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26 推し



 ちなみに、『がたり』というのは公爵が書架に頭をぶつけた音らしかった。

 だって、棚がちょっと揺らいでいたから。


 私がここにいるなんて、思っていなかったらしい。後姿を見つけて、思わず後退りして書架に頭をぶつけてしまうくらい、動揺したらしい。


 好き避け。

 すごい威力のある言葉だと思う。


 私は今、これまでの公爵の言動とこの言葉を頭の中で繋ぎ合わせてしまっている。そういうのと並行して、こういうことも考えている。


 本当にそうなら、また逃げられる。

 捕まえておこうか、どうしようか。


「……作詞か?」


 悩んでいるうちのことだった。

 この一ヶ月くらいでは、本当に珍しいことだと思う。公爵の方から話題を振ってきた。


 何となく私はそれで、「今までとは雰囲気が違うな」と感じた。素直に話に応じる。ああ、と頷いて、


「そういうわけではないんですけど、少し確認したいことがあって。公爵様はお仕事ですか」

「いや、私用――」


 途中で気付いたらしくて、彼は口を押さえた。

 まあ、それはそうだろう。今まで「仕事が忙しい」という建前で私のことを避けてきたわけだから。それが「プライベートな用事で図書館に寄っていた」とは言いづらいに違いない。


 私は、次の言い訳と建前を待った。


「……ちょうどよかったのかもしれんな」


 けれど公爵は、そうはしなかった。


「今から少し、時間はあるか」




 この中庭の噴水は、何かのスポットになっているんだろうか。

 私一人でいるときもそうだけど、いつも結局、ここに吸い込まれるように歩いている気がする。一際目立つから、足取りが自然とこっちを向いてしまうんだろうか。


 ベンチに座っている。

 公爵が、口を開く。


「まず、最近あまり顔を出せずに悪かった」


 あんまりにも真正面からの言葉だったから、私はかえって戸惑ってしまった。

 素直に謝られると、こっちもフォローに回るしかない。


「そんな、気にしないでください。お忙しいんですよね」

「確かに忙しくはある。が、仕事に逃げていたという方が表現としては近い」


 そんな倦怠期のカップルみたいなことを言われても。

 私ってこの人とどういう関係だったんだっけ、なんてことも思わされる。いつもこんな調子で喋っているなら、この人は相手を勘違いさせる才能に溢れていると思う。


「ええと、」


 言葉を選びながら、


「何か、足が遠のくような理由がありましたか」

「君のことで頭がいっぱいだった」


 気絶するかと思った。


 かーっと一気に頭に血が上った。本当に、真夏にお風呂に四十分くらい入っていたときと同じくらいに。ぐるっと頭が回ってしまいそうになって、何とか堪える。堪えたら堪えたで、今耳にした言葉と向き合わなくちゃいけなくなる。


 君のことで頭がいっぱいだった。

 君のことで頭がいっぱいだった?


「それは……」

 そんなこと、公爵の立場にある人が軽々しく言っていいの?


「公爵様も、もしかして女癖の悪い方なんですか?」


 防衛本能みたいなものが働いたんだと思う。


 私は咄嗟に、そういう茶化すような言葉を発していた。今のって、ただの戯れですよね。あんまり真剣に受け止めないでおきますよ。そういうメッセージ。


 優柔不断を自認する人間の、こういうときのうじうじ物事を回避する能力は高い。

 そして多分、それで正解だったんだと思う。


「――――」

 公爵は大きく目を見開いて、


「いや、そういうことじゃ――そうか、そう聞こえるか! すまん、そういう意味ではなかった! 今のは撤回させてくれ」


 と、慌て始めたから。


 私はほっとしている。大惨事を回避できたから。そして同時に、がっかりもしている。


 そうなんだ。

 そういう意味じゃなかったんだ。

 撤回しちゃうんだ。


「どう言ったら誤解がないか……」


 彼は考え込む。私は待つ。


 空は、もう夕暮れだった。

 不思議な色が、西の空に滲んでいる。その色が夏の終わりを感じさせて、それから同時に、聖女としての季節の終わりが近いことも、私に思わせる。


 何となく、寂しい感じのする空だった。


「――結論から言おう」

 ようやく、公爵が顔を上げた。


 まるで真剣な会議に臨むような顔だった。そんなに真面目にならなくても、と私は思う。

 何だかとんでもないようなことを言われるような気がして、身構える。



「君は、俺の『推し』だ」



 知らない言葉が出てきて、肩透かし。

 それでも順を追って、彼は話し始めてくれた。



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