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 ふとした寂しさを感じるのは、心の問題だけじゃなかったと思う。

 普通に、冬の気配が近付いてきていた。


「いやあ、聖女様がいなくなると王宮も殺風景になってしまうな。どうだい。君も親しい王宮楽団長と一緒に、改めてこの楽団に就職してみるというのは」


 たとえば、最後の挨拶に伺ったときはいつもの服装だったけれど、見送りに出てきたティアーロ王子は、薄手の外套を羽織っていた。


 出立の朝だ。


「それはむしろ、殿下が困るのではないですか。王宮に元聖女が二人もいては」

「なあに。国民からの好感度が高いうちは多少の無茶はどうとでもなるものさ。むしろ僕はこういうときに無茶を通すために日頃の行いに気を付けて――」

「ティアーロ殿下」

「おっと、騎士様のご帰還だ」


 一応私は、まだ聖女らしい服装をしていた。

 つまり、普段着よりもだいぶ上等な衣装に身を包んでいる。正確に言うなら、王宮で侍女役としてお世話してくれた皆さんに、最後までお世話になって着せてもらった。


 単純に、王宮を歩き回るためのそれなりのドレスコードという一面もある。

 けれど多分、もっと単純な言葉で解釈することもできる。


 儀式が終わっても、ここを出るまでは聖女様なのだ。


「公爵」


 今いる場所は、王宮のエントランスの近く。

 柱の向こうから、呆れた顔をした公爵がこっちに歩いてきた。


「お待たせしました、聖女様」

「もうご挨拶は大丈夫なんですか」

「ええ。内々の仕事の話でしたので、また今度ということで」

「たまにしか王宮に来ないから、そうやって『これを機会に』と捕まってしまうんだよ。アダン、もっと顔を見せに来い。何なら聖女様も連れて」

「あなたは……」


 呆れた顔が、頭痛を堪えるような顔になる。


「大概にしてください」

「しないね。君みたいなやつは、ちょっと強引に行くくらいじゃないと上手く関係を築けないんだ。なあ、聖女様?」

「え? ええと……」

「そうやって絡むな。折角儀式も成功に終わったんだから」

「その二つにどういう結びつきがあるのかは判然としかねるが、ま、そういうことにしておこうか」


 歩いていくうちに、王宮の外に出た。

 大きな馬車が停まっている。見覚えがあるのは、行きにも使ったものだからだ。公爵家の馬車。とても快適で、長旅だってあっという間に感じてしまう。


 後は、あっという間の出来事なのだ。


「それでは、殿下」

 乗り込む前に、私は一度、振り返る。


 そこにいるのは、ティアーロ王子だけではない。見送りのため、この少し肌寒い外気の中、しばらく待ってくれていた人たちもいる。


 その人たちのためにも、最後まで気を抜かずに、


「このたびは、女神様の儀式のためのご尽力、大変ありがたく。皆様方の惜しみないご助力のおかげで、つつがなく儀式を終えることができました」


 女神様もお喜びになっていることでしょうとか、これでこの冬も女神様のご加護の下、人々は大過なく暮らせることでしょうとか、知りもしないことを定型通りに話していく。まあでも、と心の中で思う。女神様は本当に喜んでくれた気もするし、私たちに加護を与えてくれる気もする。


 良い体験だったな、と思った。

 だから、心からの気持ちを込めて、こうやって告げることもできる。


「私も暮らすこの国の、全ての人々のこれからの幸福を願って、聖女の座を降りたいと思います。皆様、どうぞお元気で」


 王子が微笑む。彼もまた、国の次代を担うに相応しい振る舞いで、胸に手を当てて、腰を折り、挨拶をしてくれる。


 それが最後だった。

 馬車のドアが開く。たくさんの拍手が鳴り響く。


「お手を」

 名前を呼ばずに、公爵が手を差し伸べてきた。


 私はその手を取る。階を上っていく。最後にもう一度だけ振り向いて、礼をする。一層拍手は大きくなって、ドアをくぐる。席に着く。ドアが閉まる。


 馬車が走り出す。

 いつまでも、拍手が鳴り止むことはなかった。


 そのまま王都を出るまでの間も、出てからもしばらくの間、ずっと。あの儀式を見た人たちが、私の出立を見送ってくれていた。


 馬車の中には、私と公爵がいる。

 話したいことがなかったといえば、嘘になる。無事に終わって良かったですね。どうでしたか儀式の出来は。最後の最後まで公爵はお忙しかったですね。帰ったら早速またお仕事なんですか。大変ですね、たまには休んでください――


「公爵様」


 でも、私はもう、聖女じゃないから。

 静かに頭を下げて、こう伝えた。



「今まで、ありがとうございました」



 ああ、と公爵は答える。その顔にも声にも、まるで乱れはない。一番最初に会ったときと同じ態度で、彼は佇んでいた。


 馬車は揺れる。

 旅の終わり。


 そうして私たちは、他人に戻った。



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