狩り
朝靄の中二頭の馬の足音がする。
足の長い草が風に靡いて擦れ合い、草原特有の乾いた音がする。
狩り小屋を出た二人は朝方に移動を始めた。
『丘を登って少し岩場になった方に折れて行ったところが角馬の縄張りだよ。』
声はそう教えてくれた。
一人で飛んで見て来たのか、それとも知識にあったのかは分からないが、声が俺に不利益な嘘をつく事はないだろう。
それはなぜだか信じられる。
「リアン、前もって目撃情報を仕入れてある。」
「かしこまりました、若様。」
途中に自然現象か、はたまた強力な魔法や攻撃でこうなったのか分からない、大きな波のような形に抉られて形成された岩山の下に狩り拠点を築く。
近くに流れる川で馬に水を飲ませ、そこらに生えている木を切り杭を作り、そこに係留させておく。
角馬は馬型の魔物で、人が人型の魔物に嫌悪感を抱くように、近い形の魔物には忌避感があるのは馬も同じらしい。
他の魔物と比べて恐慌状態に陥る可能性が高くなる。
なので、ここからは徒歩で移動する。
「若様、この辺りは少し谷状になっていて、賊の輩が張りやすそうですね。」
「うむ。警戒は怠らないが、人があまり入らぬ地だ。
入ったとしても狩人か腕試しの戦士か、はたまた依頼品を採りに来た冒険者くらいだろうよ。
そんな完全武装の者しかいない地にわざわざアジトなど作る事はあるまい。」
リアンにはそう説明した。
それも事実ではあるのだが、単純に声が辺りを警戒しているので人が張っていたならばすぐに分かる。
目に見えない、気配もない。
そんな者が飛び回ったとて何者も警戒などしない。
最高の斥候と言えるだろう。
『うわぁ〜、はっきり見ちゃったよ、死体!
骨だけだったからまだいいけどさぁ、ほやほやだったらキツかったかもなぁ!
あ、埋葬とか無理そうだから気にしなくていいよ。
多分滑落して亡くなったんだと思う。
フツルとリアン君が行くにはちょっと厳し過ぎる崖の下に引っかかってたから。
あ、ちょうちょ。
裏目地味なのに、表目キッラキラの青じゃん!カッケー!
でも普通逆じゃない?
表は紛れる様に地味で、裏面が異性を誘う様に派手にするべきなんじゃない?
中身のないイケメンみたいでなんか嫌だねぇ。
あ、でもそれはそれで需要あるか。
女の子だって、すっごい真面目で完璧な人より、少し可愛げのある方が人気あるもんね。
フランはどういうタイプが好き?
僕はねぇ…んー、あ、真面目な方が好きかもしんない。』
こんなにお喋りでなければ、の話だが。
気が散る、集中が切れる。
他を警戒しながら索敵なんぞしていられるか。
返事をしないと決めているとはいえ、ながら聞きで流すにはあまりにも俺に向けて喋り続けている。
そんなものを聞かなかった事にするのはなかなか難しい。
『角馬のフンがある。まだそんなに古くないね。
警戒を、フツル。
奴らは急な崖でも駆け降りてくることもあるからね、油断せずに。
そういえばさー、今朝飲んでた黒いやつってコーヒー?
いいなぁ、僕も飲みたいよ。
朝に飲む甘めのコーヒーって中々沁みるじゃない?
僕はねぇ、他の時間は何も入れないコーヒーが好きなんだけど、朝だけは砂糖を多めに入れて、ミルクも入れてさぁ、甘々で飲むのが好きなんだよね。
朝だけはってのがあるじゃない?
朝だけは甘いパン食べる人もいるし、朝だけは食事を摂らない人もいるし。
本当は食べた方がいいらしいけど、中々ね。
忙しかったりしたらね。」
わざとなのか天然なのかは知らないが、こうやってどうでもいい話の中に必要な情報が練り込まれている事もあるので、結局聞くしかない。
此奴は指揮官なんぞは向いていないな。
部下が大変だ。
雑談かと思ったら命令だったなんて、事故や勘違いが多発してしまうだろう。
それを軍規違反にされてはたまったものではないからな。
そう思うと学生時代の教官が短く簡潔に言っていたのは理に適っているのだな。
当時は怖いとしか思わなかったが、あれはあれで優しさなのだろう。
谷の上も警戒しながらなので、見通しの良い平地よりはゆっくりとした歩みになってしまったが、無事に抜けられそうだ。
谷を吹き抜ける風が強く吹いて、フランとリアンの髪が靡く。
「若様。」
「あぁ。こちらに誘き寄せた方がよいか。」
風に獣の匂いが混じる。
よく目を凝らすと、草原に灰色の動くものが見える。
居た。角馬だ。
体高は170cm前後、角の長さは30センチ程はあるだろうか、立派な成体だ。
風下のこちらには気がついていない様子で、木にツノを擦り付けている。
ガリガリという音が不安を煽って、少し手のひらに汗が滲んできた。
フランは右手の人差し指と中指を立てて、馬へと向けた。
回復魔法を放つ前の様に光が指先へと集まって行くが、今回の用途はいつもと真逆だ。
母に褒められている優しい魔法ではない。
癒すのではなく、傷つける。
狩りとはいえ、生物を傷つけるのは嫌な気持ちになる。
敵対していたり襲われたりしているのならともかく、あの馬はただ生活しているだけなのだから。
「いくぞ。」
フランの指先から放たれた魔法は線を引く様に飛び、左前足の付け根に当たった。
これが自分に向けられた攻撃だと理解した馬は、角を向けて地面を蹴り出す。
「釣れた!剣を構えよ。」
「はい!」
実はこの時、フランとリアンは経験不足からの勘違いをいくつかしている。
声はそれを指摘するべきか悩んだが、間違いも経験だろうと言わないでいた。
普通、魔物とはいえ角馬はあまり向かっては来ない。
それが狩にくさの一因になっているので、熟練した狩人はまず追いやすくする為に足を傷つけるか、血が多く流れる太もも辺りを狙う。
声もフランの弱々しい魔法を見てそうなると思っていたので、少し驚いた。
逃げないのか、と。
「はぁ!」
フランとリアンへ向かって突進して来た馬をステップで避けながら、すれ違い様に刃筋を立てて馬へ向けてリアンは足、フランは首を切りつけた。
少しずつで良い。
魔物と人とでは膂力が違う。
貧しい男爵家のフランとリアンは、獣の狩り方を知っている。
たまに領内に現れる魔物や、肉を取る為の狩りをしなければならないからだ。
父に付いて来てくれた熟練した兵士と共に行うので危険は少ないし、彼らの知識で安定して討伐出来ている。
その経験を活かして行っている角馬の狩りは順調に感じていた。
「血を流せたな。何度か繰り返せば上手く狩る事が出来るだろう。」
「はい。」
順調に感じていた。声以外は。
『魔物とはいえ草食動物が攻撃されて何故逃げない。
それに…。』
本来当たり前に浮かぶはずの疑問を持たない二人を置いて、辺りを索敵して周る。
生物が立ち向かってくる事はそう多くなく、理由があるはず。この馬はなんというか、必死だ。
ならば一番に浮かぶこの馬の戦う理由は、守るべき者が居るのだろうと考える事は自然であった。
『フラン!一頭じゃない!』
姿は見つからないが、声は確信してそう言った。
「リアン、警戒しろ。
一頭とは限らん。」
「はい。」
意識を自分から辺りへと広げた事に気がついたのか、傷ついた角馬はより身体を低くして構える。
「くるぞ!」
フランとリアンは当然警戒した。
またあの突進が来るだろうと、足を開いて剣を構えた。
『違う!』
声には分かっていた。
フランの魔法はなかなかの練度だったのに、角馬についた傷は殆どなかった。
普通ならよろめくくらいしてもいいし、刺さった様な傷が付いても良い。
なのにこの程度しか効いていないのは、魔法に対する抵抗力を持っているという事だろう。
ならば一応頭に入れておくべきだった。
『魔法だ!』
馬の角が光り、フランを狙った黄色い魔力弾がショットガンの様に飛散する。
フランは声の呼びかけが聞こえたので、剣を守りの型に構え直して防御に徹した。
無傷とは言えないが大した事はない。
しかしこのミスは致命的であった。
フランは魔法の弾幕の中で動けなくなっていた。
声の呼びかけが聞こえないリアンは、自分の主人が魔法で撃たれたことに動揺し気が付かなかった。
角馬の狙いが、攻撃ではなく撹乱だという事に。
崖上から走り降りるもう一頭の角馬が来ていることに遅れて気がついたリアンは駆け出す。
もしこれがリアンを狙った攻撃であれば、防ぐ事は出来たのかも知れない。
しかし魔法で撃たれて足止めされたフランへと向かっているもう一頭の馬をいなすには、体勢が悪すぎた。
襲われたフランを庇ったリアンの身体と、その鍛えられた右腕が別の方向に飛んで行くのがゆっくりと見える。
血が雨の様に降り、フランの頬へと当たった。
生臭い嫌な香りが立ち上り、誰の叫び声か、それが渓谷に響き渡った。
ボト、ぱたたた。
リアンの腕が落ち、血が撒き散らされた。
フランを庇い自分の身体を盾にして馬の突進を受けたリアンは、その角に右腕を切り裂かれた。
「あぁああ!リアン!」
フランの叫び声は草原の風に流されて消えて行く。
辺りには場違いな鉄の匂いがして、二人の置かれた状況に輪郭が描かれる。
軽傷を負った角馬、返り血で角を染める無傷の角馬。
方やこちらは右腕を切り飛ばされて、息も絶え絶えな者と、それを見て冷静さを欠いている者。
「…リアン、今、回復を。」
フランは回復魔法の使い手だ。
一日の回数制限は3回と少ないものの、その治癒能力は高い。
しかし、悪手だろう。
自分に向けられた敵意を無視して他者の回復を優先するなどというのは。
フランが手に魔力を溜めた事で一瞬、馬は警戒する様子を見せたが、それが攻撃性の無いものだと見ると姿勢を低くして飛び出してくる構えを作る。
『フラン!ダメだ!気持ちは分かるけど、今はアイツらを追い払うか、打ち倒してからじゃないと!』
混乱するフランにその声は届かず、右手にはとろりとした濃厚な魔力が溜まっていく。
一心不乱にリアンへと駆け出したフランは、容赦なく馬の突進に弾き飛ばされて、魔法はコントロールを失い宙に放たれた。
幸いと言うべきか、角が突き刺さりはしなかったが、脇腹を掠めて少なく無いダメージを負う。
近くの茂みに吹き飛ばされた際に、小枝が脚と腕に突き刺さった。
地面の冷たい感触と、自身から流れ出る血のじんわりとした温かさが、フランは死を想起させられた。
『…リアン。…すまない。』
せめて魔法をリアンの方に飛ばせたなら。
それは声になっていただろうか、フランは自分でもよく分からなかった。
このまま目を瞑って身体をゆったりと休めたい。
本能がそうさせるのか、動くことができなかった。
『これが死、か。』
どうにかリアンだけでも助かってくれないだろうか。
そう願うと、どこからか聞き慣れた声が聞こえた。
「大丈夫。お兄ちゃんに任せてよ。」




