第五話 皆人類魔獣化事件(答え合わせ) 前編
「辺境伯、エドガー・ハイネマン。空間を超えてきましたか……! ですが、それは軽率、飛んで火に入る夏の虫!」
リーゼが指を弾く。
彼女の背後で膨大な量の魔術式が起動。
それはかつて、開かずの宝箱に刻まれていた〝変異〟を司る大魔術。
「お姉様ごと、獣に成り果ててしまいなさい!」
魔力の光がほとばしり、いま、最悪の魔術ヴァーン・ドーラが発動する。
けれど――
「な、なぜですの!?」
狼狽するリーゼ。
当然だ、私たちは欠片も獣化などしていなかったのだから。
「種明かしは簡単です。リーゼの使っている鞭には、薬品が塗り込められていますね。この魔術に作用するなんらかのポーション。もしもそれを、私たちが事前に接種していたら?」
「そんなタイミング、お姉様達には――まさか」
「そのまさかだとも!」
割って入ってくる声は高らかに。
空間転移の術式で、ついでこの場に現れたのは、糸目の男性。
砂漠の民族衣装を身に纏い、額には龍のタトゥーを刻んだ伊達男。
「次代の犯罪王、なぜここにっ」
「おっと、レディー・ラーベにそっくりなお嬢さん。オレの名はシャオリィ。シャオリィ・ヴァーンだ。運命として、よく覚えておくことだな」
大見得を切る煙龍会第三席。
彼がその手に、土器の杯を掲げる。
「それは!」
「お嬢さんのお察し通りだ。これぞ龍血杯。古き盟約、龍の血――ダンジョン最下層にて醸造されるポーションを汲み出す魔導具!」
そう、リーゼが鞭を打つたびに香ってきた匂い。
あれは間違いなく〝龍の煙〟 と呼ばれるお酒の香りだった。
だが、恐らくはそれだけではない。
あの独特の匂いを発生させるのは、無名都市を潤す水源によるもの。
つまり、龍血杯の本体である赤玉から汲み出される、迷宮に貯水されていたポーションこそが正体だったのだ。
砂漠の町に伝わる龍伝説。
突如として消え去る人々。
スタンピードの伝承。
これらを組み合わせたときに出てくる答えは、一つしかない。
各地には古代ドワーフ迷宮のような魔力を吸収するダンジョンがいくつも存在し、これを通じて隠されていた〝開かずの宝箱〟が誤作動。
結果として人を魔獣へと変え、失踪事件やスタンピードを発生させてきたのだ。
だから、この対応策も古代の人々は用意した。
或いは、初めから準備されていた。
龍血杯は、そのひとつ。
「変異しないからといって、助けが来たからといって、その程度でわたくし、へこたれませんわよ。だったら物量で押し潰すのみ。お行きなさい、ケダモノさんたち!」
『ばあああああああああああ!!!』
リーゼの号令を受けて、一気呵成に突っ込んでくる数百の魔獣。
さすがのシャオリィも軽口を叩く余裕がなく、冷や汗を噴き出させるが。
一歩。
前へと踏み出す方がいた。
それなるは辺境伯。
エドガー・ハイネマン。
彼は愛剣をいま、高らかに掲げる。
「これなるは鉄扉切り。あらゆる障害、万難を排し、勝利をもたらす剣である」
閣下が、疾風となって駆ける。
振り抜かれる刃は銀の閃光となって、殺到する魔獣を片っ端からなぎ倒す。
「閣下!」
「心得た」
こんなときに何を、という話だが、しかしこの獣たちは被害者だ。
まだ治療手段があるかもしれない。
その謎を解明する手がかりは、一つでも多い方がいい。
だから私は彼へとお願いし、エドガーさまは二つ返事で了解を返して下さる。
戦いは一方的だった。
獣は統率もなく数を頼りに攻め込み続け。
エドガーさまはこれを全てはね除け、叩きのめし、意識を刈り取った。
「クッ! なにをしているのですか、王族としての誇りを見せてくださいまし!」
『ぐるうあああああああああああ!』
一際巨体を誇る第三王子が、颶風となって迫る。
さすがのエドガーさまも回避に精一杯となってしまう。
「辺境伯殿、助力する」
「クク、まさか貴様の力を借りるとはな」
シャオリィさんが駆け寄り、閣下と二人で第三王子と拮抗。
されど魔獣は次々に湧いてくる。
まさか、無尽蔵なのか?
「拙いんじゃないか、辺境伯殿」
「無用な心配だ。切り捨てれば済むこと――あの者達のように」
エドガーさまが映像の向こうを指差された。
都市部へと侵攻する魔獣の群れ。
それが、唐突に立ち止まった。
なにが起きたのか?
巨大な壁に、遮られていたのだ。
数秒前まで存在しなかったその壁は――スライム!
無数の冒険者――テイマー職達が、己の持てる限りのスライムを動員し、巨大な壁を作り魔獣の津波を押しとどめる。
そして、特大の一撃が横合いから炸裂する。
武闘家。
汚れた胴着を身に纏い、しかし尋常ならざる気功術によって剛力を得るもの。
さらに反対側から、無際限の刃が魔獣へと向けて降り注ぐ。
それなるは剣聖の弟子、大陸最強の魔剣士の奥義。
警邏隊や衛兵も総動員され、人類は魔獣を押し返す。
「これまでおまえが積み上げてきたものだ」
閣下の言葉に、ハッとなった。
ベスさんがいた、アンナさんがいた、ガンサイさんがいた、セレナさんも、トマス男爵も、アゼルジャンさんもいて、必死に災厄へと抗って――
「くっ!」
山と積まれる、気絶した魔獣達。
さすがのリーゼも、堪忍袋の緒が切れたらしく、ヒステリックに叫ぶ。
「助力をしなさい、おまえ!」
「ひっひっひ、やっとお声がけですか。では――これでぇ!」
突如として現れたこそ泥さんが、閣下の背後から攻撃を狙う
必中のタイミング。
だが――この瞬間を待っているものがいた。
「ようやく、戦力を出し尽くして下さいましたか。カレン、待ちくたびれ」
「なっ」
リーゼの背後を取ったのは、オレンジ髪のメイド。
私の従者にして親友、カレン・デュラ。
戦闘が始まった瞬間から、彼女はただひたすらにこの機を窺っていたのだ。
リーゼの直掩である、こそ泥さんが離れる刹那を。
カレンは瞬く間にリーゼの腕を捻り上げ、鞭を取り上げてしまう。
「そこの転移術者、攻撃は無用です。もしも強行すれば、妹君様の首が、どこぞの空間に吹っ飛びますよ?」
「……ひっひっひ。やられちまいやしたねぇ」
手を下ろすこそ泥さん。
同時に、魔獣達も動きを止める。
これでなんとかなったのか?
そう思ったのも束の間、大きな揺れが塔を襲った。
「……しくじりましたわね」
悔しそうに呟くリーゼへ、全員の視線が集中。
彼女は観念したように肩をすくめ、正直な言葉を口にした。
「あと数十秒で、リミッターを解除した最大出力の魔獣化術式が放たれますわ。それを浴びれば、如何にポーションを口にしていても無意味」
つまり。
「わたくしたち全員、ここで証拠隠滅のため全滅と言うことですの」




