「エドガー・ヴァン・アウレンハルト」
空気が燃えていた。夜空は煙と炎に染まり、エリンドールで広がる混乱を映し出しているようだった。ソウタは息を切らしながら走っていた。脚が震え、今にも崩れそうだった。周囲の家々は次々と炎に包まれ、屋根の上には黒いフードを被った影が飛び移りながら火を放っていた。
「誰か…助けて…!」
何度も叫んだ。しかし返事はなかった。街は生き延びることで精一杯だった。
その時、遠くから助けを求める女性の声が聞こえた。ソウタの心は揺れた。だが、彼は歯を食いしばった。
「ごめん…今は、あの人たちを助けなきゃ…」
リッカたちを守るため、彼は迷わず前を向いた。
走り続ける中、ソウタは思った。
「なんで、運動やめちゃったんだろう…?」
幼い頃は毎日走り回っていた。だが思春期になると自然とやめてしまった。その後悔が、今、彼の胸に重くのしかかる。
「続けていれば、もっと走れたかもしれないのに…!」
角を曲がったその瞬間、目の前の光景に足が止まった。
狭い路地の真ん中、フードを被った者たちが倒れた馬車を囲んでいた。扉は開き、中には品のある服を着た中年の男が立っていた。灰にまみれ、剣を手にしていたが、明らかに限界だった。
「臆病者め…かかってこい…!」
男の周囲には五人。まともに立っているのが不思議なほどだった。
ソウタは考える暇もなかった。身体が勝手に動いた。
「うおおおおお!」
全力で突進し、目の前のフードの男の胸を殴りつけた。
すると、その場所に赤い炎のような十字が浮かび上がった。熱を持たない光が、まるで印のように男の体に残った。
「なんだ、これ…!?」
男は混乱したが、すぐに反撃し、ソウタの腹に強烈な蹴りを放った。
「ぐっ…!」
ソウタは数メートル吹き飛ばされ、石畳の上に背中から倒れ込んだ。息が止まり、視界が揺れる。だが、手に何かが触れた。
石だった。
なぜかわからない。でも、その石を握り、立ち上がり、投げた。
その瞬間、彼の手から青い炎のようなオーラが石を包み込んだ。
石は加速し、十字の赤い印に向かって真っ直ぐ飛び、命中した。
「ドンッ!」
敵は吹き飛び、意識を失った。
沈黙が走った。
他のフードの男たちも一瞬怯んだ。
隙を見た男が剣を振り、もう一人を倒した。
「退け!衛兵が来るぞ!」
残った者たちは屋根へと逃げ去った。
ソウタはその場に倒れたまま、息を整えていた。そこへ男が近づいてくる。
しかしその時、騎馬の兵士たちが現れた。
「ヴァン・アウレンハルト卿!」
「無事だ…だが遅かったな。」
兵士の一人がソウタを見た。
「この少年は…?」
「彼が助けてくれた。いなければ、私はここにいなかった。」
ソウタは痛みを堪えながら立ち上がった。
「…他にも人がいます。宿屋の人たちが逃げた先に…怪我人もいます。」
「案内してくれ!」
一人の兵士がソウタを馬に乗せる。男もすぐに、
「私も行く。」
「しかし、お体が…」
「行くと言った。」
誰も逆らわなかった。
ソウタが先頭に立ち、皆を導いた。
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避難所には、他にも多くの市民が身を寄せていた。宿屋の人々、リッカ、そしてソウタ。男――エドガー・ヴァン・アウレンハルトも共にいた。
ようやく落ち着いたソウタは、壁にもたれて男を見つめた。彼は眼鏡をかけ、整った短い髭を生やしていた。肩まである長い波打つ髪は乱れていたが、それでも品があった。服は上質で、火傷の跡がついても尚、貴族の風格を漂わせていた。
男はソウタに気づき、声をかけた。
「名前を聞いていなかったな。」
「ソウタです。」
「私はエドガー・ヴァン・アウレンハルト。命の恩人に名乗るのが礼儀だ。」
朝日が差し込む頃、二人は外へ出た。冷たい風が肌を撫でる。
「どこに泊まっている?」
ソウタは言葉に詰まった。数秒黙ったまま、俯いた。
「……ここの人間じゃありません。都も初めてで…どこにも行くあてがなくて。」
「なら、私の屋敷に来い。」
ソウタは驚いた。
「えっ…いいんですか?」
「誰彼構わず招くような男ではない。だが、お前は違う。あのときの力も、気になる。」
ソウタは答えなかった。ただ、静かに頷いた。
初めて、誰かが「ここにいていい」と言ってくれた気がした。