三か月後
ソウタが訓練を始めてから、すでに三か月が経っていた。
朝日が地平線から顔を出す頃、彼はいつものように目を覚ました。長く息を吐きながら、ゆっくりと上半身を起こし、両腕を大きく伸ばす。身体のあちこちに残る痛みは、もはや慣れた感覚だった。訓練が楽になったわけではない。ただ、体がそれに馴染んだだけだ。
眠気の残る足取りで、部屋の隣にある小さな洗面所へと向かう。陶器の洗面台の蛇口をひねり、冷たい水を顔にかけた。ひやりとした刺激で一気に目が覚める。
そして、鏡を見た瞬間、ソウタは少し驚いた。
ソウタ:(……髪、だいぶ伸びたな。)
かつて短く整っていた髪が、いまでは前髪が額にかかり、耳のあたりまで伸びている。散らかっているわけではないが、三か月も切らなければ当然こうなる。
彼は手で前髪をかきあげ、水で軽く整える。その姿は、訓練に耐え、読み書きを学び、結界を灯せるようになった少年の、少しだけ成長した姿だった。
ソウタ:(……さて。今日はその日だな。)
顔を拭いたソウタは部屋に戻り、ゆっくりと着替えを始めた。
厚手のシャツを身に着け、腰にいつものベルトを締める。ベルトには小さな袋が取り付けられており、日用品を入れておくのに便利だった。最後に、椅子の背にかけてあった赤い布を手に取った。
それはスカーフのように見えるが、厚手ではなく軽い布で、寒さを防ぐためのものではない。彼はそれを首にゆるく巻き、片方の端を肩の後ろに垂らした。
ソウタ:(……なんか、それっぽくなってきたな。)
階段を降りて食堂に向かうと、すでにエドガーがテーブルの端に座り、書類に目を通していた。
その向かいにはクラリスの姿もあった。ソウタが部屋に入ると、彼女はちらりと顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。
クラリス:「おはよう、寝坊助。」
その声には、皮肉もトゲもなかった。三か月の訓練を共に過ごす中で、クラリスの中に少しずつ芽生えた信頼と、ほんの少しの親しみが、その言葉に滲んでいた。
ソウタ:「おはよう。」
ソウタも静かに微笑み、席に着いた。そこには、焼きたてのパンとバター、ジャムの乗った皿がすでに用意されていた。
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「今日が初日だな。……緊張してるか?」
ソウタはパンにバターを塗りながら、少しだけ視線を落とした。
ソウタ:「……まあ、たぶん。」
エドガーはにやりと笑って言った。
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「じゃあ、ちょっとした朗報だ。クラリスと私で、お前を都まで送っていくことにした。」
ソウタ:「えっ、本当ですか!? クラリスさんが一緒に!?」
驚きと嬉しさが混じった声で振り返ると、クラリスはちょうどカップを持ち上げようとしていたが、その言葉を聞いて一瞬動きを止め、顔をそむけた。
クラリス:「……別に、勘違いしないでよね。ただ、都で用事があるだけよ。」
ソウタは思わず小さく笑った。
だがその笑い声を遮るように、エドガーがカップを置いて口を開いた。
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「それともう一つ知らせがある。今日から私は二週間、個人的な用事で出かける。」
クラリス:「そんな急に?」
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「ああ。だから、しばらくはお前たちだけだ。ソウタ、お前の初日が終わる頃には、馬車が迎えに行くよう手配してある。」
ソウタ:「わかりました。」
...
時間はあっという間に過ぎ、出発の時がやってきた。
屋敷の正面玄関には馬車が待機しており、手綱を握っているのはリリエンだった。旅支度を整えた彼女は、落ち着いた表情で馬をなだめていた。
階段の上では、マイラとニヴェルが元気よく手を振っていた。
マイラ:「しっかりするのよー!」
ニヴェル:「ソウタにい!おみやげ忘れないでねー!」
ヴェルカは少し離れた場所で、腕を組んで無言のまま馬車をじっと見つめていた。いつものように、その眼差しは厳しくも、どこか温かさを含んでいた。
ソウタは馬車に乗り込み、座席に腰を下ろすと、ゆっくりと屋敷が遠ざかっていくのを見つめた。
窓の外には、並ぶ木々と揺れる枝葉。そして、あの日初めてこの屋敷に来た時と同じ、あの道。
ソウタ:(この道……初めてここに来た日のことを思い出すな。)
馬車がゆっくりと進む中、ソウタはふと向かいの席に座るクラリスに目を向けた。
彼女は窓の外を見つめていた。腕を組み、表情はいつも通りだったが——
ソウタ:(……よく見たら、すごく綺麗だな。)
三か月もの間、剣の訓練と怒鳴り声にばかり意識が向いていたせいで、まともに顔を見たことがなかった。だが今こうして落ち着いた雰囲気の中で見るクラリスは、まるで別人のように感じられた。
その視線に気づいたのか、クラリスが眉をひそめて顔を向けた。
クラリス:「……何、見てんのよ。」
ソウタ:「えっ!?な、なんでもないって!」
慌てるソウタの額に、クラリスの拳が容赦なく振り下ろされた。
ゴンッ!
ソウタ:「いっったぁぁぁ!?」
その場に赤いこぶがぽっこりとできた。
クラリス:「変な目で見ないでよ、バカ。」
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「ハッハッハ……若いっていいね。」
そう言いながら、エドガーは静かに視線を車窓の外へと戻した。
...
何時間かの移動の後、木々の合間から石造りの塔や赤い屋根の建物が見え始めた。
やがて馬車は都の大門をくぐり、ソウタの目に広がったのは活気に満ちた光景だった。
石畳の通りには人々が行き交い、商人の声、笑い声、音楽、様々な種族の姿があった。魔法道具を売る露店、空中に浮かぶランタン、色とりどりの果物を積んだ荷車——すべてが、まるで物語の一場面のようだった。
ソウタ:(……あの時、燃えていた都とは思えない。)
あの夜、空が赤く染まっていた光景が脳裏をよぎる。だが今は違う。街には再び命が戻っていた。
ソウタ:(本当に……立ち直ったんだな。)
...
馬車はやがて、鉄の門で囲まれた広場の前で止まった。その奥には、白い石でできた荘厳な建物がそびえ立っていた。これが、結界士学園。
正門の周囲には、同じく新入生と思われる若者たちが大勢集まっていた。家族に見送られている者もいれば、緊張した様子で一人佇む者もいた。
リリエンが馬を止めると、クラリスが一言呟いた。
クラリス:「着いたわよ。」
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「さあ、いってこい。」
ソウタは馬車から降り、深く一礼をした。
ソウタ:「本当に……ありがとうございました。行ってきます。」
クラリス:「気を抜かないようにね。」
エドガー・ヴァン・アウレンハルト:「しっかり自分を見せてこい。」
頷いたソウタは、集まる群衆の中へと足を踏み出した。
近くに立っていた騎士に声をかける。
ソウタ:「すみません。新入生なんですが、どこに行けば…?」
騎士:「ああ、大丈夫だ。あの人の波についていけ。案内は奥である。」
ソウタ:「わかりました。ありがとうございます。」
深呼吸をして、ソウタはゆっくりと学園の門の中へと歩みを進めた。
✍️ 作者コメント
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
三か月の修行を経て、ついにソウタは結界士学園の門をくぐりました。
初めての仲間、初めての戦い、そして初めての試練が、これから彼を待ち受けています。
次回から、本格的な学園編が始まります!
引き続き、彼の物語を応援していただけたら嬉しいです!