言い知れぬ現象
メモを取れといわれたのでメモを取ることにした。
「つまり、アインシュタインは相対性理論を考え出したのではなく、ひらめきによって見つけ出したのだ。だから、神からのギフト呼べるその代物を、論理的な思考、理工学の知識を基に解き明かそうとしても、決して真の意味での理解には及ばないのである。相対性理論を100%余すことなく解釈しようと思うのなら、彼がそうだったように、ひたすら神からのお届け物を待ち続けるしかないのだ。平均寿命が85歳といわれる昨今、それまでにあなたのもとにくるかどうかは分からない。だから、1年でも早く届くようにと、日々、祈りつづけよ。アーメン」
先輩の講話が終わり、わたしのメモを取る手も止まる。
「分かったか、早乙女」
「いえ、全然」
「それでいい。だからメモを取らせたんだ」
「読み返しても、分らないと思いますけど」
「片手で数える程度ではダメに決まっている。何百、何千と読み返して、それでも分らない時には、、、」
「分からない時には?」
「そのメモ用紙は尻拭きに使うなり別の用途で利用すればいい。そうすれば、無駄にはならない」
わたしは明日、この「知的探究心撲滅及び奇跡の到来待ちわび部」を辞めるつもりだ。けれど、何故か憎めないんだよな、先輩のこと。これが先輩のいうところの、論理的思考では辿り着けない境地ってやつなのか?