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心労

自室に戻った俺は外の埃や露で汚れた剣と鞘を布で拭き、革の靴を布の楽な靴に履き替えた。


それらが終わる頃には部屋の扉がノックされ、桶に水が用意される。

背中をリアンが拭いてくれる時もあるが、今夜は疲れていたのでゆっくりと進めると伝えて下がらせた。


上を脱ぎ、桶に頭を突っ込み汚れを落とす。

身体を拭いて汚れた水の入った桶は、廊下に出しておくとその内誰かが回収してくれる。


今日は他に誰もいないので、リアンが持っていってくれるのだろう。


いつもは上に何も着ないまま寝てしまう事も多いが、今日はちょっとそういう訳にはいかない。

肌着と、念の為楽なスモックを着てから灯りを消してベッドへと潜り込んだ。


布団を被り、音を外へ伝わりづらくする。

イタズラをしている気分ではあるが、ワクワクはしていない。


「……おい。いるのだろう。」


俺の呼び掛けは布団の中の闇に消えていく。


少し前のゴシップ誌に、頭のおかしくなった伯爵の独り言が止まらないといった内容の文章が載っていた。


始めは使用人にも聞こえないほどの小さな声でブツブツと何かを言っているだけだったのだが、徐々にエスカレートしていき、果てには屋敷に誰かが潜んでいる妄想に囚われてしまったらしく、なんやら色々と叫び出したらしい。


始めは心労が絶えない優しい伯爵様は疲れてらっしゃるのだと家臣は労って接していたらしいが、屋敷のあらゆる所に剣や短剣が隠されるようになり、一体何が見えているのか半狂乱でそこら中を斬りまくり、結局偶然曲がり角を通りがかった人を斬ってしまったらしい。


そこでようやく王家の兵が動き、捕えられたという話だった。

今も牢屋とは別の森の中にある保養所の近くでは、見えない何かと諍い合う狂った伯爵様が剣を振り乱しているとか。


それを読んだ時は、事件として伝えたいのか怪談として伝えたいのか分からず困惑したものだが、今の俺には伯爵の言動が全くの妄想だとは思えなくなった。


そんな事もあるのかもしれないと。


「おい、声よ。貴様、俺の夢に出てくるだけではないのか。さっきポロッと喋っていただろう。」


こんな事を独り言っているのを母やリアンに聞かれたら泣かれる。


しかし妄想ではないのだ。

いや、妄想の可能性も確実にあるがそれは別の懸念であり、今の俺の問題とは少しだけズレてしまう。


「おい。」


『おいって呼ばないで欲しいんだけど。

…なんて呼んで欲しいかはちゃあんと伝えたよね?

ほら、ほら、ほら、ね?』


ほら、やっぱり。

妄想にしたって気色が悪すぎるだろう。

これが俺の頭の中だけで繰り広げられているのならば、親より先に俺が泣くぞ。


「断固拒否したであろう。

貴様、俺が目覚めたら居なくなる様な事を言っていただろうが。

それなのになにかぼそぼそ喋っていただろう。

姿は見えんので表現は難しいが、今も居るよな。」


『居るね。居ちゃってるね。…嬉しい?』


例えば俺が何かにつけてかわいーだのおいしーだのを考えもせずに反射的に言ってしまう年頃だとしても、うれしーとは言わない。


「とりあえずルールだけ決めておくぞ。


外で貴様と会話する訳にはいかない、それは分かるな?

病院か教会かは分からんが、確実にそこらへんに放り込まれてしまう。


あ、そうか、教会。

明日にでも教会へ行こう。」


『年末に教会?信心深いんだね。』


「いや、除霊だ。

貴様はあれだろう?悪霊みたいなものだろう?」


『あぁ、なるほどね!

いや、違うよ。天使寄りの存在だから僕は。

どちらかというとね。

ほら、感じない?無垢で純粋なこの心を…。


あ、寝ないでよ。

ルール決めるんでしょ?

確かに外で会話するのは良くないよね。

さっきもあのカッコいい子と会話してる時に混ざってみたりしたけど、僕の声はフランにしか聞こえてないみたいだし。』


「うむ。貴様がいつまで取り憑いているのかは知らんが、貴様に肯定する時は剣の柄をトントンと叩こう。」


『おっけー。』


よし。


細かい事を言えば、問題提起しなければならない事は山ほどある。

例えば着替えやトイレや風呂をこいつに見られるとかな。

しかし正直避けようがないから、声の良識に頼るしかないだろう。


悪意は感じないが、俺に対する謎の好奇心と執着心は感じるので少し不安ではあるのだが。


「なぁ、トイレとかについて来ないとか、そういう選択は出来るのか?」


『あー…えーと、扉を少し開けてくれない?

離れてみるからちょっと待っててね。』


そう言ったきり声は話しかけてくる事は無くなった。

恐らく試してみたら部屋を出て離れる事は出来たのだろう。


声からしても俺が起きている時に話せる様になる事は事件らしく、自分に何が起こって何が出来るのかなんて分からないのかもしれない。


…そう考えたら声も巻き込まれた側で、あまり邪険にするのも良くないだろう。

少し言動が気色悪いぐらいで拒否する姿勢は、貴族として懐が狭すぎるというものではないか。


これから俺は男爵家を継いで、様々な人間と仲良くしたり仲良くしたフリをしたり、反目したりしていくのだろう。


それは俺の感情と別に男爵家当主としての理性で、悪意が明確にある様な輩とも付き合う必要もあるはずだ。


そういう未来が確実に待っているのに、自分に好意を向けてくれる少し気色悪いだけの奴と仲良く出来なくて何が貴族か。


声が戻って来たなら、少し心を開いてみようか。

もしもこの世に未練があって俺を頼って来た幽霊だとするならば、明日の教会での除霊までは少なくとも楽しい思い出にしてやろうではないか。


そんな事を考えながら暗い部屋でうつらうつらしていると、寝かけた耳に声が聞こえた。

どこかへ行って戻って来たのだろう。


『…寝ちゃった?寝顔は14歳って感じだなぁ…。

ふふふ、可愛らしいね。

……………………匂いとかは嗅げるのかな。』


明日からは優しくしてやろう、声よ。


そう思った俺のストランド男爵家貴族としての誇りを賭けた決意が揺らぐ。

やはり払って滅して貰った方が世の為、人の為、俺の心の平穏の為になるんじゃ無いだろうか。

そんな思いが拭えない。


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