第十二話 クリスマス定演
12月23日、クリスマスライブ当日。この日の俺は、少しばかりソワソワしていた。何故かと言うと、バイト仲間である吉田カエラとその友達をライブに招待していたからだ。
別に他意はない。人が家に訪ねてくるのを待っている時と同じである。彼女はライブハウスなどに縁のない人だったうえ、会場も少し説明しにくい所にあったため、辿り着けるのか不安だったのだ。
「どうしたの、ヤケにホールを気にしてるみたいだけど?」
未來ちゃんだった。彼女は本当に罪作りだ。更衣室から出てきた彼女は、露出の高めなサンタクロースの格好をしていたのだ。俺がときめかないワケがない。
今日もまた、一段と可愛い。もし家の煙突から未來ちゃんサンタが落っこちて来たら、俺は、俺は……。
「テテテ……腰打っちゃった」
「あ、あの、サンタさん……?」
腰をさすりながら立ち上がる未來ちゃんサンタ。妙に短いスカートの袖を直しながら、緩やかに笑顔を作る。
俺は突然の女神の降臨に胸を高鳴らせながら、それでも至極冷静を装った口調で話しかけた。
「ど、どうして未來ちゃんが……?」
「良い子にしてたかしら? ……うふふ、なら、サンタさんがクリスマスプレゼントあげちゃおうかしら」
そう言って胸に飛び込んできた美少女サンタが、俺の下唇を指でなぞってくる。硬直する俺の身体。
「プ、プレゼントって……」
腕を俺の首に絡めながら、妖艶なスマイルを浮かべる未來ちゃん。
「欲しいモノをあげるのがサンタの務め。
……欲しいんでしょ? ワタシのコト」
ごくり。もう我慢できない。俺は、俺は……。
「み、みみ、未來ちゃん!」
「おーい、純クーン。ドコ見てるの」
「えっ」
また妄想に耽っていたらしい。だが妄想は童貞の十八番。誰にも止める事は出来ない。
「いや、招待してる子がまだ来てないみたいだから気になって、ね」
「へえー。その様子だと、女の子かな?」
「う、うん。そうだけど」
「もしかして、彼女とか?」
「ち、違うよ。バイト先の友達だよ」
「ふーん。別に隠さなくても良いのに」
「そんな、あの子はそんなんじゃ——」
俺が照れているとでも思ったのだろうか。未來ちゃんが茶化してくる。好きな子にこんな事を言われるのは、存外辛い。隠してるとしたら、未來ちゃんに対する気持ちなのに。
俺が好きなのは未來ちゃん。想いが、口から勝手に零れ落ちそうになる。そんな事、言えるはずもないのに。
俺の中のモヤモヤは晴れる事もなく。しかしライブは進行していき、やがてスカイハイの出番が回ってくるのだった。
『♪欲しいモノは何ですか? 声に出して教えてよ
キミの欲しいモノは何ですか? ホントの事教えてよ』
未來ちゃんのステージングは、今日もホールに映える。聴衆は舞台に遊ぶ妖精の舞に心を奪われ、彼女の紡ぎ出す妖艶なソプラノボイスに耳を傾けた。
俺は……複雑な気持ちだった。この未來ちゃんの歌詞をのせたクリスマスソングは、これ迄の彼女の作った曲とは趣を異にし、自分の可憐さを見せ付けるのではなく、愛を与えるような言葉を連ねたものだった。
チクチクと心を何かが刺激する。正体は分かっている。
慕情だ。
何が欲しいって? 決まってるじゃないか。教えてだって?
——貴女が欲しいです。こんな事、今の俺に言えるはずもない……だって。
未來ちゃんの気持ちが見えないから。
……怖いんだ。今の気安い関係が崩れるのが。俺は全くの臆病者だ。前に進むのを望む事よりも、今を失う恐怖に怯えているのだから。
この曲の作詞は未來ちゃんなのだが、作曲と編曲は俺の手による。つまり、俺が最もこの曲を聴いたし、未來ちゃんからこのフレーズを何度も聴かされた。それが余計に心をかき乱してくる。
ふと、サークルボックスでの曲作りを思い出した。
「ちょっと文字数が少なすぎるかなあ?」
お手製の歌詞カードを片手に、スタンドマイクの前で小首を傾げる未來ちゃん。なるべく少ない言葉で訴えられる歌が作りたいらしい。
俺はピアノは弾けない。だからいつも作曲はギター一本だ。だけど、それが思わぬ閃きを連れてくる事はままある。この時もそうだった。
「このBメロ、臨時記号使ってリズムを変えてみようか」
『ムリなコトなんてないわ だって今日はクリスマスだもの ワタシが叶えてあげる☆』
「イイじゃない! この展開、ワタシすっごく気に入ったわ」
そんな褒め言葉に、日に日に寒さを増していく気候とは裏腹に、胸の内は暖気を帯びる。たったこれだけの事で満たされた気持ちになるのだから、複雑怪奇な世の中に反して、俺の頭は随分と単純で明快だ。
だけどそれが、恋するって事のプラス効果なのかもしれない。この時はそう思ったっけ。
『粉雪舞う季節にひとつだけアナタにあげる
指先かじかむその手で 落とさないように抱いてください』
伝えたい気持ちは積りに積もって、募りに募っている。俺の右斜め前でスポットライトを浴びながら唄う歌姫の横顔は、うっすらと汗を掻き、ホールの深奥を見つめていた。
その瞳の奥には何が映っているのだろう。ねえ、未來ちゃん。君は一体、誰に向けて歌ってるんだ?
あ……。
その時、俺は聴衆の中にカエラちゃんを見つけた。
来て、くれたんだ。内心ホッとした時、カエラちゃんと視線が重なった。彼女はリズムをとる手を止め、胸の辺りで振ってくれた。俺への合図だ。
手を止められない俺には、笑顔で応える事しかできなかった。だけど彼女にはそれで通じたらしく、隣りの、一度だけ見た事のある友人らしき女の子に、俺の事を指差すような素振りで語っているのが分かった。
その時俺は、彼女の視線に何か特別なものを感じた……ような気がした。
なんだこれ?
それ迄自信のなかった自分の中に、何か強気めいたものが芽生えた瞬間だった。
スカイハイのリードギターとして初めてステージに上がったあの日。未來ちゃんとエアギターセッションした四大合同ライブだ。あの時感じたのと似ていた。言うならば優越感。
殆どの聴衆は、男も女も未來ちゃんに釘付けだ。そんな中、カエラちゃんだけは間違いなく俺を観に来てくれていたのだ。
シックスセンスではサイドギターとして、ヒロの陰に隠れてしまう。つまらなくはないが、イマイチノッてこない。聴衆からすれば、モノトーンのモブキャラにすぎないのだ。
それに比べればスカイハイのリードギターは、ものすごく楽しいしやり甲斐もある。だがこの未來ちゃんに対する想いが、俺の心の翼を絡め取ってしまう。
ステージ上の彼女に手を伸ばす有象無象、それに応えてよりヒートアップしていく未來ちゃん。俺はそのライブの真っ只中にありながら、どこか冷めてしまうのだ。
熱情はしきりに彼女を求め、余裕を無くさせる。最も近い所にいながら最も遠く感じる存在に、俺は心を焦がした。
だがそんな俺に、一筋の光。眼下に俺を目当てに来てくれた人がいる。その事実が、力を与えてくれる。
カエラちゃん、ありがとう。なぜだか素直にそう思えた。その気持ちを彼女に伝えるように、俺は音楽の世界に没頭していったのだった。