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サイコパス坂本龍馬

(この男は一体何を考えておるがじゃ?)

 後の三菱創始者・岩崎弥太郎は、同郷の維新志士・坂本龍馬との連絡を任されている。

 そして、龍馬という男に会う度に、妙な違和感を感じてならない。


 坂本龍馬、岩崎弥太郎ともに土佐山内家の領内に生まれた。

 この家は上士と下士の対立が激しい。

 元々長宗我部氏が支配していた地に、山内家が関ヶ原の戦いの戦功で入って来た。

 そして元長宗我部家臣たちを下士として弾圧した為、上士たる山内家家臣とは不俱戴天の仇……のような存在になる。


 だが、こういう対立は坂本龍馬には何の意味も無かったようだ。

 坂本家は、豪商才谷家の分家にあたる。

 この商人出身の武士は、表向きは下士、しかも成り上がり者だから馬鹿にされる。

 しかし裏に回れば、上士は才谷屋から借金をする為に、腰を低くしていたのだ。

 幼少の頃からこうした光景を見て来た為か、元からそういう性質だったのか、坂本龍馬からはある感情が欠損してしまった。


 帰属意識


 坂本龍馬はこれを持たない。

 これは、現代社会においては、無くても特に問題にならない。

 フリーランス、一匹狼、独立心旺盛、群れない奴……なんとでも表現出来る。

 生きていく上で支障はないし、存在が害悪にもならない。

 だがそれは、武士にとっては極めて奇異な事なのだ。

 武士は何処そこの家に仕える存在でないと、存在意義が無い。

 禄を捨てての浪人生活など、誰が好き好んでするものか。

 直ぐにでも、何処かの御家に仕えたい。

 幕末期はこれに思想も絡んで来る。






 サイコパスとは、特定の感情が欠落し、社会生活に支障が出るような者を言う。

 後の時代では、「人を殺しても何とも思わない」「愛情を持たない」といったものになるだろう。

 ところが武士の社会では、人を殺しても何とも思わないのを誉れとする、現代のサイコパスの方が普通だったのだ。

 特に幕末は、箍の外れた天誅という殺人が横行する時代である。

 そんな幕末の武士は、殺人という部分では「サイコパス」こそ普通で、帰属意識という部分では「それが無い者は異常」であった。


 武士たちは、どこかに所属したがる。

 土佐の下士たちは、武市半平太を頭領とした「土佐勤王党」に所属した。

 一方で、土佐山内家家中という立場も捨てない。

 勤皇の志士と呼ばれる者たちも、長州藩や薩摩藩という組織に所属し、その中で「松下村塾門下」とか「精忠組」とかという内部結社に属する。

 中には特定の後ろ盾を持たずに天下を渡り歩く者もいたが、彼等とて「勤皇」という枠組みには入っていた。

 そして「虎尾の会」とか「天誅組」とか「天狗党」とか、誰かを中心に纏まりたがる。


 ところがこの坂本龍馬は、どうも違う。

 土佐は既に脱落して、天下の浪人となっている。

 勤皇の志士に分類されてはいるが、それにしては幕臣・勝海舟の門下に入ったり、多くの幕臣と知己を得たりしている。

 勤皇から見れば、悪く言えば裏切り者、良く言ってもどっちつかずに見える筈だ。

 自身が「亀山社中」後に「土佐海援隊」という商社を作っているが、彼は運営には余り携わらず、外で行動をしている。


 更に言えば、土佐山内家、土佐勤王党、神戸海軍塾、薩摩島津家と長州毛利家、そして亀山社中と組織に関わりながら、そこが崩壊しても大した感情を持たない。

 ある意味、徹底的な能力主義なので、有能な者はどの組織に居ても報われるべきだというフラットな思いを持っている。

 しかし、そこに所属しているだけの存在には目もくれない。

 これも現代では分かりやすいだろう。

 自分が働くバイト先、企業、取引先が無くなろうが、血涙を流して悔しがる者がどれだけ存在するか?

 現代でも昭和の頃までは存在していた。

 組織が自分の身の置き場でないと識る者が多い中、今でも卒業大学という学閥や、◯◯部OB会、更には若いながらもサークルやSNSのグループの中に自分の居場所を求める者も居る。

 龍馬には、それが全く無かった。

 大政奉還で、幕府が温存されたと思う者も多かったが、龍馬の中ではまるで違う。

 幕府を含めた武家政治も、無能にさせられていた朝廷も、地方分権な封建制度も、一切合切壊れる第一歩に過ぎない。

 幕府を潰して、次が薩長連合武家政治なんてしてたまるか!

 全部無くなるガラガラポンの方が面白いじゃないか!

 それでは食っていけない溢れ者が出る?

 知らないよ、特権に寄りかかって生きて来た報いって奴だろう。

 帰属意識と、帰属する事が生き甲斐な者への共感を持たないと、ここまで先鋭化した革命思想に行き着ける。

「勝った側」に帰属していただけで、次の時代の特権階級になれるというのは、理解しがたい事でもある。


 龍馬は自分で立ち上げた亀山社中すら、経営難と見ると解散を打診している。

 皆の猛反対で撤回している。

 その後、社中に属する自分と似た気配がある男・陸奥宗光に対しては

「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」

 と高く評価した。

 要は、自分の組織に居る者ですら、武士という身分を失った時にどうなるか分からないと見切っている。

 実際、陸奥はサイコパスとは言わないが、極めてドライな人物で、能吏となったが人道系の仕事には関わろうとしなかった。


 帰属意識が薄い、組織の中でいわゆる「雑巾掛け」と呼ばれる下働きから始まっていない、故に彼にとっての有能無能は、仕事の出来不出来に拠っていたかもしれない。

 実直に、無難に、というのは見えない。

 型通りに書類を片付けるのも組織においては重要なのだが、幸か不幸か、亀山社中という商社において、有能な経理や書記による少数での処理を見てしまった為、人並み以上でないと評価はされない。

 もっとも、汽船の運用において、竈焚きや雲水は大事に扱っているから、これは書類仕事への興味の無さと、武士・特権階級への厳しい目のせいであろう。


 だからといって、龍馬は虚無な男ではない。

 個人的な親愛感情は強い。

 家族に対する愛情は有り余っている。

 恩師といえる勝海舟には、死ぬまで敬意を抱き続けた。

 本当に好きな人への感情が強く、それ以外には薄かったのかもしれない。

 ゆえにこう思ったりする。

「あんた程の者が、そんなつまらん場所に居ちゃいかんぜよ」




 龍馬は幼少時、周囲から酷く馬鹿にされていた。

「龍馬はアホじゃ」

 と、勉強が出来る出来ないではない、障碍者扱いをされていた。

 それは当時の常識「儒学」を理解出来なかったからだ。


 帰属意識が希薄か、無いものに「忠義」を説いても理解出来ない。

 とりあえず家族に対する意識はあるから、「孝」は何とか分かる。

 ただ坂本家は上下意識、形式張った礼儀にはうるさくない為、武家社会でいう「孝」とは違う。

 現代社会の家族のような関係が近いだろう。

 ここは男女隔てなく、家族で揃って食事をする家風なのだから。

 そうなると、いよいよ「儒」が理解出来ない。

 何故殿様は偉いのか、何故上士に逆らってはいかんのか、何故先生ってだけで偉いのか?

 思考停止的に刷り込まれる当時の常識にして、倫理・道徳の根底。

 龍馬は受け入れられない。

 子供の内は、それを口に出してしまう。

 その結果

「龍馬は忠も孝も礼も分からん、アホウも通り越したキ〇ガイじゃ」

 という評となる。

 まず儒学を教える塾の師がそう断じてしまった。

 そして幼少期の龍馬は、馬鹿にしても問題がない、むしろ蔑んで良い存在になってしまったのだ。


 長じた龍馬は、相変わらず「儒」の精神を理解出来ない。

 しかし、表面的には分かったようだ。

 更に、異端者は排除どころか、人間扱いしないこの社会も。

 その結果、彼は演技する事を覚える。

 社会に波風立てないくらいには、常識人として振舞う事が出来るようになった。

 既に述べたように、龍馬は勤皇に属していながら、平気で幕臣とも会う。

 攘夷志士というカテゴリーにも関わらず、外国人と商売をする。

 大名家の重役ならば仕事がら有り得るが、一介の浪人としては異常だ。

 そして普通なら「あんたはどっちなんだ?」と問われ、下手をしたら殺されるだろう。

 しかし、不思議な演技の上手さ、更に胡散臭さ、他人を上手く騙せる才能のせいか、坂本龍馬をして「裏切者」と呼ぶ声は滅多にない。

 更に、彼はサイコパスならではの得意な才能を持っていた。

 魅力的に自分を見せる才能。

 他人を信じさせる才能。

 妙に人の心に飛び込む才能。

 


 それでも、やはり「儒」は分からない。

 彼には帰属意識が無いのだから。


 そして、この帰属意識の無さ、表向きは組織の為の仕事を請け負うと見せかけながらも、いざという時はあっさりその仮面を外せる事が、偉業に繋がったとも言えた。

 薩長同盟、これは薩摩が主導したものであるが、この代理人としては変にどちらかに肩入れしない者が望ましい。

 亀山社中が土佐の後ろ盾を得て、土佐海援隊となった件も、龍馬は友人とも言えた武市半平太を殺した上士と手を組む。

 親族であり、友人でもあった武市半平太だが、当時の武士の

「友を斬った者は、刺し違えてでも恨みを晴らす」

 という感情を持っていない為、現代風に言うならドライであった。

 大体この男は、その武市半平太の政敵・上士の吉田東洋の密命を受けて、脱藩という形式を取って九州各地を回り、情報を集めて送っていたのである。

 上士とか下士の枠組みは、全く意味を成していない。

 岩崎弥太郎は、「当家を欠落した不届き者を追跡」という名目で土佐の外に出て、たまに龍馬と会って情報を受け取っていた。

 その時から弥太郎は

(この男は一体何を考えておるがじゃ?)

 と違和感を感じていたのだ。


 弥太郎の同僚は、土佐勤王党によって殺されている。

 当時はそっちの方が当たり前なのだ。

 人を殺す事の方に抵抗が無い。

 違う組織に属する者と通じる事は、義にも情にも悖る所業。

「サイコパス」と看做される、欠落する部分が現代とは違うのだ。

 岩崎弥太郎は組織にどっぷり浸かるタイプの男ではないが、それでも親の為に塾を辞めて駆け付けたり、抗議して投獄されるという「熱い」部分を持っている。

 違い過ぎて

「龍馬はアホウじゃから、仕方が無いぜよ」

「龍馬は土佐にはあだたぬ男じゃきに」

「あれは天下の器じゃから、細かい事は気にせん男じゃね」

 と、呆れた目で見る者とは違い、弥太郎は「近い部分がある」だけに


(どうにも気味が悪い)


 そう感覚的に思っていたのだ。

 こういうのは、離れ過ぎていると「ああいうものだ」と、見ているようで見ていないようになる。

 近しい部分があると、何か違和感を感じてしまうようだ。

 現代で例えるなら、サイコパスな殺人犯が身近に潜んでいても、大概の者は演技に騙されて気づかないが、同じ殺人経験者は「何かあいつにも同じようなものを感じる」と思い、やがて「あいつは俺より余程ヤバい奴ではないのか?」と直感するようなもの。






 だが、どうやら「違う」ながらも龍馬の正体に気づいた者が居たようである。

 坂本龍馬とは真逆、帰属意識の塊である薩摩武士。

 幕末においても個人で行動する者は稀で、

「お家の為」

「精忠組の為」

「西郷どんの為」

 で固まって活動していた。

 その首脳部は、坂本龍馬という誰とでも付き合える存在を利用していたものの、接する機会が増える毎に何か薄気味悪さを覚え始めていた。

 大義について語っても、どこか上っ面な感じがする。

 人情には篤いが、薩摩ならではの「おはんが死ぬ時は俺いも腹バ切る」といった熱は無い。

 そして龍馬には「自信に溢れ、魅力的に見える」「自己の利益のために人を騙す」「誇大化や虚言の癖がある」といった特徴があるのだが、サイコパスという分類自体が無かった時代に、そこまでは分からない。

 だが、彼等は直感した。


「あん男は、どうも食わせ者じゃなかな?」

「土佐にも薩摩にも長州にも属さず、かといって徳川の手先でもなか」

「誰とでん仲良くしゆうが、その実、誰も敬っちょらん」


 こういう人物は、自分の属する組織を平気で裏切るし、場合によっては売る。


「坂本サァは、自分の紋付を見せて

『わしぁ、逆臣明智光秀の娘婿、明智左馬介の子孫じゃ』

 とホラを吹いちょった。

 じゃっどん、あいは本当かもしれん。

 あん人は、今の世の明智光秀になっかもしれんど」


 薩摩は討幕を成した。

 しかし、徳川を倒し切ってはいない。

 この微妙な時期に「明智光秀」が出て、裏切られたらたまったものではない。

 それは理知的に考えて出した結論ではない。

 直感である。

 そして薩摩武士には、それで十分だった。


「見廻組にそれとなく、坂本サァの居場所を流しもしたか?」

「あい。

 ついでに、坂本サァは幕臣永井主水を誑かすつもりで、近日中に会う予定という事も」

「そいは重畳じゃ。

 実際に会うチ言っちょったなあ」

「何事も薩摩の御為に

「薩摩の御為に」





 そして慶応三年十一月十五日という一日が始まった。


 ~ (終) ~

これで連載しようかな、と思ったのですが、書き始めたらあっさり書き終わったので短編としました。

新解釈ものなので、

「吉田東洋のエージェントだった」

「岩崎弥太郎が連絡係」

「薩摩が黒幕」

というのは、話の都合に合わせた創作ですので(そういう説もありますが)。

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― 新着の感想 ―
脱藩した人間が松平春嶽に代表される公儀のお大尽に会えるのが不思議だったので、こういう顔があったのでは?という話はすごく腑に落ちました。
龍馬は快男児として描かれることが多いですが、実はけっこう腹黒ですよね。 自分も『いろは丸事件』のことを掌編にしましたが、あれも調べてみるとペテンの匂いがぷんぷんするんですよね(^^; 龍馬がある種の…
すとんと腑に落ちる話の内容ですね
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