正しい子
話の軸がバレてしまうので、本編には書けなかった部分です。
本編(https://ncode.syosetu.com/n0998lx/)と重複する部分はかなり削ったので、本編をお読みいただいてからみていただける方がわかりやすいかもしれません。
前四話になる予定です。
これまでは書き上げてからまとめて投稿していましたが、今回は書き上がり次第逐次投稿します。
「和紗ちゃんは本当に礼儀正しいね」
「一生懸命練習して、将来は師範の後を継ぐのかな?」
「さすがはお寺さんとこの子やわぁ」
うちの実家は、地域の中ではまあまあ大きいお寺やった。
歴史も古くて、こども園と少林寺拳法の道場も一緒にやっている。
お父さんは住職で、お母さんはこども園の園長。
二人とも道場の師範でもあった。
物心ついた頃には、うちはもう道場に立っていた。
小さい手と足で型をなぞって、声を出して、転んではまた立っていた。
最初のきっかけは単純やったと思う。
お父さんとお母さんが褒めてくれたから。
お弟子さんや練習生も、毎日ちゃんと鍛錬を続けるうちのことを褒めてくれたから。
小学校に上がると、拳法以外のことでも褒められるようになった。
近所のおばあちゃんは、よう挨拶できるええ子やねと言うた。
先生は、友達の面倒を見てえらいねと言うた。
同級生は、和紗って足速いよなあと笑った。
そして、うちが褒められるたびに、お父さんもお母さんも嬉しそうにしていた。
その顔を見ると、うちも嬉しかった。
褒められるたびに、うちはちゃんとここにいてええんやと思えた。
うちは、正しいことをするのが好きやった。
正しいことをして、褒められて、喜ばれて、そういう自分でいるのが好きやった。
それが当たり前やと思っていた。
黒宮さん夫婦――お父さんとお母さんの昔からの友達の家には、伊織という子がおった。
何度か一緒に遊んだことはあったけど、親同士ほど子ども同士は親しくならんかった。
初めて見た時は、女の子かと思うくらい白くて儚い印象で、成長の早かったうちとは体格も遊び方も噛み合わなかった。
小学六年の一学期、そんな伊織が学校に行けなくなったと、お母さんたちが話していた。
もしかしたらいじめかもしれん、という話も聞こえた。
「それやったら、明日うちが伊織のこと学校に誘ってみるね」
うちは、たぶん何も疑わずにそう言った。
困っている子に手を差し伸べるのは、きっと「いいこと」や。
うちがそうすれば、伊織も、お母さんたちも、きっと喜ぶ。
実際、お母さんも伊織のお母さんも、うちを褒めてくれた。
次の日の朝、うちは伊織の家へ行った。
学校に来られなくなった子を誘ってあげる。
それが正しいことやと、本気で思っていた。
だから、うちが行けば伊織はきっと喜ぶんやと思っていた。
その、思い込みを打ち砕いたのが伊織やった。
「絶対嫌だ。僕がどれだけしんどいか知らないくせに! 勝手なこと言うなよ!」
差し出した手を振り払われた瞬間、うちは何をされたのか分からんかった。
正しいことをしたのに。
助けようとしたのに。
なんで、こんなふうに拒絶されるんやろう。
でも、それ以上に頭に残ったのは、怒鳴った伊織の方が、ひどく傷ついた顔をしていたことやった。
あんな顔、見たことがなかった。
びっくりした。
同時に、胸の奥がざわっとした。
助けなきゃ、と思った。
その日の休み時間、うちは伊織の教室へ行った。
顔見知りの子に話を聞いて、昼休みに担任にも伝えた。
でも、先生は困った顔をしただけで、何もしてくれんかった。
だから放課後、うちはもう一度その教室へ行って、クラスの子ら全員に直接言うた。
伊織に嫌なことをしたんやろ、と。
もうやめなあかん、と。
今思えば、あれは随分と子どもっぽいやり方やったと思う。
でも当時のうちは、それでも自分でやるしかないと思っていた。
次の日も、うちは伊織を迎えに行った。
「もう大丈夫やよ」
そう言うた瞬間、伊織は大きな声を上げて泣き出した。
どれだけ辛かったんやろう。
どれだけ我慢してたんやろう。
この子を救ってあげたい。
気がついたら、うちは伊織を抱きしめていた。
細くて、熱をため込んだみたいに少し熱い身体。
うちの服をぎゅうっと掴んで、子どもみたいに泣きじゃくる伊織を見て、胸の奥がきゅっとした。
可愛い、と思った。
それは年上ぶった保護欲やったんか、弱いものを守る自分に酔っていたんか、今になってもよう分からん。
でもたしかにあの時、うちは伊織を抱きしめながら、嬉しいとも思っていた。
それから、うちは伊織と一緒に登校するようになった。
伊織はいつも、うちの少し後ろをついて歩いた。
そして、正義の味方でも見るみたいな、きらきらした目でうちを見上げてくるのだ。
それは、とても心地よかった。
伊織の前にいる時だけは、うちはいつでも正しく、強くいられた。
中学生になると、伊織は道場へやって来た。
「和紗ちゃんみたいに強い人間になりたい」
そう言われた時、胸の奥がぞくっとした。
嬉しかった。
誇らしかった。
自分が誰かの憧れそのものになっているのだと、はっきり分かってしまったから。
うちは伊織にとっての目標で、光で、ヒーローなんやと思った。
でも、そんな気分に浸っていられたのは、長くなかった。
伊織は最初の頃こそ身体が弱くて、少し無理をするとすぐ熱を出したり、道場の隅でへたり込んだりしていた。
けれど、通ううちに少しずつ強くなっていった。
他の子が週二日の鍛錬だけで帰る中、伊織は毎日来た。
うちが友達と遊んで帰った日でも、一人で道場に残って、黙々と鍛錬していた。
道場の床に落ちる足音。
息を吐く声。
何度も何度も、同じ動きを繰り返す姿。
最初は、すごいなあと思っていた。
次に、頑張りすぎやろと心配した。
それから、気づいた。
うちは焦っていた。
このままでは、伊織のヒーローでいられなくなる。
それからのうちは、伊織に負けじと鍛錬に明け暮れた。
伊織が来られない朝にも道場へ出て、朝稽古をやった。
放課後も、帰ってからも、身体が重い日も、気持ちが乗らん日も、休まずやった。
頑張れば、まだ大丈夫やと思いたかった。
成果はあった。
もともと女子の部では強かったけれど、高校生になる頃には、同じ部門では安定して上位に入るようになっていた。
でも、伊織の成長はそれよりもずっと速かった。
うちが十二年かけて積み上げてきた武に、伊織は半分ほどの時間で追いついてきた。
身長はとっくに抜かれていた。
隣に立つと、いつの間にか見上げなあかん時すらある。
だけど、負けたくなかった。
絶対に負けたくなかった。
伊織にとっての憧れで、目標で、ヒーローでいたかった。
その一心で必死に頑張って、高校卒業まで、道場での手合わせでは何とか勝ち続けることができた。
けれど、うちはどこかで分かってしまっていた。
ここが、限界やと。
技術だけでは覆せない差があった。
男女の差というだけではない。
もともと虚弱で、今にも折れてしまいそうやったあの子は、いつの間にか想像もできんほど引き締まった身体になっていた。
太くはないのに、しなやかで、強くて、無駄がなかった。
たぶん、もともと持っていた素質もあるんやろう。
どれだけ修練を重ねても、もうこれ以上は、手合わせで勝ち続けることはできない。
その予感が、日に日に現実味を帯びていった。
いつの頃からか、うちは伊織の憧れでいられなくなる日を、怖がるようになっていた。




