた...
突然、小屋の屋根と周りの結界力場が掻き消えた...降り注ぐ氷の矢...大きくひびくスクハの声...
「気をつけて...結界を吹き飛ばされてしまったわ...」
スクハに隙ができたのか、ケイオスとミキウスの放った十字砲火が、スクハを砂の上に叩き倒していた...
「やっと、決着がつきそうだわ...」
大きく息をついたユーゴが鎌槍を砂に突き立ててやっと立っていた...その姿をみながらスクハはユージウスの頭に擬似声音を響かせた...
「わたしは最後の力でこの辺りに大きな息吹を起こすわ...あなた方は、その風に吹き飛ばされて行けば、助かるから……...逃げて!...」
ユーゴはスクハを何らかの方法で活動できないようにしようとしている...そう思ったユージウスは、身構えた...左腕を構えたユーゴ...目をつぶったスクハ...振り下ろされる鎌槍...その時、ユージウスは渾身の力でスクハへ身を翻した...その目の前でスクハの身につけていた剣と全てが毟り取られ……...そこにユージウスの身体がスクハを庇う...強い息吹が起きて、タマラとゼノンを遠くへ飛ばしていく...それを追うミキウス...鎌槍はユージウスの体を貫いて、スクハに届く事はなかった...
「ユージ!...」
スクハの絶叫と、邪魔をされたユーゴの怒りの声が重なった...それと同時に、鋭い剣がスクハの口からユーゴを貫いた...しかし、それは阻止されていた...
そこへミキウスがタマラをとらえてそこへ降りてきた...仇とばかりに、ケイオスがゼノンを襲う...庇う身代わりのタマラ...
スクハはたまらず叫ぶ...
「タマラ!...」
突然、ピリピリと空中がイオンを帯びた...上からの雷と倒れ、地に引きずり込まれるユーゴたち...たちまちのうちに、ユーゴ達は、地中深くとらえられていった...
スクハが目を上げると、時の梯子が動き始めていた...倒れた二人を抱えて走り出すスクハとゼノン...
時の梯子が彼らを未来へ運び去っていった...
………………………
ヘルモン山からの風は、湖畔のこの村に到達した者にとって、心地よいものだった。ここは、あのラビが成したゴルゴダの犠牲と栄光に拠って人類にもたらされた真理を知り、未来に復活の希望を抱く「残りの者達」の村だった。
詩音の借りている二階建ての診療所から見下ろす湖畔道沿いの木々も、オアシス沿いの畑も、すっかり冬支度だった...
詩音は、ここにもう三十年も住み続けて、いまではすっかり質素な暮らしになじんでいた。窓から見下ろす風景も、周りに聞こえる村人たちの歓声も、詩音の心にはなくてはならない心象になっている...そう思いながら、詩音は二十年も前に村から旅立った二人の娘達を思い出していた...今日もカナダの病院で頼りにされて活躍の日々を楽しんでいる日々だろう...そう独りごちながら、ぼんやりとヘルモンの雪景色を眺めていた...
詩音が外を眺めている窓から気付いたのだが、前庭の物陰から、詩音のいる部屋を見上げている若い女がいた...見覚えのある、よく見覚えのある若い顔...そんなはずはなかった...未だ子供達が小さかった頃の数十年前に離れていったはずの淑香が、若いままにそこにいた...若い視線が老いた女の視線と絡み合った...何かを訴えるような目……...
その途端、淑香は物陰に隠れてしまった...尋常でない様子を見て、詩音は階段を駆け下りていた...
診療所の入り口には、淑香の他に、深傷を負った老人と若い娘、そして彼らを介抱する若い男がいた...
「ひどい怪我!...ここも診療所だけど、おそらく私の手に負えない...救急車を……...」
「詩音、待って!...今は呼んで欲しくないの...」
「でも、……...」
「誰も頼れないの...だからあなたのいる此処へ、彼らを連れてきたのよ...」
服装は簡素な民族衣装...若い男女は明らかに南欧人の顔つきだった...しかし、老いた男は日本人だった...
「何の事情があるかは知らないけど...」
「今は何も聞かないで、助けてほしい...」
詩音は少し躊躇ったが、取り敢えず怪我をした二人を二階の診察室へ運ぶことにした...しかし、二階にどうやって……...
詩音がそう考えているうちに、若い男と淑香は、さっさと大けがをしている日本人の老人と、若い女を運んで行ってしまった...
慌てて部屋へ戻る詩音...つい最近まで総合病院の救急医だったその手には、昔から使い込んだ医療道具があった...手際良くそして、大胆に消毒、麻酔、観察と縫合...
汗を拭いながら、詩音は淑香に話しかけた...
「二人とも傷は深かったけど、血止めは貴女の不思議な技ね...殺菌もされているなんて……...でも、危なかったわ...あまり栄養状態も良くないし……...内臓の損傷はあまりなかったのが幸い...後は入院して加療するべきね...」
「詩音さん、ここに置いてもらえないかしら?...」
「でも、此処には輸液も酸素も、消毒設備も状態観察の設備もないわ...」
「それは私が代わりをなんとかするから……...」
「うーん...」
ふと気づくと、この日本人の老人は、見覚えのあるような不思議な男だった...
「そうよ、あなたを助けた彼よ...」
淑香はそう言うと、愛おしそうに彼の髪の毛を手櫛で直した...
「雄二さんなの?...淑姫さんは彼が貴女を追って行ったと言っていたわ...貴女は戻ってきたこともあった...でも、彼は今まで戻ってきた事はなかった...」
「それは、彼が人間のままだったからで、私が人間ではなかったから……...」
「貴女が年齢を重ねていないのは、そのせいね...」
雄二の横に寝かせているのは若い女だった...しきりに連れ合いの若者が名を呼んでいる...
「タマラ!...」
「その娘、タマラっていうの?...」
彼の名はゼノン...多言語端末を使っても言葉は通じない...話している言葉は詩音にとって聞き覚えのあるようなないような……...娘のサラがバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学で学んでいた、古代ギリシャ語の響きに似ている……...淑香が詩音の言葉を若者に伝えた...彼は未だタマラと処置に使った道具を見つめている...
「こんな医術見たことがない……...」
ゼノンはそう感嘆した...現代医学に驚いたのか、詩音の手際の良さに感心したのか、それとも、見たことのない道具に感心したのか...手を洗い終えて戻ってきた詩音は、年甲斐もなく少しはにかみながらゼノンを見つめた...憂をたたえた目、柔らかな物腰、ヘルモンの山々のように目の前の人間を包み込む……...詩音はその横顔に、今は亡き恋人民生の横顔を見た...
詩音と淑香、ゼノンが三交代て看護を続けていた...患者は淑香が持ち込んだゼリーのような流動食を与えられていた...それはコエンドロの香りが強く、詩音にはとても食べられないものだった...しかし、体温と脈動から見ても、患者二人は元気を取り戻しつつあった...
四日後、雄二はようやく目を覚ました...
「此処はどこだ?...」
横にはタマラ...目の前には見知らぬ老婆がいた...
「貴女はどなた?...此処はどこだ?...いや、迷惑をお掛けした...」
「日本語で答えなよ...」
横から淑香の声が聞こえた...という事は、少なくとも安心して良い場所なのだと思われた...
「雄二さん...目が覚めた?...痛みは?...」
「痛みはないです...此処はどこだ?...」
「ここは、私の診療所です...」
何を答えれば妥当なのか分からなかった...彼らは、今まで日本語ではない文化圏で生活していたことが伺えたことを思い出した...地域名を答えようかとも思った...淑香もいて安心できる場所名を口にした...
「貴女はどなたかな?...」
「私は詩音です...お久しぶりですね...」
雄二は遠い記憶を掘り出していた...
「貴女は詩音なのか?...それなら民生は?...他のご家族は?...」
「民生はだいぶ前にこの世を去っています...私の家族で残っているのは、娘たちとその父だけ...皆、カナダにいます...雄二さんは……?...」
詩音は何を聞いていいやら、想像もつかなかった...
「僕は……...」
言いよどむような雄二の言葉を遮るように、淑香が説明をし始めた。
「雄二は、今までずっと遠いところを旅してきたわ...いにしえのローマ帝国、ペルシャ……...それは私の為だった……...私は人間に仕える為の存在...そんな私に、彼は自分を犠牲にしてしまった...天帝の計らいなのでしょうか...彼は愛を教えられ、その愛を私に、孤児だった娘に、そしてラビに注ぎ尽して倒れてしまった...彼には休養が必要です...しばらくこのまま……...」
「待ってくれ...」
淑香の言葉を遮るように、雄二が声を出した...
「僕は、愚か故にろくな生き方をしてこなかった...ただただ淑香には生きて欲しい、タマラには幸せになって欲しい...でも、ここにいる皆をこんな状況に追い込んでしまった...しかも、ラビを守ることができなかった...いや、ラビを死にいたらしめたのは、この私だ...」
「ラビ?...それは誰なの?...あなた方は何処から帰ってきたの?...」
詩音は話が飲み込めていなかった...雄二は疲れてしまい、話を続ける事は出来なかった...淑香は、話す言葉を未だ探していた...
「彼はわたしと共に時間旅行をしてきたの...帝政のローマに...ラビ、つまり預言者であり、天帝のマスィーである方の教えを知る旅を...未だ雄二は悟っていない...でも、ラビは生きておられるわ...」
「ラビが生きておられる?...それは確かか?...本当か?...」
雄二が大声を出した...その声に横のタマラが目を覚ました...ゼノンは歓喜の声を上げた...それらを目にした淑香は、詩音と雄二に言い聞かせるように語った...
「ラビは生きておられる...タマラを生かし、雄二、貴方には希望を与え、詩音、貴女には恵みを見続けさせる...ラビは今も私たちを見続け、いつまでも見守り続けてくださるのです...」
雄二は語った...
「目の前にあるのは私の咎...拭えず、消せない背きの罪...深淵に黙し、萎び果てた私...先祖の代より背きを問うあなたの声は日照りのように重い...
我が声はあなたに遠く、祈りは届かないのか...貴方に明らかな咎と罪が全てを塞ぐ...そう思っていた...
それでも告白した、罪を咎を...あなたの憐れみと許しと犠牲のみが、絶えずわたしを清め、復活させると知ったから...」
次第に歓喜の波が皆を覆い始めていた...
この時、詩音は今までの自らの人生そして目の前の彼らの人生に思いをはせながら、この時になって、やっと真理のようなものを見出した気がした。
「これと同じように、いつか、選ばれた人間たちには、復活が与えられるのね……今まで、人間たちは正義を求め続けてきたし、従順さに徹しようともしてきた……私も、今まで反論も反抗も主張もせずに、ただ耐えてきた……でも、救いを見出せるような真理は、何処にもなかった……ただ、今、こうして啓典によって導かれた私たちだけは、啓典の父が彼の最愛の子の肉と血潮とによって成就させた愛の下に、安らぎと復活の希望を待ち望むことが出来るのね」