表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放されて砂漠に飛ばされましたが、最強従魔と魔法で生き延びます  作者: ののじん
一章:追放、砂漠、契約

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/14

8話:芋づる

めっちゃ長くなってしまった

 司法院の白い廊下は忙しかった。

 保全命令は“止める”命令ではない。

 止めたまま、次の手を呼ぶ命令だ。


 書記官が紙束を抱え、審査官の部屋へ入る。

 扉が閉まる。

 閉まるたびに、王都のどこかの息が詰まる。


 机の上に並ぶのは、式典資料、帳簿の控え、閲覧記録。

 そして、提出させた“署名”。


「……閲覧が多い」


 審査官が低く言った。


「保全が出てから、急に増えています」


 書記官が答える。

 急に増えるのは、守ろうとした者がいる証拠だ。


「守ろうとしたのは何だ」


「原本です」


 審査官は紙を指で押さえた。


「原本を動かそうとした痕跡がある。――関係者を呼べ」


 書記官が頷く。


「誰から」


「末端からだ。先に崩れるところから崩せ」


 司法院は感情で動かない。

 だから、追い詰め方も冷たい。


 ☆


 王城。


 カシウス=コンラート=グランセルは、協力声明が出た後の反応を聞いていた。

 侍従が慎重に報告する。


「評議会は、殿下の声明で一旦は静まりました。ただ……」


「ただ?」


「司法院が“聴取”に入ります。末端の帳場、司式官配下、式典担当の書記官。――そこから呼ぶ、と」


 カシウスの指先が、机の縁をなぞった。


「……末端からか」


「はい。噂も立っています。“保全の直後に閲覧が増えた”と」


 王子は表情を変えない。

 変えないが、判断は速くなる。


「切る」


 短い言葉が落ちる。


「殿下」


「切り捨てる者を決めろ。先に決めておけ。聴取が始まれば、勝手に崩れる。――崩れる前に、落とす」


 侍従が息を呑む。


「誰を」


 カシウスは名前を言わない。

 ここで名前を言えば、それが“確定”になる。


「“触れた者”だ」


 指先が、紙の上の閲覧記録を叩く。


「原本に近づいた者。帳簿を動かした者。封印を扱った者。――そいつらは、守る価値がない」


 侍従が頷いた。


「司式官エルデンは」


 カシウスは一拍置く。


「まだ使う」


 そして続ける。


「だが、逃げ道は作っておけ。エルデンが落ちるなら、“単独の暴走”にする。王子の命令は残すな」


 侍従が声を落とす。


「証人の揺さぶりは進めています。リヴェルノート側の運搬人に、借財が見つかりました。賭場です」


「使え」


 カシウスは淡々と言う。


「嘘をつく理由にする。司法院は“疑い”が残れば止まる。止まれば時間が稼げる」


 だが、時間が稼げるのは“何も見つからなければ”だ。

 見つかれば、逆に燃える。


 ☆


 同日。司法院。


 最初に呼ばれたのは、帳場の書記官だった。

 小役人の男は、椅子に座るだけで汗をかく。


「名前と役職」


「……王家会計の第三帳場、書記官の、ローディスです」


「保全命令後に、帳簿を閲覧したな」


 審査官の声は穏やかだ。

 穏やかなほど、逃げ道がない。


「え……あ、はい。命令が出たと聞いて、確認を……」


「誰の命令で確認した」


「命令では……自分の判断で……」


 審査官は頷いた。

 頷き方が怖い。肯定ではない。記録だ。


「自分の判断で、封印のかかった帳簿に触れた」


 書記官が青ざめる。


「触れてないです! 閲覧だけで……」


「閲覧記録がある。閲覧も“触れた”うちだ。何を確認した」


 男が口を震わせる。


「……封印番号が……合っているかを」


「なぜ封印番号を気にした」


「それは……」


 審査官は淡々と続ける。


「封印番号が合わない可能性があると、誰かに言われたな」


 沈黙。

 男の喉が鳴る。


「……言われました」


「誰に」


 男は震えながら答えた。


「司式官配下の……エルデン様のところの、使いの者に」


 審査官のペンが止まらない。

 書記官の言葉は、鎖の先を繋いだ。


「使いの名は」


「……グラハムです。灰色の外套の」


 審査官が書記官を見る。


「他にもいるか」


「……いました。もう1人。女です。名は知りません」


 審査官は紙を閉じ、淡々と言った。


「よし。次」


 ☆


 同じ頃。

 リヴェルノート公爵邸では、ヴァレリウスが報告を受けていた。


「閣下。司法院、末端から崩しています」


「当然だ」


 ヴァレリウスは言った。


「末端は守られていない。だから喋る」


 女が続ける。


「司式官配下の“使い”の名が出ました。灰色の外套。グラハム」


 ヴァレリウスの目が細くなる。


「……エルデンの手先か」


「はい。繋がりました」


 男が補足する。


「証人の揺さぶりも来ています。賭場の借財。噂が回り始めました」


 ヴァレリウスは表情を変えない。


「噂は放っておけ。証人は守る。守って、司法院へ“手を伸ばした痕”を出させる」


「閣下、王子側は切り捨てに入っています」


「切り捨ては、芋づるの始まりだ」


 ヴァレリウスは淡々と言った。


「切られた者は、王子を守らない。――守るのは自分だ」


 ☆


 王城。

 カシウスのもとへ、司式官エルデンが呼ばれていた。


 顔色が悪い。

 寝ていないのではない。寝られない顔だ。


「殿下……司法院が、帳場を」


「知っている」


 カシウスは遮る。


「お前は“協力”の顔で行け。逃げるな。逃げるほど怪しい」


 エルデンの唇が震える。


「ですが、私の配下の名が……」


「配下は配下だ」


 カシウスは淡々と言った。


「お前が守るのは、配下ではない。王家の儀式だ。――“儀式の整合”を守れ」


 エルデンが縋るように言う。


「殿下、私が落ちれば……」


「落ちるな」


 カシウスの声が冷える。


「落ちるなら、“お前の暴走”だ。王子の名は出すな。出した瞬間、お前は終わる」


 エルデンの背が凍る。


「……承知、しました」


 カシウスは目線を外した。


「行け」


 扉が閉まる。

 切り捨ての音がした。


 ☆


 夕刻。

 司法院の呼び出し状が、司式官配下の詰所へ届いた。


 灰色の外套の男――グラハムは、封を切った瞬間に顔色を変えた。

 周囲を見回す。

 逃げ道を探す目だ。


 だが、逃げ道を探した時点で、遅い。


 扉の外には、別の足音があった。

 司法院の執行官ではない。

 王城の兵でもない。


 もっと静かで、もっと日常に紛れる足音。


 グラハムは紙を握りつぶす。

 その音が、小さく響いた。


 そして彼は、初めて理解した。


 ――切られる。


 王子は、自分を守らない。


 息が浅くなる。

 喉の奥が乾く。

 この乾きは水の乾きではない。言葉が出なくなる乾きだ。


 グラハムは紙屑を懐に押し込み、外套の襟を立てた。

 詰所の出入り口へ向かう足取りは、普段と変わらないように見せる。

 変えた瞬間、目が付く。

 目が付いた瞬間、終わる。


 扉を押し開けると、夕方の風が頬を撫でた。

 王都の風は砂を運ばない。

 だが、逃げる者の匂いだけは運ぶ。


 角を曲がる。

 石畳を踏む音が、背後で一つ増えた。


 グラハムは振り返らない。

 振り返れば、確信になってしまう。


 次の角。

 今度は反対側から、足音が一つ。


 包囲――ではない。

 包囲はもっと派手だ。

 これは日常の顔をした“囲い”だ。


「……」


 グラハムは唇を噛んだ。

 司法院か。王城か。

 どちらでもない。

 どちらでもないから、怖い。


 橋の下へ抜ける細道に入る。

 薄暗い。

 ここなら、姿は消せる。


 その瞬間、声が落ちた。


「グラハム」


 低い女の声。

 近い。

 驚くほど近い。


 グラハムは足を止めた。

 止めたくなかった。だが止まった。

 名前を呼ばれた時点で、逃げ道が半分消える。


「……誰だ」


 女が一歩だけ前に出る。

 灰色の外套。

 だが、司式官配下の灰ではない。

 街に溶ける灰だ。


「リヴェルノート公爵家の者だ」


 グラハムの肩が跳ねる。


「……公爵の犬か」


「犬ではない。仕事だ」


 女は淡々と言った。


「司法院から呼び出しが届いたな」


「……」


「答えなくていい。顔に書いてある」


 グラハムは喉を鳴らす。


「何の用だ。脅しに来たのか」


「逆だ」


 女は一拍置いた。


「脅されているのは、あなたの方だ」


 背筋に冷えが走る。

 グラハムは、ようやく“消される側”の匂いを理解した。


「王子は、俺を守らない」


 自分で言って、胸が痛んだ。

 言葉にした瞬間、現実になる。


 女は頷いた。


「だから選べ。司法院へ行くか。――消えるか」


 グラハムは唇を震わせる。


「司法院へ行けば、俺は終わる」


「消えても終わる」


 女は淡々と切る。


「終わり方を選べ。――喋れば、終わるだけで済む。黙れば、終わり方は選べない」


 グラハムの視線が揺れる。

 喋れば裏切り者。

 黙れば死人。


 その迷いを、別の足音が断ち切った。

 奥から、もう一つ。

 早い。迷いのない足音。


 女が言う。


「来た」


「……誰が」


「王子の“口止め”だ」


 石畳を叩く音が近づく。

 ここは細道だ。逃げたところで、出口は一つ。


 女がグラハムの腕を掴んだ。

 力は強くない。だが、迷いがない。


「走る」


「待て、俺は――」


「今は喋るな。息を残せ」


 女は短く言い、彼を引いた。


 細道の途中にある、崩れかけた木戸。

 女が鍵を回す。鍵が合う。

 ――準備されている。最初から。


 木戸の向こうは物置のような狭い部屋だった。

 干草の匂い。埃。

 女が扉を閉め、内側から閂を落とす。


 外の足音が止まる。

 誰かが鼻を鳴らす音。

 扉の前で、呼吸が揃う。


「……入ってこないのか」


 グラハムが囁く。


「入らない」


 女が答える。


「入れば揉める。揉めれば記録が残る。……王城は、それを避ける」


 外で、誰かが低く言った。


「……いない。戻るぞ」


 それだけ。

 足音が遠ざかる。


 グラハムは膝から力が抜けた。

 座り込みそうになるのを、女が支えない。支える必要がない。


「……助けたのか」


「違う」


 女は淡々と言った。


「あなたに“選ばせた”。今なら、司法院へ行ける。消されない形で」


 グラハムは息を整えようとして、うまくいかなかった。


「俺が喋れば、王子は――」


「追い詰められる」


 女は答える。


「あなた一人の証言では足りない。でも、鎖の先を繋げる。司法院は鎖が好きだ」


 グラハムは苦く笑う。


「……鎖か」


「鎖だ」


 女は扉の隙間から外を確認し、短く言った。


「歩けるか」


「……歩ける」


「なら来い。司法院へ“自分の足で”行く。連行じゃない。自首だ」


 その言葉が、グラハムの胸に刺さる。

 連行なら、誰かのせいにできる。

 自首なら、自分の言葉になる。


 だが、今はそれしかない。


 グラハムは立ち上がった。

 足が震える。

 それでも、歩く。


 木戸が再び開き、二人は裏路地へ出た。

 夕方の光が、白い廊下の方向へ伸びている。


 グラハムは息を吐いた。


「……俺は、何を言えばいい」


 女が答える。


「事実だけを言え」


「事実?」


「誰が来た。何を言った。何を触れと言われた。――命令の形を」


 グラハムは目を閉じ、思い出す。

 灰色の外套の使い。

 封印番号。閲覧記録。

 そして、司式官の名前。


 歩きながら、彼は初めて理解した。


 王都の火は、噂では燃えない。

 紙と署名で燃える。


 ☆


 一方その頃、王城では。


 侍従が報告を落としていた。


「殿下。グラハムが、行方をくらませました」


 カシウスは顔色を変えない。


「……くらませた、か」


 言葉の選び方が、怒りより冷たい。


「司法院へ向かった形跡は」


「……現時点では」


 カシウスは一拍置いた。


「なら探せ。だが、手は出すな。王城の兵が触れば痕が残る。……司法院の縄で縛らせろ」


 侍従の喉が鳴る。

 王子の命令は明確だった。

 だが、汚れだけが部下に残る。


「……承知しました」


 カシウスは窓の外を見た。

 夕暮れの王都は、まだ整っている。

 だが整いの下で、鎖が増えている。


 ☆


 司法院。

 白い廊下の先で、書記官が顔を上げる。


 扉が開き、見慣れない男が入ってきた。

 灰色の外套。

 汗で襟が濡れている。


「……自首します」


 その一言で、廊下の空気が変わった。


 書記官は驚かない。驚きを見せない訓練が身についている。

 だが、ペン先だけが一瞬止まった。


「氏名」


「グラハム。……司式官配下の使いです」


 廊下に立っていた執行官が、ゆっくりとこちらを見る。

 “配下”という言葉が、鎖の先を掴ませる。


「自首の内容を」


 グラハムは唇を震わせた。

 口を開けば戻れない。

 戻れないからこそ、ここへ来た。


「……保全命令の後、帳場に行きました。封印番号を確認しろと言われた」


「誰に」


 グラハムの喉が鳴る。

 背中が冷える。

 だが、白い廊下は砂漠より乾いている。ここでは、汗は助けにならない。


「司式官……エルデンのところからです」


 書記官の目がわずかに細くなる。

 “ところから”は、曖昧だ。

 司法院は、曖昧を嫌う。


「命じたのは誰だ」


 グラハムは一瞬だけ迷う。

 迷いは、命を短くする。


「……エルデン本人ではない。ですが、エルデンの名で動いている者がいた。灰色の外套の男が、帳場の書記官に――」


「止めろ」


 執行官が淡々と遮った。


「ここは廊下だ。聴取室へ」


 グラハムの肩が跳ねる。

 連行ではない。

 だが、引き返す扉は閉じた。


 ☆


 聴取室は簡素だった。

 机と椅子。蝋燭。紙。

 壁は白いが、白さが人を守らない場所だ。


 審査官が座り、書記官が記録の紙を置く。

 グラハムは椅子に座らされる。座らされる、ではない。座るしかない。


「自首の意思は継続するか」


「……はい」


「虚偽があれば、あなたの供述はあなたを刺す。理解しているか」


「……はい」


 審査官は頷いた。

 頷き方が、機械のように正しい。


「では、順に言え。いつ、誰が来た。何を言った。何をした」


 グラハムは目を閉じて、思い出す。

 順番だけを追う。

 感情は入れない。入れれば、言葉が崩れる。


「保全命令が出た直後、司式官配下の詰所に呼ばれました。そこで……“封印番号を確認しろ”と」


「誰が」


「エルデンの配下です。名は……ロイ。指輪に王家の紋がある」


 書記官が即座に記録する。

 “指輪”は証拠だ。曖昧より強い。


「何のために封印番号を確認すると言われた」


 グラハムは一拍置いて、言った。


「……“合っていることを確かめろ”と。合っていれば、それでいい。合っていなければ、すぐ知らせろ、と」


 審査官が淡々と問う。


「合っていなければ、どうすると」


 グラハムの唇が震えた。

 言っていいのか。

 だが、ここに来た時点で、言う以外はない。


「……“整える”と言いました」


 審査官の目がわずかに動く。

 “整える”。王都の言葉だ。

 綺麗な顔で汚す時に使う。


「整える、とは」


「……封をやり直す。番号を合わせる。そういう意味だと、俺は……思いました」


 審査官は一拍置いた。


「推測は不要だ。あなたが見たこと、聞いたことだけ言え」


 グラハムは頷く。

 息が、少しだけ戻る。


「ロイは、封蝋の道具を持っていました。小箱です。……中に印があった」


 書記官のペンが走る。

 室内の空気が、さらに冷える。


「その印は何だ」


「王家の紋です。司式官が使う印と同じ……だと思います」


 審査官が書記官を見る。


「司式官の印章箱の管理記録を。今日中に」


 書記官が頷く。


「はい」


 グラハムの背中に、汗が伝う。

 汗は水ではない。

 だが、汗の量だけ、鎖が繋がっていく。


 審査官が続ける。


「あなたは帳場へ行った。誰に会った」


「王家会計の第三帳場。書記官ローディスです」


「何を指示した」


 グラハムは唇を噛み、言う。


「封印番号を確認しろ、と。閲覧記録を残すな、と……言いかけました。でも、言いませんでした。怖くて」


 審査官は淡々と書記官へ目配せする。


「“言いかけた”は不要。言ったことだけ」


 グラハムは頷く。


「……封印番号の確認だけです」


「確認して、結果は」


「合っていました。少なくとも、その時点では」


 審査官は一拍置く。


「その時点では、というのは」


 グラハムの目が泳ぐ。

 だが、言う。


「……その後、ロイがもう一度帳場へ行ったと聞きました。俺は同行していません。でも、詰所で“二度目は俺がやる”と」


 審査官が静かに言った。


「よし。――ロイを呼ぶ」


 その一言が、室内を切った。

 呼ばれる。

 鎖が、次の輪へ渡る。


 ☆


 同日、夕刻。


 司式官配下の詰所が、司法院の執行官に訪ねられた。

 派手な包囲ではない。

 紙と印章で入ってくる。


「ロイ=ハルディンを、聴取のため呼び出す」


 詰所の空気が凍る。

 ロイは一瞬だけ顔を強張らせた。

 その強張りが、答えになる。


「私は……司式官の命で動いただけだ」


 誰も聞いていないのに、先に言い訳が出る。

 司法院は、その瞬間を逃さない。


 ☆


 聴取室。


「私は“確認”をしただけだ。封印番号が合っていることを確かめた。王家を守るために」


 審査官は頷く。

 頷きは肯定ではない。記録だ。


「確認のために封蝋道具を持ち歩くのか」


 ロイの目が揺れる。


「……念のため」


「念のために、王家の印が必要か」


 沈黙。


 審査官は紙を一枚差し出した。

 印章箱の管理記録。

 司式官の印章が、昨日の夜から今朝にかけて、一度“空白”になっている。

 持ち出しの記録がない。

 返却の記録もない。


「空白がある」


 審査官の声は淡い。

 淡いから、逃げられない。


「……誰が持ち出した」


 ロイの唇が震える。


「……私は」


 言った瞬間、背中が落ちた。

 落ちる音がしないだけで、落ちた。


「誰の命令で」


 ロイは息を吸う。

 吸って、吐く。

 その呼吸が、最後の抵抗だ。


「……司式官エルデンです」


 書記官のペンが、紙を裂く勢いで走る。


 審査官は淡々と続ける。


「エルデンは、何を命じた」


「封印番号を合わせる準備をしろ、と」


 室内の空気がさらに冷える。

 “合わせる”。

 それは言葉だが、行為の匂いが濃い。


「誰のために」


 ロイの目が揺れる。

 ここで名を出せば、王子に届く。

 出さなければ、自分が全てを被る。


 ロイは、ようやく理解する。

 王子は守らない。

 守るのは、自分の体面だけだ。


「……殿下のために」


 言ってしまった。

 言ってしまったから、戻れない。


 審査官は一拍置き、言う。


「“殿下”とは誰だ」


 ロイの喉が鳴る。

 喉が鳴る音が、裁定の前の音になる。


「……カシウス殿下です」


 書記官のペンが止まった。

 止まって、次の瞬間、さらに速く走り出した。


 審査官は顔色一つ変えずに告げる。


「よし。聴取を続行する。――同時に、評議会へ通達する」


 紙が動く。

 制度が、王子の名へ向かって動く。


 ☆


 王城。


 侍従が息を切らして入ってきた。

 普段ならここで息を切らすことはない。

 息を切らすのは、“制御できない情報”が来た時だけだ。


「殿下……司法院が、司式官配下を聴取し、証言が……」


 カシウスは顔色を変えない。

 変えないように、呼吸を整える。


「何が出た」


「……“殿下のために封印番号を合わせる準備をした”と」


 一拍。

 王城の空気が止まる。


 カシウスの指先が、机の上の紙を押さえた。

 紙は動かない。

 だが、紙の下で世界が動く。


「……誰が言った」


「ロイ=ハルディン。司式官配下の者です」


 カシウスは一拍置き、淡々と言った。


「切れ」


 侍従の喉が鳴る。

 切る。

 それは簡単だ。だが、もう遅い。


 カシウスは続ける。


「司式官も切る。――“独断”だ。王子は知らない」


 言いながら、王子は理解している。

 司法院は、切り捨ての言葉を“逃げ”として記録する。

 逃げた者ほど、追われる。


 侍従が震える声で言った。


「殿下、評議会が動きます。王子のお名前が――」


「黙れ」


 カシウスの声が、初めて鋭くなった。

 鋭くなるほど、焦りが見える。


 王子は椅子から立ち上がる。

 窓の外の王都は、まだ整っている。

 だが、整いの下で、鎖が王子の足首に巻き始めている。


「……司法院は、王家を潰す気か」


 呟きは、怒りではない。

 恐れに近い。


 ☆


 同じ頃。

 リヴェルノート公爵邸では、ヴァレリウスが報告を受けていた。


「閣下。司法院の聴取で、殿下の名が出ました」


 ヴァレリウスは、すぐには頷かない。

 勝った顔はしない。

 娘の追放が、まだ取り消されたわけではない。


「……出したのは誰だ」


「司式官配下のロイです。封印番号を“合わせる準備”を命じられたと」


 ヴァレリウスは目を細めた。


「言葉が出たか。なら、次は“原本照合”だ」


 女が問う。


「閣下、評議会は――」


「揺れる。だが揺れるだけでは足りない」


 ヴァレリウスは淡々と言った。


「王家の体面が盾になる。盾を割るには、原本で刺す」


 そして、机の上の紙に指を置く。


「司法院に申請を出せ。――原本照合の正式命令を」


 男が頷く。


「はい」


 ヴァレリウスの声が低く落ちる。


「王子を追い詰めるのは噂ではない。……紙と印と、本人の手続きだ」


 ☆


 夜。

 王城の廊下が静まり、灯りが減る。


 だが、カシウスの執務室だけは灯りが落ちない。

 机の上の紙が増えていく。

 協力声明。評議会への説明書。司式官の処分案。


 どれも“正しい顔”をしている。

 正しい顔の紙が増えるほど、王子は追い詰められていく。


 侍従が最後の報告を落とした。


「殿下。評議会より通達です。――明日、原本照合の場を設ける、と」


 カシウスの指先が止まる。


「……誰が言った」


「司法院の要請を受けた形です。公爵の申請も通りました」


 王子はゆっくり息を吐いた。

 息を吐くほど、整った顔が剥がれていく。


「……明日か」


 その一言が、王子の時間を削った。

 時間が削れれば、手が減る。

 手が減れば、逃げ道が消える。


 窓の外。

 王都はまだ整っている。

 だが、整いは“確信”に変わりつつある。


 ――王子は、嘘をついた。


 その確信が、制度の形になって迫ってくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ