あなたのために
女の子なら誰しも経験があると思う化粧。そしてこの彼女は好きな人のために、綺麗になりたいと思った。
彼と初めてのデートが明日ある。 わくわくして、タンスから服を掘り起こしていく。あぁ、彼ってどんなタイプの服が好きなのかな? 聞いておけばよかった。
デート当日。そんなうきうきした心と正反対の雨だった。思わずへこたれそうになる。朝、念入りにコテ当てたのに、もうしんなりしている。あぁ、ついてない……。で、でもっ、彼と会えるんだから、大丈夫!
きっ、と前を見た瞬間、目の前をトラックが横切った。トラックが通ったことによって高く跳ねた水しぶきは、 私が頑張って化粧した顔へとかかったのだった。
あまりのことに手を滑らせて、差していた傘が落ちた。
あれから、どうしようもない失望感に包まれて、人一人いない公園で雨にうたれながら佇む。
ああぁ。どうしてこうなっちゃうんだろう。 彼に、綺麗になった私を見て欲しくて化粧したのに。 悔しい。悲しい。 せっかくのデートなのに、……ごめんね。
ぐすっと、鼻をすすりながら涙を手で拭うと、鞄に入れている携帯が鳴った。有名アーティストの歌は彼専用の音だ。出ないわけにはいかない。
『おいっ、どうしたんだ!? 何かあったのか?』
彼の声を聞いて安心した。 思わず、みっともない涙声になってしまう。
「圭司~」
涙でマスカラを落としながら、彼に助けを求めた。
圭司はすぐに公園に来てくれた。
「傘も差さずに何やってるんだよ。風邪引くだろ」
圭司の傘が私を雨から守る。そのかわり圭司の右肩が濡れていく。彼は初デートがこんな有り様になって、呆れてないだろうか。失望した顔をしているのではないだろうか。そう考えてしまうと、今彼がどんな顔しているのか見たくなって顔を上げた。その彼が私の顔を見て、笑い出す。
クスッ、クックック……。
声を出さないように笑ってるのが癪に障る。
「一体何なの!?」
彼は腹をかかえながら、私の顔を指す。
「おっまえ、その顔どうしたんだよ」
あ、化粧崩れてた。そんな私の驚いた顔で、なおさら彼は笑う。 むかつくっ!!
場所を屋根のあるベンチへ変えた。 隣に圭司が座る。やっぱり、彼の右肩は雨で濡れてしまっていた。彼まで濡れてしまって、申し訳なくなる。
「なぁなぁ。どーしてそんな顔になったんだ? そもそもどうして化粧したんだ?」
驚かせて可愛いと思ってもらうはずが、マスカラは落ちてパンダみたいになってしまっている。予想していた状況からかけ離れすぎて、黙るしかない。
「沙ー耶」
無視っ。決めたんだから。
「よっ、大統領!」
がくっと肩の力が落ちる。 これで機嫌が直ると思ってる彼って一体……。
「はぁ。ちゃんと話すから聞いててよ?」
「もちろん」
「ほっほぉ~、そういうワケか」
圭司が腕を組んでうんうんと頷く。 そして笑って、頭をガシガシとなでる。せっかく整えた髪がぐしゃぐしゃに! けれど、彼の手のひらの感覚に少し安心した。
「化粧なんかして、ばっかだなぁ」
「どうして! せっかく綺麗になりたかったのに!!」
「お前いつもスッピンのくせに」
むっ。でも馬鹿なのかな。彼の馬鹿という言葉が特別胸に刺さる。
「好きな人の為に綺麗になりたいって、馬鹿な事なのかなぁ」
落ち込んだ私を横目に、彼はため息をつく。
「俺の為なら正直嬉しいけどな。 でも」
わざと言葉を切って顎を掴み、自分へと向ける。彼の瞳は真っ直ぐ私を見ていた。
「お前を綺麗にするのは俺だ」
どうしても彼の目から離せなくて、固まってしまう。固まった私の手を圭司は取って歩き出す。
「ど、どこへ行くの?」
「俺んち」
彼の家は公園から程よく近かった。引っ張られるままに歩いていたら着いた。庭を広く取った二階建ての家だった。彼は私を引き連れ、二階へ上がり、突然一つの部屋の前で止まる。
「ここ、俺の部屋」
えぇえぇえ!? なんで、どうして? 初めてのデートで、彼の部屋なんて、そんな、まだ私……!
そんな戸惑いも空しく、彼は部屋の扉を開けてしまった。
私を歓迎したのは、化粧道具。あれ?
「化粧落としてこい」
渡されたのはクレンジングと洗顔料。落としたらこの部屋に戻ってこいよとの言葉つきで、部屋を追い出された。
戻るとすぐ椅子に座らされ、顔に何かいろいろとされる。彼の顔はいつになく真剣だ。
「馬鹿。あまり見るな」
少し彼の頬が赤く染まった。でもどうして見ちゃいけないのかな。
「どうして?」
「どうしてって、ただでさえ緊張するのに」
「緊張?」
彼の顔はプロそのものだ。真剣な顔で私の顔に魔法をかけていく。そんな彼が緊張なんて、ピンとこない。
「お前が俺の化粧をするとしたら、分かるか?」
「そもそもしないよ」
「す・る・と・し・た・ら! 仮定!!」
私が圭司の化粧をするとしたら。 それで今の状況になったとする。 ……脳裏に瞳を閉じる圭司が浮かぶ。そして圭司の頬に手を置き、化粧するわけだ。
「何が緊張するの?」
「襲うぞ、コラ」
いつの間にか化粧は終え、最後の仕上げにかかっていた。ピンク寄りの紅を指でひく。彼の手が唇に触れて、ドキドキする。手つきが妙に艶やかに感じて、落ち着かない。
「完成。鏡見てみろ」
彼の差し出した鏡には、私らしさを残した女性がいる。いや、私なんだろうけど自信がない。いつも悩んでた幼さが消えて、大人の女性になっていた。私が化粧した時よりも自然で、チグハグした感じはない。
「お前を綺麗にするのは俺。間違ってないだろ?」
彼は先ほど塗った口紅を見て、にやりと笑った。とんだ自信家だけど、違いない。私は自然と頬が緩んで、力いっぱい頷いた。彼は満足そうに、笑みを深くする。
「味見、させろよ?」
顎にそえられた手に、心臓がはねる。迫ってくる彼の顔に、慌てて目を閉じる。味見ってそういう意味だったの!?
唇をゆっくり重ねると、全身が熱くなって、どうしょうもなく恥ずかしかった。それなのに彼は、唇を離した至近距離で笑うから、たちが悪い。艶っぽくて、男の色気に酔いそう。彼にうつった口紅が、倒錯的だ。そんな彼は追いうちをかけるように、口紅のうつった唇を、私に見せつけるように舐めた。火を噴くかと思った。
「あああああ味見反対!」
「わりぃ。つい、うまそうだったから」
「ななななな!」
かくかくとロボットみたいな動きしか出来ない。彼はまた口紅を手に近づいてきた。
「色直ししないとな?」
誰のせいだと思って……!