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第八話 疑惑のワゴンR

 それぞれがそれぞれの思いを抱えたまま、時は流れる。


 あれからひと月半。


 俺たちの微妙で繊細な綱渡りのような関係は、それでも綻びをみせる事なく続いていた。


 山吹色から茜色まで、様々に色づく紅葉が、学内のアスファルトを埋め尽くすように降り積もる十一月。

 俺たちは大学における一番のイベント、学祭の日を迎えていた。


「さあ準備はいい?」


 未來ちゃんは相変わらずの甘いソプラノトーンで尋ねてくる。

 それに対する俺たちスカイハイのメンバーの返事も変わらず、試合に臨むスポーツ選手のように気合いのこもった声を出しながら円陣を組んでいた。

 だけど俺は……どこか離れた所から自分を見下ろしているような、そんな気分だった。

 テンションが一定に保てない。未來ちゃんと話をしたり練習したりしていても、ふとした瞬間に未來ちゃんが他の男と遊んでいるイメージがチラつく。


 この学祭では、入れ替わり立ち替わり俺の知らない男が未來ちゃんと仲良く談笑する場面を何度も見た。

 その度に「コイツとはどうなんだろう?」そんな、箸にも棒にもかからない勘ぐりが俺の頭を堂々巡った。


 未來ちゃんにとって、男の腕を触ったり肩で小突いたりするのは、単なる挨拶代わりでしかないのかもしれない。

 思えば、俺に対してだって同じだった。

 いやむしろ、俺の方がスキンシップは過激だったかもしれない。

 それでも俺と未來ちゃんとの関係はプラトニックだ。

 だから、未來ちゃんはみんなが思っている程遊んでなんかいない。そう思いたい。


 俺が唯一安心して未來ちゃんと笑いあえるのは、演奏(プレイ)の時だけだ。

 ステージという隔離空間の中では、俺と未來ちゃんの仲を引き裂こうとする無粋な輩などいない。

 むしろ俺のプリンセスに群がる有象無象に、二人の仲を見せつけて、諦めさせるチャンスですらあった。


 ユニオンジャックをでかでかと胸に携えたショッキングピンクのスウェットに、膝上15センチ程のティアードスカート。

 そして縞縞のオーバーニーソに編み上げの厚底ミドルブーツ。

 今日のステージ衣装もやはり素敵で可憐。


 彼女のテンションも上々で、演奏者の方を向いたスピーカーモニターに足をかけ、ワイルドに唄う。

 可愛い、カッコいい、美しい、可憐、綺麗、どんな言の葉をもってしても、未來ちゃんを表現しきることは出来ない。


『百万回愛してね

 そしたら 百万回応えてあげるから』


 彼女は天使で、女神で、妖精で……そして悪魔だ。

 俺の心を捉えて離さない、夢魔かもしれない。


『アクセラレイション止まらない 指先がキミを求めて 虚空をなぞる』


 唄に合わせた挑発的な運指で男たちを誘惑し、鼻にかかったソプラノの声音が講義棟の一室を桃色に染めていく。

 未來ちゃんのライブは、麻薬だ。俺の中の不安や疑念が一時的に消え去り、快楽をすら与えてくれる。


『キミのBig machineで いざなって極上エリシオン

 そしたら刻みつけてあげる ワタシのexsistance』


 エンターテインメントとしてのパフォーマンスを見せながらも、俺は未來ちゃんに愛を囁くように、ギターをかき鳴らした。


 未來ちゃん。未來ちゃん。

 行かないで。どこにも行かないで。

 俺は他の男とは違う。俺が、俺だけが未來ちゃんの全てを愛している。

 だからこれ以上、自分の身体を安売りしないで。

そんなことをしても壊れた愛に泣くだけだ。


 ギターの音色に乗せた俺の想いよ、彼女の耳に、彼女の心に届いてほしい。どうか、どうか。


 ステージ上、未來ちゃんと見つめあった。妖艶な彼女の調べが、俺の脳漿を焼く。

 精一杯の作り笑顔で、俺は未來ちゃんに微笑みながらこう思った。


 ――テレパシーでもなんでもいい、この想いよ、どうか未來ちゃんに届いてください。




◆◇




 学祭ライブは、ヘヴィメタル専門の先輩バンドのヴォーカルが、ウォッカで口から火炎放射の真似事をしてアルコールが禁じられてしまった事以外は、大成功と言える盛況の内に幕を降ろした。


 後片付けもあらかた終わり、機材を建物から出した時には、時刻は午後の九時をまわっていた。


 ここから後は、車を持っているアキラ先輩の到着を待って、機材を複数回に分けて部室(ボックス)に戻すだけだ。

 人数は必要なく、部室側に四人、学内側に四人の計八人とアキラ先輩以外は、一足先に打ち上げ会場へと向かったのだった。


 俺はというと。学内側の居残り組としてヒロ、アイ、未來ちゃんと、アキラ先輩の車を待っているところだった。


「あーあ、終わっちゃったね、学祭」

 とは未來ちゃんの言。この学祭ライブを最も楽しんだのは、他でもない未來ちゃんだったと断言できる。

 それぐらい彼女は輝いていた。


「凄かったよね、未來ちゃんのウワサ、あっという間に広まっちゃってさ。

 今日なんて、他の学校からも沢山人が来てたもんね」


 アイがそんな風に、未來ちゃんへの讃辞を贈った。

 恋敵だろうに、女ってのは強いな。

 そう思いながらも、わざわざ良い雰囲気を壊すようなまねをする必要はない。

 俺とヒロも学祭を振り返るように、談笑しながらアキラ先輩を待った。


「あ、来た来た」


 アキラ先輩の車、ワゴンRにいち早く気付いたのは未來ちゃんだった。

 というより、俺含め他の人は、先輩の車がどんなものかなど知らなかった。


 そういう細かい事実に、俺は心をえぐられた気分になる。

 車を見た事があるなら、乗った事もあるだろう。問題なのは一人でか、複数でか。

 思いを巡らせていると、ふと視線を感じた。


 アイだった。

 彼女も俺と同じ事を考えたのだろう。私の知らないアキラ先輩を、未來ちゃんはどれだけ知ってるの? と。

 アイと二人でアイコンタクトをとった。

 互いに何かを伝えあった訳じゃなかったが、チャンスがあれば計らってやる位の意思の疎通はできたと思う。


 後進で俺たちの前に停まった先輩の車に、未來ちゃんがいち早く近づき、まるで何度もそうした事があるかのように、慣れた手付きでハッチバックを開けた。

 次に後部座席のドアを開け、シートを畳み始めた。

 その余りにこなれた感じが、要らぬ妄想を掻き立てる。


 その時ふいに、俺の手にアイが触れてきた。その手は心なしか震えているように感じた。

 表情も冴えない。ここで俺まで暗い顔をしていてはマズい。根拠はないけど大丈夫、そんな意味を込めて背中をポンと叩いてやろうとした時だった。

 アイが俺にだけ聞こえる声で、ボソッと呟いた。


 ……え?


 よく聞こえなかった訳じゃない。ただ受け入れられなかっただけだ。目の前が一瞬真っ暗になった気がした。

 アイはこう言った。


「この車、カーテンが付いてる」


 きっと、アイは色々と深読みしてしまったに違いない。今ははっきりと震えているのが俺の手を通して感じられた。

 そんな状況なものだから、俺も客観的な考え方が出来なくなってしまった。


 自慢じゃないが、座席(シート)平ら(フラット)にする方法など、まだ運転免許も持っていない俺が知るはずはない。

 だが未來ちゃんはそれを簡単にやってみせた。他人の、それもアキラ先輩の車でだ。


 車、カーテン、倒されたシート、男と女。

 別に証拠はない。それ以前に、たったこれだけのキーワードを並べただけで、そこまで話を飛躍させる方がどうかしているとさえ思う。

 けれど、感情がうまくコントロールできない。それはアイも同じだろう。


 ヒロに呼ばれるまで、俺たち二人は固まっていた。

 車の内外から協力して機材を運び込む。ヒロとアイが持ち上げたものを、俺と未來ちゃんで引っ張り込んでいく。自然と出来上がった形だった。


 俺はなんとか自分をごまかしつつ、未來ちゃんやアキラ先輩とも軽口を叩きながら作業を進めた。

 それは、自分より悲惨な心理状態の人間がいたからできた事なのかもしれない。

 アイは終始殆ど無言で、ヒロと最低限の会話を交わすのみだった。


 なんとかアイをフォローしてやりたい気持ちはあったが、自分を誤魔化すのが精一杯の俺は、この時彼女に何もしてやることができなかった。


 作業そのものは三十分程で終了し、最後の荷を車に乗せた後、俺たち四人も打ち上げ会場へと向かう事にした。

 だべりながら歩く道中、しかしアイの足取りが重かったのに気付いていたのは、俺だけのようだった。

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