トータル・リカバリー・ポーション
漆黒の木材でできた天井が、部屋の明るい壁と対照的に浮かび上がっていた。
ソウタは仰向けにベッドに横たわり、ぼんやりとその暗い天井を見つめていた。特に何かを考えているわけではなかった。
左腕はギプスで固定されており、包帯で巻かれた胴体の上に置かれている。もう一方の腕は、ベッドの端からだらりと垂れていた。
静かな呼吸を繰り返しながらも、その胸の内には落ち着かない感情と諦めのようなものが渦巻いていた。
部屋の反対側では、カイエルがベッドにあぐらをかいて座り、埃をかぶった分厚い本を読んでいた。
時折、静かにページをめくりながら、彼は完全に読書に集中しているようだった。
部屋に満ちた静寂は心地よくもあり、どこか張り詰めたものでもあった。
ソウタ:(まさかこんなに早く戻ってくることになるとはな…)
彼の意識は、数日前の出来事へと自然と戻っていった。
ソレンとのあの出会いを経て、ヴァン・オーレンハルト邸へ戻った直後——
予定より一週間も早く、バロンが旅から帰ってきたのだった。
彼は手ぶらではなかった。
王家の紋章で封印された手紙を持っていたのだ。
それは都を通った際に受け取ったもので、赤い蝋で王国の紋章が刻まれていた。
その手紙には、王ヴァルドレン四世の署名、王国騎士団本部の印、
そして王立祓魔学園と王国騎士カエン・イツキの名が記されていた。
内容はこうだった:
「ソウタ・ヴァン・オーレンハルトは、監視下に置かれるべく王都に留まることとする。
そのため、王立祓魔学園に滞在することを正式に許可する。これは彼の健康、監視、そして祓魔師としての成長を目的とする。」
それが理由で、ソウタは半ば学園の寮へと“引っ越す”形になったのだった。
石造りの廊下、壁に飾られた紋章、そして朝から晩まで訓練に励む生徒たちに囲まれた新しい生活。
決して初めての場所ではなかったが…
あの邸宅の温もりには及ばなかった。
…
ソウタは現実に意識を戻し、視線を部屋の時計へと向けた。
ソウタ:(うわ、もうすぐポーション学の授業が始まる!)
慌ててベッドから飛び起き、片手で制服を整え、もう一方の手でギプスを支えながら準備を進めた。
カイエルに軽く手を振って声をかける。
ソウタ:授業、行ってくる!
カイエルは視線を本から外すことなく、片手を上げて答えた。
カイエル:頑張れよ。
ポーション魔術の実習室は学園の地下にあった。
広々とした空間には、木製の棚がずらりと並び、瓶詰めの薬草や魔術素材、泡立つ大釜が配置されている。
空気には、焦げた薬草と硫黄のような匂いが微かに漂っていた。
ソウタはすでに教室内に立っており、生徒たちの間に混ざっていた。
教師:さて! みなさん、『魔法薬マニュアル 第三巻』を一人一冊ずつ取りなさい。
その後、ペアを組んで作業に入ってもらう。
ソウタは素早く本を手に取り、周囲を見渡した。
誰とペアを組むかを探していた——そしてそのとき、彼女を見つけた。
リシア。
上品で才気あるリシアは、銀髪を持ち、いつも落ち着いた表情をしていた。
その足元では、小さな白い狐・ニーロが優雅に尻尾を揺らして座っていた。
ソウタはごくりと喉を鳴らし、意を決して一歩前へ踏み出した。
ちょうどそのとき——
ジュノ・アークレール:おーいっ、ソウターー!
ソウタはビクッと肩をすくめた。
彼の背中にバンバンッと力強い手が叩きつけられる。
その衝撃で少しよろけてしまった。
ソウタ:いってぇ… 背中が…
エネルギッシュな笑顔を浮かべたジュノが隣にぴょんと現れた。
ジュノ:なあ、ペア組もうぜ!
ソウタは再びリシアの方を振り返ったが、彼女はすでにヴィエルと話していた。
ソウタ:(ああ…もう遅かったか)
ソウタ:……わかった。組もう。
ジュノ:やったー!
各ペアは、小さな作業机をひとつずつ割り当てられていた。
そこには、ひとつの大釜といくつかの材料、そして開かれたポーションのマニュアルが置かれている。
机は縦4列で整然と並び、教室の奥へと続いていた。
生徒たちは皆、黙々とポーション作りに集中していた。
ある者は材料を入れ、ある者は静かにかき混ぜる。
ソウタは、緊張で汗をかきながら大釜をかき混ぜているジュノと話していた。
ソウタ:ケッカイ制御の実技授業に参加できないの、正直つらいよな… このギプスのせいで…
ジュノ:できたああああああ!!
ソウタ:えっ!?
突然の大声にソウタが驚く。
周囲の生徒たちも一斉に顔を上げた。
ソウタは一瞬「こいつ、俺の話聞いてたか?」と心の中で思った。
二人は同時に大釜の中を覗き込んだ——
ドンッ!!
黄色い煙が勢いよく吹き上がり、二人の顔に直撃した。
爆風のあと、ソウタとジュノの髪は逆立ち、顔は真っ黄色に染まっていた。
隣の机にいたヴィエルは大笑いしていた。
ヴィエル:あははは! やっぱり私たちのコンビは最高よね、リシア!
ジュノ:ふんっ! クラス委員長と組んでりゃ、そりゃうまくいくさ!
ソウタ:……おい、それどういう意味だ?
ソウタはジュノの後頭部を軽く叩いた。
ジュノ:いててっ!
ソウタ:待て……今、委員長って言ったか?
ジュノは痛がりながらも頷いた。
ジュノ:ああ。お前が休んでる間にいろいろあってな。
リシアはクラスの委員長に選ばれたんだよ。エリアス・フォン・ダルヴァインってやつと一緒にな。
そう言って、ジュノは前方の机を指差した。
ソウタはゆっくりとその方向に目を向けた。
クラリスの机より少し前、完璧な姿勢で本を読んでいる金髪の少年がいた。
ソウタ:(……あいつがエリアスか)
彼の胸に、静かに嫉妬の火がともった。
そのとき、小さな影がソウタの足元にやってきた。
ニーロだった。
口に小さなハンカチをくわえ、ソウタの足に身体をこすりつける。
ソウタは少し身をかがめて、ハンカチを受け取りながらニーロの頭を優しく撫でた。
ニーロ:クゥン…
リシア:次からは、もう少し注意して。
リシアが横目で言うと、ソウタは顔を赤らめ、急いでハンカチで自分の顔を拭き始めた。
授業が終わったあと——
ソウタはむっつりとした顔でポーション実験室を後にした。
不満と苛立ちが彼の表情ににじんでいた。
ソウタ:(くそっ……一回もまともに作れなかった……)
考え事に夢中になっていたソウタは、前方から歩いてきた誰かに気づかず、勢いよくぶつかってしまった。
ソウタ:うわっ、すみ——
???:……へぇ。
ぶつかった相手は、金髪で気取った姿勢の少年だった。
エリアス・フォン・ダルヴァイン。
彼の周囲には取り巻きのような生徒たちが数人いた。
エリアス:おやおや……男爵のお気に入りじゃないか。
こんなにボロボロで歩き回るなんて、さすがだな。
せめて前くらい見て歩いたらどうだ、壊れかけの人形くん。
ソウタはその言葉に苛立ちを隠せず、冷たい口調で返した。
ソウタ:そっちこそ、余計なこと言ってると俺みたいになるぞ。
エリアスの顔がぴくりと動いた。
その直後——彼はソウタの制服の襟をつかみ、グッと引き寄せた。
エリアス:……なんだと? ゴミが。
その場の空気が一気に張りつめた。
すると——
リシア:……それが、クラス委員長の振る舞い?
冷静な声が、静かに響いた。
リシアがゆっくりと近づいてくる。
エリアスはちらりとリシアを見てから、舌打ちをし、
掴んでいた手を放しながらソウタの胸を軽く押した。
その衝撃で、ソウタは数歩後ろに下がった。
エリアス:そんなに自信あるなら、俺と勝負しようか。
――エクソシストとしての、正式な決闘を。
ソウタは目を細め、口元に不敵な笑みを浮かべた。
ソウタ:面白いな。受けて立つよ。
エリアス:ふん……ちょうど一週間後だ。楽しみにしてるよ。
彼は顔を背けると、何も言わずに歩き出した。
その背後には、彼を追うように取り巻きたちが続いた。
ソウタは小さな声でリシアに礼を言ったが、彼女は何も答えず、視線もくれずにその場を去った。
優雅なその背中は、やがて石の回廊に消えていった。
ソウタは唇をかみしめる。
ソウタ:(……俺、また変な印象与えちまったかもな)
心に重く沈むような感覚が残った。
夜になり、部屋は静まり返っていた。
壁に取り付けられたランプの淡い光が、部屋の壁に柔らかな影を映し出している。
キエルはベッドの上に座り、本を膝に乗せて静かにページをめくっていた。
その一方で、ソウタは落ち着かずに寝返りを打っていた。
ソウタ:ちっ……
苛立ち混じりに舌打ちし、頭をがしがしとかいた。
胸に巻かれた包帯が引きつれ、少し痛んだが気にしなかった。
キエルは片眉を上げた。
キエル:決闘なんて受けるからだよ。
あんなに傷だらけなのに、バカじゃないの?
ソウタ:……さあな。たぶん、ただの意地か……その場のノリかも。
キエル:むしろ頭の打ち所が悪かったんじゃないか?
ソウタは返事をせず、ため息混じりにベッドに仰向けで倒れ込んだ。
元気な方の腕で目元を覆い、静かに呼吸を整えようとした。
すると——
コン、コン。
扉をノックする音が響いた。
ソウタはゆっくりと起き上がる。
ソウタ:……誰だ?
扉を開けたその瞬間、小さくふわふわした何かが勢いよく飛びかかってきた。
ソウタ:うわっ、なんだ!?
それは——ナイロだった。
白く小さな狐のような姿のナイロは、ソウタの元気な腕にちょこんと収まり、
ぱちぱちとした目で見つめてきた。舌を出し、尻尾をふりふりと揺らしている。
そしてその背後には、いつものように落ち着いた表情のリシアが立っていた。
リシア:お願いがあるの。
ソウタは驚いた顔で瞬きをする。
ソウタ:……こんな時間に? どんなお願い?
リシア:少し、付き合ってほしいだけ。すぐ終わる。
キエル:なんか怪しい話してない?
面白そうだし、俺も行くわ。置いてかれたくないしね。
ソウタ:はぁ……なんなんだよ、まったく……
三人は静まり返った学院の廊下をこっそりと移動していた。
壁に取り付けられた松明の光がゆらゆらと揺れ、石造りの通路に長い影を落としている。
時折、巡回中の教師たちの足音や灯りを避けるため、柱やカーテンの陰に隠れながら進んだ。
ソウタ:……これはさすがに怪しすぎる。どこに行くつもりなんだ?
リシア:錬金術の研究室よ。
キエル:えっ、あそこって夜は閉鎖されてるんじゃ……
やがて、三人は頑丈な木製のドアの前に到着した。
扉の取っ手には封印のような金属のロックがかかっていた。
そのとき、リシアはポケットから小さな鍵を取り出した。
ソウタ:えっ!? それ、どこから手に入れたんだよ?
リシアは涼しい顔で、ナイロを指さした。
リシア:ナイロが盗んできたの。
ソウタとキエルは沈黙したまま、ナイロを見つめた。
キエル:……この狐、やばすぎる。
ソウタ:……完全に共犯者だな。
ナイロは自慢げに尻尾を振りながら、お腹を見せてゴロンと寝転がった。
リシアは鍵を差し込み、音を立てずにそっと回す。
カチリ。
鍵が外れ、重たい扉がゆっくりと開いた。
中からはひんやりとした空気と、うっすらと薬草の匂いが漂ってきた。
リシア:……入って。
三人はそっと扉を閉め、音を立てないように中に入った。
暗がりの中、リシアが指を鳴らすと、壁の松明に小さな炎が灯り、部屋全体をぼんやりと照らした。
棚には無数の瓶や薬草、魔法の素材がずらりと並び、空気には微かに硫黄と焦げたハーブの香りが漂っていた。
リシア:――鍋と、ここに書いてある材料を探して。
そう言って、リシアは折りたたんだ紙を差し出した。紙には丁寧な文字でいくつかの材料の名前が書かれていた。
ソウタとキエルは無言でうなずき、実験台や棚を手分けして探し始めた。
数分後、彼らは必要なものを一つの作業机に揃えた。
清潔な銅製の大鍋
エーテリアの花弁
乾燥させたベルザルの根
ムルタル晶樹の樹液
夜光サラマンダーの鱗
そして、わずかな量の「琥珀の闇塵」
ソウタ:えっと……レシピ本はいらないのか?
リシアは首を横に振った。
リシア:これから作るのは、ここの授業では扱わない特別なポーションよ。
そう言って、彼女はポケットからもう一枚の紙を取り出した。
それは手書きのメモのようで、魔法陣のような記号や分量、順番が細かく書き込まれていた。所々にシミもついている。
リシア:二年生のある人に教えてもらったの。強力だけど、かなり難しいらしいわ。
ソウタは少し不安そうな表情を浮かべたが、何も言わなかった。
リシアは無駄のない動きで作業を始めた。
材料を正確な順番で鍋に入れ、慎重にかき混ぜ、時には小さな瓶から液体を数滴ずつ注ぎながら、低い声で調合の呪文を唱えていた。
鍋の中からは淡い緑色の蒸気が立ち上り、机全体がかすかに振動していた。
時間が経つにつれて、蒸気は濃くなり、周囲の光を緑色に染め始めた。
やがて――
ボンッ!
鍋の中で小さな爆発が起こった。
鮮やかな緑の閃光が三人の顔を一瞬照らし、その後、部屋に緑がかった霧が広がった。
霧が薄れていくと、鍋の底にはわずかに輝く液体がほんの少しだけ残っていた。
リシアはそれを慎重に小さなガラス瓶に注ぎ込み、コルクで蓋をした。
リシア:――飲んで。
その声は、命令のように冷たかった。
ソウタは戸惑いながらも瓶を受け取った。
しばらくじっと見つめてから、意を決して口に運ぶ。
中身はとてつもなく不味かった。
苦く、どろりとした感触に吐き気が込み上げたが、どうにかこらえて飲み下した。
その瞬間。
ソウタの体の血管が、皮膚の下で緑色に輝き始めた。
その光は体中を巡り、まるで内側から電流が走っているかのようだった。
キエルは思わず一歩下がり、驚いた表情で見守る。
リシアは変わらず静かに見つめていた。
ソウタは胸に手を当てた。
筋肉の緊張が和らぎ、体を焼くような痛みが消えていくのを感じた。
包帯が急に窮屈に感じるほど、回復していた。
彼はふっと笑みを浮かべ、壁の近くへと歩いていった。
拳を握りしめ――そのまま、ギプスのかかった左腕を勢いよく石壁へと叩きつけた。
バキィンッ!!
ギプスは粉々に砕け散り、床に崩れ落ちた。
その下から現れた腕は、完全に回復していた。
ソウタはゆっくりと指を動かし、その感覚を確かめる。
ソウタ:(……すごい……)
そして――
彼の唇が、静かに、だが確かに、
満足げでどこか狂気を孕んだ笑みを形作った。
✍️作者からの一言
ここまで読んでくれてありがとうございます。
物語にしっかりと愛情とクオリティを込めるために、これからは毎週月曜日と金曜日に新しいエピソードを投稿していきます。
この冒険を、僕が書くのと同じくらい楽しんでもらえたら嬉しいです。
またすぐに会いましょう!!