35 将来どうなるの?
普通の日々が続いていった。
……と、言うにはちょっとだけ騒がしかったけれど。
秋の終わりごろ、冬の始まりの少し前。街に戻ってきた私は、しばらく盛大な歓待を受けることになった。うちの街から聖女様が出るなんて素晴らしい誇りだ銅像を建てよう――銅像は建てないでほしかったけど、こういうのはもう、私個人がどう思うかということではなく、聖女という存在の権威に関わってくる話だ。さりげなく設計図の顔を小さくしたり、足を長くしたり、そういうことに注力していこうと開き直る。パーティに次ぐパーティで、体重がちょっと増えた。前夜祭で最後かと思っていたら、そんなこともなかった。
王宮は聖女に慣れているけれど、この街はそうでもない。
本当に加減を知らないんじゃないかと思うくらいの盛り上がりようで、結局、冬が来て自然と空が暗くなる頃までは、ずっと明るい街だった。
まあ、と私は思う。
ちょっと呼び出されて、綺麗な服に身を包んで、歌とダンスを練習して、美味しいものを食べて戻ってくる。
これだけのことで、これだけ人を盛り上げることができるなら、なかなか有意義な半年だったんじゃないかな。
「せんせー歌ってー」
「歌って踊ってー」
「今は音楽の時間じゃないでしょー。ほらみんな、ちゃんとご覧なさい。綺麗な自然でしょう」
「枯れてるよ」
「もう冬だよ」
「じゃあ枯れていく寂しい季節をそのままスケッチブックに描き留めて。今日の美術は寂しい選手権ね」
けれど、いつかは日常も帰ってくる。
今日の私は、いつも通りの学校補助教員の仕事をしていた。
時間割では、美術の授業をすることになっている。そしてその内容は、屋外スケッチ。いつもなら学校から解き放たれたことに喜びを覚えた子どもたちが獣のように野を駆け巡り出す人気の授業なんだけど、今日はちょっと違う。
「ねー、聖女様見たーい」
「私たち見にいけなかったー」
「…………」
まとわりつかれている。
日常は今、万事こんな感じだった。
しばらくは、というかひょっとすると次の聖女様が選ばれるくらいまでは、私はずっとこの調子なのかもしれないとすら思う。子どもたちが朝登校して、私を見ての第一声は「歌ってー」で、第二声は「踊ってー」だ。
「後でね、後で」
「やった!」
「後で絶対ね!」
絶対になってしまった。
一度約束を取り付ければ子どもたちはきっぱりしたもので、すぐに駆け出していく。これでまた、今日も歌って踊ることになってしまった。これじゃあ聖女様としての準備期間と変わらないような気もして、溜息が出る。
そういうのも含めて、それが今の私の生活だった。
美術の主担当の先生が、にこにこ笑って近づいてくる。いやあサラさんがいると子どもたちがバラバラに走って逃げないから楽ねえ。そうですか、と私は苦笑いで答える。
お役に立てたなら何よりです。
「どーんっ」
「わ、」
なんてことを話していると、背中にぶつかってくる軽い体重があった。
何々、と振り向く。私より低い身長。ちょっとウェーブのかかった髪と、つむじが見える。
生徒会長の、イズィさんだった。
もしかしたら、他に子どもたちがいなくなるのを見計らっていたのかもしれない。彼女は私の肩にもたれかかるようにして、
「ねー、どうしよう先生。私、将来どうなるの?」
彼女もまた、就職を逃したらしい。
らしい、としか言えないのは、私がいない間の出来事だったからだ。
「またそれ?」
「またそれって何? 冷たすぎ」
「いやだって、私も仲間だから。別に、どうしようもないよ。ただ時間が刻々と過ぎていって、自分の優柔不断さに嫌気が差してくるだけだよ」
これでこの学校では、一番成績が良いからという理由で生徒会長に選出された生徒が、二年連続で進路未定のままで卒業する形になろうとしている。
しかも理由も同じだ。優柔不断。イズィさんも結局、どこで働こうということを決めかねて、どこでも働けるはずが、働き先を決められないまま過ごしてしまったそうだ。
うへえと彼女は、私の言葉に嫌そうな顔をする。
「でも、仕方なくない? どこに行ってもさ、事務職だろうが何だろうが、みんな訊いてくるんだもん。『コミュニケーション能力はありますか?』『人と話したり、交渉するのは得意かな?』って」
「『あります』って言っておけばいいじゃん」
「ないし」
「あるよ。イズィさん、自分の中での理想が高すぎるだけで。十分できてるよ」
一瞬、彼女は口を噤む。その隙に私は、彼女が私の肩に置いている手に手を重ねて、
「自分では『できない』って思ってることでも、やってみたら案外大したことなかったりするものだよ」
「……先生の、歌とダンスみたいに?」
「そう」
「でも、いつでもそうとは限らないじゃん」
「それはそうだね」
笑って言うと、意外だったらしい。彼女は目を見開く。
その隙に、私は言葉も重ねる。
「でも、いつでもダメとも限らないから」
そこで会話が途切れたのは、にわかに子どもたちが騒がしくなったからだった。
ちょっと遠い場所。何、とイズィさんが先にそれを気にする。私がそっちに顔を向けたとき、ちょうど声が耳に届く。
「雪だ!」
ほんとだ、と隣でイズィさんも呟いた。
公爵領でも、年に数回雪が降る。今日は特に寒い日だったから、道理で、と納得する。子どもたちはペンもスケッチブックも放り出して、空に向けて大口を開け始める。こら汚いからやめなさい、と私が注意しても、まあこれが逃げ回る。
街が白く染まっていく。
ふと私は、空を見上げて思う。イズィさんの言った言葉。
私、将来どうなるの?
どうなるんだろう、って。
雪が地面に染みていくみたいに、自分の心に問い掛けてみる。
お客が来たのは、その雪が融ける頃の頃だった。




