15 勘違いするなよ
「これから君の講師を担当することになるネアネイラは、非常に優秀な音楽家だ」
連れ出されながら、前を歩く公爵の話すことを、黙って聞いていた。
「彼女は君と同じく平民の出だが、その非凡な音楽の才を聖女の儀式で見せつけたことで、楽聖として名高く、また王室からの支持も厚く、すでに聞いたことだろうが王宮楽団の長も務めている。今回の講師役が彼女になったのも、非常に自然な人選だ。誰にも文句を付けようがない」
向かっている先は、私にはわからない。まだ王宮の中の地理に詳しいわけじゃない。
でも、何となく自然が目に入るようになってきた。多分中庭なんだろうと思う。少しずつ静かで、穏やかな場所に近付いてきた。
「以前の彼女の儀式が非常に音楽的に優れたものであったために、一見すれば君の音楽的才能への期待は高まっているように思われる。しかしそれと同時に、『ネアネイラは例外だった』という認識も共有されている。つまり、あまり自分と彼女を比べる必要はないということだ。あれは君より随分と奔放な性質で楽団長になってからは相当界隈を騒がせたとも聞くが、あらかじめ調査しておいたところ、部下からの信頼は非常に厚い」
くるり、と公爵が振り向く。
王宮の中庭には、何と驚くべきことに噴水なんてものがあった。夏には涼しくていいのかもしれない。水の飛沫が朝日を浴びて、きらきらと光る。ちょっとした虹のような光が、公爵の黒髪に光を差す。
つまり、と彼は言った。
「何も心配することなく、これからも儀式の練習に励むといい」
「はい」
「…………」
「…………」
そして、私たちは気まずくなっていた。
黙りこくって、次の言葉が何も出てこない。でも、私はそれを変だと思っていた。自分の方はわかる。あれだけ吹っ切ろう、割り切ろうと思っていたのに、いざ実物を目の前にすると考えてしまうから。
この人か。
この人なんだなあ。
でも、公爵が黙りこくっている理由はしばらくわからなくて、あ、とようやく思い付いたそれだって、合っているのかわからない。
「昨日のことでしたら、お気になさらないでください。確かにネアネイラさんも『打ち合わせ不足だった』とは仰ってくださいましたが、転び掛けてしまったのは、結局途中でふらふらし始めてしまった私が悪いですし」
「……いや」
「それに、やっぱりこういうことは早めに済ませてしまった方が気が楽です。喉元過ぎればというか、かえってこれで練習に集中できますし」
「……そうか」
本当にこれで合ってる?
公爵の反応が鈍い。前からこんな人だったっけ、と不安になってくる。何か言いたいことがあるだんろうか。むしろ私の方が言いたくても言えないことでいっぱいなんだけど。何となく、こうして目の前に立っているだけで脈拍が速くなってきてると思うんだけど。自分で自分に、「おいおいいくらなんだってだぞ」と言って聞かせなきゃいけないくらいなんだけど。
だって向こうは、私のことなんか全然知らないんだろうから。
変な期待なんかしたって、勘違いの気持ち悪い人になっちゃうよ、と。
「――勘違いするなよ」
思っていたから、びっくりした。
声に出ていたのかと思った。そんなわけない。心を読まれたのかと思った。そんなこともない。
ただ、たまたま考えていた公爵の発言が噛み合っただけ。
続けて彼は、こう言った。
「昨日のことだが、あれは別に……」
流石にここまで来ると、私もわかってきた。
公爵が言っているのは、私の失敗のことじゃない。失敗のときに、彼が取った行動の方なんじゃないかって。
転びそうになった。
頑張れ、と叫んでくれた。
そのことについて、語ろうとしているんじゃないかと、そう思った。
「……別に?」
なのに、その先の言葉が出てこないから不思議に思った。
一体何を何と勘違いするなという話なんだろう。訊きながら、考えている。普段はあんな風に取り乱したりしないとか、そういうことなんだろうか。でも、だったらそれは結構今更な話な気がする。他の人は驚いたかもしれないけれど、私はもう、見た目の冷たい感じと違って、公爵の面倒見が良いことを知っている。多分向こうも『知られている』とわかっているだろう。何せ、二人三脚でこの私が一曲歌えるようになるまで付き合ってもらったんだから。
「別に……」
じっと見つめると、公爵は目を逸らす。
しかも、手の甲で口元まで覆って、
「あのとき、咄嗟に叫んだことに他意はない。俺はただ、あれだけ練習を積んできたんだから、せめて実力通りの結果は披露するべきだと、そう思って応援したに過ぎない」




