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28 たまには



『【推し】

 気に入っている人やもののうち、特に熱烈に好んでいるもののこと。また、いくつかのもののうちで、特に好んでいるもののこと。背中を押したくなる、応援したくなる対象のこと』



 らしい。

 公爵が持っていたのは、私がさっき手に持っていた小さな辞典の、大きい版だった。


「正直に言うと、最近は君のことを避けていた。その……恥ずかしながら、女性に限らず、人のことをこれほど強く、絶え間なく考えた経験がない。自分が君のことをどう思っているのかわからず、困惑していた。礼を失していた上に、後見人としても褒められた対応ではなかったと思う。すまなかった」

「いえ、それは別に、お気になさらず」


 それよりも気になるのは、


「どうしてこんな……辞典を?」

「感情の対処のためには、その感情に名前を付けるのが効率的だと思ってな。そのために、空いた時間に図書館に通って辞典を捲っていた。まさか、こうした俗用のもので見つかるとは思っていなかったが」

「お告げとかではなく?」

「お告げ?」


 道理で、王子からも堅物呼ばわりされるわけだと納得した。

 公爵様は、自分で自分がわからなくなると、辞典を引く人らしい。私みたいに、女神様からのお告げを調べるためなんて理由もなく、自主的に。


 変な人。


「というわけで、俺の話は終わりだ。取り留めのない話だったが、最後まで聞いてくれてありがとう」


 しかも突然、話を終わらせられた。

 私は信じられないものを見る目で、公爵を見る。公爵は、特にその視線の意味に気付いていない。不思議そうな顔でそれを受け止めて、それから続けて、


「最近の俺は挙動も怪しく、君に不信を抱かせていたような気がしたからな。改めてこうして話せる場を作ってもらえてよかった」

「……ですか」

「君からは何かあるか? 文句だっていいぞ。何でも」


 ある。

 もちろんある。


 でも、それを口にできるかというと、


「……つまり、公爵は私の歌とダンスを見ていると元気が出てくるっていうことでいいんですよね」

「ん、ああ」


 できなくて。

 私はそんな風に、訊ねてしまう。


「そうだな。活力が湧くというか、明日への希望が抱けるというか、そんな調子だ」

「お仕事の役には立っていますか」

「かなりな。しばらく領地を離れているから、肝心の人望が増したわけではないが。少なくともいつもの実務的な仕事については、以前よりも自信を持って行えるようになった。君のおかげだ。ありがとう」


 そうですか、と私は頷く。

 それから、マナー違反をする。


「あ~~……」


 膝に肘を突くみたいに、前屈み。

 鼻から下を、両手で押さえた。


「ど、どうした」


 突然の動きにびっくりしたらしい公爵が訊ねてくるけれど、本当の『どうして』なんてとても言えない。しばらく無言のままでいて、それから、


「最後に見た私の舞台、覚えてますか」


 関係のない話を、始めてみることにした。

 公爵は戸惑っている。でも、ちゃんと答えてくれる。


「ああ。忘れるはずもない。思えばあれが決定的に――」

「あのときより私、もっとダンスが上手くなりましたよ」


 被せるように言ったのは、もうこれ以上聞いても仕方ないよなと思ったから。


「今日もネアネイラさんに褒められました」

「ほう、それは……」

「だから、たまには見にきてください」


 顔を上げれば、目が合った。

 心配して覗き込んでくれていたから、それはすごく近い距離だ。お互いの瞳に映った自分の姿が見えるくらい。


 あんまり、こういうときの自分の顔は見る気がしないなと思うけど。

 そのまま真っ直ぐ、私は言う。



「元気、出るんでしょ?」



 呆気に取られたような顔。

 でも、あなたが相手ならこのくらいで十分だ。私のことを応援してるっていうんだから。熱烈に気に入っているっていうんだから。


 推してるっていうんだから。

 このくらいの言葉で、十分でしょ?


「――ああ」

 案の定、彼は笑った。


「必ず行く」


 そうして私たちのその日は、終わりを告げた。

 部屋の前まで送ってもらう。それじゃあまた、と別れる。一人になったら、今更聖女様に与えらえた部屋の広さが身に染みる。


 その部屋の端っこ。

 大きなソファに飛び込んで、顔を埋めて。


 私は、呟いた。


「フラれたあ~……」



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