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第一章 名探偵令嬢と魔獣の婚礼

 まだ私が、失敗作だとかバケモノだとか呼ばれる以前。

 お母様が読んでくださった本に、囚われの姫君という物語があった。


 遙か天空へと続く象牙の塔。

 その頂上に、生まれたことが罪だからという理由で監禁されたお姫様。

 数日後に迫る、魔王への輿入(こしい)れ――生贄になる日。

 達観する姫のもとへ、突如現れる騎士様。

 そして二人は塔を逃げ出す。


 ……なんのことはない、夢見がちな御伽噺。

 けれど私は、いまそんな物語を思い出していた。


 (まぶた)を開ける。

 らしくもない現実逃避は全て失敗に終わったらしく、数秒前と同じ光景がそこには広がっていた。

 御伽噺に聞いた象牙の塔の最上階。

 雲よりも上の大広間。

 そこで私は、手枷足枷を付けられた上で、純白のウェディングドレスを着せられていた。


 婚礼の相手は誰か。

 私を(さら)った、あの毛むくじゃらのモンスターだ。


「ああ、魔獣の花嫁なんて……なんとお似合いなのかしら、憎らしくも愛しいお姉様」


 感極まったような声に、疲れた眼差しを向ければ、見知った顔がそこにあった。

 リーゼ。

 リーゼ・クレエア。

 私の妹が、中折れ帽子にレザージャケット、ワークブーツと腰に鞭という、考古学者のような格好でこちらを見詰め、顔一杯に恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべている。

 ……いや、その格好はなに?


「それはこの遺跡を見つけ出すためですわ」

「遺跡……」

「ええ、お姉様の結婚式場にして、大陸人類全てを絶滅させる魔術塔〝ヴァーン・ドーラ〟。それがこの場所の名前でしてよ」


 私は左手の薬指。そこにはめられた指輪へと触れる。

 不安だからか、怖ろしいからか。


「どこにあるか教えてくれたりは」

「いかにわたくしが太っ腹でも、そこまで法外なご祝儀、ご用意出来ませんわ」


 教える気はないと。

 であるなら、これ以上聞く意味はない。

 リーゼは嫌だといったことは絶対に話さないし実行しないからだ。

 気を取り直してアプローチの方向を変える。


「花嫁というのは何ですか?」

「花婿の妻――なんて詰まらない誤魔化しはいたしませんわよ。そこの魔獣さんと結婚していただくという意味です」

「手も足も出せないように拘束しておいて、結婚と来ましたか。あまりに反道徳的では?」

「しっかり口出ししておいて、手も足も出ないもないでしょうに。第一、お姉様は知恵が出せればそれが最大の武器なのではありませんこと?」

「さすがリーゼ、私のことをよく解っています」

「なにひとつ解りませんわよ、その黒い腹の(なか)なんて」


 彼女は微笑み、私はため息を吐く。

 相変わらずと言ったところか。健勝そうで安心した。


 しかし、魔獣。

 この巨体のモンスターを、彼女はそう呼んだ。

 しかし……本当にこれは、モンスターだろうか?

 (さら)われた瞬間からずっと考えていた。

 ヒトガタのモンスターは存在する。毛むくじゃらのものもいるだろう。

 だが、ここまで人間らしい形をしたものは、そんな進化を辿ったモンスターというのは、歴史上類を見ない。


 ゴブリン、オーガ、トロール、コボルト。

 そのどれとも違う、明確に人間のなれの果てというデザインの生物。

 デザイン。

 私は今、デザインといったのか。

 だとすれば誰が、どんな意図で、これを作った。


 誰かが、この姿へ、加工した?


 そんな突飛な仮説を裏付けるように、魔獣とやらには奇妙な部分があった。

 その身に纏っている装飾品、ボロ切れ。

 これに、私は見覚えがあったのだ。

 元は豪奢だったはずのもの。

 そこに刻まれた紋章は。


「……にわかには信じがたいのですが、まさかこの御方は」

「ご明察ですわお姉様。よくぞ理性を超えて、そのように異常な考えにたどり着けるものです。やはりクレエアの血はお姉様にこそ色濃く受け継がれているのですわね」

「……第三王子さま、ですか」

「如何にも! 死さえ偽装された王子様のなれの果て。〝結社〟の憐れな操り人形。そして」


 彼女は告げた。

 それまでの楽しげな様子とは打って変わって、心底くだらないといった表情で。


「世界を滅ぼす、獣化魔術のトリガーですわ」



§§



「大陸の人類を次なるステージへと導く。そのために全員を野獣に変える。これが〝結社〟の画策していることですわ」


 ほとんど無防備に、リーゼはそんなことを語る。

 世迷い言のようにしか思えないが、彼女がやると言ったからにはやれるのだろう。

 それがリーゼにとって、必要なことならば。


「勘違いなさいませんように。わたくしではなく、〝結社〟の意志です」


 さきほどまでの、どこか楽しそうな様子が急速に霧散。

 極めて強い嫌悪の色が、彼女の端整な顔立ちに宿る。


「はっきり言って、興が乗らないというのが本当のところでしてよ。人類絶滅など程度が低く、なんならこの場でご破算にしてやっても――」


 彼女が真顔で言い放ったときだ。


『がああああああああああああ!』


 魔獣(ビースト・)の咆哮(ハウリング)

 身もだえするように全身を震わせたそれは、両目を血の色に輝かせ、突如リーゼへと躍りかかる。

 獣は進む道にあらゆるものをその爪牙で引き裂き、破壊しながら突進。

 だが、リーゼは微動だにしない。

 冷たい眼差しを獣へと注ぎ――


 彼女(いもうと)が死ぬ。


 そう確信する寸前、破裂音が轟いた。

 突如、獣の前に伸ばされた爪が向きを変え、明後日の方向を引き裂き、止まる。

 リーゼの頬に一条の傷が出来、ぷくりと血の(たま)が浮かんだ。

 彼女の細い手には、いつの間にか鞭が握られており、先ほどの破裂音はそれが床を叩いたのだと悟った。

 再び鞭がひるがえり、床を打つ。

 微かに、嗅ぎ覚えのある香りが空間へ飛散した。


『ぐるるあああああ……』


 途端に大人しくなる魔獣。

 冷たい眼差しのまま、細く、長い息をリーゼは吐いて。

 それから私へと、悪徳の笑みを向けた。


「この通り、第三王子さまはわたくしの意のまま。逃げだそうとすればいかにお姉様でも危険ですのでお忘れなく」

「……私をここにとどめることに意味が? と聞いても教えてはくれませんか」

「お姉様を生贄として、大規模な魔術によって大陸中に獣化魔術を適用する。それだけでしてよ」


 驚いたことに、彼女は素直に目的を語ってくれた。

 もちろん、肝心な部分はそれとなくはぐらかされている。


 大規模魔術と一口にいうが、この大陸全土に影響を及ぼすほど莫大な術式、そう簡単に用意出来るわけがない。

 秘密裏に行動したとして、否――王家が全力を賭けて大っぴらに行動したとしても、十年や二十年でなんとか出来るレベルではないのだ。


 つまるところ、有り得ない。

 どれほど卓越した魔術師が集まっても、神話の時代の魔導具があったとしても、大陸中を包み込む術式など構築出来るわけがない。

 しかし、リーゼはこれを疑っていなかった。

 興味こそなく、気だるげではあったが……けっして信じていない顔ではなかった。


 もちろん彼女もクレエアだ。

 いざとなれば、どんな演技だってやってみせるだろうけれども……。


「あら? お姉様の前で取り繕うなんて恥ずかしい真似、わたくしいたしませんことよ? こんなにもわたくしと気安く対等にお話し出来る存在、みそっかすお姉様ぐらいですから」

「知っていますよ」


 彼女は私の前で飾ることはない。

 私に嘘をつくことはない。

 その無意味さを知っているし、無意味を愛するほど、リーゼは享楽(きょうらく)(ふけ)ってはいない。

 であるなら、逆説。

 その大術式は成立するのだ。


 事実として、民草の全員が魔獣に変貌するときがくるのである。


「第三王子様はトリガーで、私が生贄と言いましたね。彼と私がどうなることで、魔術が発動するのですか?」

これ(・・)とお姉様とつがいになること。厳密には……お姉様を謎解きも出来ない、半永久的な子を孕むだけの装置にして、その子どもを全て魔力と術式に変換することで、永続的な魔術を成立させます」


 やはりつまらなさそうに語るリーゼ。

 ……つがいになる、というのはギリギリ解る。

 魔術において二つのものが混合するというのには、まったく別のものを産み出すという意味がある。

 けれど、その対象が私である理由は何だ?


 一方は王族が変じた野獣。

 もう一方は、謎を解くしか取り柄のない娘――。


「クレエアの血、ですか?」

「ノーコメントですわ」


 沈黙してもいい部分で、わざとそんなことを言ってみせるリーゼ。

 もう少し踏み込んでもいいというメッセージだろうか。

 ……つまるところ、この会話を聞いている連中がいるのだろう。

 私は指輪に触れながら、訊ねる。


「この術式、既に起動していますね。効果範囲は、とっくに各地へ及んでいるのでしょうか」

「クソッタレで愛しいお姉様、ああ、本当に憎たらしいほどお優しい。こんなときに他者の心配をなさるなんて……まったく反吐(へど)が出ます。ですから、現実を見せて差し上げましょう」


 彼女が、指を弾く。

 遠見の術式が起動。

 私の背後に、遠い土地の光景が映し出される。


「これは――」


 私は言葉を失う。

 そこに映っていたのは。


 魔獣の群れに襲われる人々。

 そして魔獣へと変貌する民草の姿だった。

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