十二
真っ白な世界。
気がつくとボクは一人、そんな世界にぽつんと立っていました。
どこだろう、ここ?
左右上下を見渡しても地平線すら見えない何もない世界。
地平線も水平線も見えない、ということは球体の世界じゃないんだね。もしかしたら途方もないほど大きな球体なのかも知れないけど。
でも真っ白だけど堅い地面、というか床はある。
そして大きく深呼吸。
うん、空気も問題ないです。変なにおいもない、毒なども混ざってなさそうです。
取り合えず歩いてみますか。
そうして、どれほど歩いただろうか。
飽きました。
だって変化が全くないからつまらない。
それに精神的にはともかく、体力的に全く疲れていない。
これは変です。
いくらなんでもこれだけ歩いていれば、少しは疲れるはずなのに。
そして今気がついたのですが、全く精霊力を感じません。
空気がある、ということは少なくとも風の精霊はいるはずなのに、それが感じられないのです。
《遍く大気を支配する風の精霊よ、我の元へ集い給え》
試しに精霊の呪を唱えるが、全く応えてくれません。周囲にいないのだから当たり前といえば当たり前なんだけど。
うーん、どうしたものかな。
ふと目の前になにやら黒い物体が浮いているのに気がつきました。
いやいや、目の前だよ? いくらなんでも見過ごすわけないはず。
と言う事は、音もなく転移、あるいは目に見えないほどの速度で現れたことになります。
漆黒、と言っても差し支えのないほどの黒で、周りが真っ白だから余計に目立っています。更には羽の生えた妖精チックなシルエットですね。
全長はフィギュアくらいかな? 三十センチあるかないか。
でも不思議と怖さは感じられません。
それどころか、ある意味慣れしんだ気配です。
……これって闇の精霊じゃ?
そう思って手を出しそれに触れようとしたとき、軽やかに避けられました。
そのままくるっと一回転したあと目と鼻の先に止まり、いかにもおかしそうに手を口に当てて笑い始めました。
(くすくす。いきなりわたくしに触ろうだなんて、我が契約主は度胸ありますのね)
「しゃ、しゃべった?」
精霊とは会話できません。知能は高いはずなのですが言語化が難しいらしく、漠然とした意思しか感じられないのです。
だからこそ魔法を使う際、何をして欲しいのか明確に相手へ伝えるために呪文を唱えます。
そして簡単にした呪文という言葉を意思にして、対価である魔力と共に精霊へ渡すことにより魔法という現象が起こります。
でもいくら魔力を上げたところで、精霊が術者を気に入らなければ何もしてくれません。それが相性というものになります。
精霊魔法の勉強は呪文という言葉を意思に変え魔力をそこに内包させるやり方と、いかに精霊に好かれるか、というところが重要なポイントになります。
以上、精霊魔法の基礎的な知識でした。
それにしてもこの話し方、どこかで聞いた記憶がありますよね?
(あら、そこまで驚かれなくても良いではありませんこと?)
「キミは闇の精霊……シャドー……だよね?」
(わたくしをシャドー如きと間違えるなど。我が契約主はどういった目をしておられますの?)
両手を腰に当ててそっぽを向く黒い妖精。
「ご、ごめんなさいっ!」
あれ? あれ? 違った?
でもこの気配は確かに闇の精霊です。
それにボクの事を契約主と言っていますし。
(わたくしの事がお分かりになりませんの?)
膨れっ面をしてボクの方を見てくる黒い妖精。
あ、なんか可愛いかも。
って、そうじゃなくって!
考えるんだ。
まずこの黒い妖精は闇の精霊です、これは間違いないです。だって濃密な闇の精霊の気配を感じますから。
ボクがよく使う闇の帳や漆黒の銛は、闇の精霊シャドーの力を借りて行使しています。でもこの子はシャドー如きと言いました。
と言う事は、それより上位の精霊ではないでしょうか。
例えばボクがよく使う風の魔法、あれはシルフに頼んでいるのですけど、そのシルフよりも上位の精霊がジンと呼ばれます。
また水の精霊ウンディーネの上位がクラーケン、火ですとサラマンダーの上位がイフリート、と言った感じに大体の精霊には上位の存在がいます。
また、ジンなどの上位精霊と契約できる精霊術者は、それだけで国のトップレベルの実力を持つといわれます。やろうと思えば町を壊滅できるほどの威力がある魔法を使えるのですからね。
そして闇の精霊シャドーの上位は……ナイトメア。
夢魔とも言われる、闇と夢を支配する上位精霊です。
もしかしてこの子はナイトメアなのでしょうか?
「もしかして、ナイトメア?」
(ぶー、はずれ、ですわ)
「えええっ?! ち、違うのっ?」
(定命のモノがわたくし達の事を知らないのは無理もありませんわね。仕方ありません。自己紹介させて頂きますわ)
わたくし達? 達って言ったよね。
この子以外にも居るって事なの?
クエスチョンマークが飛び交うボクを尻目に、黒い妖精はスカートの裾をつまみあげ、優雅に一礼してきました。
(わたくしは原初の一柱、闇の精霊ですわ。お気軽にヤミちゃんと呼んで頂ければ幸いですわ)
「あ、それはラッキースケベの犠牲になるかもですし、ちょっと色々とまずいので、クロさんでいいですか?」
(契約主がそうおっしゃるのなら、クロでいいですわ)
ふんふーん、と楽しげに口ずさむクロさん。
まあそれは良いとして、いくつか疑問があります。
「あの、いくつか質問があるのですけど、聞いていいですか?」
(わたくしに答えられる範囲であれば、お答えいたしますわ)
「まず、ここはどこですか?」
(ここは契約主の魂の中ですわ)
「ふぇ? ボクの魂の中?」
(ええ、これほど真っ白い魂を持つ契約主は、滅多に居りませんよ?)
「でもボクそんなに真っ白い心じゃないんですけど」
だって魔物も殺すし、必要があれば人族だって躊躇いはありません。それに腹を立てる事もあります。
ガンジーさんみたいな精神はできません。
(心、ではなく魂、ですわ。とても染まりやすく、そして染まり難い。ああ、とってもお美しいですわ)
「は、はぁ……?」
魂が真っ白って何でしょうか?
それより、ここがボクの魂の中と言う事は、どうやって出ればいいのですかね。
「えっと、ここから出られるのですか?」
(今の契約主は寝ている状態ですわ。目が覚めれば自然と出られますわ)
「と言う事は、夢の中って事ですか?」
(そう思っていただいて差し支えありませんわ)
じゃあ朝になれば出られるって事ですね。
「次に、クロさんは原初の精霊の一柱って言ってましたけど、それって何です?」
(万物を作り上げた創造神アルフムレド、彼が直接作り上げた精霊が原初の精霊ですわ。わたくしともう一柱、光の精霊コウちゃんがいらっしゃいますわ)
「と言うことは、もしかしてクロさんは上位精霊よりも更に上って事ですか?」
(そうですわね。上と言うよりわたくしとコウちゃんの二人が、創造神の代わりに世界を構築しましたから、契約主の言う上位精霊もわたくし達が作りましたの。ですので、わたくしたちの子、と言ったところかしら)
「ええええっ!? クロさんは偉い人でしたかっ!」
(くすくす。あら、そろそろお時間ですわ)
「え?」
クロさんの言葉通り、周りの景色がぐんにゃりゆがみ始めました。
まだ聞きたいことあるのにっ!
「最後にボクが契約主ってどういう事ですかっ!」
(くすくす、我が契約主よ、またあちらでお会いしましょう)
「クロさん、教え……」
……。
…………。
………………。
ふと気がつくと、ボクは横になって寝ていました。目を開けるとここ数日寝泊りしている宿の天井が見えてきます。
窓の外は既に明るく、この日差しの強さだととっくに日は昇っていますね。
夢……かぁ。
でもやたらとリアルな夢でした。
創造神が作った原初の精霊の一柱、クロさんって言いましたよね。
真っ白な世界がボクの魂とか。
うーん、夢……だよね。
「プラムさん起きた?」
ぼーっとしていると、部屋の扉が開いてピクミーさんが顔を覗かせてきました。
何をおどおどしているのでしょうか。
「あら、おはようございますピクミーさん。というかどうしました? さん付けなんて」
「あ、普通のプラムだ」
「普通って……ボクが何かしましたか?」
「覚えてないの? 夕べ夕闇の安らぎ亭のこと」
はて? 何かしましたっけ?
確か夕べはピクミーさんと夕飯を食べにその何とか亭へ行って、途中で冒険者が絡んできたので、ぶつぶつ文句を……。
あ。
そういえば、変な言葉遣いしたっけ。
確かさっき夢で会ったクロさんのような言葉遣いだった気がします。
そしてボクの身体から、やけに濃い闇の気配が出て行って、何とか亭に居た人全員がばたばたと倒れ……。
「あーーーー!!」
「思い出した?」
「ど、ど、どうしよう! どうなったのですかっ、あの後!」
ベッドから飛び降りてピクミーさんの首を掴んで揺らしました。
「ちょっ、ちょっと落ち着いて! 苦しいよ!」
「あ、ごめんなさい」
「ごほっ、ごほっ。もー、プラム酷い」
「それよりどうなったのですか?」
「みんな倒れた後、プラムもそのまま倒れたよ。で、あたしが頑張ってここまで運んだの」
「……何もかも放置してきたって事ですよね」
「もうあのお店、いけないよ」
「行けないどころか、ダークエルフとグラスランナーって、どう考えてもこの町にボクたちしかいないですよね。絶対身元割れます。あとで謝りにいかなきゃ……」
あー。変なことになっちゃった。
はぁ……。
すみません、照月さん迎えに行ってて、遅くなりました←