最終話 ラストライブ(1)
スモークの立ち込める黒い空間。スタンディングホールは熱気に包まれながらも、空気は冷たい。女神で小悪魔な未來ちゃんを象徴するかのようだ。
麻衣以外の奏者は既にスタンバイを終え、所定の位置に立っていた。
ブラックライトに照らされ、色んなものが不気味な光と共に浮き上がって見える。
ふと気になってカエラちゃんを捜してみたが、流石にそこまで遠くは見えなかった。手持ち無沙汰の俺は視線を戻し、ボリュームをゼロにしたギターを手クセの向くままに遊ばせた。そうしている間も、麻衣はせわしなく動く。
スネアにはじまり、ハイハットからクラッシュ・ライドシンバルまでをコンパクトに寄せ、更に高さの調節までを自身の仕様にカスタマイズするのは、意外と時間がかかる。
小柄な麻衣にとっては、有効に使えるスペースがどうしても狭くなる。しかしこれを焦っては演奏にも支障がでかねない。だからこそ何度も立ち上がり、位置を微調整しては座って確認を繰り返す。
そうしてようやく、麻衣がバスドラムを何度か踏み鳴らしてから頷いた。
準備は整った。前を向き、いちど目を閉じて空気を胸いっぱいに吸い込む。それから、精神を研ぎ澄ませるように細く長く息を吐く。
ステージに向けられたライトは全て消灯し、ホールを黒色が席巻した。
——殆ど真っ暗闇の中に、アンプやエフェクターの起動ランプが、レーザーサイトの照準のように赤い光を放つ。あとは聴衆の頭上のブラックライトが数本と、PAブースの明かり、それだけがホールの光源だ。
スカイハイのラストライブ。その主役たる歌姫は、まだステージに姿を現さない。
そんな中、俺が弾いた6弦開放、E音。ドレミのミから始まるギターリフが、黒い空間に響き渡った。4小節のギターリフに続けてベース、ドラム、キーボードが追従する。
パートが全員揃うと同時に、照明がステージを浮かび上がらせた。中央にはコンビネーションドレスに身を包んだ我らが歌姫。彼女は人差し指を天高く突き上げ叫んだ。
『Yeah! We are SKYHIGH!』
湧き上がる歓声。ドレスアップした未來ちゃんに視線が絡みつく。早くも魅了効果にやられた若者が続出し、ホールの雰囲気は一変する。
『仔羊のフリした悪魔がのさばるこの世は平和?
隣人はあざ笑い腹黒くほくそ笑む』
テンポ97(1分間に4分音符97個)のどっしりヘヴィサウンド。大海のうねりをものともしないプロサーファーのように、音の波を乗りこなす未來ちゃんのソプラノボイス。
『負けられないこの闘い スキなど見せてはいけない』
未來ちゃんがラストライブの為に書き下ろした2曲の内の1曲は、社会を風刺したような挑戦的な歌詞だった。
『ROCK BEATに酔いしれろ
前進 邁進 全身 最深』
ガントレットグローブが天を突く未來ちゃんの動作に、聴衆も同調する。ビッグウェーブのような高低差のあるノリだ。
『ROCK BEATに想いをのせろ
口唇 決心 交信 伝心』
プレイヤーである俺たちもホールの熱気に後押しされるように、一層身体を前後に揺らしながらグルーヴを作り出していく。
俺はその波間にカエラちゃんを捜す。サークルの部員や騒ぎたい輩がステージの真下に密集しているせいで、盛り上がっている層とは若干の距離があったため、すぐに見つかった。
彼女は控えめに身体を揺らして、俺たちを見守っていた。
俺は今日、2人の女神に対しハッキリと気持ちを伝えなきゃならない。
1人は右隣で妖艶に舞い踊る香坂未來。これだけのヘヴィサウンドにもかかわらず、決して気を許さない猫のような目で、クールに唄う彼女。
いつにも増して可愛い……いや、美しい。この瞬間に全てをぶつけるような美しさが、今の未來ちゃんにはあった。
もう1人は、対面から真っ直ぐ見つめてくる吉田カエラ。おとなしくて控えめな性格かと思わせて、確たる意志を持つ強い女性だった。
あの部室での一幕は、彼女の強さを如実に物語った。同時に、俺の不甲斐なさも。でも俺は、そんな彼女にある種の尊敬と羨望の念を抱いていた。
恋に一途で、素直で、好きなものは好きとハッキリ言える心の強さ。俺がずっと未來ちゃんにできなかったことを、カエラちゃんはいとも簡単にやってのけた。
勿論、そう見えただけで実際は本人にしか分からない所での迷いや葛藤はあっただろう。
だけど結果的に行動してみせた。その強さに、俺は称賛を惜しまない。そして今度は、俺が答えを出す番だ。
カエラちゃん、もう少し待っててくれ。このライブが終わったら、返事を伝えるから。
曲のサビを終え、ギターソロに差し掛かる。未來ちゃんが俺と向かい合わせに立ち、エアギターでセッションする。
笑顔と、こめかみを流れる汗が印象的だった。彼女の神秘的で秘密めいた瞳の深奥に、俺はどう映っているのか。
見つめ合う俺たちを、サイトスコープを通して凝視するカエラちゃんの瞳には、どう見えているのか。
未來ちゃんと背中合わせになり、カエラちゃんが視界に入った。彼女は瞬きひとつせず、俺たちのステージングを食い入るように見守っていた。
俺はこの瞬間が最高の思い出になるように、2人の女神に向けて心を込めてギターをかき鳴らした。




