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39 もう知りません



「昔、迷子になったことがあるんです。多分、この庭で」


 外に出てみると、部屋の中から見た通り、風が強く吹いていた。

 でも、嫌な風っていうわけじゃなかった。春の訪れを告げるような、暖かい風。それで何だか、懐かしいような気持ちにもなる。


 花畑になるよりも、少し前の草野原。

 行きたいです、と言ったら、本当に連れてきてくれた。


「十数年前にか?」

「多分。どうして子どもの頃の私が、公爵様の別荘地に紛れ込んでいたのかは覚えていないんですけど……」


 公爵は、私がそう言ってもやっぱり心当たりはないらしい。


 そうか、と小さく頷く。視線は、私の首に下がったペンダント。

 よく見えるようにと抓んで、私は訊ねた。


「でも、自信がなかったから確かめたくて。これは、公爵家のものという認識でいいんでしょうか」

「それは間違いない。以前に父から宝物庫の管理を引き継いだときのことなんだが……」


 彼は言った。揃えになっている宝物があり、帳簿を見ても全て一揃いで保管されているはずが、いざ確認してみると現物が見つからない。一時は大騒ぎになり――


 私の顔も、一気に真っ青になり、


「いや、心配するな」

 と、彼は慌てたように言った。


「父に確認したところ、しっかり覚えていたんだ。幼い頃の俺がそれを気に入って使っていたことと、あるときそれを紛失したということを」

「だ、大丈夫だったんですか。紛失って」

「財産には頓着しない人だ。個人的にはそういうところはどうかと思っていたんだが――」


 言いながら、彼は首の後ろに手を当てる。

 それから、はにかむように笑って、


「これじゃ、人のことは言えないな」


 私は、その顔をじっと見つめてしまった。


「それにしても、君もよく思い出せたな」

 公爵は、本当に感心したように言った。


「俺が覚えていないくらい昔のことなんだ。君にとっても、すごく幼い頃だろう」

「私も最初は忘れていました。少なくとも、初対面のときは全く」


 でも、と続ける。


「思い出したんです。このペンダントをくれた男の子は、私がこの場所から立ち去るのを見守ってくれていました。そのときに、私に言ってくれたんです」


 その言葉を口にするとき、私の頭の中には当然、あの一瞬が思い浮かんでいる。

 ステージの上で転びそうになったとき、立ち上がったあの人の姿。


「『がんばれ』って」


 しばらく、公爵は呆気に取られたような顔をしていた。

 そうか、と彼は静かに続ける。その一言で、全てわかってくれたみたいに、


「随分昔から、俺は君のファンだったらしいな」


 私はそのとき、二つのことに気付いている。


 一つ目は、公爵の変わらないところ。

 私への態度だ。今はもう、私は聖女ではない。でも、彼の話し方も振る舞いも、以前のままのように思えた。気を遣うなと、そう言ってくれた頃のように。


 二つ目は、変わったところ。

 口に出すか迷うくらいなら、多分私はここまで来なかったと思う。


「公爵様、よく笑うようになりましたね」


 彼はまだ、相槌を打たない。

 だから私は、そのまま続けた。


「以前より、ずっと」

「……それは、そうだろう」


 何がどうなって、それがそうなるんだろう。

 今度は私が、相槌を打たなかった。自然、次の言葉も彼からになる。


 変わらないところの、三つ目。

 公爵は、視線を私から外すようにして、



「笑うと可愛いとか、言ってなかったか」



 すごいことを言う人もいるものだな、と思った。


 ちらっと、横目で彼が私を見るものだから、まさかと思った。


「……?」

 自分のことを、指差してみる。


 こっくりと、深く公爵は頷く。


「えっ!?」

「そうだろうな。どうせあの言いぶりだと何もかも忘れるだろうと思っていた」


 いつですか、と訊ねる。前夜祭の、と答えられる。確かにあのときの記憶が、びっくりするくらい思い出せないことに私は気付く。君は人前で飲酒するときは気を付けろ危ないから、とアドバイスまでされてしまう。


 確かに、多少の勇気は持ってここまで来たつもりだった。

 でも、多少の勇気じゃ済まないことを言っていた過去が発覚すると、流石に、


「す、すみません! 不敬な……」

「気にするな。忘れていたのはお互い様だし、おかげで最近、周囲からの評判も良い」


 そう言ってもらえると、と言ったとき、公爵の反応は素直だった。ああ、と微笑む。


 彼もまた、と私は思う。

 苦手なことを、ちょっと頑張ったんだ。


「それに――いや、」


 だけどやっぱり、いきなり完璧になったわけじゃないんだと思う。

 また彼は、目を逸らす。でも私は、もうわかっている。こういうときに彼が言い淀むのは、大抵の場合、私にとって重要な言葉だっていうことを。


 何ですか、と重ねて訊ねる。

 公爵は、私を見た。


「君は、俺の『推し』だからな。褒められれば、素直に嬉しいさ」


 ああそう、と私は思った。


 一応、もっと段階を踏むつもりだった。もうちょっとそれとなくして、今日のところはとりあえず顔だけ見せておいて、覚えてますか私ってまだ生きてますよって、そういうことを伝えるだけで帰ってもいいかもなんて、ちょっと弱気なことも思っていた。


「私は、」


 でも、そこまで言うんだったら。

 後のことは、もう知りません。



「私は、あなたのことが『好き』です」



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