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36 という



「や、久しぶり」


 と挨拶はされたけれど、正直なところ、そんなに久しぶりな感じはしなかった。

 だって、次に会うのは十年後とか、そのくらいになるかと思っていたから。


「お久しぶりです、ネアネイラさん。外、寒くありませんでした?」

「いや、結構春だね。王都の方がちょっと寒いくらいかも。こっちはやっぱり温暖だよ。流石は元副王の治めていた土地だけのことはある」


 学校にも、応接室くらいのものはある。

 その部屋のソファに遠慮なく座っているのは、ネアネイラさんだった。


「でも、大変ですね」

 温かいお茶の入ったカップを彼女の前に置いて、私は言う。


「儀式が終わって、すぐに全国巡りなんて」

「いやいや。結構ね、楽団の面々もこの時期は気力が有り余っているんだよ」


 彼女は今、王宮楽団長として、楽団を連れて方々を周っているのだそうだ。


 何でも、そういう時期らしい。聖女の儀式の前は、どうしても貴族方は聖女が奏でる音楽の方に注目する。だから王宮楽団が目立たなくなるし、終わってからも「しばらく音楽はいいかな」と落ち着いてしまう傾向にある。そういうわけで王宮でやることもなくなるから、全国的に歌とダンスが話題になっているのを利用して、様々な地方を巡って音楽的な催しを開き、文化芸術の機運を高めているのだと。


「聖女様に触発される形でね。特に君の場合、音楽自体がかなり変わっていたから。新しいことにチャレンジしたがっていた若手なんか、口実を得たとばかりに毎日新曲を上げてくるよ」


 そして私はそれを突っ返す、とネアネイラさんは言った。もう少し聴く人のことを考えなさいってね。


「こちらには、結構長くいらっしゃるつもりなんですか?」

「そうでもないね。公爵領はあくまで通り道のつもり。だって、君がいるしね。音楽の本場だから」

「いやいや……」

「それは冗談にしても、実際このあたりの人たちは王宮の訳の分からん高級楽団とやらの高尚な音楽を聴くよりかは、街出身の偉人の奏でる音楽を聴きたがるものだろう。一応この後、公爵のところに挨拶には行くつもりだけど、そこでの話次第かな」


 そして私は、こんなに早くに再会することになるとは思っていなかったから。

 つい、心の準備も何もできてなくて、こんな言葉で訊ねかけてしまう。


「公爵は、お元気ですか」


 ネアネイラさんは、お茶に角砂糖をいくつも入れて、ティースプーンでかき混ぜていた。


 その手が止まる。

 怪訝そうな顔で、


「君の方が詳しいんじゃないか?」

「そんなことはないですよ。私、戻ってきてからほとんど連絡も取ってませんし。年金の関係とか、そのくらいで」

「そうなのか。付き合ってるんだと思ってたよ」


 カップを落としそうになった。


 というか、ほとんど落とした。指が滑ったのを、どうにかもう一度掴み直して繋ぎ止める。前屈みになっている。心臓がばくばくする。


「な……」

 呟くように、


「何を根拠に」

「私のことを噂なんて全く耳にしないような非社交性の人間だと思っていないか? そりゃ、あれだけ話題になってたら嫌でも知ってるよ。訊いてもないのにぺらぺらどうでもいいことを語ってくるような友人だっているし」


 そこまで噂になってたんだ、と今更思う。

 でも、聖女を退いてからもずっとそんなイメージを持たれていたら、公爵の方も迷惑だろう。説明をしておくことにする。


「そういうのじゃないんですよ」

「じゃあどういうの」

「『推し』なんだそうです」


 知ってますか、と訊ねて、首を横に振られるから、私は改めてその言葉の意味から伝えていく。

 推しっていうのは――


「ふうん」

 と、ネアネイラさんは頷いた。


「公爵にとって、君は『推し』っていうわけか」

「はい」

「じゃあ君にとっては?」


 二度、びっくりした。

 まさかネアネイラさんがそういうことを言うと思わなかったから。顔を上げる。じっと、彼女の表情を見る。


 渋い顔をしている。

 こういうのを言う柄じゃないんだよなあ、と彼女は髪を掻いて、


「ちゃんとその気持ちは伝えたのか?」


 本当に、義務感で訊いているみたいな声色だった。

 焦りとかそういうのより、困惑が先に立つ。ええ、と頷きながら、私はたどたどしく、


「一応、その、ステージの上から……」


 けれど、それを聞いた瞬間、ネアネイアさんの顔が急に呆れたようなものになった。


「君ねえ」

 ずいっ、と急に顔を寄せてきて、


「まさか、歌とダンスに気持ちを込めましたとか言うんじゃないだろうね」


 まさかも何も、その通りだった。

 だから、図星を突かれて何も言えずにいると、


「お節介は嫌いだが、これだけは一応、君の歌の先生として言っておこう。たった半年練習したくらいで『歌で全てが伝わるはず』なんて、思い上がりもいいところだ」


 さっきとは打って変わって。

 真に迫った声で、彼女は言った。


「音楽に限らず芸術なんてね、百年やったって自分の思いのほんの爪先くらいしか表現できないんだ」

「は、はい」

「そんなに単純なものじゃない。だから、言葉ができたんだよ」


 言葉を尽くしなさい、とはネアネイアさんは言わなかった。

 ただ、そこまで言い切るとまた急に、我に返ったようにソファに凭れ掛かる。天井を見る。


 溜息を吐いて、


「という、」

「という?」

「……いや、いいや」


 それからは、彼女はいつもの調子だった。


 最近こんな曲を作ってね、なんてことを話してくれる。私が「音楽の授業で私ばっかり歌わされて」と愚痴をこぼすと「金を取るんだ、金」「それで私は億万長者に」と、あんまり学校では使えないアドバイスをくれる。音楽教材用の曲を作ってあげようかと言われ、いやそこまではと遠慮の言葉を述べている間に、本当に一曲仕上げてくれてしまう。


「明日の夕方までは、この街にいるつもりだよ」

 そうして、彼女は宿に引き上げていった。


 私はそうして、まだ少しだけ人の気配の漂う部屋の中、一人で取り残される。楽譜を綺麗にファイルに綴じて、二人分の冷たくなったティーカップをトレイに載せる。


 窓からネアネイアさんの姿が見えないものかな、と覗き込む。

 そのとき私は、ふと部屋の隅に、女神様のマークが描いてあることに気が付いた。



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