神でも悪魔でも
幼い頃通った騎士の学校で注意を受けた事がある。
俺がではなく全体に向けてのものだが、変質者が現れたから気をつけなさいと言う内容だ。
年に一度、春ごろになると何故か配布されるその注意の内容は時々で違っていたが、ある年の内容を見てこれの何が怖いのだろうと考えた事がある。
下の学年の女の子に屋台で食べ物を買い与えた男が、その子に兄と呼ばせる様に強要したのだとか。
当時10歳だった俺はこう思ったものだ。
その場で兄と呼ぶだけで一食浮くなら構わないだろう、と。
金に余裕が無いからそう思ったのもあるが、あまりその被害というか、その辺りにピンと来ていなかった。
「…なる程、俺は馬鹿だな。想像力が足りない。想像力が足りないのは、人に優しく無いということだ。反省して改善せねば。」
『そうだよ、優しくないよ。少しお願いしただけなのに気持ち悪いだなんて。』
「それについては謝罪の気持ちは少しも湧かない。悪いな。今俺が考えていたのは過去に幼気な女の子の辛さを分かってあげられなかった事についての反省だ。
貴様の評価は一つも変わっていないぞ。」
『貴様!?』
兄と呼ばせる事を強要される。
身体的接触も誹謗中傷でもないそれだけのことが寝室に現れる虫よりも気持ち悪いとは。
学びがあるな、何事にも。
『せっかく可愛らしい見た目しているんだからさあ、人の事貴様とか言うのやめなよぉ。』
こいつは…気持ちが悪いだけでなくデリカシーすらないのか?
人が気にしている事をわざわざ口に出して言いやがって。
確かに同年代と比べても背は高くない。
それでも毎日毎日鍛え続けているのだ。
今は年齢から来る幼さは残ってしまっているかもしれないが、そのうち物語に出てくる戦士の様に筋骨隆々な男の中の男に慣れるだろう。
「うるさいぞ。
僕…俺は成長期が遅れてくるタイプなのだ。」
『あ、そう?僕はそのままのフランも可愛くて良いと思うけどね。
その真っ白で癖毛のおかっぱヘアもよく似合っているし、色白で瞳の大きな眼と赤い唇の色なんか女の子みたいだ。
よく言われない?
ほら、先輩とかにさぁ、かわいーって。』
「言われ…ぬ!」
『言われるのね。ふふふ。』
ぶん殴ってやろうか。
姿も見せずに人をからかいやがって。
「とにかく今は身体を鍛えている途中だ。
幸い身体を治癒する術に長けているのでな、鍛錬は積み放題、人一倍動き続ける事が出来る。
家の執務の手伝い以外は身体を鍛え続けている。
それが報われる日が来る事を信じてな。」
『…はえー、凄いね。
えーと、あれ?領地を継がなきゃいけないんでしょ?
勉強とかは?
ちゃんとやってんの?』
なる程な。
人を強くすると言うだけのことはある。
人の弱点に目を向けて、そこを突いてこその強者だ。
痛い所を…。
『…え?本当に?大丈夫なの?
あとさ、もしかして睡眠削ってまでトレーニングをしてないよね。』
「当たり前だろう。
人より体格も魔法も戦いに恵まれていないのだ。
休んでいる暇などあるか。」
『あー…そう。お兄ちゃん、とても言いにくいんだけどね、フラン。
睡眠時間に身長って伸びるもんだからさ、そのせいじゃない?ちまいの。
それにさ、成長期に過剰な筋力をつけると身長が止まるよ。』
…なんだと?それでは俺のやって来たことは…。
『無駄じゃないよ。
剣を振り続けた時間は決して無駄なんかじゃないよ。
神経系の成長は幼少期により発達するんだ。
12歳を過ぎた辺りから天賦の才と言われる、神がかった、まるで剣が身体の一部に感じる様な、そんな技術を得ようとしてもかなり難しくなっちゃうんだよ。
でも君はその意思と魔法で馬鹿みたいに剣を振り続けたんだろう?誰よりも。それは凄いことだし、財産になっているだろうと思う。
凄いことだよ、続けて来たっていうのは。』
危ない。
今までの努力は間違っていたのかという絶望感で足元がふわっとする程だった。
しかし褒めてもくれた。それが本当に嬉しかった。
今まで剣を振って来て褒められた事など無かった気がする。
努力自体は認めてくれている母上。
決して表に出す事はしないが、治療に特化した魔法の才能を活かして、それを伸ばす努力をする方が領地の為になると思っていることだろう。
初めてかもしれんな、剣の努力自体が認められたのは。
涙が出そうになる。
男たるもの、そう簡単に涙を流す訳にはいかぬが。
眉間にギュッと力を入れ、耐える。
力を抜くと泣いてしまいそうだ。
『ほら、これをちょっと振ってみて。』
目の前に白い魔力の塊が浮き出てきた。
治療以外の魔法が下手くそな俺でも、それが濃密で練度の高いものだというのが分かるぐらいの存在感を放っている。
塊はくるくると姿を変えて棒の様な形に落ち着いた。
恐る恐る手に取ると本物の鉄の剣の様な重さとバランスになっていて手に馴染む。
「…いつもの様に振れば良いのだな。」
上段に構えて力一杯振り下ろす。
正直、上段を見せようと思ったのは見栄だ。
力が弱いとはいえ鍛え続けたことを見せつけようと思った。
振りの勢い自体は悪くないと思う。
しかし刃先は流れ、刃筋も波打っている。
剣は振り終わりの刃も制御を失い地面に当たってしまった。
『もう一度。良いというまで振り続けて。
剣を握るのに力を使い過だから、それだけ意識してね。
薬指と小指で支えるんだ。握らない方が早く振れるよ。』
姿が見えなくとも、声の雰囲気が変わった事が伝わってくる。
想像していたよりも俺の実力が拙く感じ、失望させてしまったのだろうか。
そうかもしれないな。
確かに俺は基本からすでに出来ていないと思う。
剣に明るい父上に物心ついた頃に習った記憶を辿りながら振って来てはいるのだが、師がいた訳ではないのだから。
「小指…薬指…。」
そういえば、父上にも握り過ぎない様に言われていた様な気がする。
だが居なくなって…もう何年だ。
母には、父上の教えがあるので指導役は不要。
そう伝えている。
帰らぬ夫を待ち、家を守り続ける姿を見て、俺が先に父の帰還を諦めて他の人間に指導を受けるのは憚られた。
小さい頃に習った、基本の中でも初歩も初歩であろうその教えだけをぐるぐると繰り返している。
教えられていない事も、こうやって忘れ去られた教えもあるのは当然だろう。
手は痛む。
こうか?
肩が痺れ剣を上げるのにも時間がかかる。
こうだろうか。
背中の筋肉も千切れ飛びそうだ。
こう、こうか?
振れたな。
今までで一番スムーズに振れた!
おい、声よ、見ていただろうか。
『今のは良かったね。
…じゃあそろそろ帰そうか。
またそのうち君の夢に現れて教えてあげるよ。
まぁ、お兄ちゃんと呼んでくれたならの話だけどね。』
剣を教わるのはありがたい。
意地で父を待つのは不毛だと気がついてはいた。
俺の夢の様なものならば、母に気を使わずとも良いだろう。
しかし兄と呼ぶのはちょっとな…。
宗教上の理由で…。アレルギーもあるし…。
「おほん、とにかく!またな。」
『うん、また近いうちに。僕の力で帰すから少しの間動かないでいてね。』
身体を魔力が包み込む。
優しい光り方だ。声は気持ち悪いが、優しさも感じたものだ。これは何処からやって来ている魔法かは知らないが、声が操っていると分かる。そういう感じの魔力だ。
あ、そうだ。
手がボロボロだったか。
丁度動けないのなら、今のうちにこれを治してしまうか。
手も背中も肩も、身体のあちこちが痛いな。
ふむ。
指先でとろりとして来た魔力を口へと垂らす。
患部に掛けた方が効き目は強いが、飲むと全身の傷や痛みを満遍なく無くしてくれる。
なかなか良い日であった。
良い出会いである可能性もある。
口に広がるいつもの自分の魔力の味が、何故だか慣れ親しんだいつもと違う気がした。




