第四話 四大合同ライブ・リハーサル
九月の第二土曜日。
遂にこの日がやってきた。
『四大合同ライブ』
市内に点在する、四つの大学の軽音楽部が集結するこのライブ。
各大学に割り当てられた時間は九十分しかなく、一バンドに換算すると、ウチとしては三組しか出られない。
一つはウチのエースバンドで、ヒロの所属する【メギドレイヴン】。
もう一つは三回生三人による、スリーピースメロコアバンド【ベアクロウ】。
そして未來ちゃんをヴォーカルに据えるロックポップバンド【スカイハイ】。
本来スカイハイは代表に選ばれるだけの実力や人気を備えている訳ではなかったのだが、香坂未來にライブを経験させてやりたいという、部長たち執行役のはからいを受け、特別枠として選出されたのだった。
それは俺にとってもラッキーな事だった。
「麻衣、顔が青いぞ、大丈夫か」
俺がそう言うと、恨めしそうな目つきで睨まれた。
「誰のせいだと思ってるの。
ライブ一週間前に新曲やろうだなんてムチャ、私には荷が重すぎるわ」
スカイハイのリズムの要、麻衣はドラムスティックをモモに叩きつけ、最後の追い込みに余念がない。
完全防音の施されたライブ会場の控え室。
彼女の傍らには、ヒロが座り、自分の事などそっちのけで、麻衣につきっきりの指導を施している。
ヒロこと三嶋博之は元々音楽の才能があるらしく、絶対音感こそ無いものの、メロディーを数回聴いただけで耳コピが出来てしまうという、なんとも羨ましい能力を持っている。
更に言えば彼は、練習の空き時間などにドラムを叩いている内に、専門のドラマーには負けるが、麻衣に教えてやれるくらいの技術をいつの間にか身に付けてしまっていたのだ。
凄い。俺にとっては雲上人にも等しい、音楽に愛された男だった。
「違う違う、タンタンタンタン タタタンタンタンになってるぞ。
そこは、タンタンタンタン ンタタタンタンタだ」
「えぇー、わっかんないわよ」
「俺が近くで身体を振って合図してやるよ」
「ほら、達彦先輩もそうやって言ってくれてるんだ、頑張って見て合わせろ」
不安がる麻衣にベースの倉岡達彦先輩が助け舟を出す傍ら、ヒロの厳し目の指導が続く。
俺は対面のソファーでギターのチューニングを合わせながら、それを眺めていた。
ちょうどそんな折だった。
階下のライブステージからスタッフが上がってきたのは。
「スカイハイ、リハお願いしまーす」
「はい、今行きまーす」
何故かは知らないが、代表してヒロが返事をした。
俺は自分のギターを縦抱きして、みんなの足並みが揃うのを待った。
そんな俺の側に、いつもより控えめな化粧を施した未來ちゃんが近寄ってきた。
「純クン、緊張してない?」
「まあ少しはね。
でもリハで音出ししたらいつも落ち着くんだ」
「へえー、意外と度胸あるんだね」
控え室からステージへ降りる扉の前は狭く、肩が触れ合う距離で未來ちゃんと言葉をかわす。
室内が白く煙る程煙草臭い部屋なのに、未來ちゃんからはシャボンのものすごく佳い匂いがした。
もっと嗅いでいたい、本能がそう訴えかけるが、今はそんな時じゃない。
みんなが揃ったところで、未來ちゃんが先頭きって階段を降りていく。
それに合わせて、俺たちメンバーもついて行く。
降りた先は、ステージ袖の巨大なスピーカーの陰、機材置き場とでも呼ぶべき場所だった。
そこで各々自分のエフェクターやらシールドケーブル、スネアドラムなどを取って立ち位置に移動する。
ステージから見下ろす、最大600人収容可能なスタンディングホール。
スモークの立ち込める黒い空間。
4チャンネルの巨大なスピーカーから流れるヒップホップ。
暖色のダウンライトが俺たちを照らし、明暗の落差で小規模であるはずのホールはやけに奥行きを感じさせる。
うおおおお……
人間というものは、本当に琴線に触れるような出来事に直面した時、それを言葉にする事はできない。
ただ喉から呻くような音を洩らすのみだ。
この時の俺がまさにそうだった。
少しばかりの緊張感の中、自分のセッティングをしながらふと未來ちゃんの事が気になった。
いつもオトナな雰囲気の彼女も、初めてのステージにはいささか緊張しているに違いない。
そう思って横目に未來ちゃんを流し見る。
ステージの中央、マイクスタンドの前に立つ彼女は……目をぱちくりさせながら、ライブハウス全体をキョロキョロと物珍しそうに眺めていた。
どう見ても好奇心の方が勝っている。
まじか、スゲーな。
その強心臓ぶりに驚嘆する。
『宜しくお願いしまーす』
マイクを通して、未來ちゃんの鼻にかかった声がホールに木霊した。
なんて、佳い声なんだろう。 甘くて、艶やかで、伸びやかなソプラノトーン。
しかも、物怖じしないその立ち姿。
まだステージデビューしてもいないのに、早くも歌姫の片鱗を垣間見せている。
俺のような一般人とは、纏うオーラが違う。
俺は未來ちゃんに恋をしている。
それは間違いない。
だがステージ上の彼女に対しては、また違った感情が湧いてくる。
それは羨望だ。
まだ舞台用の化粧もしていないし、服装だって白地に【DEAD or ALIVE】と書かれたTシャツに黒のタイトスカートという、いたって普通の格好である。
にもかかわらず、その身体から溢れ出る妖艶さと、凛とした立ち居振る舞いの中にある芯の強さはどうだ。
物凄い存在感だ。
そんな未來ちゃんの前では、俺たちは彼女の引き立て役でしかない。
それを実感させられた。
我らの歌姫未來ちゃんが、俺たちメンバーと一人ずつアイコンタクトをとる。
準備はいい? と尋ねる視線に、それぞれが頷いたのを確認して、未來ちゃんがマイク越しに声を出した。
『じゃあ一曲目のサビいきまーす』
DJブース内で、ヘッドホンを装着したPAエンジニア――音響機材の操作者――が、左手を挙げてそれに応えたのを確認し、ベースの達彦先輩と共に、俺は後方の麻衣に注目した。
驚きの表情と共に――聞こえはしないが――えっ、私? と口を動かした麻衣。
そりゃそうだ、リズムとってくれなきゃ始まらないだろ。
そんな意味を込めて頷く。
気合いを入れ直すかのように、座り直した麻衣が、深呼吸をひとつ。
それに合わせて俺も大きく息を吸った。
不思議なものだ、いつも思う。
演奏に入る直前、周りの雑音は消え失せ、水を打ったような静寂の世界にいる感覚に陥る。
きっと、これが集中ってヤツなんだろう。
達彦先輩も、麻衣も、キーボードのアイも、未來ちゃんも。
みんなの顔にほとばしる程の気迫が満ち溢れている。
この中に混じって大好きな未來ちゃんと、大好きな音楽を演奏れる俺は、きっと幸せ者だ。
スティックを打ち合わせる音が鳴り響く。
『♪ 身体はじけて 心露わになって uh-宇宙に瞬く 彩りの星』
俺たちバックバンドが、音の絨毯を敷き詰める。
その上を歌姫のソプラノトーンが優雅に躍動し、人影まばらなリハーサルのステージが一気に華やぐ。
『♪ 見つめて 生命のアツくたぎる 情熱を』
サビは素直な8ビートサウンドで、未來ちゃんのヴォーカルに花を添えるように、メロディーラインを奏でるキーボードと、それに乗っかるアイのコーラス。
音の上に音が重なるその様は、まるで未來ちゃんの声に十二単を着せたようだ。
ワンコーラス終えた所で、一旦曲を止める。
すかさず、ホールの真ん中よりやや前方に立つヒロがPAに指示を出した。
「キーボを少し上げてください」
人差し指を上にツンツンしながら、スピーカーのボリュームコントロールを促すヒロ。
「コーラスは少しエコーを抑えて、メインヴォーカルはもう少しショートディレイのレベルを上げてください」
的確な指示を飛ばす。
要は、キーボードとメインヴォーカルの音圧を上げる事で、楽曲に厚みを加えるのが目的らしい。
後から聞いた話だ。
はっきり言って、俺にはもう分からないレベルでの音合わせだった。
やっぱヒロは凄い。
普段の学生生活ははっきり言ってだらしないが、こと音楽に関しては尊敬の念すら覚える。
あの日、七月の終わりに麻衣と三人で話した夜。
あれから麻衣に対して何かアプローチはしたんだろうか。
いや、四六時中一緒にいる事がそうなのかな。
俺も自分の事で手一杯だった為、そこらへんの内情には疎くなっている。
まあ仲間同士、どうせならうまくいってほしいとは思う。
同じ童貞として。
――それから麻衣の不安に思う箇所を何度か練習し、俺たちのバンドに割り当てられた十分のリハーサルタイムは、あっという間に消化された。
『じゃあ本番も宜しくお願いしまーす』
リハの最後は、未來ちゃんのそんな気負わない言葉で締められた。
俺と未來ちゃんのバンド【スカイハイ】のステージデビューまで、まだしばらくある。
控え室に戻るとすぐ、俺はヒロを誘って近所のコンビニへ買い出しに行く事にした。
開演まで二時間は切っているが、流石に手持ち無沙汰すぎる。
それに煙草を吸わない俺としては、あまりあそこには居たくなかったのだ。
コンビニへの道中、リハの時にふと思った疑問をヒロにぶつけた。
「最近、麻衣の事はどう、進展した?」
するとヒロはこちらを向いて、少しばかり皮肉めいた微笑を浮かべた。
「まーだ、全然」
はあ、あんなにいつも一緒にいるのに?
俺はヒロの意外なまでのオクテっぷりに、少々うんざりしてしまった。
ギターではアグレッシブな速弾きとか、【メギドレイヴン】のもう一人のギタリスト、レイジ先輩とのユニゾンプレイとかやって、とにかくカッコイイ奴なのに。
それがこと恋愛になると、これほど情けないとは。
「あれだけいつも一緒にいるんだ。
麻衣だって、ヒロの事キライじゃないだろ」
発破をかけてやる。
それに実際、嘘は言っていないと思う。
しかしヒロの意気地のなさは、俺の思っていたよりも更に上をいっていた。
「いや~、今はまだ言えないなあ」
そんな風に茶化すヒロを、俺はまた告白をそそのかすような事を言ってからかう。
久しぶりの感覚だ。
ここ最近は二人になる事がなく、いつも誰かしらがいた。
だからヒロの恋路を知っていても、それを口にする事はできなかったのだ。
ギターを駆るヒロは本当にカッコいい。
カッティング奏法のリズム感、速弾きの正確性、日本人離れしたグルーヴ感。
そのどれをとっても、我が軽音楽部のトッププレイヤーと呼んで差し支えない。
そんな、俺にとってはヒーローとでも言うべき男の、久々に見る情けない姿にホッとする。
俺たちは友だちだ。
今回は一緒にプレイする事はないけれど、二カ月後には学祭がある。
そこではお祭りバンドを組む事が既に決まっている。
俺がギターで、ヒロがドラムの異色バンド。
つまり元々あったメインバンド【シックスセンス】、未來ちゃんと組んだ【スカイハイ】と合わせて、三つ掛け持ちする事になるわけだ。
今日のライブが終わったら、また練習の日々が待っている。
忙しい。
けれど、こんな音楽漬けの生活は決してイヤじゃない。
むしろ大歓迎だ。
コンビニで仲間のオーダーを満たし、買い物袋を二つずつ提げた格好でライブ会場への道を戻っていく。
俺たち二人は、互いの恋模様や近付くライブの足音に思いを馳せつつ、またバカを言い合いながら控え室に戻っていくのだった。