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02 よりにもよって?



「サラ先生のこと夜に見るの、なんか変な感じ」

 とイズィさんに言われたとき、私は実は、子どもたちから『先生』と呼ばれることにもいまだに変な感じを覚えている。


 始まりは、ある春の夜のことだった。

 私が住んでいるのは、ある王国の、ある公爵が治める領地の一つだ。穏やかな街で、昼の間は子どもの遊ぶ声や、働く人たちの活気があるけれど、夜になればふっと森の中のような静けさが訪れる。そんな街。


 でも、今日だけはちょっと違う。

 たくさんの子どもたちと共に、私はこの夜、二階建ての校舎の中を歩いている。普段だったらひっそりと静まり返って、大の大人だってびくびく怯えながら進む羽目になるような場所。


 そこが今は、賑わっている。


 一番後ろに陣取っている私が、「教室行こうぜ!」と逃げ出そうとする生徒たちを「こら」と捕まえなくちゃいけないくらいに。


 二、三人、飛び出してきた子たちを阻止して列に戻す。一番前を行く校長先生が振り返って、白い髭の向こうでにっこりと笑う。任せてください、と私は頷いて返す。


「そりゃ、夜には学校に来ないからね」

 それからようやく、イズィさんとの会話を続けた。


 イズィさんは最上学年で、この学校の生徒会長を務めている。去年までは私のことを『サラ先輩』と呼んでいた。彼女は私と同じように、逃げ出す下級生たちの進路をガードしながら、


「ね。初めて来た。先生は?」

「私は来たことあるけど、一回だけ。それも十年前」

「当時はこっち側?」


 イズィさんが、小さな子たちのつむじを見つめながら訊ねる。私も同じくそうして彼らを見下ろして、こっち側、と笑った。


 それからゆっくりと列が止まる。

 一番前で、校長先生は言った。


「さあ、君たち。今から屋上の扉を開けるよ。でも駆け出したら危ないから、ゆっくりと順番に歩いて――」


 そんな注意を素直に聞いてくれたら、どれだけ楽なことか。

 私は何も言わずに校長先生の隣まで移動する。イズィさんもついてきてくれる。


 扉が開く。


「ほら、走らない!」


 ほとんど壁になったような気分だ。特に柵にまで激突していきそうな子どもたちを上手く阻んで、校長先生が私に協力を頼んできた意味を知る。


 でも、無理もないとも思う。

 私だってもっと小さい頃、こんな場所に来て落ち着いていられたか、自信がない。


 満天の星空だった。


 しばらく生徒たちを上手く誘導する。屋上の扉を閉める。そこに陣取るつもりで背中を預けていると、校長先生がやってきてこう言う。こっちはいいですよ、サラ先生。


 校長先生から『先生』と呼ばれるのも、やっぱり慣れない。

 何と言ったって、そもそも私は正式な『先生』じゃない。たまに人手が足りなくなったときにお手伝いに来ているだけの、補助教員だからだ。


 危なっかしい子どもたちが、ちゃんと全員見える位置。柵を背にするようにして私は屋上の隅に立つ。春と言っても、夜はまだ寒い。空を見上げてほう、と息を吐けば、白く濁る。


 星を見る目が、物憂げに見えたのかもしれない。


「また将来のこと考えてる?」

 いつの間にか隣に来ていたイズィさんが、そう言った。


 彼女は、がっくりと隣で肩を落とす。溜息を吐くと、同じように白くなる。


「うちの学校きっての才女にそんな人生に悩まれちゃなあ。現生徒会長の私の進路も暗いよ」

「からかわないの」


 とは言ったものの、図星だった。


 私は去年、進路に悩みすぎて就職に失敗した。

 やりたいことが見つからなかった。言葉にしたら何とも悠長なことだと自分でも思うけれど、三つのアルバイト先と、そして校長先生から「どこも決まらなかったらうちに来ればいいよ」と言われていたのが心を楽にしてしまった。同級生たちが次々新しい職場に飛び込んでいく中、私は一人、こうして学生時代の続きみたいに学校に留まっている。


 別に、今の状況に不満があるわけじゃないし、このまま教師になってもいいとも思う。

 でも、そんな風になし崩しで、これから一生やるかもしれない仕事を決めてもいいんだろうかとも思う。


「何でもできちゃうと、かえって悩みが多くて大変だね」


 に、と横目で笑ってイズィさんが言った。

 私も笑って、言い返す。


「イズィさんも他人事じゃないでしょ」

「私は運動はできないもん。手先も不器用だし、できるのは勉強だけ」

「人望もある」

「ないし。だから私は今年、できるだけ人と関わらずに済みそうな事務職を見つけて就職します」


 えー、と私が言うと、えーじゃないよ、と彼女は返して、


「人間得意不得意ってものがあるんだから。それをちゃんと把握して活かさなくちゃ。サラ先生だって――サラ先生って、苦手なこと何かあるの?」


 本気の調子で訊かれたから、こっちがびっくりしてしまった。

 ないわけがない。もちろん、と私は答える。伝えようとして口を開く。苦手なことの一つや二つや三つくらいはあるよ。何がって、それはたとえば――


「あっ、光った!」

 そのときに、ちょうど空に見えた。


 生徒たちがどれだどれだと騒ぎ出す。一番最初に見つけた子が、勢いよく指を差す。私もその方向に目を凝らせば、確かに見える。


 女神様の光だ。


「綺麗……」


 隣でイズィさんが呟いたのは、きっと私以外の誰にも届かなかったと思う。屋上で、それから屋上から見下ろす街で、たくさんの歓声が上がっていたからだ。


 王国には、古くから伝わる儀式がある。

 十年に一度、土地の繁栄と人々の幸福を祈り、聖女が女神様に祈りを捧げる儀式が。


 その聖女が、今夜選ばれる。

 女神様が放つ、三つの光によって。


 遠い空の向こうに浮かんだ小さな光が、段々とその明るさを増していく。くっきりと目に映る大きさになると、今度は飛び回る。少しでも女神様の目に留まろうと、街の皆が歌い出す。踊り出す。それはこの屋上も例外じゃなくて、ついこの間練習した卒業式のための合唱曲を、子どもたちが口々に歌い始める。


 その三つの光が重なったとき、照らされているのが聖女だ。


「もしかして」

 そっと、内緒話をするようにイズィさんは言った。


「サラ先生が選ばれちゃったりして」


 冗談めかしてはいたけれど、半ば本気の声色にも聞こえた。

 だから私は、わざと大袈裟に笑って言う。


「ないない。だって私――」


 言いかけて、途中で止めた。

 その理由は、歌が止まったから。


 私は驚いた。どうしたんだろうと、子どもたちを見た。でも、驚いているのはかえって向こうの方だった。


 みんなが私を見ている。



 視界が妙に明るい。

 というか、照らされている。



 私は隣のイズィさんを見た。


「……よっと」

 イズィさんは、カニ歩きをするように横に一歩、大股で動いた。


 光は、動かなかった。


「……」

 私も真似して、一歩動いてみた。


 光が、ついてきた。


「…………」


 二歩、三歩、四歩。

 五歩目で、壁に突っかかる。


 夜だというのに、夏の真昼にいるような、眩い光に包まれている。

 一人の生徒が、ぽかんと開いた口から、ごく自然な言葉を声にする。


「――聖女様だ」


 わっ、と屋上がざわめけば、それが街の全てに、街の向こうの山野に、それをさらに越えて国中へ。

 どんどんと、歓喜の輪が広がっていく。


 その輪の真ん中。たくさんの祝福を投げかけられながら、私は一人、強く、ものすごく強く、こんなことを思っている。


 なんで、よりにもよって私なの?



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― 新着の感想 ―
カニ歩きで避ける。付いてくる。 さらに困惑と、突きつけられる現実の描写が素敵です。
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