第十一話 Interlude
11月上旬の学祭が終わると、次は12月23日のクリスマスライブが待っている。
学祭ライブは、勿論学内で行われるサークル活動なので、特に費用がかかる事はなかった。
だが四大合同ライブやクリスマスライブのように、ライブハウスで開催されるイベントには、どうしても先立つモノが必要になる。
俺は学祭後、練習もそこそこに、アルバイトに精を出していた。
午後10時から深夜2時のコンビニの店員だ。
この時間帯が自分のライフスタイルにも都合が良く、なおかつ時給も良かった。
クリスマスライブの参加費は勿論の事、これから年末年始にかけてやれ忘年会だ新年会だと、まあ入り用が目白押しなのだ。
したがって、今の内に稼いでおかなくてはならない。
だが今日はマズった。10分程遅刻してしまった。部室を出るタイミングをミスってしまったのだ。
慌ててスクーターを走らせ、バイト先に急行する。
カウンターの中に居た、10時から一緒に入る事になっている同僚に、両手をすり合わせて詫びを入れる。
「ごめーん、すぐ準備する」
そう言って店の奥に移動し、アルミ色のバックヤードの扉を勢いよく開け放した。
喉元まで出掛かっていた、店長スイマセン、遅刻しました! という言葉を、俺はハッと飲み込んだ――なぜなら。
「きゃっ」
と小さな悲鳴と共に、見知らぬ女の子が俺の眼前に立ち尽くしていたからだ。
スタッフの制服を着ている事から、バイトの子だというのはすぐに分かった。名札には【よしだ】と書かれている。
どうやら今日が初出勤で、しかもそんな日に限って俺が遅刻したものだから、割を食って10時を回っても帰れないでいたらしい。
「ごめん、迷惑かけちゃって」
「い、いえ大丈夫です。吉田カエラと言います。
宜しくお願いします」
それが俺と彼女との最初の出会いだった。
◆◇
12月上旬。バイト仲間で親睦会が開かれた。夕方組と深夜組では10時の引き継ぎくらいしか接点はない。
しかも店長の意向なのか、夕方は女子のみ、深夜は男子のみで構成されていた。
故に、顔を見た事はあっても挨拶程度しか話した事がない、そんな人はそれなりにいたのだ。
だからこの日は、なんとなく親睦会という名の合コンのような感じだった。
俺は不思議と、このひとつ年上のカエラちゃんと波長があった。
第一印象からして、俺の好みではあった。きっと、未來ちゃんという存在を知らなければ、一目惚れしてもおかしくないくらいにストライクゾーンだったし。
犬顔か猫顔、どちらが好きかと問われれば、俺は後者だ。未來ちゃんなんて、まさにパーフェクト。
吸い込まれそうなあの瞳。しなやかなあの肢体。ぽってり唇から紡ぎ出される、猫が甘えるようなあの声。そして、何を考えているか分からない、あの自由奔放さ。
まるで都会の路地裏を根城にする、神出鬼没のアメリカンショートヘアだ。
今俺の向かいで膝を突き合わせているカエラちゃんも、タイプは違うが、猫のようなミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
とは言っても、唇は薄いし声も未來ちゃんの方が魅力的だ。
だけど……なんだろう。カエラちゃんは、俺の話をちゃんと聞いてくれている、そんな印象を受けた。
猫のようだと言っておきながら、カエラちゃんの態度には、犬のような人懐っこさがあった。それはそれで、嫌いじゃない。
「松浦くん、バンドやってるんだ」
「ああ、ギターやってるよ」
「私、観てみたいなあ」
松浦くん呼ばわりが少々距離を感じるが、初めてまともに会話したのが今日であれば、それも仕方あるまい。
「ホントに? 是非観に来てよ。チケットできたらあげるから」
目をらんらんと輝かせ、手を打って喜ぶカエラちゃんは、なんだかキラキラして眩しかった。
この子が彼女なら、結構楽しいかもしれない。もしも俺がカエラちゃんと付き合ったら……まったく、気が早いなあ。
それにどこまでいっても、未來ちゃんの魅力にはかなわないし。どんなに可愛い子が目の前にいようと、今の俺にとってそれは、未來ちゃんへの恋心を再確認する当て馬にしかならない。
愛は盲目なのだ。
だけどこのバイト仲間の飲み会は、もの凄く居心地が良かった。
それは多分、サークルとか悲痛な片思いとか。そういったカテゴリーから解放され、純粋に飲食やおしゃべりを楽しめる空間だったからだと思う。
学校も趣味もバラバラ。バイト仲間であるというだけの軽い繋がりが、今の俺にはありがたかった。
こうして、クリスマスライブ2週間前の週末の夜を、俺は掛け値なしに楽しんだのだった。
◆◇
クリスマスが近付くと、何故かテンションが高くなる。一年の内で、最も大事なイベントに位置付けているカップルも多いだろう。
クリスマスは愛する人と過ごすもの。そんな風潮が世間の主流だからだ。
それが動機だったのかどうかは分からないけれど、ライブ10日前のスカイハイの練習時間。そこで俺はとんでもない事を聞いた。
「麻衣ちゃんおめでとう。良かったね」
とは未來ちゃんの弁。それにドラムセットの椅子に座り、スティックを持ったままありがとうと答える麻衣。
麻衣に彼氏ができた。相手はヒロじゃない、残念ながら。同じ教育学部の学生らしい。
そりゃあ友人に彼氏ができた事は喜ぶべきものだったが、俺の内心は複雑だった。それはつまり、ヒロの失恋を意味するからだ。
ヒロは告白しなかったんだろうか。もっと早く行動していれば、麻衣の隣を占有できた可能性は多分にあったと思う。
けれど現実はこれだ。俺はいたたまれなくなって、ヒロの身を案じた。
不意に、キーボードの前に立つアイと目があった。
純潔三人組の連帯感か、彼女の表情からも、やはり複雑な心境が見て取れる。きっと俺と同じ事を考えているに違いない。
ヒロと麻衣の事は、俺とアイにとっては一縷の望みだった。俺たち三人の中じゃ、乗り越えるべき壁が一番低いと思っていたのだ。それなのに、ダメ。
いや、よく考えてみれば、アイは既にアキラ先輩に告白している。残念ながら、そちらも上手くはいかなかったようだが。
となると、残りは俺か。手に持つマイク越しに、麻衣を冷やかす未來ちゃん。俺は彼女のコトを何も知らない。彼氏がいるのかどうかさえも。恐いのだ。
今更それを尋ねるのは、半ば告白する事と同じだ。だから推測するしかない。
とは言っても、恐らく彼氏はいないだろう。いたら、ヤリマンだなんてこんな噂が立つべくもない。彼氏にだって止められるだろうし。
未來ちゃん……こんなに。こんなにすぐ近くにいるのに。手を伸ばせば届くところにいるのに。
未來ちゃんの気持ちが見えない。
未來ちゃんは俺と話す時、妙に馴れ馴れしい。俺の腕なんて、彼女の手垢がついてるんじゃないかってぐらいだ。
だけど彼女は、どのくらいの意識レベルで、俺にボディタッチしているのだろうか。
きっと俺と未來ちゃんとでは、相応の温度差があるに違いない。
間違いなく。間違いなく、俺の未來ちゃんを好きな気持ちは世界一だ。
未來ちゃんの為ならなんだって、だなんて、如何にも童貞な慕情に身を焦がしている。
クリスマスはもう目前に迫っていて、LEDのイルミネーションに彩られた街並みを、未來ちゃんの手を恋人つなぎにして歩く事ができれば。俺、幸せ過ぎて死ぬかもしれない。
だけど、その為には俺の気持ちを伝えなきゃならない。その大前提が恐くてできない。
まったく、臆病すぎる。
高校の時は同じ相手に何度も告白するだけの気概があったのに。今にして思えば、あれはプラトニック・ゲームだったのだ。
子供同士だからできた事。だけど今は違う。
俺はまだ童貞のままなのに、相手は何人かなんて知らないが、男と夜を共にしてきた未來ちゃん。
オトナ。オトナだ。経験値が違う。
そんな彼女に告白して、「ふふ、ナニ一生懸命になってるの」なんて言われてしまったら、恥ずかしさのあまり、行き場を失くしてしまいそうだ。
それに、未來ちゃんに好意を伝えることで彼女の目に留まり、「純クン、お姉さんが教えてあ・げ・る」と言って迫られたら。
俺にはそれを断れる自信がない。
確かに、未來ちゃんと抱き合いたい。ひとつになりたい。
未來ちゃんの唇の味、胸の柔らかさ、汗の匂い、吐息混じりの声、未來ちゃんの――温もり。知りたい。未來ちゃんの、人には見せない部分を。未來ちゃんの……全部を。
だけど……そこに気持ちはない。それは嫌。それはイヤなんだ。俺は未來ちゃんのカラダだけを抱きたいんじゃない。
心も、いや心をこそ抱きしめたい。気持ちで繋がっていたい。
それはやっぱり、童貞の戯れ言……なのかなあ?
『おーい、純クン、聞いてる?』
麻衣への冷やかしタイムは、いつの間にか終わっていたらしい。俺ってば、すぐ自分の世界に行っちゃうなあ。
『じゃあ新曲を通しでやるよ』
俺は一度目を閉じて深く息を吸った。雑念を振り払うために。
……よし。
今はとにかく、ライブを成功させる為に練習を重ねる時だ。音楽に対して、失礼な態度であってはならない。
未來ちゃん率いるポップロックバンド、スカイハイ。俺はその一員として、湧き上がる情念を押し殺し、ギターを奏でるのだった。