第1話:この世界に僕はいらない
三階にある理科室の窓が誰かに割られた。
先生は正直に言いなさいと声を荒げて、僕ら二年三組の生徒に怒鳴り散らした。
僕は何も知らない。
そもそも興味すら無い問題だった。
窓が割られようと、校内の備品が破壊されようと知ったことじゃない。
それでも嫌いな数学の授業がこういう形であれ潰れてくれるのは、とてもありがたいことだ。
「先生、僕が割りました」
一人の生徒が全てを遮り、声を上げた。
「…」
あれ?おかしいな?
皆が思ったに違いない。あからさまに教室が静まり返り、一人の生徒を見つめる。
先生も先程までの怒りが冷めているようで、えっ?という不思議な顔をしていた。
「先生…?」
生徒もこの異常な空気に不安な様子でオロオロと取り乱しだした。
「お前…名前は?出席番号何番だ?」
先生は謎をぶつけた。
生徒はハッとした顔をして周囲に目を配る。
皆、視線を避けるように下を向いたり、違う方を見ていた。
僕もその一人で、名前を覚えていない罪悪感から視線を机に落とした。
そして生徒は急に教室を出て行った。
ドアが勢いよく閉まる音で顔を上げたが、そこには影も形も無く、廊下を走る足音が響くばかりだった。
皆、呆然としていた。
本当に誰だか分からない。
彼は誰なのだろうか?
肘を付いて窓の向こうを見る。
昨日も、その前も当たり前のように居た。
実際話たことは無いが、他の人達が話をしているのを見たことがある。
彼は…。
目前に彼の顔が浮かぶ。
それは逆様で異様に顔全体が笑っていた。
窓の外に浮かぶ彼は僕と目を合わせると、口が裂けんとばかりに笑った。
そして消えた。
それが落下していると気付くのに数秒かかった。
―ダンッと響くような音がして僕は立上がり窓の外を見た。
そこには彼が血だらけで倒れていた。
「うわあぁぁぁ―」
僕の声を聞いて皆が窓の外を覗きこむ。
彼は不自然に手足を曲げ、絵の具ように赤い液体を全身に纏い、笑っていた。
「死んでる…」
一人の生徒が呟くと皆がパニックになって騒ぎ出した。
他のクラスからも同じような声が聞こえた。
「誰だアイツ!?」
「何で死んだの!?」
「自殺?」
男子生徒の一部は青ざめた表情で彼を見つめ、他の一部は動揺を隠し切れない様子で、俯いて話あったりしている。
女子は皆が部屋の隅に集まり、窓際から離れ訳も分からず泣いていた。
先生は血の気の引いた顔をして教卓の下に座り込み、ピクリともしなかった。
皆が皆騒ぎあう中で、僕は一人動けなかった。
俯いてその場にへたり込んだ。
ガヤガヤと騒がしくなる教室、他のクラスの先生、生徒がバタバタと走り回る廊下、そこに授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
皆がビクッと体を強張らせ、チャイムの後に入るであろう校内放送に耳をかたむけた。
「キーンコーン…」
静まり変える教室内…。
皆が何かを期待している。何か言葉を期待している。
「カーンコーン…」
数名の生徒が小声で話出したのが分かる。
「おい…アイツ…」
僕は声のする方に顔を向ける。
生徒は僕が見たことにビックリしていた。
何がそんなに…。
生徒は不思議そうな顔で口を開いた。
「キーンコーン…」
「お前…お前誰だ?」
皆が僕を見ているのが分かった。
「何言ってるんだ…?」
「カーンコーン」
僕の声はチャイムにかき消された。
うまく声が出ない、枯れた喉は膜がへばり付いたように、飲み込むのも痛いくらいだ。
「何言ってんだよ」
僕の口から出た言葉。
絞り出した声が、この声が最期の声。
皆の視線が突き刺さる。不安、恐怖心、負の感情が視線に乗せて僕に染み渡る。
次の瞬間には走り出した。
前倒れになりながら立ち上がり、荒れた机の間を縫って廊下に飛び出した。
人にぶつかりそうになり、よろめいて壁にぶつかる。痛みは無かった。
体が透ける感じがした。
学校の廊下を全力疾走しているのに、息は切れること無く、廊下の先に見えるものを何故か延々と目指した。
もう少しで分かる。
もう少し…あと少し、もう手が届く距離…。
ふわっと風を感じる。
ガシャッと金属を足で蹴り出した。
全身で風を浴びる。僕の目に映るのは金網と青い空。そこから目を焦がす太陽がちらつく、そのまま僕は足掻くことも出来ずに落ちて行く。
汚い校舎すれすれを落ちて行く。
途中、一人の女の子と目が合った。口が裂けないばかりに笑ってやった。