アカデミア
ソウタは強く唾を飲み込んだ。
あの男の目線——乾いていて、鋭く、冷たい——は真正面から彼を射抜いた。まるで見えない槍を突きつけられたかのようだった。
一瞬、何か言われるかと思った。名指しされるのでは、と。全員の前で正体を暴かれるのでは、と。
しかし、男は何も言わなかった。
ただ静かにソウタから目をそらし、教室全体を厳しい目で見渡した。
その視線が外れた瞬間、ソウタは自分の身体が溶けていくような感覚を覚えた。ようやく呼吸が戻った気がした。
ソウタ:(こ、怖すぎる……)
男は一言も発さず、机に向かって静かに歩き始めた。その足音は石の床に小さく響いた。
前へ進み、机の前でぴたりと止まった。そして、くるりと踵を返して生徒たちを見据え、低くはっきりと名乗った。
ルカン・ドレイモア:
「私はルカン・ドレイモア。今日から『祓術の歴史』を担当する。」
教室内に、ぴたりとした沈黙が流れた。
誰も喋らなかった。誰も息をのむような沈黙。
ルカンはゆっくりと視線を巡らせ、やがて不機嫌そうに目を細めた。
ルカン・ドレイモア:
「……喋らんのか。自分の存在を証明する言葉もないのか?」
誰かが小さく椅子を引く音がした。だが誰も手を挙げなかった。
ルカンは無言のまま黒板に向き直り、手にしていたチョークを指でくるくると回しながら、音もなく文字を書き始めた。
その動作は無駄がなく、異様なほど静かで、かえって恐怖を煽るようだった。
ルカン・ドレイモア:
「祓術の本質とは何か。それは“結界”だ。」
チョークの音が止まり、ルカンは生徒たちを見渡す。
ルカン・ドレイモア:
「“結界”は原初の力。生命がこの世界に芽吹いたその時から、存在していたと言われている。人間、エルフ、獣人…すべての命は“結界”に包まれて生まれる。」
生徒たちの中には、興味深く耳を傾け始めた者もいた。
ルカン・ドレイモア:
「そして、その“結界”の光と対を成す存在——それが“呪い”だ。」
一瞬、教室の空気が変わったような錯覚が走った。
ルカン・ドレイモア:
「呪いは“結界”と同じくらい古い。かつて世界を支配し、混沌と破壊を撒き散らした。だが、人類は抗った。最初の祓い師——カエルザー・リュウェンハルトの手によって、世界は変わった。」
ルカン・ドレイモア:
「カエルザー・リュウェンハルトは“結界”を操る術を身につけ、人類にその力を教えた。こうして“祓い師”という存在が生まれ、呪いに対抗する時代が始まった。」
ルカン・ドレイモア:
「多くの呪いが封印され、いくつかは“虚無”と呼ばれる次元へと追いやられた。だが、完全に消すことはできなかった。」
ルカン・ドレイモア:
「なぜなら——呪いもまた、この世界の均衡の一部だからだ。」
その言葉に、生徒たちは静かに息をのんだ。
ルカン・ドレイモア:
「呪いがなければ“結界”もまた、制御を失う。善と悪の均衡が崩れれば、世界は混沌に沈む。ゆえに最も危険な呪い——“元素の災い”は、完全には滅されず、“器”に封じられることとなった。」
その時。
教室の後ろで、小さな声が聞こえた。
ジュノ:
「……マジでこの人、怖すぎる……」
そのつぶやきは微かだった。だが、ルカンの耳に届かぬはずがなかった。
ピタリと動きを止めたルカンが、くるりと振り向き、手にしていたチョークを放つ。
それは鋭い音を立てて飛び、ジュノの額にクリーンヒットした。
ジュノ:
「いったっ!?」
ルカン・ドレイモア:
「そこの男子。立て。」
ジュノはおろおろと立ち上がりながら、頭を押さえていた。
ルカン・ドレイモア:
「問おう。“呪い”をこの世界から完全に排除したとしたら、何が起きる?」
ジュノ:
「あ、えっと…そ、それは…」
目が泳ぎ、口は開いたまま言葉が出てこない。完全に固まってしまった。
そのとき——
ソウタ:
「……世界は均衡を失い、混乱に陥るでしょう。数十年、いや、数世紀の混沌が訪れるかもしれません。」
全員の視線が一斉にソウタへ向いた。
ソウタ:
「だからこそ、最も強力な呪い——元素の災いなどは、破壊されず、特別な器に封じられる。器は時に、遺物であり、人間であり、血筋でさえある。」
ルカンの目が細くなった。興味を引かれたのか、数歩ソウタに近づく。
ルカン・ドレイモア:
「……見事な回答だ。名は?」
ソウタ:
「ヴァン・オーレンハート。ソウタ・ヴァン・オーレンハートです。」
ルカン・ドレイモア:
「……そうか。男爵には娘しかいなかったと思っていたが、息子もいたのか。」
ソウタ:
「そ、それは…ちょっと複雑でして。」
ルカンはしばらくソウタを見つめたが、それ以上追及することはなかった。
踵を返し、再び教卓に戻ると教室全体を見渡す。
ルカン・ドレイモア:
「今日はここまでだ。自室に戻れ。今日学んだことを、忘れるな。語るな。ただ、刻め。」
教室を出た瞬間、生徒たちは一斉に息を吐いた。
ジュノ:
「マジで……死ぬかと思った……」
ソウタの肩をぽんぽんと叩きながら、ジュノはニヤッと笑った。
ジュノ:
「マジで助けてくれてありがとな、ヴァン・オーレンハート!」
その勢いが強すぎて、ソウタはよろけたが、痛みに顔をしかめながらも何も言わなかった。
ソウタ:(今の、ちょっと痛かったけど…我慢我慢。)
ソウタ:
「そういえばさ、なんでルカン先生は『部屋に戻れ』って言ったんだ?まだ午前中だよね?」
ジュノは少し驚いたような顔をした。
ジュノ:
「えっ?知らなかったのか?この学院って、王国中から生徒が来てるんだぜ。だから、ほとんどの生徒は学院内の寮で生活してんの。」
ヴェリー:
「私は首都出身だけど、それでもここで暮らす方が楽だし~!」
ジュノ:
「オレはフォージェンヴァルドっていう、鍛冶屋で有名な町出身。家族はみんな鉄とか武器とか作ってるけど、俺は剣じゃなくて“力”で戦いたかったんだ。」
ヴェリー:
「ちなみに私は“水”の力がちょっとだけ使えるけど、勉強とかはあんまり~。」
ソウタ:(みんなバラバラな出身だけど、なんかいい感じの空気だな。)
笑いながら談笑した後、それぞれの名前が書かれた部屋を探しに分かれた。
ソウタは廊下を進み、自分の名前が書かれた部屋を探した。
そしてようやく見つけた扉にはこう書かれていた:
「ソウタ・ヴァン・オーレンハート / カイル・ロウン」
扉を開けると、簡素だが落ち着いた室内が広がっていた。ベッドが2つ、机が2つ、それぞれに棚と椅子が並んでいる。窓からは午後の日差しがやわらかく差し込んでいた。
部屋の奥で荷物を整理していた少年が、振り向いた。
カイル:
「君がヴァン・オーレンハート…だよね?ぼくはカイル・ロウン、よろしく。」
ソウタ:
「よろしく。ここの生活にはもう慣れた?」
カイル:
「うん、まあ。僕は沿岸部のデレムポート出身でさ、首都より少し暖かい所なんだ。前からここの学院に来るのが夢だったんだよ。」
ソウタ:
「へぇ…なんかいいな、そういうの。」
カイル:
「君が部屋の相棒なんて光栄だよ、有名人だしね。」
ソウタ:
「いや、たぶん…すぐ戻るかも。授業が終わったら男爵の屋敷に戻る予定なんだ。」
その瞬間、ソウタの頭の中に、馬車の中から窓越しに見つめていたクラリスの姿がふと浮かんだ。
(な、なんで今その顔が…)
頬が赤くなる。
カイル:
「……顔赤くない?熱でもあるの?」
ソウタ:
「な、なんでもないっ!」
カイル:
「ふふっ。そっか。」
その後、部屋の壁に貼られたスケジュール表に気づいたソウタは、それをじっと見つめた。
スケジュールを見る。時計を見る。スケジュール。時計。
目を見開いた。
ソウタ:
「やっば!?もうこんな時間!?」
慌てて荷物をまとめると、ドアに駆け寄った。
ソウタ:
「カイル、また後で!」
カイル:
「がんばって!」
ソウタは廊下を駆け抜けた。まだ部屋を探している新入生や、談笑する生徒たちをよけながら進む。
「すみません!通ります!」
角を曲がったその瞬間——
ガンッ!
誰かと激突して、床に転がった。
ソウタ:
「いたたた……」
???:
「ちょっと、前見て走りなさいよ……!」
目を開けると、目の前には薄い色の長い髪をした少女がいた。頭を押さえながら、こちらを睨んでいる。
ソウタ:
(まさか…あの演壇の子だ…!)
✒ 作者からの一言
ここまで読んでくれてありがとうございます!ソウタがぶつかったこの謎の少女は一体誰なのか?なぜ彼女はいつも人目を引く存在なのか?その答えは、すぐに明かされます。次回をお楽しみに!