花を贈る者
カラカラと鳴る、引き戸に付いたベルの音に、はっと顔を上げる。
「あ……」
冬の日の、既に沈みかけている夕日を受けて光る薄色の髪に、捺美は思わず目を瞬かせた。
「あの」
「あ、すみません、いらっしゃいませ」
しかしすぐに、自分の仕事――地方から芸術系大学に入学し、そこでできた友人に紹介されてからずっと続けている花屋の店番――を思い出し、自分より頭二つ分は高い場所にある、店の硝子棚を見回す男に頭を下げる。その時に微かに見えた瞳も、緑。日本人ではないのだろうか? この花屋がある街には、幾つかの大学がある。その大学の留学生、あるいは先生なのだろうか? 様々な思考が、脳裏を過る。英語は、いや日本語も、……実は苦手。震える背を何とか宥め、捺美は、男が言葉を発するのを、花のラッピングを行うカウンター越しに待った。
「花、は、一輪で幾らする?」
躊躇いがちに、男の唇が言葉を紡ぐ。
「贈りたいやつらがいるんだが、……ネットでは、値段が分からなかった」
「花の種類によります」
良かった。ほっと胸を撫で下ろす。花のことなら、幾らでも話すことができる。
「例えば、ガーベラでしたら、今時分だと一輪で200円。バラでしたら普通のもので300円くらいに」
「ガ、ガーベラ?」
不意に戸惑いを見せた男の声に、言葉が止まる。
「あ、済まない」
捺美の俯きに、男は小さく頭を下げた。
「数学は分かるのだが、花には詳しくないので」
項に右手を当てた男の仕草に、好感を覚える。
「こちらの花です」
捺美は身軽にカウンターから身を離すと、冬の寒さから花を守るための硝子棚の一つの前に立った。
捺美が毎日ピカピカに磨いている硝子戸だから、わざわざ開けなくとも、中にある花の様子は一目で分かる。ガーベラは、棚の奥、少し高くなっている場所で、濃い色の花弁を開いていた。
「派手な花だな」
あいつらには似合わない。小さな呟きが、捺美の耳に響く。
「バラの方が良いか」
ガーベラの横に置かれている、薄ピンク色のバラのつぼみを見やり、男はしかし首を横に振った。
「花なんか贈って、あいつら、喜ぶのか?」
微かな声が、捺美の耳に届く。
しかしその声を捺美が確認する前に、男は顔を上げ、その緑色の瞳を捺美に向けた。
「三月末の卒業式の時に贈りたいのだが、今から予約しておいた方が良い、のか?」
どこか哀しげに見える瞳に怖じ気づきながらも、何とか、言葉を返す。
「三月なら、カーネーションやチューリップも入荷しますが」
今は一月末。三月末に必要なら、もう一月後に来ても間に合う。しかしそのことを、捺美は巧く説明することができなかった。
男が花を贈りたい相手のことは分からない。しかしながら、おそらく、自分をよく知っている人から贈られる、気持ちのこもった花を拒否する人はいないだろう。三月末に必要な花について二月も前から花屋に問い合わせるような人から受け取る花なら、なおさら。だが、その思考を言葉にして説明することも、捺美には難しかった。言葉は、苦手。心の中で、小さく首を横に振る。捺美が大学で勉強している絵や彫刻の方が、捺美の気持ちを代弁してくれる。そこまで考えた捺美の心に、別の考えが浮かぶ。……そう、花も、思いを代弁する、アイテムの一つ。
「いや、バラにする」
考えを男に伝える言葉を探す捺美の耳に、揺るぎない声が響く。
「木根原には薄い色の普通のやつにして、三森には濃い色の、何か珍しい感じのバラがあると良いな」
「あ、はい」
そこまで詳細を聞けば、あとはこの店のオーナーが適当になんとか見繕ってくれる。
〈良かったぁ〉
ほっと、安堵の息を吐く。
「ラッピングは、よく分からないので宜しく頼む」
続く男の言葉に、捺美は今度は大きく頷いた。
贈る花に合うように、花を飾る。それが、捺美の仕事の一つ。
「予約、しておきますので、名前と連絡先をお願いします」
再びカウンターへと戻った捺美は、男に、注文を書き記す用紙とペンを渡した。




