第十四話 クリスマスなんて大キライ
「いらっしゃいませ〜」
男性客がカウンターの上に置いた商品を、慣れた手つきでスキャナーに読み取らせる。
「840円になります」
〜円になりますって、なんだ? と内心で自分自身に悪態をつきながら、感情のまるでこもっていない平坦な口調。小計を伝えながら、小さいサイズの袋に商品を突っ込み客に突き出す。接客態度としては最悪だ。
「ありがとうございます」
呪詛の念を込めて謝辞を述べる。クソッ、もげろ! もげてしまえ! ——これで今日何個目だ?
その名も【しあわせ家族計画】。
俺には無用の長物だ。チッ、自分で言ってしまった。今日はやたらとコレが売れる。
12月24日、クリスマスイヴ。俺は結局、コンビニの店員としてこの日を過ごしていた。だって彼女いないし。家でソワソワしてるくらいなら、体を動かしていた方が気が紛れるというもの……と、思っていたのだけど。
「うわあ、クリスマスにバイトだなんて、彼女いないんだかわいそう」
という視線をありありと感じる。くそっ。なんという恥辱。こんな事なら家にいた方がマシだった。
悶々としている所にまた客がレジに来た。若い女性だ。俺はマニュアル通り、いらっしゃいませと言いながら商品に手を伸ばそうとする。
なっ……【しあわせ家族計画】だとぉ? いや待て、確かこの女には連れのオトコがいたはずだ。くっ、雑誌コーナーの所からチラ見している?
女に避妊具を買わせて羞恥心を煽り、それを眺めてほくそ笑む。なんという悪逆非道の振る舞い。ゆ、許せん……俺の死ぬまでにやっておきたい100のコトのベスト20に入っているんだぞ! まだ童貞だけどな!
くそっ。何がクリスマスだ聖なる夜だ。アメリカじゃクリスマスを一番共に過ごしたい人は家族だっていうじゃないか。お前らもさっさと家に帰れよ!
「もう、聖なる夜にこんなモノ買わせないで」
【しあわせ家族計画】を買わされた女がぶつくさ言うが、俺には「性なる夜にこんなモノ買わせるなんて、ヘンタイなんだから!……でもそこが好き♡」と言っているようにしか聞こえない。それに乗っかってヘンな事を言う男も馬鹿野郎だ。
「よーし、今日は謝肉祭だ!」
そんなバカップルが、寒空の宵闇に消えていく。な〜にが謝肉祭だ、いっそヤリすぎて衰弱死してしまえ! ばーかバーカ、バーーーーカ!
——はあ。荒んでるなあ俺。ちらりと時計を見る。午前1時を回っていた。バイト上がりの2時まであと少し。帰ったらどうしよ。1人謝肉祭か? どうやるんだよ。その時俺の(本)脳が悪魔的思考をはじき出していく。
まず自身の利き手ではない方の手に、つけ爪をつけます。次にキツ目の輪ゴムなどで手首を締め付け、うっ血させます。手の感覚が途切れ、体感温度が下がるまで待ちます。結んで開いてすると早いです。感覚がなくなったら、直ちにセルフバーニングを始めます。すると……アラ不思議。まるで自分の手じゃないみたい!
……やめよう。このままでは本当にチャレンジしかねない。そこまで考えて、俺は愚昧なる思い付きを吹き飛ばすように首を振った。
その時だった。見知った顔が店内に侵入してきたのは。ヴァイオレットのダッフルコートに黒のロングブーツ。コートの裾からチラリとのぞくデニムのフレアが、ちょっとしたアクセントになっている。
吉田カエラだ。彼女は俺と目が合うなり、「えへへー、来ちゃった」とでも言っていそうな照れ笑いをしてみせた。
「な、なんでこんな時間にこんな所に?」
「なんか、ヒマだったから」
「ヒマって、そりゃまあ夜中の1時に忙しい奴はそうはいないだろうけど……」
「ねえ」
彼女の呼びかけが、まごつく俺の言葉を遮るように割って入った。およそ50センチか60センチか。それがレジカウンターを挟んで向かい合う、俺とカエラちゃんとの距離。
「この後、空いてる?」
「え? う、うん」
俺は全く、ぎこちない返事しかできないでいた。そんな俺を伏し目がちに見てくるカエラちゃんは、持て余した両手の指を忙しなく絡ませ合いながら、ちょっぴり薄い唇を動かした。
「クリスマスケーキ買ったんだけど、1人じゃ食べきれなくて……。純平くんさえ良かったら、食べてくれないかな——」
カエラちゃんの、ふだん見せない女の子の部分を垣間見る。彼女の誘惑? にあてられ、微熱でもあるように身体の火照りを感じていた俺は、自分でも驚くくらいに素直な言葉を口にしていた。
「いいよ、行く行く」
途端に、早送り再生の朝顔のように、彼女の顔が喜色を帯びた。その笑顔を見ているとなんだか俺も嬉しくなって、電車の中でお年寄りに席を譲った時のような、ほっこりした気持ちに包まれたのを確かに感じた。
ホント? やったあ! というニュアンスがハッキリと伝わってくる程のカエラちゃんの満開の笑顔。白い歯を見せながら、じゃあ外で待ってるねと言って店を出ようとする。
「えっ、寒いでしょ? 雑誌でも読んで待ってればいいじゃん」
雪とかは降っていないけど、なんでわざわざ外で待つんだ?
「だって、自分のバイトしてる店でこんなコト、恥ずかしいじゃない」
ああ確かに、そりゃそうだ。理由を聞いたら、急に俺も恥ずかしくなってきた。だからそれ以上は何も言わずに、彼女の思うようにさせたのだった。
それからの30分弱、俺の頭は完全に浮かれてしまったようで、全く身が入らなかった。カエラちゃんは師走の寒風の中で待っている。やきもきしても仕方がないのだが、彼女の為にも早くバイトをあがりたい。その気持ちが無意味に俺を焦らせる。
——でも、なんで? なんでカエラちゃんは俺を誘ったんだ? もしかして俺のコト——
◇◆
ごめん、待った? なんてキザな台詞を吐くよりも先に、店舗のドアが開いた事に気付いたカエラちゃん。彼女は、はあっと息を吹きかけていた手を後ろに回し、何もなかったように小首を傾げた。最近ストレートパーマをあててサラサラになった、彼女の落ち葉色の髪が肩を撫でた。
どきん。
女の子と待ち合わせして優越感に浸るこの感じ。俺、もしかして初めてかも。
「寒かったでしょ、ほらコレ……カフェオレの方が良かったかな?」
「ありがとう。私、ブラック派なの。あ、でもカフェオレじゃなかったら普通のも飲めるから大丈夫だよ」
もう一度ありがとうと言って缶コーヒーを受け取り、頬に当てる仕種がまた可愛らしい。
カエラちゃん、か。見た目は結構好みだし、1つ年上というのも、年上好きの俺としてはポイントが高い。だがそれは未來ちゃんも同じだ。それどころか、見た目でいうなら未來ちゃんの方が確実に俺の中のドンピシャだ。
でもこのカエラちゃんからは、未來ちゃんにはない何かを感じる。上手く表現できないけれど、大海のような存在感とでも言おうか。
未來ちゃんは……例えば、そう。足跡だけを残して影も形も見つからない、美しき人魚だ。神出鬼没で思考も読めない。でもカエラちゃんはいつでもそこにいて、包み込むような安心感を与えてくれる。
そんなカエラちゃんと静まりかえった冬の夜道を歩く。アイといつかそうしたように、俺はバイク、カエラちゃんは自転車を押して。
「今日は何してたの?」
女の子と夜道を歩くという、急な展開になんの心構えもしていなかった俺は、当たり障りのない話題をチョイスするので精一杯。
「街に買い物に行ってきたの。そしたら周りはカップルだらけでさ、なんかイヤになっちゃった」
「彼氏いないの?」
「いないよぅ」
ふ〜ん、彼氏いないのか。男は放っておかないと思うんだけどなあ。
「好きな人とかはいるの?」
12月25日午前2時過ぎ、暗い夜道に男と女。ただなんとなく聞いた質問だった。だから顔色やなんかの表情は全然分からなかった。
ただカエラちゃんは、逡巡と呼ぶには長すぎると思える沈黙の後呟くように。
「……いるよ」と答えた。