第一話 名探偵令嬢はお菓子を勝手に盗んだか?
どうやらハイネマン家において、私はあまり歓迎されていないらしい。
そう気が付いたのは、嫁いできて一週間ほどが経ってからのことだった。
廊下をすれ違うとき、避けたつもりの使用人と肩がぶつかってしまう。
庭園を観賞していたら頭から水をかぶることになった。
食事に虫が入っている。パンが焦げて真っ黒。スープの味がしない、などなど。
実家から唯一着いてきてくれたメイドのカレン・デュラに、上記の内容を相談すると、彼女は烈火の如く怒りはじめた。
「お嬢様、即刻旦那様へ訴えられるべきかと」
「でも、お家の懐事情が芳しくなくて満足な使用人を雇えない、食事を用意出来ないということなら、これを暴くことは閣下のお顔に泥を塗ることになりますし……」
「ではなく、お嬢様は完全にいじめられておりますので」
……いじめ?
この程度が?
そんな顔をすると、カレンは大きくため息を吐いた。
「ご実家での暮らしぶりを考えれば、ここでの生活が天国のように感じられるのはよく解ります。カレン、とても同意」
「でしたら、やはり閣下には内密にしておくべきでは」
「なりませぬ」
ぐいっとこちらへ顔を近づけ、彼女が真剣な口調で訴える。
特徴的なオレンジ色の頭髪が、パッと燃えるように弾けた。
どうやら、なにを思いだして怒りが再燃したらしい。
「ここの使用人達が、お嬢様を何と噂しているかご存じですかな?」
「クレエアの厄介鳥娘?」
「いいえ、つまみ食い盗人です」
「それは」
なんとも不名誉な呼び名だ。
いくら謎が解ければいいからといって、盗人扱いは看過出来ない。
場合によっては閣下の名声に傷がつくし、なにより迷惑だと判断されれば、もうどの事件にも連れて行ってもらえないかもしれないのだから。
それは困る。激しく困る。
私は謎がないと生きていけない生き物なのだ。
「お嬢様のモチベーションはともかく、名誉回復は必須かと」
静とメイドらしい立ち振る舞いに戻った親友が、お茶を入れてくれる。
それを喫しながら、うまく屋敷の人々と付き合っていく方法を考えなければと思案していると、車輪の音と馬の嘶きが聞こえた。
どうやら、出かけていた閣下がお戻りらしい。
「致し方ありません」
率直に彼へ相談してみよう。
そんなことを考えていた私は、犯罪温床都市と呼ばれる辺境伯領のことを甘く見積もっていた。
なぜならこの数時間後、辺境伯閣下は、
「我が書斎から重要書類が紛失した。部屋へ出入したもの、および屋敷にいた全てのものを調べさせてもらう」
使用人の皆さん全員に嫌疑をかけ、犯人当てをはじめてしまったのだから。
§§
「話を整理します。閣下の執務室から失われたのは、とある鉱山にまつわる書類が一枚。防諜術式と施錠術式の併用により、鍵が開けられれば即座に警報が鳴り響いていた。間違いありませんね?」
「概ねその通りだ、黒鳥よ」
屋敷を管理している人々が一堂に集められたホールで、私は辺境伯さまから諸々の説明を受けていた。
謎があるのだから我慢など出来なかったのである。
それはそれとして、使用人さんたちからは「お前がやったんだろう」「クレエア家のスパイ」「旦那様、すぐにその娘に処罰を!」「害鳥」などという声が飛んできているが、推理には関係ないので無視。
政略結婚とはいえ、主人の伴侶に向かってこれだけの罵声を吐けば処断待ったなしだと思うのだが、そこはお優しい閣下の気質を皆理解しているのだろう。
しかし、なぜかエドガーさまは先ほどから虫の居所が悪いらしく、瞳の色をドス黒い紫にしている。
おまけに腰に差している剣の柄頭を苛立たしげに何度も指先で叩いてまでいた。
短い付き合いだがさすがに解る、これは相当に機嫌が悪い。
ふむ、さっさと解決してしまおう。
「皆さんへ質問です」
不平不満を投げてくる使用人さんたちへ向き直り、私は訊ねる。
「これまでも、不自然にものがなくなることがありましたか? それも、気が付くはずの場所、気軽には人が立ち入れないようなところで」
「答えよ。沈黙は許さぬ」
うるさいとか、黙れとか、お前がやったんだろうとか、建設的でない声ばかりが上がるのでどうしようかと考えていると、閣下が一喝された。
それでもしばらく皆さんはざわついていたが。
「ならば全員を処するか? よほど俺の悪名を高めたいとみえる」
なんて閣下が脅すので、ゆっくりとだが証言が上がるようになった。
話を聞くと、やはりいろいろなものがなくなっていたらしい。
それも、ちょうど私が嫁いできた頃からだ。
なるほど、疑いたくなるのも道理である。
「食料などは減っていませんでしたか?」
答えは否。
ということは、状況から犯人像は随分と絞られる。
顔の前で両手を合わせ、一気に思考を加速。
黙考の末、私はひとつの答えへと辿り着いた。
これを実証するため、私はメイドを呼ぶ。
「カレン、用意してもらいたいものがあります」
「なんなりと、お嬢様」
身構える彼女へと、私は告げた。
「ねずみ取りを、仕掛けてください」
§§
数日後、仕掛けられた罠にネズミがかかった。
ただのネズミではない。
アンデッド化して、何者かに操られているネズミだった。
術者を調べようと逆探知の魔術を使用したが、残念ながら途中で術式を解除され、ネズミは今度こそ息絶えた。
「しかし、なぜ解った?」
「明瞭なことです」
閣下の問い掛けに、私は微笑んで答える。
人が出入り出来ない場所へ潜入する手段は限られている。
なかでもネズミを使う手法は、クレエア家が考案し、いまでは後ろ暗い物を持つ各所で用いられている典型的なものだ。
餌を現地調達していないことからテイマーではなく死霊術士の仕業と判断したのだが、どうやら正解だったらしい。
〝巣〟も屋根裏や壁の隙間から見つかり、件の書類も無事だった。
あとは死霊調伏を施術すれば完璧だろう。
「使用人さんたちへの嫌疑も晴らせましたし、めでたしめでたしですね」
「……あやつら、手を返してお前を救い主のように崇めているな」
「ふふふ。なので朝食にはフルーツの盛り合わせがついてきましたよ。甘くてとても美味しかったです」
糖分は脳髄を円滑に活動させるために必須。
だから彼らとの関係性を改めることが出来たのは望外の喜びだった。
「旦那様、お嬢様つきのメイドとして、一つよろしいでしょうか」
お茶の準備をしながら、カレンが声を上げる。
鷹揚に頷かれる閣下。
「語れ、メイド」
「有り難き幸せ。さて、お嬢様はこの通り聡明であらされます。どうか今回のような試し事は、二度とされませんように」
「過保護だな。だが、悪くない。主従ともに極めて利口だ」
閣下は口の端を持ち上げる。
……なるほど、この一件は通過儀礼。
私がこの屋敷になじめるかどうかのテストだったわけか。
どうりで使用人の方々が自由なわけだ。
犯罪に精通する閣下がネズミを見落としていたことも、意図的なものだろう。
逆説、そもそも誰も処断される予定はなかったのだ。
冷酷無慈悲な暴君なんていう噂もあてにならないなと、私は微笑む。
「ところで、閣下」
「なんだ」
「ネズミの巣から見つかりました書類ですが……」
「ああ、内密の査察を予定している鉱山の調査書だ」
それは、もしや。
「やはり解るか。そうだ、先日お前が暴いた事件――ゲーザンが取り引きをしていた相手が見つかった。俺はこの内情を暴きに行くが」
閣下が問いかけの視線をこちらへと寄越す。
お前はどうするか?
言葉にしなくても、彼の意志は伝わってきた。
私は、
「もちろん、お伴致します」
いちにもなく、微塵の躊躇もなく頷いた。
だって……きっとそこには。
今回よりも複雑で魅力的な〝謎〟があると、直感が告げていたから。