08 後生大事
「始まった? 私を慰める会が」
「そうじゃなくて、普通に本音」
恥ずかしいことを、マーガレットは真顔のままで言った。
「だって、サラって優しいじゃん。人の悪口言わないし」
「心の中では言ってるよ」
「怖。あ、あと宿題見せてくれるし」
「『いっつも宿題忘れやがって……』って思ってたよ」
「それは知ってる。実際言われたから」
くだらないことで、声を上げて二人で笑う。
でも、やっぱりマーガレットの話しぶりは、どこか真正面なままだった。
「確かに、そのくらいのことで聖女って言ってたら誰でも聖女になっちゃうかもしれないけどさ。でも、そもそも聖女ってそのくらいのものなんじゃないの? 尊い貴族の皆々様から選ばれるわけじゃなくて、平民だって、誰だって選ばれる可能性があるものなんだし。ちょっとでも優しいなら、誰だって聖女って呼ばれていいんだよ」
そう言われると、私も思うところがあった。
たとえばマーガレットが聖女に選ばれたと聞いたとして、私は特にそのことに疑問を持たないだろう。驚きはするけれど、「絶対そんなわけない!」なんて強く思ったりはしない。彼女だって、新しい職場に飛び込んでまだそれほど時間も経っていない大事な時期に、こうして時間を割いて、私の相談に乗ってくれて、しかもこんな風に励ましてくれているんだから。
誰だって聖女になれる。
そう言われると、確かにそうなのかも――と、思うには、
「でも私の歌、知ってるでしょ?」
「知ってるよ。私あれ、一番最初の被害者だもん。入学式。自分に何が起こってるのかわからなかった。今、変な夢でも見てるのかなって」
「被害者って言わないで。事故だから」
「でも実は、そっちもあんまり心配してないんだな、これが」
当の本人である私がこんなに心配しているっていうのに。
のんきにケーキを口に運びながら、彼女は言う。
「だってサラって、確かに勉強も運動もできたけど、天才ってタイプじゃないでしょ。私は人の宿題ソムリエだから知ってるよ。サラのノートが一番ちゃんとまとまってたこと。だから歌もダンスも、ちゃんと練習すれば何とかなるんじゃないかなあって楽観視してる」
所詮他人事だから、とちょっとした憎まれ口を最後にマーガレットは付け足してくる。
そう言われると、と我ながら単純な感情が湧いてきた。
「持つべきものは褒め上手の友達だ」
「人に頼って生きてるからね。人を良い気分にさせるのが得意なんだよ。ちなみにすでに職場では接客能力で一目置かれ始めております」
まんまとそのやり口に引っ掛かってしまったらしい。
しょうがない、と私は店員さんに合図をした。もうこのままここで夕食まで済ませる勢いで、追加の注文をいくつか。当然、私の奢りということになる。ごちそうさまです、とわざとらしくマーガレットは深く頭を下げる。
「頑張ってみるかあ」
食べながら、私は呟く。うんうん、とサラは頷いて、
「まあサラ生徒会長の伝説の歌声をそのまま聞いてみたいという欲望も抑えられないけどね。我々同級生一同としては」
「こら」
「ちなみに、今って歌のレッスンとかやってると思うんだけど、教師役は誰? 私がコネを作れたら出世に有利そうな人?」
すごい上昇志向だ、と苦笑いしながら、私は端的に答えた。
「公爵」
「こ……え、漆黒公爵?」
「そう」
「聖女様は公爵様に直々に音楽指導を受けてるってこと?」
「そうです」
「あの歌で?」
「あの歌でです」
あぁ……と溜息みたいな声をマーガレットが出した。それどういう意味、と私は目で問い掛ける。いや違くて、とその視線の意味を読み取って彼女は、
「そんなに偉い人が相手なら緊張するよねって話。私もお店に偉い人が来ると先輩に頼りたくなっちゃうし、まして直接だと……。元気なさそうだったから心配したんだけど、やっぱり厳しい人なの?」
そう訊かれて、私はちょっと考える。
厳しいかと言われれば、と思い返してみる。実際、歌とダンスのレッスンに手を抜いている様子はない。でも、両足を踏まれても文句のひとつも言わないでいてくれるし、
「そうでもないよ。どっちかと言えば優しいし、気さくな人なんじゃないかな」
気さくは流石に言いすぎな気もするけれど、私自身の印象としては、大体そんなところだった。
「へえ」
マーガレットの目が光った。
しまった、と私は思った。
「とうとう来た? あの生真面目生徒会長にも、春が」
「来てないって」
「でも、美形なんでしょ。公爵って」
「それはそうだけど、顔だけじゃ人を好きにならない」
「聖女っぽいなあ」
「別に、聖女だって人を見た目で好きになっていいでしょ。私がそうじゃないって話」
「やっぱり思い出に残るような人じゃないと?」
痛いところを突かれた。
おほん、と私は咳払いをする。マーガレットも、友達付き合いが長くなっただけあって、それ以上は詰めてこない。話はそれから、彼女の職場の話へ。お互い慣れないことをしている日々の中で、久しぶりに安心したのもあるだろう。閉店の時間までずっと粘ってしまう。
家に着いたときには、もうすっかり私は眠くなっていた。
でも、このままの服で寝るのはダメだ。もう少しだけ頑張って、綺麗に寝られる体勢を整えよう。今日一日最後の頑張り。うん、と背伸びをする。
そのとき、ふっとベッドサイドのチェストが目に入ってしまう。
さっきまでの話の流れだ。私は、その引き出しを開ける。それを手に取って、確かめる。
古いペンダントだ。
別に、と思う。
昔はよく、これを首にかけて色々と物思いに耽ったりもしていた。でも、最近はそんなことしていない。恋人がいないのも、単に同級生を見ても今更何も思わなくて、職場では同年代の同僚もいなくて、何となく出会いがないだけで、別に心に固く誓ってあえて作っていないわけじゃない。
そういうわけじゃない。
そういうわけじゃないんだけど、
「……そろそろ、」
そろそろ、こういうものを大事に取っておいてるのって、夢見がちすぎて良くないのかもな、と。
自分で自分に、思わなくもないだけだ。